0848 無視してはいけない
数日後。
スキーズブラズニル号を含む法国艦隊は、大陸西岸沿いをさらに南下していた。
左手には、ダズルーの港町が見える。
遺跡の探索で、突撃探検家三号君が活躍した、あの街だ。
今回は寄らずに南下する。
涼は沖合を航行するスキーズブラズニル号の甲板から、仕事に邁進しているであろう突撃探検家三号君を懐かしい気持ちで思うのだった。
その時……一瞬の浮遊感が涼を襲う。
その後、目に入る景色はガラリと変わっていた。
スキーズブラズニル号ごと、涼やアベルはもちろん全ての船員たちも、元の位置のまま……転移したらしい。
どこに転移したのか?
なにやら見覚えのある場所……。
「これ、リョウ」
そんな声をかけながら、礼装の老人がスキーズブラズニル号の船べりに立った。
「え? あれ? 竜王……いえ、ブラン様?」
そう、涼も見覚えのある礼装老人。
竜王のブラン。
「ああ、どうりで、見覚えのある景色」
そう、目の前に広がるのはダズルーの街の奥地。
遺跡の前だ。
「何、挨拶もせずにさっさと南に行こうとしておるのじゃ」
「え? まさか、僕らが南下しようとしたから、わざわざ転移させたんですか?」
「そうじゃ。北から近付いてきておるのが分かったから、待っておったのに。無視していくとは何事じゃ」
「そう言われましても……」
涼が困惑した声を出す。
もちろん約束はしていない。
「お土産も持ってきていませんし」
「そんなものはいらん」
涼が常識的な言い訳をし、ブランが言下に斬って捨てる。
……多分、涼はボケていない。
スキーズブラズニル号は、空中に浮いたまま。
船員たちは驚き、目だけ動かしてきょろきょろしている。
騒いだり、我を失ったりはしていない。
それ以前の段階。
大きな声を出したり、下手に動いたりしたら、自分の命が危なくなるのではないかと、本能的な防衛本能が働いて目だけを動かして情報を集めているのだ。
船員だけでなく王国騎士団と『十号室』の三人も同じ。
ブランを除けば、普通に動けているのは三人。
涼とアベルと、パウリーナ船長だ。
「陛下、公爵閣下、この状況は、そちらの方のお力でしょうか?」
アベルと涼に、突然船べりに立ったブランの力かと問う。
パウリーナも決して平静ではないのだが、船長としての責任感が驚きや恐怖を上回って尋ねたのだ。
「あ、はい。こちらのブラン様の力……だと思います」
涼が頷く。
「む? その女性は、先日は見なかったな。この船の船長か?」
「はい、船長のパウリーナと申します」
「ふむ。堂々としていながら決して傲慢ではない。なかなか良い船長じゃ」
パウリーナの振る舞いを、ブランが褒めている。
「船が海の上にないのは良くないの。戻してやる」
ブランがそう言うと、スキーズブラズニル号はダズルー港の、すぐ外の海上に移動した。
「感謝いたします」
深く一礼するパウリーナ。
その礼を受けて、満足そうに頷くブラン。
艦隊の中から突然消え、突然ダズルー港の沖合に移動したスキーズブラズニル号を発見したからだろう。
法国艦隊が急いで向きを変えて向かってきているのが見える。
「人知を超えた力というのは、人間を混乱させます」
「仕方ないだろう。人など遥かに超えた者が振るう力だ。人の理解できるものではない」
涼とアベルが、向かってくる法国艦隊を見てそんな会話を交わす。
法国艦隊が到着するには、もうしばらく時間がかかりそうだ。
そう思った涼は、ブランの方を見る。
なんとなくだが、ブランは話したそうにしているように見える。
だが、何かを話したいわけではなく、話しかけられるのを待っているような……。
「ブラン様にお尋ねしたいことがあります」
「うむ、何じゃ。何でも聞くがよい」
涼の言葉に、少しだけ嬉しそうな表情になった気がするブラン。
竜王ともなると、話ができる相手もそうはいないのかもしれない。
「できればでいいのですが、この暗黒大陸にいる強者……ブラン様とヴァンパイア大公以外の者について、おしえていただけないでしょうか」
「強者? 先日、水色のスペルノと戦ったであろう?」
「水色ということはキンメさんですね」
「はて……そんな名前じゃったか? まあ、良い」
首を傾げながらもブランは頷く。
実は涼も、キンメの本名は知らないので仕方ないのだ。
「他には?」
「さて、他となると……そうじゃな、もう一人、スペルノがおるな」
「スペルノ? キンメさん以外の魔人? ああ、ガーウィン? 一年前くらいに流れてきましたか」
「いや、そやつではない。リョウが言うのは、ガー何とか言う最近来たスペルノであろう? あれではなくて、昔から大陸中央部に住み着いておるのじゃ」
「大陸中央部?」
涼には思い当たる節がある。
もちろん会ったことはない。
チラリとアベルの方を見ると、アベルも顔をしかめたまま頷いている。
そう、二人を含めた数十人を、中央部に転移させた存在。
スペルノ、つまり魔人は重力を操る系の魔法が得意である。
重力とは空間の歪みであるというアインシュタインに従うなら、転移系の魔法も得意なのかもしれない。
「僕らは少し前、大陸中央部に転移させられました」
涼が正直に言う。
「ああ、それは奴じゃろう。あやつ、時々そういうことをして遊んでおるようじゃ」
「遊んで……」
「長い時を生きる者は、色々な暇つぶしをするものじゃ」
「なんとはた迷惑な」
ブランの言葉に、涼は小さく首を振る。
「確か、チェルノボーグとかいう名前じゃったはず」
「チェルノボーグ……」
「ガーなんとかいうものに比べれば、何十倍も強いのではないか?」
「何十倍……」
「チェルノボーグがずっと、遊び道具として狙っておるのは浮遊大陸じゃ」
「……はい?」
想定外の言葉が突然出てくると、人は理解が追い付かなくなる。
それは涼であっても同じ。
「ブラン様がおっしゃるのは、あの浮遊大陸ですか?」
「あのが、どのなのか知らんが、空に浮かんでおる島たちじゃ」
「ああ、やっぱ……え? 島たち? 一個じゃなくて、たくさん浮かんでいるのですか?」
「わしが見た時はそうであったが……沈められれば減っておるかもしれんな」
ブランは何度か頷いた後、涼をはっきり見た。
上から下まで、何度か見た後、はっきりと口にする。
「ヴァンパイア大公と呼んでおるのは、ゾルターンか?」
「はい」
「ゾルターンもチェルノボーグも、強いぞ」
「はい」
「今のリョウでも勝てん可能性がある」
「……はい」
「それでも行くのか?」
「友が、ゾルターンに攫われました。取り戻すために行きます」
ブランの目を見て、はっきりと言い切る涼。
「前回も言ったな。僕の努力で人が救われるのなら悪くありません、だったか」
「ああ……はい……」
ブランが言うと、涼は少し照れた。
確かに、そんな言葉を呟いた気がするからだ。
「我は、悪くない気概じゃと思う」
「ありがとうございます」
「誰かのために自らの命を懸ける……そう簡単にはできん。頑張るがよい」
「はい」
ブランが少し微笑みながら言い、涼ははっきりと頷いた。
そこに、良い香りが漂ってきた。
「まさか、これは……」
「あれだな。船長が手を回したのだろう」
真っ先に気付く涼、そしてアベル。
さらに無言のままだが、『十号室』の三人も頷いている。
そして……。
「ん? 何やら良い香りではないか?」
「恐らくは、ブラン様をもてなそうと料理長が作ってくれたのかと。先ほどのパウリーナ船長の指示で」
「ほぉ、やはり先ほどの立ち居振る舞い、良い船長だと思ったが我の見立てに間違いなかったか」
ブランの中で、パウリーナは高い評価を受けているようだ。
そして、コバッチ料理長が大皿に載ったものを持ってきた。
「西方諸国伝統の料理、カラアゲです」
さすがにブランを見て、少しだけ緊張しているようだ。
「この大皿に盛られたのを、各自で取って食べるのが伝統だそうです」
「ふむ、では早速いただこう」
涼が説明すると、ブランが答え……カラアゲが一個、空中に浮いてブランの口元へ。
パクリ。
「ほぉ、これは、おぉ……美味いではないか!」
「でしょう?」
ブランが手放しで称賛し、涼が笑顔で頷く。
ブランを見ていたコバッチ料理長は明らかに安堵した表情になり、それを後ろから見守っていたパウリーナも笑顔が見える。
二人共ブランのことを詳しくは知らないが、人ならざる者であり、人よりも圧倒的に強者であることは理解しているのだ。
それはこの場にいる全員が理解している。
それほどに、ブランの存在感は圧倒的であるために。
そんな存在に認められ、機嫌が良くなれば安堵するのは当然だろう。
「たくさん揚げていますから。みんなでいっぱい食べてください」
「カラアゲパーティーですね!」
コバッチ料理長が素敵な言葉を発し、涼が頷く。
ブランはすでに、二口目を口に運び、さらに絶賛を繰り返している。
唐揚げの虜になっているようだ。
「やりましたね、アベル。美食外交は、偉大なる存在相手にも有効であることが証明されました」
「そうだな。料理ってすげーな」
涼とアベルは、美味しそうに食べるブランと、その周りで食べ始めた『十号室』の三人を見た。
四人は美味しそうに食べている。
時々、笑顔で話しながら。
『十号室』の三人なんて、さっきまではブランの存在感に圧倒されて黙っていたのにだ。
「美味いものってすげーな」
「ええ、全く同感です」
アベルが頷き、涼も頷くのだった。