0084 <<幕間>>
涼は、北図書館の禁書庫にいた。
禁書庫は、冒険者はB級以上でなければ入れないため、もちろん一人ではない。
隣には、背中までのプラチナブロンドの髪を軽く結んだ、美の女神もかくやというエルフ女性が座っている。セーラである。
本来は、B級以上の付き添いがいたとしても、資格外の人物が禁書庫に入ることは許可されない。
だが、今回涼が入っているのは、セーラが特別に、直接領主の許可を取り付けたからである。
目的は、涼がウィットナッシュの街に依頼で出かけている間に、セーラがこの禁書庫で見つけた、とある錬金術関連の羊皮紙束を閲覧するためであった。
禁書庫内の書籍、書類、その他は書庫外に持ち出すことは許されない。
であることを考えると、その羊皮紙束を涼が見るためには、特別に許可を受けて涼が禁書庫に入るしかなかったのである。
涼は、一通り束に目を通すと、顔を上げた。
「実に興味深いですね」
「だろう? そう思って涼に伝えに行ったんだ……」
「すいません、護衛依頼で出かけてて」
涼がウィットナッシュに護衛依頼で十三日間、街を離れている間に、セーラはわざわざこの束の事をギルドまで知らせに来てくれたという。
感謝の言葉しかない。
「いやいやいいんだ、気にするな」
そう言った横顔は、涼にはちょっとだけ得意気に見えた。
「よし、じゃあちょっとメモを取りますね」
そういうと、涼は持ってきた紙束とペン、インクを机の上に並べだした。
「羊皮紙だと<転写>で写せないものな。紙に描かれていれば簡単だったのにな」
残念そうな顔でセーラは言った。
「……へ?」
「……うん?」
涼が変な声で聞き返し、それに対してセーラも聞き返す。
何か、意思の疎通に問題があったらしい。
「転写がどうとかって、今言いました?」
「転写がどうとかって、今言いました」
語尾を上げるか上げないかだけで、大きく意味が変わる……言葉とはかくも難しきものである……。
「もし、これが紙に描かれているものであれば、<転写>とか言うのを使えば、すぐに別の紙に写せるのです?」
「うむ、写せる。涼のその言い方は、<転写>の魔法を知らないということだな」
ようやく理解できて、セーラはにっこり微笑んだ。
(この笑顔を見るためなら、何度も「<転写>を知りません」って繰り返してもいい……)
涼の思考が乱れた。
だが意志の力で元に戻す。
「はい。転写の魔法とか知りません……」
「リョウって面白いな。色々知っていそうで、色々強いのに、基本的なことを知らなかったりする」
「転写って基本だったのか……」
そこまで聞いて、ようやく一つの謎が氷解した。
冒険者ギルドによく置いてある紙……冒険者登録した際にニーナが涼に見せてくれた説明書……それらは全て<転写>されたものだったのだ。
だから、大量に存在し得ていたのである。
『ファイ』においては、活版印刷の代わりに魔法がその役割を担っていたのだ。
考えてみれば当然なのかもしれない。
『魔法』というこの上なく便利な『道具』があるのなら、活版印刷など生まれ出でないだろう。
「その転写の魔法って、僕でも使えますかね?」
「う~ん、どうかな。無属性魔法だけど、あれって珍しいことに、向き不向きがあるみたいだから。だから、街で商業活動する場合とかは、転写屋さんに頼むぞ」
この世界にも印刷会社があるらしい……。
「ハッ 誰でも転写できるなら、わざわざ高いお金で本を買わなくても……」
「うん、それは違法だ」
この世界にも著作権の様なものがあるらしい……。
「やっぱり本は、ちゃんと買って読んだ方がいい。それが作者さんのためだ」
「はい、そうします」
涼が素直に頷いたので、セーラはにっこり微笑んだ。
なんとか書き写し、一息ついたところで涼は以前から疑問に思っていたことをセーラに尋ねた。
「ずっと疑問に思っていたんですけど、セーラさんってよく図書館にいますよね?」
「うん、いるな」
「入館料の出費、かなりの額にのぼるんじゃ……」
「え……」
セーラは、スッと視線を逸らした。
「あ、あれ?」
「いや……ほら……私、館でお仕事してるから、入館料は無料に……」
「なんて羨ましい!」
涼の心の底からの叫びであった。
「さ、最初は払ってたんだぞ? でも、ここの入館料収入の九割以上が、私が支払っているものだということを知った領主様が、それはあんまりだということで無料に……。あ、でもそれのおかげで涼は今回、禁書庫に入れたんだから……」
なぜか最後は「エヘン」という声が聞こえそうな、感謝してねという態度であった。
「もちろん、それは感謝してます」
これは本心である。
「あ、そうだ、後でさっき言ってた<転写>の魔法、知り合いの転写屋さんの所に連れて行って見せてあげよう」
強引に話を変えるセーラ。
「……ぜひお願いします」
涼も敢えてそれに乗ることにした。
「僕は、魔法についてあまりにも知らなさすぎるので……」
「私も、人間の魔法というか、この中央諸国の魔法については詳しくはないけど……まあ森を出てからそれなりの年月が経つから、いくつかは涼の疑問にも答えられると思う」
(セーラさんって、実際のところ何歳なんだろう……)
「リョウ……今、何か変なことを考えたろう」
「い、いえ……」
セーラがジト目で涼を見ている。そんなセーラから視線を逸らす涼。
「私はだいたい、二百歳」
涼は驚いてセーラを見た。
「なに~? 何か意外だったか?」
意地悪に成功した綺麗な女性、題名をつけるならそんな笑顔のセーラ。
「いや……二百年生きてるのにそんなに綺麗なのは驚きだと……」
「め、面と向かってそう言われると、さすがに照れる」
顔を真っ赤にしてセーラは横を向いた。
二人で、『飽食亭』で仲良くカレーを食べた後、セーラの知り合いだという転写屋に向かった。
大通りから一本裏に入った通りではあるが、なかなか立派な店構えである。
「転写の速度は、人によってかなり違うから、速くできる人は自然と仕事量が増えて、儲かるらしい」
セーラは、立派な店構えの理由を話してくれた。
「じゃあ入ろうか」
そう言って扉を開けようとすると、中から人が出てきた。
「おう、セーラ」
「アベル、お久しぶりね」
転写してもらったらしい紙の束を抱えたアベルが、店から出てきた。
「アベルがお仕事とは珍しいですね」
「リョウ? いや俺だって仕事するぞ……って、なんでリョウがセーラと一緒にいるんだ?」
涼の軽口にアベルが驚いて反応した。
「セーラさんは僕の……いわば先生です」
「リョウは私の……いわば生徒です」
そういうと、二人は笑い合った。
「お前ら、仲いいな……」
アベルが二人の様子にあっけにとられていると、店の中から人が出てきた。
「アベルさん、扉を閉めて……あ、セーラさん、いらっしゃいませ」
出てきたのは三十代半ばの女性であった。
「おっと、時間をくった。じゃあ俺はこれ持って行くから。リョウには色々と聞きたいことがあるから、その時にまたな」
そう言うと、アベルは去って行った。
「やあコピラス、久しぶり。リョウ、こちらは転写屋のコピラス。ルンの街一番の転写屋だ」
「いや、セーラさん、それは言い過ぎ……。初めましてリョウさん、転写屋のコピラスです」
「冒険者のリョウです」
コピラスと涼は挨拶を交わした。
「コピラス、実はリョウが<転写>の魔法自体を知らないと言うので、それを見せるのに連れてきたんだ。申し訳ないが、ちょっとだけ転写するところを横で見せてもらえないだろうか」
「いいですよ。今のアベルさんのは急ぎだったからあれでしたけど、ゆっくり請け負っているのがあるので、それを転写しているところを見て行ってください」
そう言うと、コピラスは二人を店の奥へと案内した。
コピラスが見せてくれた転写の魔法は、効果はそのまま『ページをコピー&ペースト』であった。
左手を元ページの上にかざし、右手を転写先ページの上にかざす。
「我は願う ペンと紙の奇跡によりて双子が生まれ出でんことを <転写>」
これによって、まったく同じページが複製されるのだ。
その際、拡大縮小をすることはできず、転写先の紙の大きさいかんに関わらず「そのまま」転写される。
現代地球のコピー機ほどのスピードは当然ありえないのだが、A4一ページが、五秒程度で転写できるのだから、十分以上に実用的なスピードであった。
「これは凄いですね」
涼は心の底から思った。
午前中、羊皮紙からの書き写しをしたから尚更だったかもしれない。
「うむ。この魔法は、人間の生活を大きく変えた魔法の一つだ」
「セーラさん、大げさ」
セーラが重々しく宣言した言葉に、コピラスが苦笑しながら答える。
「大げさなものか。凄い魔法だし、それを使いこなすコピラスたちは本当に凄いと思う」
セーラのような物の見方が出来ると言うのは、涼から見ると非常に好ましいものであった。
そう、派手なものだけが凄いわけではないのだ。
「コピラスさん、いいものを見せていただきました。ありがとうございました」
「いえいえ、こんなので良ければいつでも。リョウさんも、何か転写の必要があったら、ぜひうちを利用してくださいね」
涼とセーラは転写屋を出た。
だがそこで、唐突にセーラが涼に呼びかける。
「リョウ、話がある」
何とも仰々しい切り出し方。
「え? セーラさん?」
「そう、それ、そのセーラさんってやつ」
「え?」
「これまでは、私がB級だからかしこまってさん付けなのかな、仕方ないかな、と思っていたけど……さっきのアベルには呼び捨てだった。だから私も呼び捨てがいい」
セーラはそう言うと頬を膨らませた。
ものすごく可愛らしい。
「そ、それは構いませんが……」
「はい、なら実行。セーラ」
「……セーラ」
「よし!」
そう言うと、セーラは嬉しそうに微笑んで歩き出した。
次話0085より、新章突入です。




