0083 <<幕間>>
(私の名はアルフォンソ・スピナゾーラ。ルン辺境伯の孫だ。今年十九歳になった。両親が既に死去しているため、何事も無ければ、私がルンの次期領主となる。いや、それはどうでもいい事だ。今、私の前に横たわっている大きな問題は、ある一人の女性が、ここ数日不機嫌である、ということだ。
その女性は、名前をセーラと言い、私の剣の先生である。先生はエルフで、非常に美しい。美しいという言葉も陳腐に聞こえるほどに……そう、やはり美しい。
もちろん、美しさと剣の腕は全く関係ない。
かつて、私は過ちをおかした。先生を力ずくで自分のものにしようとしたのだ。結果、私は肩を砕かれ、そこにさらに剣を突き立てられた。そう、砕かれた後で、わざわざ剣を突き立てられたのだ。恐ろしかった……。
無論、私の愚かな行為の代償であるから、仕方のない事である……それ以来、私にとって先生は、畏怖と敬愛の対象となった。元々、ほとんど笑うことのない先生である。言葉数も決して多くない。稽古以外の余計なことを話しているのを聞いたことも無い。先生は騎士団にも指導をしているが、騎士たちも同じことを言っていたため、そういう方なのだろうと思う。
私の過ちは、騎士たちにも知られている……肩を砕かれ剣を突き立てられたことも知られているのだが……その後、特に誰からも、何も言われなかった……普通は軽蔑されるのであろうが……。
その件以降、私は心を入れ替えようとした。自分の愚かな行為を恥じ、次期ルン辺境伯として誰からも後ろ指をさされないような貴族になろうと努力した。もちろん、未だ達しているとは思えないが、努力は続けている。
自分語りはこのくらいにしよう。
大きな問題は、先生がここ数日、不機嫌なことである。
もちろん、不機嫌だからと言って、理不尽な叱責や暴力があるわけではない。ただ、少しだけ、居心地悪く感じるだけである。
そしてそれは、私だけではなく、騎士団を含めた館の者たちのほとんどが感じていることなのである)
(私は、領主館でメイドをしております、レイリッタと申します。主に、剣術指南のセーラ様のお世話をさせていただいております。
ただ、ここ数日、そのセーラ様は元気がございません。もちろん、剣術指南のお仕事もいつも通りこなされ、私たちメイドにも、優しく接してくださっています。ですが、毎日接するからこそ分かります、元気がございません。
私が尋ねても、大丈夫、いつも通りよ、としかお答えになりません。なので、正確な理由はわかりません。
ただ……先日の演習場での模擬戦、これが理由に繋がっているのだろうと私は考えております。
私はただのメイドですので、剣も魔法もよくわかりません。それでも、セーラ様とお連れの……リョウ様と仰いましたか、お二方の戦いは凄いものでした。
場所柄、騎士の方の練習はよくお見かけしますし、セーラ様付きというお役目柄、セーラ様と騎士の方の戦闘もよくお見かけします。ですが……あのお二方の戦いに比べると、大人と赤ちゃんくらいの差が……いえ、神様と蟻くらいの差があったように思います。
そして戦い終えた後、セーラ様はリョウ様に抱きついていらっしゃいました。すぐに離れましたが、あんなに興奮され、楽しそうなセーラ様を見たのは初めてです。しかも別れ際「たいせつなひと」と仰っていました……。
セーラ様はとてもお美しい方です……それこそ美の女神もかくや、と言わんばかりの。ですが、浮いた話などは全くございませんでした。もちろん、あれほどの美しさ、あれほどの強さをお持ちですので、騎士団はじめ、館の者たちからは憧れの目で見られています。ですが、ご本人はそれについては全く頓着されず……。
話が逸れました。
まあとにかく、セーラ様はここ数日、元気がございません。私たちメイド一同は、そのことをとても心配しているのです)
その日、セーラは珍しく冒険者ギルドに来た。
ちなみに、ここに来るまでにたどった道順は、北図書館、飽食亭、冒険者ギルド宿舎十号室である。
昨日、北図書館の禁書庫で、錬金術とゴーレムに関する書類を見つけた。
本ではなく、かなり古い羊皮紙による十数枚の束であった。
北図書館の主とすら言われており、おそらくどの司書よりも蔵書に関して詳しいセーラですら、初めて見る羊皮紙束である。
そのことを、ゴーレム関連の錬金術に関して探している涼に教えてあげようと思って、上の道順を辿ったのである。
それと、ここ五日ほど、図書館でも飽食亭でも涼に会うことがなかったというのも、理由ではあった。
ギルドの扉をくぐると、いくつかの視線がセーラの方を向いた。そして、一度視線を外した後、次はしっかりとセーラの方を見た。
数多くの二度見が発生したのだ。
「おい、あれって……」
「風のセーラ……」
「セーラ様……」
「すげぇ珍しいな」
「え? 誰ですか、あの美人さん」
「馬鹿! ソロでB級パーティー張ってるセーラさんだよ!」
そんな言葉など聞こえないかのように、セーラは一直線に受付に向かった。
「お久しぶりね、ニーナさん」
「いらっしゃいませ、セーラさん。今日はどういったご用件でしょうか」
セーラが挨拶した受付嬢はニーナであった。
「D級冒険者のリョウを探しているの。彼が探しているものの手掛かりを見つけたことを伝えたくて」
ギルドは、基本的に、冒険者への伝言や荷物預かりなどは行うが、冒険者の『行動』に関する情報は他者には与えない。
それが依頼の一環である場合が多く、依頼に関連した情報の秘匿は、十分に注意されるべきものだからである。
その辺り、B級冒険者であるセーラもよくわかっているために、先のような言い方をしたのである。「リョウに頼まれていた内容を伝えるために探している」と。
実際、完全に嘘というわけでもない。
「ああ……リョウさんたちは、依頼で、街にはいません」
「そう……じゃあ、また明日くるわ」
そう言うと、セーラは身を翻そうとした。
「あ、セーラさん待ってください」
慌てて止めるニーナ。
そして近くに寄るように手招きをして、小さな声で告げた。
「セーラさん、リョウさんたちは依頼で別の街に行っているため、しばらく帰って来ません」
それを聞いた瞬間、セーラの顔を絶望が覆った。
その変化は、ニーナも気づいた。
「せ、セーラさん、大丈夫ですか?」
「あ、うん、大丈夫……大丈夫……。それで、しばらくってどれくらい……?」
「依頼書には『拘束期間:一週間以上』としか書いてないので正確なところはわからないのですが、おそらくあと一週間以上はかかるかと……」
ニーナは、ウィットナッシュへの往復の護衛依頼で、ウィットナッシュ開港祭が終了してからの帰還になるであろうことは推測しているが、そこまでセーラに伝えることはさすがに出来ない。そのため、一週間以上とだけ伝えたのである。
「そう……わかったわ。ありがとう」
そう言うと、セーラは受付から離れた。
その姿は、誰が見てもショックを受けている様子であり、冒険者たちは誰も声をかけることもなく見送るのであった。
それから一週間、セーラの心は晴れなかった。
(ほんの一カ月前には、リョウの存在なんて知らなかったのだから、その頃に戻っただけ……そう頭ではわかっているのだけど……。ああ……妖精王が、どうしてリョウを好んだのかよくわかる……)
一週間は帰って来ないと言われても、それでももしかしたらと思って、毎日、北図書館、飽食亭には顔を出していた。
だが、そこには望んだ姿はなく、いつもセーラは打ちひしがれて領主館に戻るのだった。
そしてニーナと会って八日後。
午前の騎士団の訓練を終えると、セーラは北図書館に向かった。
図書館では、大閲覧室はもちろん、入ることは出来ないであろう禁書庫の中も隅から隅まで見た……だが、やはりそこには求める人物の姿は無かった。
昨日まで以上に打ちひしがれた状態で、次の『飽食亭』に向かう。
お昼を少し回った時間帯で、この時間はもうお客は少なくなっている。
だが、以前涼と出会ったのはこの時間帯であった。
セーラは、飽食亭の扉を開けて中に入る。
そこには……美味しそうにカレーを食べる水属性魔法使いの姿が!
セーラは泣きそうになった。
理由はわからない。
だが、それが素直な感情だったのだ。
一心不乱に、あるいは真摯にカレーと向き合う涼……その姿を見て、セーラはしばらく動けなかった。
ふと、涼は目を上げた。そして視界にセーラの姿を捉える。
右手でスプーンを持ったまま、左手でおいでおいでをした。
セーラはそれを認識すると、満面の笑みを浮かべて涼の元へと歩み寄っていった。