0851 鉱石取引所
「ここだね、法国から情報を貰った鉱石取引所」
エトが、掲げられた看板を読んで確認する。
その様子を見て、涼は疑問を感じた。
なので、直接尋ねる。
「エトは、暗黒大陸語が読めるのですか?」
そう、涼は王国から向かったスキーズブラズニル号の中で勉強したから読めるが、確かに看板には『鉱石取引所』と書いてあるのだ。
「うん、西方諸国にいる間に勉強したよ」
「さすが神官です」
感心する涼。
だが……。
「私だけじゃなくて、ニルスとアモンも読めるよ」
「え……」
「会話もできるぞ」
「私も勉強しました」
エトが衝撃的なことを言い、涼が驚き、ニルスとアモンも衝撃的なことを言う。
『十号室』の三人とも、暗黒大陸語を読み、会話することもできるようになったらしい。
「以前……ほら、教皇即位式で暗黒大陸の護衛パーティーの二人を救ったことがあったじゃないですか」
「ああ……テンプル騎士団と戦ってたやつな」
涼の問いにニルスが思い出し答える。
「あの時は話せなかったですよね?」
「そうだな。あれで、少し勉強したい気になったんだ」
「勉強したい気……」
驚く涼。
そのあまりの驚きの表情を見て、訝しげな表情になるニルス。
「何だ? どうした?」
「いえ、ニルスの口から、勉強したい気なんて言葉が漏れたので……」
「変か?」
「ええ、変です」
はっきりと頷く涼。
「剣士と勉強なんて、一番遠い場所にある二つな気がします」
「なんだそりゃ」
「だ、だって……」
「剣士だから勉強しないとか、そっちの方が変じゃないか?」
「え?」
「勉強しないでいい職業や立場なんて無いだろ?」
「なんという正論」
ニルスが当然だろという表情で言い、涼が驚きながらも受け入れる。
二人の会話を聞いているエトとアモンは苦笑している。
「剣士は脳筋という常識が覆った瞬間でした」
涼の呟きに、『十号室』の三人は小さく首を振るだけだった。
四人は『鉱石取引所』の扉をくぐった。
チリンチリンと鈴が鳴る。
そこは、ある種の巨大な倉庫のようだ。
「ここ……ですよね?」
「ああ、ここのはずだ」
「看板にはそう書いてあったし、聞いてきた場所もここだったよ」
「人も鉱石も無いですね」
涼が首を傾げ、ニルスが顔をしかめ、エトが首を傾げ、アモンも首を傾げる。
だだっ広い倉庫には誰もおらず、何も置いていない。
いや、よく見ると木の枠は置いてあり、以前はそこに鉱石が並べられていたような形跡はある。
少しすると、倉庫の奥の扉が開いて、二十代半ばほどの青年が出てくる。
四人を確認すると走ってきた。
「ああ、すいません、お待たせしました。何か御用でしょうか」
青年の爽やかな口調と表情が、何もない倉庫とあまりの対比を成している。
「すいません、こちら鉱石取引所だと聞いて伺ったのですが」
「はい、こちらはエトーシャ鉱石取引所です。間違いありません」
エトが代表して尋ねると、青年が頷いて答えた。
「我々は、先ほど入港したファンデビー法国艦隊の関係者なのですが……」
「ああ、やっぱり。港で噂になってるみたいですね。私も今、その噂を聞いたところです。すごい艦隊が来たと。あれですよね、西方教会関係の……」
「はい」
青年の問いに、エトが頷く。
だが少し疑問に思ったことがあるようだ。
「今、やっぱりとおっしゃいましたよね?」
「いえ、皆さんの服が、見慣れないものでしたので」
「なるほど」
エトが納得する。
確かに青年の服は、四人が着ているものに比べて軽くて薄そうだ。
織り方が違うのか、そもそもの生地が違うのか……。
「私たちがうかがったのは、ミトリロ鉱石の購入を考えているからです」
「なるほど、そうでしたか」
エトの言葉に頷く青年。
だが、青年の表情が陰ったのは四人とも見てとれた。
「大変申し訳ありませんが、ここ……二年ですか、ミトリロ鉱石の取引は全くございません」
「ああ、やっぱり」
「それどころか、最近は鉱石の取引そのものが行われておりませんで」
「全ての鉱石が、取引されていない?」
「はい。もっと正確に言いますと、鉱石の採掘が止まっています」
青年が小さく首を振りながら告げる。
四人とも、この倉庫の状況を見てもしかしたらと思ってはいた。
だが、実際に現場の人間にはっきり言われると、その衝撃は大きい。
「採掘がされていない理由を教えていただけますか?」
「それが、よく分からないのです」
エトの問いに、青年が困惑した表情で答える。
「こちらは、政府の……公的な鉱石取引所だと聞いたのですが。その取引所が、採掘が止まっている理由が分からないのですか?」
「はい。政府からの通達は、『採掘が止まっている』とだけしか、この取引所には来なかったのです。もちろん所長らが直接、政府のお偉いさんに掛け合ったりしたそうなのですが……」
「ですが?」
「採掘場が全て奪われたらしいです」
「……はい?」
青年の答えに、エトは意味が分からず首を傾げる。
当然、後ろで聞いていた三人も首を傾げる。
ミトリロ鉱石の採掘場だけの話ではなく、全ての鉱石の採掘場が奪われたと言っているのだ。
そんなことがあり得るだろうか?
「鉱石が入ってこないと、民の生活にも支障をきたすでしょう?」
「はい。一応、備蓄してあった分を供出してなんとかやってきましたが……あと二カ月もすれば完全に底をつきます」
「当然エトーシャ政府は、奪われた採掘場を奪還しようとしたのでしょう?」
「ええ、したらしいのですが……」
「失敗したと」
「噂ですが、そう聞いています」
青年は本当に沈んだ表情と声で答えた。
そう、奪還しようとして失敗したなどという発表は、政府は行わないだろう。
それこそ、政府に対する民の信頼が完全に失われてしまうから。
「ですが、いずれは……」
「民も知ることになるでしょう」
そんなこと、いつまでも隠し通せるものではない。
「具体的には、いくつの採掘場が奪われているんだ?」
「鉄や銅なども含めて、四十カ所です」
「そんなにか」
青年の答えに、ニルスが今まで以上に顔をしかめる。
「四十カ所も奪って、それを維持し続けるなんて結構な戦力が必要ですね」
「確かにそうですよね」
涼の確認に、アモンが同意する。
その辺の山賊や盗賊では無理なのは確かだ。
その辺に山賊や盗賊がいるかどうかは、この際置いといて。
青年は、手元にある情報では伝えたのが全てだと言い、一行は取引所を出た。
「仕方ありません。美味しいものでも買って食べながら、船に戻りましょう」
「本当にその結論でいいのか……?」
涼が提案し、ニルスが首を傾げる。
「以前、僕を護衛してくれたアウグジェの街の第三守備隊にいる、ミニさんという方が素晴らしい情報を教えてくれました」
「うん?」
「大陸南部には昔から『くれーぷ』と呼ばれるおやつがあると」
「くれーぷって、あの、くれーぷか?」
「ええ、ニルス、そのクレープです」
驚くニルスに対して、涼ははっきりと頷く。
横で聞いているエトとアモンも顔を見合わせている。
そう、ここにいる四人は知っているのだ。
王国、いや帝国に対しても広がっていた『くれーぷ』と呼ばれる食べ物を。
その広がりはあまりにも不自然だったが……まさか、それが暗黒大陸南部にもあるというのは、聞き捨てならない情報らしい。
「ミニさんは以前、この大陸南部に住んでらしたそうなのですが、そこには昔からクレープと呼ばれるおやつがあったと」
「それって、本当に私たちの知っているくれーぷ?」
「ええ、エトが疑問に思うのも当然です。でも話を聞く限り、ほぼ同じものでした」
「ほぼ?」
「中央諸国にあるクレープよりも高度だったのです」
「えっ……」
涼の信じられない情報に、絶句するエト。
その横で、今度はニルスとアモンが顔を見合わせる。
「あの、生クリームとバナーナの組み合わせ……便宜上、ダイヤモンド配合と名付けたあれよりも高度なクレープの話を聞きました」
「……そんなことが、あり得るの?」
「あるんです。もちろん、バナーナだけでなくいろんな果物の組み合わせもあるのですが、それだけじゃなくて、もっと決定的なもの……それはショコラです」
「しょこら?」
涼の決定的な言葉だが、エトは首を傾げる。
真っ先に反応したのはアモンだ。
「カフェ・ド・ショコラってお店がありますよね?」
「そう! そこに気付くとは、さすがアモンです」
涼が頷く。
王国には『カフェ・ド・ショコラ』と呼ばれるカフェがある。
ルンの街にもあったし、王都にもある。
王都のお店では、涼はアベルの魔手から逃れてケーキとコーヒーを食す常連客だ。
「しかし、カフェ・ド・ショコラには『ショコラ』は置いてないのです」
「……ショコラというのは、食べ物なのですか?」
アモンが首を傾げる。
そう、結局涼は、一度も、ナイトレイ王国ではショコラ……つまりチョコレートには出会わなかった。
出会ったのは西方諸国、マファルダ共和国の高級宿ドージェ・ピエトロでだ。
「ショコラ……別名チョコレートというのは、全ての甘さを漆黒で塗りつぶそうとして、でも失敗して、逆に甘さに乗っ取られた悲劇の食べ物なのです」
なぜかチョコレートのストーリーを作り出す涼。
もちろん、適当だ。
「それは、美味いのか」
「ええ、もちろん。とてもとても、甘いです」
「おぉ」
涼が厳かに告げ、ニルスが頷く。
「これがまた、クレープに包まれたバナーナ、生クリームと合わさると、まさに悪魔的な……いえ、驚くほど甘美な組み合わせとなります。一度食べたら、二度三度……」
「いいな、食ってみたいな」
「でしょう?」
ニルスの素直な言葉に、涼も笑顔になる。
エトとアモンも無言のまま頷く。
「よし、探しに行くぞ!」
「おう!」
ニルスの掛け声に、三人は元気よく応じた。
こうして腹ペコ四人組は、ミトリロ鉱石探しから、クレープ探しにミッションを変更したのだった。