年を越える蕎麦
この作品はJ氏の「エラリーシリーズ」の設定を使わせていただいています。
エラリーたちのこれまでの活躍を知りたい方は芒羊會が作成してくれた『リストランテペコラJOJOさんのフルコース』収録作品『エラリー・クイーンの事恋簿』『アゼルバイジャン乙姫の謎』『じょじょ長屋の奇妙な住人』『クリスマス配達人の謎』『九女王戦争』『偉人荘の殺人』、同じく芒羊會作成の『ある羊飼いと一生の不覚』収録作品『じょじょ長屋の奇妙な住人・続』を読んでみてください。これらの冊子は朋来堂に置いてあります。データ版が欲しい方は今回の覆面小説を企画しているMuさんにお問い合わせ下さい。
最後に、エラリーシリーズの生みの親であるJ氏。勝手に設定を使ってしまいましたが、何卒ご容赦ください。
「みなさん、お蕎麦ができましたよー」
厨房から現れたリリーの声に文学サロンに集まっていた皆から大きな歓声が上がった。大晦日である今宵。ここ文学サロンでは年越しイベントが開かれていた。集まったメンバーたちはJ会長が作った鍋をつつきつつ、各々が今年一年の思い出話に花を咲かせていた。
「お姉さま手作りのお蕎麦です。みんな心して食べるように!ああ、むしろお姉さまに私を食べてもらいたい!」
リリーに続いて厨房から出てきたエラリーはリリーの言葉に苦笑いしながら各テーブルに蕎麦を配っていく。エラリーは全員に蕎麦を配り終えると、最後の一皿を奥のテーブルに運んだ。その席の主、最高のコンディションで年越し蕎麦を食べるため一人瞑想をしていたJ会長がゆっくりと目を開く。
「エラリー。僕がサウナの次に蕎麦が好きなことは知っているね。しかも大晦日はジムが閉まっていてサウナに入れていない。今の僕に生半可な蕎麦を出そうものなら……」
普段は穏やかなJ会長の目がギラリと鋭い眼光を帯びる。
「ええもちろん。九院家の誇りにかけて会長を満足させる年越し蕎麦を作ったつもりです」
それに臆することなく、エラリーはJ会長の前に蕎麦を置き、そのままテーブルの向かいに座った。バチバチと二人の間で火花が散るのを他のメンバーは固唾をのんで見守る。
「いざ──」
J会長が蕎麦をたぐりつゆに付ける。
「尋常に──」
エラリーの箸先で麺つゆが揺れる。
「「実食!!」」
二人は同時に勢いよく年越し蕎麦を啜った。
〇
滑らかな舌触り。噛めば噛むほどに広がる香り。そして蕎麦を引き立てる甘すぎず辛すぎず、ほど良い麺つゆの味付け。それは完璧な黄金比を体現した蕎麦であった。
(蕎麦発祥の地と言われる中国雲南省まで修行に出向いた甲斐があったわ。天上天下唯香独尊・鳥獣モードの完璧な力加減で麺を伸ばし、憑依モードで江戸前そば御三家とされる「藪」「更科」「砂場」それぞれの技術を再現し、宇宙モードでそば粉を1ミクロンの狂いもなく均一に配置した。これならJ会長も泣いて私にお礼を言う事でしょう……ん? そういえば私、随分長く蕎麦を啜っているような……)
エラリーは内心でJ会長が負けを認める姿を想像しほくそ笑んでいたため、異常事態が起きていることに気づくのが遅れた。蕎麦をいくら啜っても途切れることがないのだ。しかも、蕎麦を啜るたび体が何か大きな力に引っ張られていくのを感じる。
(なにかが起きている! 会長は気づいているかしら)
とっさにエラリーがJ会長の方を見ると、J会長は慌てる様子もなく頼もしく頷いた。
(エラリー流石だ。このお蕎麦めちゃくちゃおいしい)
(あ、これなんにも分かってない!美味しいお蕎麦食べて満足してるだけだわ!)
次第に周りの人たちの声が遠くなっていき、文学サロンの景色が歪んでいく。自身が蕎麦を啜る音を聞きながら、エラリーの意識は途切れた。
〇
気が付くと。エラリーは見知らぬ場所に立っていた。文学サロンの中でないどころか、まったく見覚えのない自然豊かな田舎の景色である。隣にはJ会長もいた。
「エラリー。正直年越し蕎麦めちゃくちゃ美味しかった。負けを認めるよ」
「会長。そんなことよりあれを見てください」
道の先には大きな町が見える。その町並みを見てJ会長は瞬時に理解した。
「ここは江戸時代だ!タイムスリップしてる!マジか」
「ええ。私の見立てでも間違いありません。私たちの時代とは暗黒物質の質も違っていますからドッキリとかでもないでしょう。でもどうして……」
「エラリーが天上天下唯我独尊で時間を操作したわけじゃないよね」
「ええ、まだそこまでの力はありません」
九院家に伝わる書物によれば、かつて時間を操ったという天上天下唯我独尊の使い手もいたようだが、日々修行を積んでいるエラリーでさえまだそのきっかけを掴めずにいた。
二人は必死にタイムトラベルの原因を考えるが、まったく思いつかない。何かきっかけになる行動が無かったか振り返っていたJ会長がぽつりと言った。
「もしかしてエラリーが作った年越し蕎麦を食べたからじゃないか?」
年越し蕎麦。年を越える蕎麦。まさか、そんな、文字通り年を越えたというのだろうか。数百年も?J会長の説は突拍子もないものであったが、エラリー自身自分が持つ特別な力の全てを理解できているわけではないので否定できなかった。
「とにかくどこかで情報収集をして元の時代に帰るための方法を見つけ出そう」
そう言うや否やJ会長はウキウキした様子で江戸の町に向かって全力ダッシュをしていく。J会長は江戸文化歴史検定を受けるほどの江戸時代好き。エラリーがいる手前なんとか冷静に振る舞っていたものの、内心では江戸時代の町並みを目にしてテンションが振り切れていた。
「あ、待ってください!一つ気になることが……ああもうっ! 天上天下唯我独尊──飛燕」
ステッパーで日々鍛えているJ会長の想像以上の速さの全力のダッシュに、エラリーもATP(アデノシン三リン酸)を足に集め、燕が飛ぶような速度で走る技“飛燕”でその後を追う。街の中心に近づくにつれて建物が増えていき、行き交う人の数も多くなっていく。エラリーは唐物屋の店先で足を止めたJ会長にやっと追いついた。唐物屋とは今でいうところの輸入雑貨屋であり『摂津名所図会』の唐物屋のイラストにはワイングラスなども描かれている。江戸時代というと鎖国のイメージが強いが長崎などを通して外国の品物は入ってきていたのだ。
「ミイラは……売ってないか。『大和本草』では二日酔いにも効くって書いてあるらしいから、文学サロンに買って帰ろうと思ったんだけど。この時代は薬として扱われていたから薬種屋の方に置いてあるのかな」
江戸時代では外国から輸入したミイラを万能薬として扱っていた。ミイラが薬になるというのはあながち迷信ではなく、ミイラに使われている防腐剤プロポリスは抗菌作用が強く、滋養強壮に効き、ピロリ菌を抑える効果があるとか。
エラリーは江戸の文化に目の色を変えているJ会長を人気のない長屋の裏に無理やり引っ張っていった。
「会長、江戸を生で見られて興奮するのは分かりますが重要なことを忘れていませんか──タイムパラドクスの問題を」
タイムパラドクスとはタイムトラベルで過去に戻った際のささいな行動によって未来が大きく変わってしまう問題である。この説明でよく分からなければ周りのSF好きに質問してみてほしい。
「この時代の人と関わると未来にどんな影響がでるか分かりません。出来るだけ目立たないように──」
「おーい、そんなところで何してんだー?」
不意に頭上から声が降ってきた。二人が声の方を見上げると細長い影が空を舞っていた。驚く間もなく目の前にパラグライダーが降り立った。
「じょじょさんにヒラリー嬢、探したんだぜ!」
驚いたことにパラグライダーは誰も人が乗っていないのに喋りはじめた。エラリーは動揺を押し殺してJ会長に耳打ちする。
(これはどういうことなのでしょう)
(ああ、江戸時代にパラグライダーがあるわけはないんだけど……)
(……それもそうですが、パラグライダーが喋っていますね)
(うん。そっちも気になるね。どうやらただタイムトラベルをしただけじゃなくて僕らが知っているのと違う世界線の江戸時代に来ているのかもしれない。とりあえずこの時代を仮に“メルヘン江戸”と名付けよう)
(わかりました。私たちを誰かと勘違いしているようです。タイムパラドクスを起こさないよう、このまま話を合わせましょう)
「おいおい。二人で何をこそこそ話してるんでい。それにけったいな恰好をして。ああ今はそれどころじゃなかった。大変なんだ!コンパスが火車の時と同じ気配を感じるんだとよ!」
パラグライダーから二つの小さな影──コンパスとしゃもじが地面に降り立った。コンパスは二人の前に歩み出ると自身の身体を二人に見やすいように傾けた。
「左様。見て下され拙者の針がぐるぐると回っております。これは火車と出会った時と同じでござる」(※じょじょ長屋の奇妙な住人・続参照)
「どうしよう。悪い気配がだんだん近づいているみたいなんだ。このままじゃ楽しい年越しが台無しになっちゃうよ」
不安げに見上げてくるしゃもじの言葉に、エラリーとJ会長は互いに目を合わせ頷いた。たとえ人違いだとしても困っている者を見捨てることはできない。
「元凶の場所へ私たちを連れて行って。江戸の平和は私たちが守るわ」
「そう言うと思ってた!さあ皆早く乗りな。風を置き去りにしてやるぜ!」
〇
空を飛ぶパラグライダーは次第に町から離れていく。日は山の向こうに姿を消し、昼と夜が交差する逢魔が時。木々が増え周りに人気がなくなったころ、天上天下唯我独尊・鷹目(ATPを目に集中させて凄まじい視力を得る)を使って気配の元凶を探していたエラリーが声を上げた。
「あそこよ!」
エラリーの声と同時、薄闇を咆哮が切り裂いた。
ソレは圧倒的な異形であった。
六本の脚から延びる爪は命を裂くカタチをしていた。
頭に聳える角は平和を壊すカタチをしていた。
歯をむき出しに荒ぶる面は絶望を振りまくカタチをしていた。
「あれは……」
J会長は記憶を探るまでもなく、書物で何度も目にしたその正体を看破する。
鳥山石燕の『図画百鬼夜行』にも描かれ、各地に幾多の伝承を残す怪異。
「牛鬼!」
襲い。喰らい。犯す。絶望の化身。命ある者の本能が告げる“──アレには決して近づくな”
「天上天下唯我独尊!」
J会長が静止する間もなくエラリーがパラグライダーから飛び降りた。猫のようにしなやかな着地から一転、弾けるように牛鬼に突進する。
考えれば恐怖で身が竦む。だから動け。戦え。思考はただ目の前の脅威を破壊するためだけに。エラリーの武人としての本能が体を突き動かしていた。
(実践では初めてになるけど、鳥獣モード、憑依モード、宇宙モードを組み合わせた新技。ここで決めてみせなさいエラリー!)
「天上天下唯我独尊・百鬼夜行モード──鎌鼬!」
すれ違いざま、居合のごとく振りぬかれたエラリーの手刀が真空の刃となって牛鬼の身体を切り裂いた。
(鳥獣モードの身体強化、宇宙モードでの真空状態制御を同時発動。百鬼夜行モードいける!)
瞬間、刺すような殺気にエラリーは飛び退いた。激しい音と土煙。先ほどまで立っていた地面には大きな裂け目ができていた。
(鎌鼬の斬撃がほとんど効いていない。なんて硬さなの)
怒り狂った咆哮と共に襲い来る一時も止むことのない牛鬼の猛攻。
「くっ!百鬼夜行モード──塗壁」
地面が隆起し壁となって牛鬼の爪を防ぐ。しかし、その壁ももの凄い勢いで削られていき長くは持ちそうになかった。
(こうなったら全ての力を込めた最強の一撃を食らわせるしかないわ!)
エラリーは目の前に怪物が迫る死地でマインドフルネス瞑想を始めた。
(──深く。深く。深く)
ついに壁が破壊され牛鬼の爪がエラリーに迫る。
(──今!)
地面が揺れるような衝撃。まともに喰らっていればいかにエラリーとはいえ無事であるとは思えない。
「エラリー!」
上空から戦いの行方を見守っていたJ会長の叫びへの返答は、聞き覚えるある声でなされた。
「天上天下唯我独尊・百鬼夜行モード──滑瓢」
土埃が吹き飛び、空に昇った月がスポットライトのように照らしたその場所に、はたしてエラリーは立っていた。敵の健在を認めた牛鬼は激しい攻撃を再開した。しかし、悪鬼の爪はその体に触れること叶わず。半眼でゆらりゆらりと歩を進めるエラリーは全ての攻撃を紙一重で躱していく。メルヘン江戸の夜を美しき戦士が舞う。
「──暗黒物質集中」
エラリーの手元に地面から金属が集まり、刀が形作られていく。
「童子切安綱──固定」
月光を怪しく跳ね返す日本刀がエラリーの手に握られた。
「憑依・源頼光──固定」
身に宿すは歴史に名を残す彼の鬼狩り。
「よく見なさい、──私があなたの死よ」
牛鬼が咆哮する。その叫びに蹂躙する者の面影はなく、宿るのは初めて出会った“死”への恐怖のみ。
「天上天下唯我独尊・百鬼夜行モード──鬼。抜刀!!」
鳥獣モードによって全ての力を収束したエラリーの一撃が牛鬼の首を両断した。
〇
エラリーはその場にへたり込んだ。まさか妖怪と戦うことがあるとは思わなかった。だけどなんとかなった……。
「ヒラリー殿、拙者の針は回ったまま。まだでござる!」
コンパスの悲鳴のような叫びと同時、森の中から牛鬼が飛び出した。
(二匹目!まずい間に合わない!)
「エラリーっ!」
とっさにパラグライダーから飛び降りたJ会長がエラリーを突き飛ばした。二人は数メートル地面を転がったが、牛鬼の攻撃はかろうじて逸れていた。先ほどまでの戦闘を見ていたのか、今度の牛鬼は警戒するように再び森に身を隠した。
「会長なんて無茶を!怪我は……」
「大丈夫。ちょっと擦りむいたぐらいだ。朝散歩で日光を浴びて骨を丈夫にしておいてよかったよ」
日光を浴びると体内で作られるビタミンDには骨を強くする効果がある。
「おいおい。大丈夫かヒラリー嬢!じょじょさん!」
「ああ、でもどうしよう。あんなに強い牛鬼がもう一体なんて」
遅れて降りてきたパラグライダーとしゃもじの言葉にエラリーは唇を噛みしめる。先ほどの戦闘でほぼすべての力を使い切ってしまったため、勝てるビジョンが全く思いつかなかった。
「空の上にいるときに皆で牛鬼を倒すための方法は考えていたんだけど、エラリーがこの状態じゃ……」
「会長。その方法を教えてください。私ならやれます。……いいえ、ここでやらなければ九院偉理衣ではありません」
エラリーの力を失っていない、燃えるような瞳にJ会長は黙って頷いた。エラリーはこうなれば決して自分を曲げないことを良く知っていた。
「分かった。みんな力を貸してくれ!」
〇
「どうやら拙者が怖くて姿をみせられないと見たでござる!」
どこに潜むとも分からない牛鬼に向かって、地上でコンパスが一人声を張り上げた。しゃもじと怪我をしているJ会長は岩陰に隠れて、パラグライダーとエラリーは上空からその様子を見守った。
「どうした早く出で来ぬと、拙者『十角長屋の殺人』のネタバレを大声でしてしまうでござるぞ!」
その言葉に効果があったとは思えないが、急にコンパスの針がもの凄いスピードで回転し始め、次の瞬間『ネタバレは万死に値する!』とでも言いたげな勢いで牛鬼が飛び出してきた。しかし、気配を察知していたコンパスは事前に掘っておいた穴に飛び込みその攻撃を避けた。追撃をかけようとした牛鬼の動きがぴたりと止まった。六本の足が地面にくっ付いて離れなくなっていた。
「やった!さすが九院家と共同開発した超強力のり!」
この時代、紙を接着するための糊にはお米が使われていた。当時はおかゆの事を「ねまり」と呼んでおりそれが変化して「のり」となったとも言われている。お米を扱うしゃもじはたまたま、糊を持っていたのだった。
「ヒラリー嬢、今がチャンスだぜ!」
牛鬼が動きを止めたのを認めたエラリーは高高度を飛んでいたパラグライダーから飛び降りた。ダメージを増幅するための単純な策。地球の重力。落下エネルギーを打撃に乗せる!
(でも、これでは足りない……)
エラリーはJ会長の策を聞いた時から、エネルギーを使い果たした今の状態では牛鬼を倒し切れないことが分かっていた。
(でもそれがどうしたっていうの!エネルギーが足りないのなら、この命をくべて燃やすだけ!)
エラリーは生命維持に必要な最後のエネルギーを使おうとしていた。
「ダメだ!エラリー!」
(なんでもいい。エラリーを助けられる“魔法”のような力があれば!)
J会長が願ったその時、ポケットの中で眩い光が溢れた。
「これは……利き京極の練習のために持ち歩いていた『絡新婦の理』。エラリー受け取れ!」
なにが起きているのかは分からなかったがJ会長は無我夢中でそれをエラリーに投げた。リリーの映画撮影のためにナイフ投げを練習しておいたおかげでコントロールもばっちりだった。(※『偉人荘の殺人』参照)
光を帯びる『絡新婦の理』を受け取った瞬間。エラリーの中に温かなエネルギーが満ち溢れた。
(この懐かしいような、なじみ深いような感じは……これなら、いける!)
あらゆる怪異の恐れを身に纏い、極めし技。百鬼夜行モードの最終奥義。
「天上天下唯我独尊・百鬼夜行モード──恐極!」
本好き界隈で“鈍器”と呼ばれる殺人的な厚さの『絡新婦の理』が光に包まれその厚さを増していく。十倍。百倍。千倍。万倍。天を貫かんばかりの光の塔が江戸の大晦日の夜を照らす。
「魔道鈍器!!」
圧倒的な質量を持つ『絡新婦の理』の一撃が牛鬼を押し潰した。
〇
「やったなエラリー嬢さすがだぜ!」
「まっこと素晴らしき戦いでござった。拙者感動したでござる」
「これで安心して年越しそばを食べられるね!」
パラグライダー、コンパス、しゃもじがそれぞれ労いの言葉をかけていく。エラリーは笑顔で応じながら普通のサイズに戻った『絡新婦の理』をJ会長に返した。
「でも、あの力はいったい……」
首をかしげるエラリーにメルヘン江戸の住人三人は口を揃えて言った。
「まほーだな!」「まほーだよ!」「まほーでござる!」
「まほー……それって──」
「エラリー上を見るんだ!」
尋ねようとしたエラリーをJ会長が遮った。二人に向かって空から細い糸が垂れてきていた。よくみればそれは蕎麦だった。
「これに掴まれば帰れるんじゃないかな」
蕎麦に掴まったJ会長の身体が宙に浮かび上がり、空に昇っていく。それを追おうとしたエラリーはふと足を止め後ろを振り返った。
「みんな実は私たちは……」
真っすぐな性根のエラリーは一緒に戦った仲間に嘘をつき通すことは出来なかった。だって、探偵の役割は嘘を見破ることであって、嘘をつく事ではないのだから。
「待てい待てい。なんにも言わずただ迷わず行きな」
パラグライダーの言葉に並んだしゃもじとコンパスも頷いた。
「嬢ちゃん!元気でな!」
エラリーは三人と握手を交わすと。高く飛び上がり蕎麦を掴んだ。やがて二人の姿は闇夜に消えていった。
「行っちまったな」
「そうだね、でも彼らはいったい誰だったんだろう……」
「拙者たちの仲間。それでいいのではござらんか」
残された三人はいつまでも夜空を見上げていた。そこに遠くの方から三人を呼ぶ声が聞こえてきた。
「あら。年越し蕎麦を作っていたら嫌な気配を感じて来たのだけど、もう終わっているみたいね。なにがあったの?」
牛鬼の死体を見て目を丸くするヒラリーに三人は口を揃えて言った。
「「「江戸の大晦日を守ったんだ!」」」
「みんな。早くじょじょ長屋で年越しそばを啜るとしよう。もう我慢できないよ」
お腹をさするじょじょさんの言葉に笑いながら皆は江戸の町に帰っていった。
〇
気づけばエラリーとJ会長は文学サロンに戻ってきていた。
「どうしたんですか二人とも。一口食べたなり固まっちゃって」
不思議そうに顔を覗いてくるリリー。時計を見ると年越し蕎麦を食べ始めた時間のままであった。エラリーとJ会長はぽかんとした表情のまま顔を見合わせる。
「エラリーの蕎麦が美味しすぎて気を失っていたんだ。さあみんなで食べよう!」
J会長の声に文学サロンには喧騒が戻り、続いて蕎麦を啜る音が満ちた。
(あれは夢だったのかしら。でも、もしかしたら……)
エラリーは考えた。片側からでは時空を越えられなくても。もし、両方の世界で天上天下唯我独尊の使い手が年越し蕎麦を作ったなら。引かれ合い、時空を越えることがあるのかもしれない。メルヘン江戸での戦い。出会いと別れ。一時ではあったけれど、みんなかけがえのない仲間達だ。遠い場所に想いを馳せ、エラリーは小さく呟いた。
「いつかまた出会える日を、私は待つよ」




