0845 絶望の戦いⅡ
「リョウさん、あなたの負けよ。敗北を認めて」
そんなキンメの言葉だが、涼の耳にはほとんど届いていない。
(<アイスアーマーミスト>を着ていたのに、あっさり貫かれました。いや、そもそもローブが貫かれています……魔法攻撃を弾き返すはずなのに。キンメさんの魔法相手には、いろいろ無意味だということでしょうか。それより、血が足りなくてボーっとしてきました……体も動かせないですし……これでは、ポケットに入っているポーションを使えません)
体中を石の槍で貫かれ、大量出血している……。
自分の状況は分かっている。
それだけでも、まだ救いがある。
状況が分かっていれば、対応策も頭に浮かぶからだ。
(ポーションを入れてる氷の容器は、僕が生成したもの……ということは、手で開けなくともいいですね。すっかり忘れていました。そう、そもそも、ポーションだって水……H₂Oが含まれているのだから、もしかして水属性の魔法使いである僕なら、自由自在に動かせるのでは?)
人は追い詰められると、いつも以上に思考力が高まるのだろうか。
(体を貫いている石の槍……これを抜いてからポーションをかけないといけません。抜く? 体表付近のは切断、体内を貫いているのは<アブレシブジェット>で砕いて体外に排出でいいでしょうか。すでに体外に流れ出た血はコントロールしていますし、体内を流れる血もコントロール済み。よし、準備はOKです)
涼は、心の中で頷いた。
そして、全てを思考する。
石の槍を切断。
石の槍を粉砕、体外排出。
血液を血管に戻して……。
ポーションコントロール。
立ち上がる。
すべてまとめて一瞬で完了。
「復活です」
涼は宣言した。
その視線の先には、少し驚いているキンメ。
「さすがはリョウさん、でも、問題は解決していない」
再び、浮かせられる涼。
人は地面に足がついていないと、攻撃をよけられない。
そう、普通なら。
「<ウォータージェットスラスタ>」
水を噴き出し、空間から生成されて涼を串刺しにしようとした石の槍をかわす。
その手には、刃を生じさせた村雨。
ガキンッ。
キンメが前面に生成した<障壁>が、村雨を弾く。
「水を噴き出して空を飛ぶの? 凄いわね」
キンメは、涼が水を噴き出して空を飛び、今も宙に浮いている姿を見て頷く。
「それに、あんなに血を流したのに、動きが鈍っていない。あれ? 地面に血がこぼれていない?」
「僕は水属性の魔法使いですから」
「血も自由に動かせるの? う~ん、いろんな水属性の魔法使いを見てきたけど、そんな人はいなかったわよ?」
「え? 他の水属性の魔法使いは、自分の血をコントロールできないのです?」
「できないでしょう? だって、それができたら、戦う相手の血を自在に動かして……例えば体内から貫かせることもできるじゃない」
「いえ、それは難しいのです。何度も<精査>した……つまり、何度も魔法で調べたことのある人の血ならできますけど、そうじゃない人の血は動かせません」
「そう。そんなに正直に、手の内を明かしてくれなくてもいいのに」
「あっ……」
笑うキンメ、完全にミスをしたと理解して呆然とする涼。
そう、わざわざ馬鹿正直に教えてやる必要はなかったのだ。
「あるかもしれない」と思わせておくだけでも、牽制になる……そんな戦いの組み立てもあったはずなのだ。
「失態です」
「そうね、失態ね」
涼の言葉に同意するキンメ。
次の瞬間。
涼がかがんだのは本能だった。
頭上を何かが横薙ぐ。
それが、一瞬で涼の後方に回り込んだキンメが、どこからか取り出した剣で薙いだのだと理解したのは、<ウォータージェットスラスタ>で大きく逃げてからだ。
「動きが見えなかった」
いや、そんなレベルではない。
瞬き一つの間に、全てが起きたのだ。
涼が知る速度域の戦いではない。
(悪魔や魔人、それなりに人外の方たちと戦ってきましたけど、その全てを超えている。多分さっきのは、完全な瞬間移動。空間から空間への……ええ、赤い魔人のマーリンさんが転移を使ったのは覚えています。何度か経験しました。でも、今のは……瞬時の転移……だから瞬間移動と呼ぶのがふさわしいでしょう。僕を浮かせたり、瞬間移動をしたり……重力を操るというのは、本当に厄介です。そう、アインシュタイン先生は言いました、重力とは空間の歪みだと。だから重力を操れる魔人たちが、空間への干渉も得意なのは分かります。それでも、その中でも、瞬間移動は最たるもの……)
「リョウさんの表情を見ていると、私が何をしているのか理解しているようにみえる」
キンメは左手に剣を持ったまま言う。
「瞬間移動……空間から空間への瞬時の移動。起きたことは多分、分かっていますけど、どうしてそんなことができるのかは分かっていません」
「どうしてできるのか?」
「重力を操ることができるから、空間に干渉することができる……それは分かります。でも、その原理が……どうして重力を操ることができるのか、そんなことがなぜ可能なのかは分かりません」
「うん? リョウさんって、変な疑問を持つのね?」
「え? 変ですか?」
「そう、できるからできるのよ」
「あ、はい、そうですね……天才たちの答えと同じでした」
涼が小さく首を振る。
そう、元々できる人たちは、なぜそれができるのかなど考えない。
できるからできる。
やれるからやれる。
どうやってできるようになったのか?
知らない。
できたんだもん。
できた理由なんて興味ない。
後から、それらしく解説したところで、正解ではない。
他の人に伝えるために、それらしい解説を作り出しただけだ。
真実は、「やったらできた。理由なんて知らない」なのだ。
「まあ、リョウさんの後ろに回り込まなくても、直接止めちゃえば同じなんだけどね」
キンメが言った瞬間……。
「動けない……」
涼は、空中で動けなくなった。
どれだけ<ウォータージェットスラスタ>の出力を上げても、動けないのだ。
「ガーウィンやマーリンさんが、<グラビティロッド>でやってたのと同じ効果……」
「<グラビティロッド>? ああ、そうね、あの二人はこの手のやつ、得意じゃないものね。ちゃんと習熟すれば、あんな針なんか必要ないのにね」
「あれで……得意じゃないんだ」
涼ははっきりと顔をしかめる。
「リョウさん、諦めて降参して。あなたは、これを破れない」
「降参しないと言ったら?」
「このまま、あなたの体を引き裂くこともできるのよ」
少しだけ寂しげな表情になって告げるキンメ。
(<グラビティロッド>の時は、ロッドを壊すことで逃れることができました。ですがこれは……キンメさんのは、重力が直接僕を縛っています)
そう、壊すべきロッドなど無い。
さすがに顔をしかめる涼。
どんな物語においても、重力使いは厄介な敵だ。
涼は考える。
考えるしかない。
自分より強い相手の強力な技を破るには、正面からでは無理だ。
考えることによってのみ、不利な状況を打ち破る可能性が見えてくる。
(物理学的に見た場合、重力は質量があるからこそ生じるものです。ということは、巨大な質量があれば……キンメさんの重力コントロールを失わせることができるのでは?)
涼は考える。
涼がキンメに唯一対抗できるのは、理論物理学の知識。
そこから魔法への応用力。
(僕は、魔人のように重力を直接扱うことはできません。水属性の魔法使いである僕が扱えるのは、水。H₂Oだけです。でも逆に言えば、水ならどんなことでもできるはず!)
はっきり言って、莫大な質量を準備するのは難しくない……多分。
水、あるいは氷を生成すればいいだけ……この惑星の大きさ以上に。
もちろん、そんなものを長い時間、惑星上に存在させたら惑星の公転軌道が乱れる……多分。
というか、惑星の大きさ以上に生成したら、惑星は大変なことになる。
(質量は大きく。でも体積は小さく。惑星に乗りきらなくなったら困りますから)
つまり準備するものは、圧縮した状態の水か氷ということになるだろう。
これが地球なら、外部から圧力をかけて水を圧縮することになる。
だが、ここは『ファイ』。
そして、涼は水属性の魔法使い。
(水そのものを圧縮するイメージです。最初は二つの水分子をくっつけて、やってみましょう)
左右それぞれの手に持ったわたあめを、ガツンとくっつけて、ギュッと圧縮していくイメージだ。
圧縮、圧縮、圧縮。
水分子と水分子の距離が縮まるイメージ。
圧縮、圧縮、圧縮。
水分子を構成する水素原子と酸素原子の距離が縮まるイメージ。
圧縮、圧縮、圧縮。
原子そのものが縮んでいく……原子、その中身は99.999999999999%が空間だから可能……なはず。
そしてさらに、圧縮。
原子の中心にある原子核間の距離が縮んでいく……そんなイメージ。
ここまでは、二十一世紀の地球でも技術的に行われた。
だが、全然足りない。
この先は、核力が強くなるため人の技術では不可能だった。
そう、いつも出てくる物理学における四つの力……重力、電磁気力、強い力、弱い力のうちの『強い力』、これが核力。
原子核の間の力であるために、『核力』
これは、電磁気力よりも強いので、『強い力』
だが間違えてはいけない。
圧縮するのが目的ではない。
多くの水を合体させ、キンメの重力操作を打ち破れるほどの莫大な質量として存在させるのが目的。
その巨大質量から生み出される重力が必要なのだ。
そんな莫大な質量を存在させるには惑星が小さすぎるから、圧縮しているだけ。
圧縮、圧縮、新たに生み出した水を結合し、さらに圧縮。
ついに、水を構成していた水素の原子核が融合し始め、ヘリウム原子核になり始める。
しかし、ここで問題が起きた。
ヘリウムは水ではないため、水属性の魔法使いである涼はコントロールできないのだ。
(まさか、そんな罠が……)
呟く涼。
直接コントロールできなければどうするか?
コントロールできるもので包み込む。
高圧縮された、水だ。
さらに、氷を摩擦させて静電気を生み出す。
雷雲の中で起きている現象、雷生成の再現。
生み出された電気……プラズマで囲む。
簡易型の核融合炉。
(核融合が起きると質量が減少する? それはいけません。莫大な質量こそが必要なのです)
核融合は起こさせない。
圧力そのままに、温度を下げる。
分子振動を停止させるイメージ。
『ファイ』に来て最初にやった……氷のレンズを作った覚えがある。
(今思えば懐かしいです)
さすがにここまでくると、キンメの目にもはっきりと水の集合が見える……いや、はたしてそれを水と呼んでいいのか、議論はあるだろう。
「リョウさん……何をしようとしている」
「今までの工程を、最高速で!」
急激に増える水……いや、氷……いや、原子核が融合したものを含んでいる『その塊』は、氷と呼んでいいのか?
急激な増大。
莫大な質量。
質量に比例して、重力が強くなる。
『その塊』が飛び始めた。
涼の周囲を高速で回転する。
まるで、涼を縛る鎖を断ち切るかのように。
「重力の鎖を斬り裂きます!」
本来、重力に重力をぶつけても何も起きない。
だが今回は、キンメが操る重力が相手。
キンメと対象の間にあるであろう、重力操作のための『線』を断ち切ればよいのではないかと、涼は考えたのだ。
強過ぎれば、ブラックホールのように自分の体が吸い寄せられるが、これならそこまではいかないはず。
効果は……。
ブチブチブチ……。
線の切れる音。
「よし、動けるようになりました!」
涼は自由を取り戻した。