0829 カレー教と邂逅
あまり遠くに行くのはまずいだろうということで、涼とアベルは港内を巡ることにした。
そもそもヴォンの港は大きい……巨大と言ってもいいサイズだ。
だからだろう、港内もかなり活気があり、大きな街のようになっている。
露店はもちろん、多くの店舗も軒を連ねている。
町の住民で船に関係しない者たちも海産物を買いにきたり……観光客のような地元の人ではない人たちも歩いている。
ここにいる三人も、そんな観光客だ。
「このフィッシュアンドチップスみたいな、小魚を揚げたやつ、美味しいですね」
「ああ、歩きながら食べるのにもってこいだな」
そんなことを話しながら、涼とアベルは食べながらあちこちのお店を覗いている。
もちろん二人の後ろから、スコッティーが無言のままついていく……フィッシュアンドチップスもどきを食べながら。
そんな腹ペコ一行だが、ある角を曲がった瞬間、何かに気付いた。
それは、香り。
本能的に、人の心を虜にする魔性の香り。
ある種の宗教かもしれない。
「この蠱惑的な香りは、まさか……」
「カァリーだな」
涼が驚き、アベルが断言する。
そう、間違いない。
そこでアベルは思い出した。
「以前、このヴォンの街に寄港した時に、リョウが持ってきたんだよな、ライス」
「ええ、そうです」
涼も思い出して頷く。
コバッチ料理長らによる食材の買い出しを手伝った際、涼はライス……つまりお米が売られているのを見つけたのだ。
さらに以前、コバッチ料理長がカレー味の唐揚げを作ってくれたのも覚えていた。
つまり、カレーライスを作ることができるのではないか?
「本当にカレー教が生まれてしまったのですね」
「いや、カァリーって結局、作られなかっただろ?」
「いえ、実はあの滞在中にコバッチ料理長、街の食堂の厨房を借りて実験的に作っていたみたいですよ」
「は?」
「僕が簡単に作り方を教えてあげたら、試してみると言って……滞在中に知り合いになった食堂の大将と何度か試行錯誤したとか」
「なぜ、それでスキーズブラズニルでは作らなかったんだ?」
「お米……ライスが出港に間に合わなかったそうです」
「……は?」
涼が悲しげに言い、アベルが首を傾げる。
「基本的には、ライスの生産が豊かな地域らしいのですが、今年はヴォンの街周辺はあんまりうまくいかなかったみたいです。少し離れた土地では豊作もあり、あと一週間長く滞在していれば届いたらしいのですが……」
「それで俺たちはカァリーを食べれなかったのか」
アベルは何度も首を振る。
とても悲しげな表情だ。
やはり、カレーの人を虜にして離さない様は、宗教的……カレー教と呼ぶにふさわしい。
「リョウ、俺たちには責任があると思う」
「アベル、僕も同感です。カレーが本当に生まれたのか。それは僕らが知るカレーなのか。正しいカレーが伝わっているのかを確認できるのは、僕らだけです」
「これだけ買い食いした後のカレーが、絶対に食べ過ぎだというのは分かる」
「ええ、ですが仕方ありません。これは僕らがとるべき責任なのです」
誰に言い訳しているのか全く不明だが、アベルも涼も香りの発生源を見つけて食べる気満々……。
カレーは確かに美味しい。
それは言うまでもない。
だが、カレーの真に凶悪な理由、それは香りだ。
姿の見えない場所からでも、人の食欲を捕える。
満腹? さっきご飯を食べた?
関係ない。
問答無用に息の根を止める。
まさに、食の暗殺者!
「抵抗など無意味です」
「まったく同感だ」
涼が、カレーの主張を代弁し、アベルが頷く。
「なぜ人は、これほどまでに恐ろしい料理を生み出したのか」
「最初に作ったやつは天才だよな」
二人は口ではそんな会話を交わしながら、鼻を利かせて香りの発生源をたどる。
発生源の特定は難しくなかった。
「ここだな」
「昔ながらの老舗な外観です」
アベルが断言し、涼が地元民に支持されてきた店だと推測する。
扉を開けて入る三人。
「いらっしゃいませ~」
「三人です」
「空いてるお席にどうぞ」
その声に合わせて涼とアベルは店内を見渡す。
席は半分ほど埋まっている。
土木関係の人たちだろうか、四人が喋りながら料理を待っている。
別のテーブルで、官吏と思われる三人がメニュー表を見ながら悩んでいる。
他にも、地元の人間がほとんど。
そうでないのは涼とアベル、他には隅のテーブルに一人。
椅子に座っていても背が高いのが分かる、ほっそりした感じの男性。
白髪は、短く揃えられ、鷲鼻、そして、左目にはモノクルと言われる片眼鏡をかけている。
少し神経質で、怖そうな印象を受ける。
涼は二度見した。
その上で驚くべき結論を下す。
「まさか……ニールさん?」
涼の驚きの声。
その声に反応して、白髪の男性が顔を上げる。
大きく目を見開いた顔で、驚いているのが分かる。
口の中にあるものを飲み込んでから、口を開いた。
「リョウ殿?」
それは紛れもなく、錬金術師ニール・アンダーセンであった。
涼とアベルは、勧められてニールのテーブルに座る。
ニールの右に涼、ニールの正面にアベル、ニールの斜め前に護衛のスコッティー。
その時、涼は気付いた。
ニールが食べているものに。
「カレー……」
そう、ライスにカレーが掛かった、カレーライス。
「ほぉ、リョウ殿は、この料理をご存じか」
「はい。実は、その匂いにつられて、このお店に来ました」
「素晴らしい! 一流の錬金術師は、一流の料理を知るですな」
「いやあ、それほどでも」
ニール・アンダーセンがその嗅覚を称賛し、涼が照れる。
そして、ニール・アンダーセンは正面に座る男性に目をやった。
「失礼、わしの名前はニール・アンダーセンと申すが、そちらの方は?」
「あ、そっちはアベルと言います」
「ナイトレイ王国のアベルだ」
アベルが小さく頷いて名乗る。
その瞬間、ニール・アンダーセンの目が、再び大きく開いた。
「ロンド公爵たるリョウ殿と行動を共にする、ナイトレイ王国のアベルということは……あの方ですな。こういう場なので、正式な挨拶はやめておきますが」
「そうしてもらえると、こちらも助かる」
街の食堂で、王族への正式な挨拶をし始めたら、居合わせた人たちも驚くだろう。
「さすが、噂にたがわぬ……」
「噂?」
「豪胆なる王と聞いております」
「そうか」
ニール・アンダーセンの言葉に、アベルは小さく肩をすくめた。
「アベル、豪胆だと言われているからって、偉ぶらないでください」
「偉ぶってないだろう?」
「豪胆ということは、裏を返せば考え無し、落ち着きがない、猪突猛進ということなのですから」
「うん、それは違うと思うんだ」
涼の適当解説を正面から否定するアベル。
二人の会話を微笑みながら聞いているニール・アンダーセン。
「吟遊詩人たちの歌で聞きましたが、轡を並べて戦い、帝国をうち滅ぼす王と魔法使いとか」
笑いながら言うニール・アンダーセン。
言うまでもないが、ニール・アンダーセンは元デブヒ帝国の錬金術師だ。
その故郷をうち滅ぼす二人になっているらしい。
「アベル、誤った情報が広がっています!」
「そういうのは困るな」
「ニールさんのような元帝国民や、現在の帝国民が聞いたらどう思うでしょうか」
「いい気持ちはしないよな」
涼とアベルは、誤情報の拡散に懸念を示す。
もっとも、言い出しっぺはニール・アンダーセンであり、本人は笑いながら言っているためにあまり気にはしてなさそうだ。
そこでニール・アンダーセンはあることに気付いたらしい。
「すまん、二人とも注文がまだであったな」
そして、テーブルの隅に置いてあったメニュー表を渡す。
いちおう二人ともメニュー表を見るが、注文するものは決まっている。
「ありますね」
「あるな」
二人とも暗黒大陸語は完璧だ。
「カレーをお願いします」
「俺もだ」
「私も」
涼が注文し、アベルが乗っかり、ずっと無言のまま護衛の役割を果たしているスコッティーも乗っかった。
無事、注文も終わり、その間に食べ尽くしたニール・アンダーセンとの会話が再び始まる。
「ニールさん、マファルダ共和国で言ってましたもんね、暗黒大陸に渡ってみたいと」
「うむ。教皇庁で捕まった時にはどうなるかと思ったが……あの時はリョウ殿に助けてもらえた。今でも感謝しておる」
頭を下げるニール・アンダーセン。
「いえ、当然のことをしただけです。あの被せられていた仮面って……」
「サカリアス枢機卿には酷い目にあわされましたわい」
笑いながら言うニール・アンダーセン。
「まあ、あれも経験」
「え?」
「おかげで、サカリアス枢機卿が手掛けておった錬金術を見ることができました」
「あの仮面をかぶっている時って、意識は……」
「自分の意思はなかったようじゃが、見たものは覚えておる。リョウ殿とお仲間に解放してもらった後、見たものをかなり思い出した」
「おぉ」
涼が驚く。
世の中には瞬間記憶の能力を持つ人たちがいる。
人の記憶とは、本当に興味深い能力なのだ。
「あの時の教皇が、人でなかったことは知っておるか?」
「ああ、はい。何度か戦って息の根を止めたはずなのに復活してきていたので……何かは分かりませんけど人ではないことだけは……」
「ほぉ、戦ったのか」
涼の言葉に微笑むニール・アンダーセン。
「あれは錬金術で生み出された生き物じゃ」
「やっぱり……」
「とはいえ、わしも実際にその過程を見るまでは信じられんかった」
「外見的に同じ生き物を生み出す、みたいな感じでしょうか」
「うむ、まさにそれじゃ」
ニール・アンダーセンは頷く。
クローンのようなものだろうと、涼は想像していた。
それが確定したということだ。
生命の創造。
「暗黒大陸に来てから、この北部地域をずっと巡っておったのじゃが……どうも大陸南部には、かつてその手の錬金術が存在したらしい」
「なんですと!」
「あくまで、この北部で話されている伝承のようなものじゃが……ほれ、火のない所に煙は立たぬというでな」
「確かに」
「さらにおとぎ話レベルの話じゃと、それらは浮遊大陸の流れを汲むとか」
「なんと……」
驚く涼。
だが、涼の頭の中で思い出される。
つい先日、浮遊大陸という単語を聞いた。
そう、教皇グラハムの口から……。
これは、はたして偶然か?
「その……ニールさんが聞いた話の中に、ヴァンパイアとかは出てきませんでしたか?」
「む? よく知っておるの。ヴァンパイアの公爵が関わっていた……そんな話はあった。とはいえ、ここ百年、ヴァンパイア自体めったに会わん。伯爵以上のヴァンパイアなど、もういないのではないかと言われておる。それで公爵などは……もう伝説じゃよ」
「ああ、なるほど」
涼は頷く。
そう、一般の認識はそうなのだ。
涼やアベルは、なぜかトラブルに巻き込まれることが多いために、ヴァンパイアにも会うことが普通になっている……それが異常。
「そういえば、リョウ殿やアベル……殿は、なぜ暗黒大陸に?」
ニール・アンダーセンが、さすがに『陛下』という敬称はまずいだろうと『殿』にして問う。
「実は……」
涼は手短に説明した。
「帝国の爆炎の魔法使いとフィオナ様、連合のロベルト・ピルロ陛下に西方教会の教皇? 何とも興味深い組み合わせですな」
「はい……」
「ああ、いちおう、わしに会ったことは帝国の人間には言わんほうがよいですな。わしは帝国からは出奔した形になっておるから」
「そうなのですか?」
「皇帝陛下には許可をいただいたのじゃが……それは公にはなっておらんはずでな」
「ああ……そうですよね。国を代表する錬金術師が異国に行ってしまったというのは、なかなか公表しにくいですよね」
涼が小さく頷く。
優秀な人材の、それも一国に冠絶するクラスの人材流出。
一大スキャンダルだ。
実際、フランク・デ・ヴェルデという天才錬金術師の国外流出を許したナイトレイ王国は、亡命先で人工ゴーレムを制作されあまりよろしくない状態である。
アベルは表情こそ変えないが、心の中では顔をしかめていた。
そんな中、店の扉が開き、あるものが入ってきた。
「ああ、来ましたね」
涼が笑顔になる。
ニール・アンダーセンもその言葉に反応し、扉の方を見る。
扉から入ってきたものを見て、固まった。
入ってきたのは、剣術指南役四号君。
四号君は入ってくると、涼たちのテーブルにやってきた。
「これは……氷のゴーレム? なんと見事な」
入ってきた時には大きく驚いたが、すぐに目をキラキラさせながら、立ち上がってあらゆる方向から四号君を見るニール・アンダーセン。
「小さいながらも十分な力を持っているのが分かる。そう……小さい方が速さは出る。つまり、力があるのなら小さい方が有利。戦場を考えただけでも、その結論が出ます。それに……この大きさなら、活躍の場は戦場だけに留まりませんな?」
「おっしゃる通りです。いずれゴーレムは人の間に入っていって活躍すると僕は考えています。そうであるなら、全長三メートルより、人と同じ一・五メートル級の方が良いと思います」
「ええ、まさに! この子は、ゴーレムの未来でもあるのですな」
本当に嬉しそうに話すニール・アンダーセン。
その姿を見て、ようやくアベルの中にあったニール・アンダーセンに対する疑念は無くなった。
錬金術に生き、錬金術を極めたいと純粋に思い続けた男。
そうでなければ、ゴーレムを見て『この子』という表現は使わない。
涼が、自らのゴーレムに対して『この子』『この子たち』という表現を使うのはアベルも知っている。
ニール・アンダーセンと涼は、祖父と孫以上に年齢は違う。
だが、その会話は楽しそうだ。
まさに、同好の士。
同じ趣味の祖父と孫が、作ったものを見ながら楽しそうに話している絵。
「なんかいいな」
アベルは、そう呟くのだった。