0843 条件
「それにしても、食堂でも戦っていたのですね。私を守ってくださった、教会の方々に感謝しなければなりません」
「いや、元首閣下、どうかお気遣いなく」
ラムン・フェスが感謝を示し、グラハムが笑顔で答える。
しかし、二人の会話内容は少し変だ……涼もアベルも、そのことに気付く。
((ラムン・フェスさんて、さっき……グラハムさんの、食堂での戦いがどうこうって言ってませんでしたっけ?))
((言っていたな。だが、今はそのことを覚えていないようだ))
((え……まさか……))
((記憶を消されたのかもしれん))
涼もアベルも、わずかでも聞かれたら困るので、『魂の響』を通しての会話だ。
涼が、目だけを動かしてそっとグラハムを見る。
そう、本当に恐ろしいものを見るように。
((例の『聖煙』とかいうやつですかね))
((分からんが……元異端審問庁長官なんだろ? その辺の技術だろうな))
((恐ろしい……))
((聞かれてはいけない情報を、戦闘時にラムン・フェスが聞いてしまったんだろう))
((そ、それでも勝手に記憶を消すのは……))
((確かにいいことではないが……殺して完全な口封じよりはまし、と考えるしかないだろう))
((あ、はい))
アベルの言葉を、涼も受け入れた。
そう、殺されるよりは一部の記憶を消される方がまし……。
((西方教会って、やっぱり恐ろしいところですね))
((それは間違いなさそうだな))
二人が抱いた結論は同じものだった。
教会からは、ラムン・フェスは馬に乗った。
「目が覚めてからは健康そのものなんだから、歩いても大丈夫だぞ?」
「ダメです。目を覚まされたばかりなのですから」
ラムン・フェスの言葉を、頭から拒否するチゴーイ。
結局、さして抵抗することもなくラムン・フェスは用意された馬に乗った。
ちなみに、ラムン・フェス用の馬だけだ。
チゴーイはもちろん徒歩。
グラハムらも徒歩。
ナイトレイ王国一行も徒歩……。
「本当に病み上がりの人用だけです」
「まあ、戦いが起きようとしているわけだしな」
涼とアベルのコソコソ会話だ。
「アベルが望めば、ニルスが馬の代わりをしてくれると思うのですが……」
「もちろんです! 陛下が望まれるのなら!」
「うん、望まん」
涼が提案し、ニルスが乗り、アベルは乗らない。
エトとアモンは小さく首を振り、スコッティーも首を振る。
国王陛下の周囲というのは、いろいろと大変らしい。
「なるほど、アベルは、人を馬のように使うのが嫌なのですね」
「当たり前だろうが」
「なら、僕が、<台車>の魔法でアベルの移動用の荷車を準備しますよ。どうぞ、それに乗ってください」
「いや、遠慮する」
「え? どうしてですか? 人の上に載るわけではないので、外聞は悪くないですよ」
「あれは、キラキラ輝いて目立ちすぎる」
アベルは、目立ちすぎるのはそんなに好きではないのだ。
式典で、自分が王として振る舞うことによって民が喜ぶ、あるいは結束するというのなら喜んで目立つ立場もやるのだが、今回はそうではない。
主役はラムン・フェスであり、この街にいるのは彼の民や兵たちだ。
「そういうのを悪目立ちと言うんだろう?」
「アベルが常識のある人で良かったです」
ゆっくりと進む一行。
馬上のラムン・フェスを見ると、兵たちは片膝をついて礼をとる。
ヴォンの民たちも、恭しく頭を下げる。
大きな声が起きたのは、一行が陣幕に入ってからだった。
そこには、二人の政府高官がいる。
「げ、元首閣下!」
宰相ゼンモシ。
「よ、よくご無事で」
副元首ジャージャ。
もちろん二人がまともな挨拶をするまでに、何十秒も必要だったが……そこはあえて触れまい。
その間、ラムン・フェスは無言のまま馬上から二人を見下ろしていた。
「あの表情だけで分かりますね」
「ラムン・フェスは、副元首と宰相が何をしようとしたのか。そもそも、なぜこの街にいるのかも理解しているんだろうな」
涼もアベルも、コソコソ会話を続けている。
「チゴーイ、東部諸国軍に軍使を送れ。内容は、トップ同士の会談だ。こちらからは、西部諸国連邦元首ラムン・フェスが出るとな」
「承知!」
チゴーイは答えると、すぐに兵を呼び、内容を言づけて相手に送った。
その動きを見て、ナイトレイ王国の首脳は情報を交換する。
「これで兵を退いてくれれば、それが一番だ」
「確かに。でも、退きますか?」
「退く可能性はある。ここに至るまでに、いくつもの連邦加盟国が脱退したんだろ。それだけでも、東部諸国にとっての一定の成果は出ている」
「なるほど、確かに。兵をほとんど損ねることなく、仮想敵国の力をかなり削ったわけですからね。戦略的には大勝利と言ってもいいですよね」
アベルの説明に、涼も同意する。
戦争は、戦場だけで起きるのではない。
特に勝ち負けは、戦場以外で決することも多い。
「ただ……」
「アベル、何か不穏なことを言おうとしてます?」
「あのバットゥーゾン首長という御仁の性格だ」
「ああ……」
「それだけで満足するタイプには見えなかったんだよな」
「ああ……」
アベルの言葉に、顔をしかめる涼。
国のトップにいる人物の性格というのは、決して無視してよい要素ではない。
ただ一人の性格が、国家という巨大な組織の動きに大きな影響を与える場合がある……それもまた事実なのだ。
しばらくすると、軍使が戻ってきた。
「会談は拒否する、代理人による一騎打ちで決着をつけるのはどうか、とのことです」
「一騎打ち? 古風な……」
ラムン・フェスが首を振りながら呟く。
そして、チゴーイと話し始めた。
「代理人による一騎打ちとかあるんですね」
「らしいな」
「らしいな? 中央諸国にはないんですか?」
「昔はあったかもしれん。物語では読んだことがあるからな。だが、現代では……俺が知る限り、中央諸国にはそんなしきたりはない」
アベルが答える。
そう、聞いたことがあるのは物語の中での話だ。
騎士道、華やかなりし時代の話……。
「代理人が、全軍を代表して出るってことですよね。向こうから提案してきたってことは、自信のある人がいるんでしょうけど……」
「バーダエール首長国だろ? あんまり強そうなのはいなかったと思うが」
二人共首をひねる。
涼とアベルは、バーダエール首長国の首都ホソイナの外で、魔人ガーウィンとその眷属らと戦った。
むしろ、二人がバーダエール首長国の『代理人』として戦ったようなものだ。
「その恩を仇で返されています」
「俺も、その気持ちは分かる」
いつもはなんだかんだと言い返すアベルだが、今回の涼の言葉には同意する。
もちろんバーダエール首長国としては、アベルや涼たちが、この戦争に干渉してきてほしいとは思っていないだろうが。
両陣営を、それぞれの軍使が行ったり来たりしている。
その一人がラムン・フェスに告げた。
「南の砂漠を見ろ、とのことです」
「南の砂漠?」
ラムン・フェスが首を傾げ、相談に乗っていたチゴーイも首を振る。
理由は分からないが、街の南に広がる砂漠を見た。
その数瞬後。
巨大な爆発が起きた。
それは、巨大という言葉を陳腐に感じさせるほどの、本当に大きな……。
「何だ、あれは……」
「まるで核爆発です……」
アベルと涼も言葉を失う。
二人の後ろにいる『十号室』の三人も、ザックとスコッティーの二人の中隊長も、誰も言葉を発せられない。
だが、見ていた全員が思ったはずだ。
あれが、もし、街で起きたら……一撃で街の全てが灰燼に帰すと。
バーダエール首長国側から来た軍使が告げる。
「我が軍は、あの攻撃を何度も行うことができる。降伏するか、一騎打ちで決するかをお薦めする」
次回、「0844 絶望の戦いⅠ」
まだ大陸南部にも辿り着いていないのに……。