0838 展開
その時、最も早く動いたのはスキーズブラズニル号だった。
「沖合に船影多数!」
いつものように、マストに上って遠眼鏡を見ていた物見の船員が怒鳴る。
「国籍旗が確認できたら、再度知らせろ!」
「アイサー!」
パウリーナ船長がすぐに怒鳴り返し、物見も怒鳴り返す。
「陛下」
「ああ、東部諸国の艦隊の可能性はあるよな」
「ございます。それもかなり高い確率で」
アベルの問いにパウリーナが唱えた時、再び物見の声が聞こえた。
「東部諸国旗を確認!」
「確定したか」
アベルが渋い顔だ。
「陛下、スキーズブラズニル号はこのまま港内にいるより、港の外に出ていた方が良いと思います」
「行動の自由を確保しておいた方が良いか。同感だ、任せる」
「はっ」
アベルが即断即決、パウリーナもすぐに動く。
「スキーズブラズニル号は港外に出る! 抜錨急げ!」
「タラップ回収!」
「帆は広げるな! 敵から見えるぞ!」
パウリーナの指示から、そんな声が各所で上がっていく。
船員たちの中では、現れた艦隊は敵性艦隊と認識しているようだ。
当然だろう。
少なくとも、今のところ味方とは思えない。
「リョウ、他の動きは?」
「法国艦隊の動きが鈍いです」
確かに、法国艦隊も人は動いているが、錨をあげて船を動かすまでには至っていない。
「あそこにはグラハムがいないからな。街だろ? 指示を仰ぐのに時間がかかるということか」
「このままだと、スキーズブラズニル号は港の外に出られても、法国艦隊は港内に閉じ込められます」
涼が顔をしかめて報告する。
「船長! 法国艦隊、どう思う!」
少し離れた場所で指示を出しているパウリーナに、アベルが大声で尋ねる。
あくまで船の責任者はパウリーナ船長であるため、最高責任者であるアベルであっても、その意見や考えを無視するのは避けたい。
「確かに、法国艦隊は港の脱出には間に合いません! 我々だけ行動の自由を確保するか……なんとかして時間を稼ぐか」
「分かった。港の出入り口を確保する。そこにスキーズブラズニル号を動かしてくれ!」
「承知いたしました!」
そして、アベルは涼の方を見る。
何かを言う前に、涼から口を開く。
「レインシューターの時のように、スキーズブラズニルを守れと」
「ああ、そういうことだ。頼む」
「お任せあれ」
涼が力強く頷く。
守りこそ、涼の魔法の真骨頂である。
スキーズブラズニル号は、港の外に出た。
その頃には、迫る東部諸国艦隊を遠眼鏡無しでもはっきりと視認できる。
「<アイスウォール複層氷50層>」
かつて諸島地域において、船の女王レインシューターを守った、涼最硬の氷の鎧。
「<動的水蒸気機雷‐アクティブ>」
スキーズブラズニル号と共に移動する水蒸気機雷。
さらに……。
「<フローティングマジックサークル> 拡張展開」
船首に立つ涼の上方に、三十二個の浮遊魔法陣が生成される。
さらに生成された魔法陣が左右に広がっていく。
それはまるで、港丸ごと守るかのように。
「万全です」
涼は、はっきりと言い切った。
東部諸国艦隊がヴォン沖合に展開するのとほぼ同時に、政庁には別の報告も入ってきた。
「街の東に、大量の砂煙! かなりの数の何かが、街に近付いてきています!」
それは、東部諸国艦隊の報告が入った中庭に、新たに伝えられた。
「ど、どういうことだ!」
うろたえたのは宰相ゼンモシ。
うろたえてはいないが、顔をしかめたまま動けず、指示も出せない副元首ジャージャ。
結局、明確な指示を出せるのは副宰相チゴーイしかいない。
「街の東に守備隊を展開! 港は捨てていい!」
出された指示は、ある意味、苛烈なもの。
港の放棄。
街を守る守備隊は、全てかき集めても千人程度。
街も港も守るのは不可能だ。
「ジャージャ様、ゼンモシ様。お二人の護衛兵士もお借りしますよ」
「い、いや、しかし……」
「街が落ちれば、あなたたちも殺されるのです!」
ゼンモシは判断できなかったが、チゴーイの一言が決定打になる。
「分かった。我らの兵士も、チゴーイの指示に従わせよう」
受け入れたのはジャージャ。
ゼンモシよりは先に理解したのだ。
迫っているのが東部諸国の軍であること。
その東部諸国軍の狙いが、臨時連邦政府への急襲……つまりその中心であるジャージャとゼンモシであることを。
「報告いたします! 街に向かってくるのは、ラクダ部隊を中心としたバーダエール首長国軍です」
「やはりか」
チゴーイは頷く。
バーダエール首長国は東部諸国の中心。
そんなバーダエール首長国軍は何らかの方法で、途中にある西部諸国連邦を形成する国家群を素通りしてきたのだ。
毎日どころか、数時間毎に連邦から離脱していく国々。
それらの国々は、決して東部諸国に加わったわけではない。
だが、東部諸国との関係を悪くしたいとは思っていない。
だから、通過させろと言えば通過させる……それが軍隊であっても。
しかしそうだとしても……宣戦布告から数日しか経っていない。
艦隊を回し、陸上戦力も街に迫ってくる現状を考えると……。
「副元首と宰相の移動を読んでいた?」
「さすがバーダエールのバットゥーゾン首長ですな」
チゴーイの言葉に反応したのは、教皇グラハム。
船には移動せず、チゴーイらがどう動くのか、見極めようとしているようだ。
法国は艦隊を港の中に置いている。
「港は……艦隊はよろしいので?」
「先ほど、港は放棄したでしょう?」
「はい……申し訳ございません」
「いや、当然の判断。大陸の街は、西方諸国や中央諸国のように城壁で囲まれていませんので」
グラハムが理解を示す。
「港は……王国に任せる」
「王国?」
「ナイトレイ王国。運のいいことに、英雄王と白銀公爵がいらっしゃるからな。そう簡単には降伏せんでしょう」
グラハムは、小さく何度も頷く。
「……わざと、戦わざるを得ない状況に?」
「いや、そこまであくどくはない。ん? あくどいか? 戦うであろうと分かった上での行動か。ああ……あくどいかもしれん」
珍しいが、苦笑するグラハム。
「大きな借りだが……まあ、いい。いつか、借りは返します。リョウ殿は優しい方だから、私の命まで差し出せとは言わんでしょう」
「教会の方は?」
「向こうにはステファニア枢機卿がいる。彼女と異端審問官たちが守っているから大丈夫です」
グラハムが答える。
それを聞いてチゴーイは安堵した。
ヴォン教会にはラムン・フェスが眠っている。
彼を殺すために、昨晩、ジャージャとゼンモシが兵士を送り込んだ……それはさすがに、チゴーイも理解した。
「私は、バーダエール首長国軍に対応するために街の東に向かいますが、聖下は?」
「ならば私も、そちらに行こう。噂のラクダ部隊というものを、後学のために見ておきたいですし」
歩き出したチゴーイの後ろから、グラハムと十人の異端審問官たちもついていった。
「ラクダ部隊だけで三千人? さすがは、東部諸国の盟主バーダエール首長国」
チゴーイは展開した敵を眼前に、報告を受けて頷く。
その横には、興味深そうに遠眼鏡でラクダたちを眺めているグラハムがいる。
「ラクダそのものは知っていますが……それを三千頭も揃えて、しかも戦えるほどに調教してあると。とても興味深い」
そんなことを呟いている。
「報告いたします! 港の外に、東部諸国艦隊約五十隻が展開中」
「展開中? 港への攻撃は?」
「行われておりません。法国艦隊の一隻が港の出入り口を確保し、他の法国艦隊の港外への脱出が行われております」
「ああ……その一隻は、スキーズブラズニル号でしょう」
報告を横から聞いたグラハムが、小さく何度も頷く。
「先ほど聖下がおっしゃった、王国の?」
「ええ。かの船にはアベル陛下が乗船されている。ほら、知りませんか、吟遊詩人たちが歌ってまわっている『ナイトレイ王国解放戦の歌』」
「ああ、やはりそれですか! 先ほどナイトレイ王国という国名を聞いて、どこかで聞いた覚えがあると思ったのですが……。なるほど、そういえば出てきますな、アベル王。なんと、そんな方がいらしていたとは」
「そして当然のように、アベル王には付き従う水属性の魔法使いがいる」
「え? まさか……歌に出てくる……ロンド公爵?」
「そう。ロンド公爵……氷瀑、あるいは白銀公爵。我々は、解放戦前から知っているので、今でも『リョウ殿』とお呼びしているが……。信じられないほど強力な魔法使い」
グラハムが笑顔で頷きながら説明する。
「先日、中央諸国デブヒ帝国のオスカー・ルスカ伯爵にお会いしました」
「そう、爆炎の魔法使い殿ですな。あの方も強力な……いえ、間違いなく最強の魔法使いの一角ですな」
「そんな強力な魔法使いが、二人も、この街に?」
「はい。お二人と協力して、我々は遠征の途上にありますので」
「……それほど強力な魔法使いと共に、いったい何と戦われるのですか」
最後のチゴーイの呟きは、グラハムには聞こえなかった。
あるいは、意識して聞こえないふりをしたのか。
「しかし……」
「はい?」
グラハムが呟きながら首を傾げ、チゴーイが反応する。
「少しだけ嫌な予感がします」
「嫌な予感?」
「ええ。嫌な予感というか違和感というべきでしょうか。何に違和感を感じているのか、自分でも分かっていないのですが……」
グラハムは考える。
東部諸国艦隊は、港の外に展開したまま。
涼たちスキーズブラズニル号がいるために、攻撃しにくいのは分かる。
陸上戦力は、眼前、街の外に展開したまま。
副元首ジャージャと宰相ゼンモシが連れてきた三千人も展開したため、バーダエール首長国軍が想定した以上の兵が展開したために、攻撃しにくいのも分かる。
どちらも分かるのだが……。
まるで、耳目をひきつけるのが役目のような……。
「陽動作戦か?」
「はい?」
「街の外縁と港に戦力が集まりました。街の中は空白地帯」
「まさか……ラムン・フェス様を……」
「その情報まで東部諸国は掴んでいた?」
チゴーイの血の気が引き、グラハムも顔をしかめる。
裏をかかれた。