0091 ネヴィル・ブラック
十号室の四人が、アバリー村の依頼を終え、ルンの街に戻ってきた翌日午後。
冒険者ギルドマスター、ヒュー・マクグラスは領主館に来ていた。
領主への報告を終え、そのまま騎士団長執務室に向かう。
執務室前には、いつも通り、二人の騎士団員が立っていた。
「ネヴィル殿に会いたいのだが、いらっしゃるかな?」
「はい、おいでになります」
そういうと、扉をノックした。
「冒険者ギルドマスター、ヒュー・マクグラス殿がお見えです」
「通せ」
中から、渋い男性の声が聞こえる。
ヒューは執務室の中に入った。
中は、二十畳ほどの広さに、かなり大きめの執務机と応接セット、あとは酒瓶の並んだ戸棚があるだけのシンプルな内装。
ルン辺境伯領騎士団長ネヴィル・ブラックは、大柄な体躯を執務椅子に沈め、何やら書き物をしていた。
「すまん、ちょっとそこに座って待っててくれ。すぐに書き終わる」
それだけ言うと、また集中して書き始めた。
いつものことなので、ヒューは全く気にせずに座って待った。
三分ほど待ったところで、書き終えたらしく、騎士団長ネヴィルは席を立ち、戸棚から酒瓶と二つのグラスを取り出し、ヒューの向かいに座った。
そして二人でグラスを傾けながら、いくつかの打ち合わせを行う。
「ネヴィル、例の魔石の件、本当にもう一個追加でいいのか?」
ヒューは、まず懸案となっているものから確認に入った。
例の魔石とは、もちろん涼とアベルがギルドに持ち込んだ、ワイバーンの魔石である。
一個はすでに領主館が買い取ったのであるし、当初はヒューも、領主の買い取りは一個だけだろうと思っていたのであるが……。
「ああ、もう一個追加だ。別に俺が使うわけじゃないしな。最初の魔石を見た『工房』の奴らが、どうしても、と泣きついてきたからだ。自分たちの給料を下げて買取に回してくれてもいい、とまで言われたらさすがにな……」
そう言うとネヴィルは苦笑した。
「あれほどの出物は、もうこの先しばらくないだろう? 完璧な大きさ、濃さ、そして何といっても風の魔石というのが、条件に合致している」
「例の……船か」
一際小さい声で、ヒューが確認する。
「そう、その『船』だ。一生かけてどころか、親子二代にわたって開発している連中を見ていると、まあ無理してでも買い取ってやりたくなるんだよ。もちろん、領主様も積極的に賛成なさってくださったからな。というわけで、前回と同じくらいのやつ、六億フロリンで買い取る」
「了解した」
打ち合わせるべき内容がほぼ終わり、ヒューが立ち上がろうとした時、騎士団長ネヴィルは意外な名前を出した。
「ヒュー、お前のとこのリョウって冒険者、あれは何者だ?」
まず、ネヴィルが涼の名前を出したことにヒューは驚いた。
涼と騎士団に接点があるとは思えなかったからである。
「何でリョウの名前を知っているんだ?」
「質問に質問で答えるなよ」
そういうと、ネヴィルは笑った。
「いや、リョウは最近、よくうちの演習場に来てるからな。それで名前を知っている」
「リョウが騎士団演習場? そんなところで何をしているんだ……」
「そりゃお前、演習場でやることつったら、模擬戦だろ?」
ネヴィルのその答えを聞いて、ヒューは戦慄した。
ダンジョンに単騎特攻し、魔王子を倒した話を思い出したからである。
だが、もう一つ思い出したことがあった。
そういえば、以前、馬車の中で、模擬戦をしているみたいな話をリョウから聞いた……。
「まさか設備を壊したとか……」
「いや心配するな、そんなことはない。うちの演習場は、常時起動型の魔法障壁もあるからな」
「じゃあ、一体……」
「うん……それがな……」
ネヴィルは少し言いにくそうに言葉を止めた。これは、竹を割ったような性格のネヴィルからすれば、非常に珍しい事である。
「実は、セーラ殿と模擬戦をしている」
「……へ?」
ネヴィルの想定外の言葉に、ヒューは間抜けな声を出した。
(リョウがセーラと模擬戦? いや、そりゃセーラは冒険者だし、リョウも冒険者だから……模擬戦しても問題ないのだが、何で二人が知り合いなんだ? しかもギルドの訓練場じゃなくて、騎士団演習場で模擬戦? 確かにネヴィルが言う通り、魔法障壁があるからやりやすいのか……?)
ヒューの頭の中ではいろいろな内容がごちゃ混ぜになっていたが、口を突いて出てきた言葉は、およそそれらとは関係のない言葉であった。
「セーラには『殿』をつけるのに、俺やリョウは呼び捨てなのかよ」
「当たり前だろ。セーラ殿は、この領主館の権力者だ。領主様を除けば、最高権力者だと言ってもいい。それに、俺はまだ『セーラ殿』だが、騎士団員たちは全員『セーラ様』だぞ」
そういうと、ネヴィルは楽しそうに笑った。
「まあ、そんなセーラ殿と、リョウは互角に近い模擬戦を繰り広げるんだよ、これが。俺も見たことがあるが、あれはすげーな。騎士団員たちが見入るのも理解できる。もっとも、何が起きているのか半分くらいは理解できないレベルだが」
模擬戦の光景を思い浮かべながら、ネヴィルは笑いながら言う。
「うちの騎士団員も、指南役のセーラ殿に稽古をつけてもらっているが、『風装』すら使ってもらえないからな……純粋な剣技だけで天と地ほどの開きがある以上、仕方ないが。全力を出す相手がいないセーラ殿を見ていて、不憫だなと思っていたから……」
「お前がセーラの相手をすればいいだろう」
「馬鹿言うな。俺なんか足元にも及ばんよ。そうだ、たまには英雄マクグラス殿が、セーラ殿の相手をするのはどうだ? いけるんじゃないか?」
騎士団長ネヴィルが煽る。
「馬鹿野郎。腕を怪我して引退した俺が、どうにかできるわけないだろうが。というか、現役時代でも『風装』を発動したセーラに勝てる気はしねぇ……」
そこまで言って、ヒューはふと思い至った。
「セーラの魔法が凄いってのは、聞いてはいるが見たことはないんだが……リョウ並みに凄いってことか?」
「ん? セーラ殿の魔法は俺も見たことないが?」
「あれ?」
二人の会話がかみ合っていないようである。
「模擬戦って、魔法じゃないのか?」
「セーラ殿とリョウの模擬戦は、剣での模擬戦だぞ?」
「……は?」
再び、ヒューは間の抜けた声を出した。
一呼吸おいてから、ヒューは言葉を絞り出す。
「リョウは……魔法使いなんだが……」
「……は?」
今度は、ネヴィルが間の抜けた声を出した。
しばらく、二人の間を沈黙が支配する。
そして、ようやく口を開いたのはネヴィルであった。
「まあ、なんだ、二人の模擬戦は、騎士団員たちにいい刺激を与えてくれてるようなので、これからもぜひ続いて欲しい、ってのをお前に伝えたかっただけだ……」
「ああ……了解した」
余計なことを考えるのを、二人は放棄したのだった。
ヒューは、騎士団長執務室を辞し馬車に戻る途中、とても嬉しそうな様子のセーラと出会った。
「やあ、セーラ」
「久しぶりだな、マスター・マクグラス。ネヴィル殿との打ち合わせか」
「ああ。そういえば今聞いたのだが、リョウと模擬戦をしているとか?」
「うむ。領主様の許可はとってあるぞ?」
セーラは首をかしげながら答える。
「いや、もちろん文句があるとかではない。ネヴィルも、騎士団員たちのいい刺激になっていると言っていた」
「そうか! それは良かった」
そう言うと、セーラは微笑んだ。
ヒューも一人の男である。男にとってセーラの笑顔は、非常に強烈である。
だが、その劣情に負けて押し倒そうとし、肩を砕かれた領主の孫アルフォンソ・スピナゾーラの事を思い出して、必死に視線をセーラの笑顔から剝がす。
「マスター・マクグラスも、本気で模擬戦をしたくなったら来るといい。演習場には優秀な神官もいるから、多少の怪我は治るぞ」
そう言うと、セーラは去って行った。
「いや……ちょっと俺は足を踏み入れたくない……」
ヒューの呟きは、誰の耳にも届かない……。
数多埋め込んだ伏線の中でも、最も見えやすい伏線『船』が埋め込まれました。
回収を忘れないようにしないと…。




