0834 ヴォンに来た理由
ヴォン政庁の会議室には、西部諸国連邦副元首、宰相、副宰相という首脳たちが集まっていた。
「臨時連邦政府を、このヴォンの街に置くことにした」
「……は?」
副元首ジャージャの言葉に、思わず素っ頓狂な声を出してしまう副宰相チゴーイ。
「この地から、西部諸国連邦の反攻の旗を振るのだ」
「……そうですか」
チゴーイも、ようやく理解した。
この二人は逃げ出したのだと。
副元首ジャージャと宰相ゼンモシは逃げ出したのだと。
守るべき諸国連邦の民を見捨て、東部諸国から最も遠い、つまり最も遅く攻め込まれるであろうこのヴォンの街に、逃げてきたのだ。
チゴーイやラムン・フェスであれば絶対に選択しない行動であったために、その考えに至るのに時間がかかった。
東部諸国が西部諸国連邦に対して宣戦布告を出したという報告をチゴーイが受け取ったのは、数時間前。
しかしもちろん、連邦政府中枢では、宣戦布告が出されそうだという情報は得ていただろう。
その情報を元に、副元首ジャージャと宰相ゼンモシは連邦首都タギュンザを抜け出して、西の果てともいえるこのヴォンの街にやってきたのだ。
このヴォンの街は、西部諸国連邦にかなり初期の段階で加盟した。
それまではかなり大きな海洋都市国家であり、現在でも連邦の西の玄関口といってもいい地位を保っている。
巨大な港がそれを物語っているだろう。
「それでチゴーイは、なぜこの街にいるのだ?」
「……視察してこいと言われましたので」
「ああ、そうであったな」
ゼンモシが問い、チゴーイが答え、ジャージャが鷹揚に頷く。
嫌味で尋ねたのではなく、本当に忘れていたようだ。
チゴーイは表情を変えずに心の中でため息をつく。
そう、この二人は無能なのだ。
自らに関することには血道をあげる。
だが基本的に、場当たり的な対応が多いために、過去に自分たちが出した命令、発言なども覚えていないことがある。
では、そんな二人が、なぜ副元首や宰相という高位に上ることができたのか?
「バランスだ」
かつてチゴーイの問いに、苦笑しながらラムン・フェスがそう答えたことがある。
西部諸国連邦は、小国家が集まった連邦制の国。
基本的に、バラバラ。
バラバラなのは仕方がない。
無理に平準化しようとすれば、大きな反発が生まれる。
民族、伝統、歴史……それぞれにアイデンティティというものがある。
それを強引にまとめるのは絶対に行ってはいけない。
数十年、数百年という時間をかけて、自然と混じり合っていく……そうでなければいけない。
政治の力で混ぜると……必ず破裂するから。
ラムン・フェスはそれを理解していた。
だが同時に、東部諸国がそんな悠長な時間を与えてくれないことも理解していた。
抜本的な解決と対処療法、両方を進めなければならなかったのだ。
だから地方の有力者であった二人を政府中枢に参入させた……だが、実権は与えず。
しかし、目立つ派手な式典などは担当させたため、二人はそれで満足していた。
そういう役目を担当すれば、多くの者からチヤホヤされるし、自らの承認欲求も満たされるから。
ラムン・フェスのその辺りの絶妙なバランスは、近くで見ていたチゴーイですら舌を巻いたものだ。
だからラムン・フェスがいた頃は、この二人はラムン・フェスを嫌っていなかった。
そんな感情すら、ラムン・フェスはコントロールしていたから。
だが、今は違う。
あの出征が全てを変えてしまった。
一度手にした最上位権力。
それは甘美だった。
これまで二人が欲しがらなかった、それ。
なぜ欲しがらなかったのか?
ラムン・フェスが見せなかったから。
目に入らなければ欲しがらない。
感情コントロールの基本。
だが、目に入り、使ってしまえば……もう無理だ。
甘美な権力の毒からは抜けられない。
だからチゴーイは首都タギュンザを離れた。
眠り続けるラムン・フェスの存在を知れば、二人がどう動くか正直分からなかったから。
そして、西方教会を統べるグラハム教皇による<解呪>に、最後の希望を持っていたのだが……。
しかし、チゴーイには分からないことがある。
この二人が、手にした最上位権力を早々に投げ捨てて、ヴォンにやってきた理由だ。
東部諸国が宣戦を布告したから、怖くなって民を見捨てて逃げ出した。
それは事実だろう。
だが、権力の甘美さを知った二人……東部諸国が怖いのだとしても、ある程度は首都タギュンザに籠るのではないかと思うのだ。
首都タギュンザにいない限り、最上位の権力を行使することはできないわけで……。
心の中でのチゴーイの疑問は、二人の会話から解けた。
「タギュンザが、連邦を離脱する判断をするとは……」
「一体何を考えておるのでしょうな」
それが、ジャージャとゼンモシの会話であった。
確かにタギュンザは西部諸国連邦の首都だ。
元々は西部諸国で最大級の都市国家であり、そのためにラムン・フェスはタギュンザに連邦首都をおいた。
しかしタギュンザ市政は、連邦首都がおかれる前と変わらず、元々のタギュンザの民たちが執り行っている。
これまでは何の問題もなかった。
タギュンザの民は、連邦首都であることにも誇りを持ち、連邦政府の者たちとも一致団結して、国の運営に力を貸してくれていたから。
だが、そんなタギュンザが連邦からの離脱を宣言した……。
(ラムン・フェスのいない連邦に愛想をつかしたか)
チゴーイは心の中で小さく首を振る。
いくつもの理由があったとはいえ、チゴーイもタギュンザを去ってヴォンの街に来たのだ。
タギュンザの民が、連邦を離脱するのを後押ししてしまったのかもしれない。
「これ以上の連邦からの離脱を阻止し、反攻せねば」
「うむ、まさにまさに」
宰相ゼンモシと副元首ジャージャがそんな会話を交わしているが、その中に具体策は出てこない。
(この二人は……どんな具体的な行動をとればいいのかなど、何も考えていないんだろうな)
チゴーイは心の中でため息をついた。
正直、チゴーイとしては、今の連邦の状態であれば崩壊してもいいのではないかと思っている。
西部諸国連邦は『連邦制』だ。
つまり、多くの国が寄り集まって、緩い協力体制にあるというべきか。
各国それぞれに法律があり、政府があり……軍隊すら持っている国がある。
連邦を離脱したとしても、小さいながらそれぞれが国として生き続けることができる。
少なくとも、民がすぐに路頭に迷うことはない。
その上で、東部諸国の傘下に入る判断をする国もあれば、独立した状態を維持すると判断する国もあるだろう。
どちらでもいい。
チゴーイには、今の連邦に留まってほしいと各国を説得する気にはなれない。
ラムン・フェスが目を覚ましていれば、もちろん違ったのだが……。