0837 教会襲撃
翌日夜。
「こんな月の夜には、惨劇が起きます」
「んあ?」
「こんな月の夜には、惨劇が起きます」
「リョウが起こすんだろ、その惨劇とやらを」
「なんてことを言うんですか! 僕は起こしませんよ。この、唐揚げ三種盛りを食べている方がいいです」
「それは間違いないな」
涼の言葉に、アベルも力強く頷く。
スキーズブラズニル号の夕飯は、『三種のカラアゲ食べ放題』だった。
月の光の下、甲板上は一種の唐揚げパーティーのようになっている。
「プレーンやカレーが美味しいのはもちろんですけど、この少し甘酸っぱいタレに浸した感じの……これもいいですね」
「プレーンってのは普通のやつか? そうだな、今日初公開とか言ってた甘酢ダレのもいいな! さすがはコバッチ料理長だ」
「ありがとうございます、陛下」
涼が絶賛し、アベルも絶賛し、コバッチが笑顔で答える。
食べている他の者たちも、みんな笑顔。
美味しい料理は、人を笑顔にする。
そんな真理が、甲板上で証明されている。
そんな二人の元に、『十号室』の三人がやってきた。
大皿に唐揚げを大盛りに盛ったニルス、量は多くないがバランスよく三種類盛ったエト、どちらかと言えば細身の剣士でありながらニルス並みの量、エトも顔負けの完璧なバランス三種盛りのアモン。
「美味いな、カラアゲは正義だな」
「さすがニルス、分かっていますね」
笑顔のニルスに、笑顔で答える涼。
「ニルスもアモンもすげー量だな」
「いや、美味いですから。陛下もまだまだ食べるのでしょう?」
「このカレー味は、もっと辛いのも食べてみたいです」
アベルが驚き、ニルスが笑い、アモンは更なる刺激を求める。
「エト、前衛組は食べる量が凄いですね」
「うん、でもリョウも同じくらい食べてると思うよ」
涼はエトに同意を求めるが、涼は前衛組と同じくらい食べている……。
唐揚げは美味しいから仕方ないのだ。
『十号室』の三人が、お代わりを取りにいったタイミングで、アベルは涼に問うた。
「さっき、リョウは月の光がどうとか言ったか?」
「ええ。こんな月の夜には、惨劇が起きると」
「むしろ逆じゃないのか?」
「はい?」
「月が出ていない夜の方が、いろいろ活動しやすいだろ。惨劇を起こすような連中は」
「た、確かに」
アベルの的確な指摘に、涼も思わず頷く。
あまりにも月が綺麗なので、適当なことを言ったのだが……新月、あるいは曇りで月の光がない方が、惨劇は起きやすいのかもしれない。
「ということは、今日は惨劇なんて起きませんね」
「ああ、みんな平和に過ごしているはずだ」
「それでも、僕らにはかなわないでしょう」
「そうだな。このカラアゲたちに勝つのは無理だろうな」
涼もアベルも、平和を満喫していた。
一方、ヴォン教会の周囲では、平和とは程遠い状況が推移しようとしていた。
そこにいたのは、二十人。
ジャージャとゼンモシが連れてきた護衛兵士三千人の中でも、腕が立ち、夜の闇に紛れての襲撃に秀でた者たち。
「行くぞ」
襲撃隊指揮官が囁き声で号令を出す。
それによって、二十人は音もなくヴォン教会の壁を越え、敷地内に潜入した。
現在、午後十一時。
教会の聖職者たちは、午後九時には眠ったはずなのだ。
実際、教会内に明かりは灯されておらず、誰も起きている気配はない。
襲撃隊の目的は、ラムン・フェスを確認し、その命を絶つこと。
未だ、ラムン・フェスを直接確認はできていない。
だが、『どこにいないか』は確認できていた。
残っているのは、司教館。
ヴォン教会責任者のミキタ司教の寝室や、いくつかのゲストルームがある。
そのゲストルームのどれかだろうというところまでは、絞られていた。
しかし、一つだけ問題がある。
そのゲストルームには、教皇が寝ている可能性があるということだ。
もし、教皇に出会ったらどうするか?
明確な命令が出されている。
「邪魔になる者は、全て始末せよ」
だから襲撃隊が迷う必要はない。
襲撃隊は五人ずつ四班に分かれて、静かに、本当に僅かな音もなく扉を開き部屋を確認していく。
最初の部屋には誰もおらず、すぐに部屋の外に出……ようとした瞬間、五人が瞬時に、しかも同時に喉を切られた。
音もなく……。
他の三班は気付かずに、次の部屋を確認し、そこにも誰もいないことを確認した、次の瞬間……また五人の喉が切られた。
そこで、ようやく残りの十人も異常に気付く。
同時に、自分たちが見えない敵に包囲されている事にも気付く……。
見えない。
だが分かる。
包囲されているのが……敵が闇に潜んでいるのが。
そんな中、一人の男がいた。
いた?
いつから? どうやって?
見ていたはずなのに……現れた瞬間は見えなかった。
いつの間にか、そこにいたことに気付く。
西方教会の白い祭服を着て、杖を持っている。
男が口を開いた。
「西部諸国連邦、副元首ジャージャと宰相ゼンモシの兵士たちだな」
断定。
返事など必要ない。
分かっていることだから。
「教会を襲撃するなど万死に値する。ヴァンパイア共と同じだな……ということは、西方教会の名の下に滅ぼすのが妥当」
白い祭服の男……グラハムは呟きよりは大きな声で、はっきりと言い切る。
しかし、生き残った十人の襲撃隊からの反応は無い。
いつの間にか、彼らは動けなくなっていた。
さらに、意識が保てなくなる。
傍から見れば、目がトロンとして、口も半開きになっているのが分かっただろう。
「私の聖煙を吸った時点で終わりだ。さて、どうするか」
グラハムは、いつも通りの微笑を浮かべながら首を傾げるのだった。
翌早朝。
ヴォン政庁の中庭に、三台の箱馬車と二台の荷馬車が乗りつけた。
箱馬車から降りてきたのは、西方教会のグラハム教皇と十人の異端審問官。
それを見て、慌てて政庁から出てくるヴォンの官吏たち。
さらに、その幾人かがチゴーイ副宰相らを呼べと言っているのが聞こえる。
数分後、副宰相チゴーイが中庭に出てきた。
そのすぐ後ろから、副元首ジャージャと宰相ゼンモシも出てくる。
「これは聖下、いかがなさいましたか」
「ああ、チゴーイ殿、朝からお騒がせして申し訳ありませんね」
いつも通り微笑みながら挨拶するグラハム。
その言葉に合わせて、チゴーイらの前に置かれていく大きな袋。
合せて十袋。
「これは?」
「昨晩、ヴォン教会が襲撃されまして。これは、その賊共の遺体です」
「なんですと……」
グラハムの言葉に、驚くチゴーイ。
それは、襲撃者の遺体にも驚いたのだが、当然それ以外の理由もある。
ヴォン教会には、眠ったままのラムン・フェスがいる。
「賊共は、何も得るものなく果てました。我が教会には一切の損害はありませんので、ご心配なく」
「ああ……それは良かったです」
グラハムは言外にラムン・フェスは無事であったと伝え、チゴーイもそれを理解したのだ。
しかし、この場には、今回の襲撃にもっと直接的に関わった者たちがいる。
「これは……いったい、どういうことだ」
絞り出すようにそう言ったのは、宰相ゼンモシ。
無言のままだが、ゼンモシの後ろにいる副元首ジャージャも顔をしかめている。
二人共、実は襲撃命令を出したが、その結果については聞いていなかった。
要は、深夜だったので眠ってしまった。
それは当然、失敗などするはずがないと高をくくっていたからでもある。
それも当然だろう。
たかが地方の教会、そこで大けがで動けない男の命を絶つ……たったそれだけのことだ。
兵士たちの中で最も腕の立つ者たちを選抜して送り込んだ。
失敗する要因は何一つない。
それなのに……。
送り込んだ兵士たちが死体になって返ってきた。
しかもそれを運んできたのは、西方教会の者たち。
白い祭服の男は高位聖職者のようだが……。
他の黒い祭服の胸に赤い花の刺繍がある者たちは何だ?
西部諸国連邦内の街に、いくつも西方教会がある。
黒い祭服は見たことがあるが、胸にあんな刺繍のある者たちは見たことがない……。
「ゼンモシ、どういうことだ」
堪らず小さな声で問う副元首ジャージャ。
だが、問われた宰相ゼンモシも答えようがない。
「失敗したのだ、見れば分かるだろう!」と思うが、さすがにこの場面で口に出せる言葉ではない。
だが、何か言わねばならない。
「チゴーイ、これはどういうことだ!」
虚勢を張り、唯一、大声をあげることができる相手。
「どういうことだと言われましても……。昨晩、賊がヴォン教会を襲撃したようですが、それが返り討ちにあったということでしょう」
「教会に、なぜそんな戦力がある!」
ゼンモシが、そう怒鳴った。
次の瞬間。
「うっ……」
ゼンモシの喉に突きつけられる杖。
それは、誰も認識できない速さで飛び込んだグラハムが突きつけた杖。
「教会は、何者の侵略も許容しません。その境を侵せば、確実に排除します。理解いただけますか、宰相ゼンモシ殿」
「貴様……い、いや、あなたはいったい……」
「これはご紹介が遅れました。西方教会第百一代教皇、グラハムと申します。どうぞ、お見知りおきを」
杖を突きつけたまま、笑みを浮かべて自己紹介するグラハム。
だが、その笑みは温かくない。
誰が送り込んだ襲撃者か、完全に理解しているぞと、その笑みが伝えている。
完全に破綻する前にチゴーイが介入しようと動く。
しかし、その時、急いで中庭に駆け込んできた港の兵士が叫んだ。
「報告いたします! ヴォン沖合に、東部諸国艦隊が現れました!」