0823 『魂の響』の原理
四日後、一行は聖都マーローマーを発ち、港町ジャポリに向かった。
一行とは……。
ファンデビー法国からは、グラハム教皇、ステファニア枢機卿、異端審問官五十人、その他ゴーレム等。
ナイトレイ王国からは、国王アベル一世、B級パーティー『十号室』、王国騎士団五十人と二人の中隊長。
デブヒ帝国からは、ルビーン公爵フィオナ、オスカー・ルスカ伯爵、数人の侍女、数人の帝国騎士。
ハンダルー諸国連合からは、カピトーネ王国先代国王のロベルト・ピルロ、護衛隊長グロウン、数名の侍従。
「なあ、リョウってまだ戻ってきてないよな?」
「はい、陛下。ですが先ほど連絡がありまして、直接ジャポリの街に向かうのでそこで合流するということでした」
アベルの問いに答えたのはエトだ。
「そうか。ん? リョウって西ダンジョンだろ? 先ほど連絡って、どうやって連絡が来たんだ?」
「はい、何やら『魂の響』を基に作った新しい錬金道具の試運転とかで、連絡してきました」
「は? 『魂の響』を基に作った新しい錬金道具?」
エトの答えに、首を傾げるアベル。
そして、思い出した。
『魂の響』の存在を。
((リョウ、遅刻するなよ))
((アベル! びっくりするじゃないですか!))
((意味が分からん))
((今、アベルにも連絡しようとしていたところですよ。直接港町の方に行きますから))
((ああ、エトに聞いた。だが、何か新しく作った錬金道具がどうとか?))
((ええ、ええ。ちょっと『魂の響』を研究していたんですけど、思いつくことがありまして。マーリンさんが魔石をくれたので、作ってみたんです。以前、『魂の響』をいじりましたけど、あの時には気付いていなかった部分に気付いたのです))
((うん?))
((ケネスの魔石分割の本質は、『量子もつれ』なのではないかと))
((うん、知らん言葉だ))
そう、アベルが知らない言葉。
『量子もつれ』と呼ばれる現象がある。
ノーベル物理学賞の受賞対象ともなった有名な現象だ。
粒子性(物質の性質)と波動性(状態の性質)を併せ持つ特殊な存在。
それを、『量子』と呼ぶ。
まあ、そんな量子二個……例えば電子二個を小さな箱に入れて『もつれ状態』にすると、その二個はかなり離れた状態に置かれても、互いに関係しあう。
片方の状態が決まると、『瞬時に』もう一方の状態も決まる。
距離を超えて。
遠距離にまで引き離せば、光の速度、秒速約三十万キロメートルを超えた現象を生じさせることができる。
もつれた量子の間では、距離は関係なくなるのだ。
分割した魔石の間には、この『量子もつれ』に似た現象が起きているのではないか……涼はそう考えた。
『魂の響』は、数千キロを超える距離の通信を、量子もつれのような現象を利用して、ゼロにしているのではないかと。
以前、マニャミャの街で『魂の響』をいじくって、メッセージを王都に届けられるようにした。
その時は、正直そこまでは考えつかなかった。
空気中の水蒸気を利用して、遠距離通信を可能にしている……ように見えたので、その辺りの魔法式に修正を加えて、メッセージを届けた。
もちろん、それは間違いではない。
しかし、よく考えたらおかしいということに気付く。
確かに空気中には水蒸気がある。
それを伝って情報の伝達をするにしても、あまりにも距離が長くなり過ぎれば、それは無理だ。
涼ですら、水属性魔法が使える範囲は、自分から一キロ圏内。
数千キロも先にまで何かの情報を、水蒸気を伝って届けることはできない。
しかし、『魂の響』はできている。
つまり、距離を苦にしない。
距離を無効化する、あるいは距離をゼロにする何か。
もし魔人が関わったのであれば、彼らの『重力系』の魔法か何かではないかと涼も疑っただろう。
だが、それではない。
涼の耳にある『魂の響』と、アベルが指にはめている対になった指輪。
ほんのわずかに、耳の方の魔石は欠けていて、それがアベルの指輪にはまっている。
確かに、以前ケネスが発表した『魔石分割による共振現象を利用した長距離交信の可能性』の論文にある共振現象が利用されている。
その共振現象は、ある種の『量子もつれ』であり、どれだけの距離が離れていても、瞬時に相手側に変更が伝わるのだろう。
もちろんケネス・ヘイワード子爵がいかに天才であるとはいえ、量子もつれを知っていたとは思わない。
だが、魔石分割の過程で、その現象に気付いたという可能性はある。
そしてそれを、『魂の響』に利用した。
「やはり、ケネス・ヘイワード子爵という人は天才です」
涼の頭に新たな閃きが生まれた。
「分割した魔石を使えば、遠距離でいろいろできる……」
もちろん、魔石の分割そのものが難しい。
ケネスほどの超一流錬金術師でも、簡単ではないらしい。
ちなみに、涼は魔石の分割などやったことはない。
そもそも魔石というのは、ある程度の力を与えれば砕けて消滅するのだ。
魔物の体内にある魔石を剣で突いて倒す……よくあること。
魔石は本来、分割できないもの。
だからこれまで、そんな『量子もつれ』にも似た現象が起きるなどとは、誰も気付かなかった……のかもしれない。
((まあ今回のは、結局、魔石の分割はできなかったので、別の錬金道具です。後でアベルにも見せてあげます))
((リョウは、そのために西ダンジョンに行っていたのか?))
アベルが問う。
((もちろん違いますよ。マーリンさんとレグナさんに、ヴァンパイア大公についての情報を貰おうと思って行ったんです))
((どうだった?))
((多少はもらえましたけど……どう聞いても、人が勝てる相手だとは思えないんです))
((そうだろうな))
涼ですら沈んだ声で言い、アベルもさもありなんと頷く。
((まあ、いい。合流、遅れるなよ))
((大丈夫です))
二時間後、一行は港町ジャポリに到着した。
街に入ったアベルら王国一行の後ろから、コソコソと怪しい影が合流した。
「なぜ普通に合流せん」
コソコソと合流した怪しい影……もちろん涼だが、そんな涼にアベルが呆れたように言う。
「僕は見てはいけないものを見てしまったのです。だから身を隠しておかないといけません」
「見てはいけないもの? 何だそれは」
「法国の新型ゴーレムです」
「は?」
涼が小さな声で報告するが、アベルは素っ頓狂な声をあげる。
ちなみに周りには『十号室』の三人もいる。
二人のそんな会話は聞こえてきたのだが……三人とも、首を傾げている。
涼は周囲を何度も見まわしてから説明を始めた。
「僕は……あの『魂の響』での会話の後、すぐにこの街に着いたのです。で、港に向かったのですが、そこでは法国が、ゴーレムを船に積んでいました」
「そりゃそうだろうな」
アベルは頷く。
以前グラハムも言っていたし、そもそも西方諸国においてゴーレムは、伝統的に対ヴァンパイアの切札でもある。
「ええ、僕だってホーリーナイツは知っています。でも積んでいたのはそれだけじゃなくて、白い小さなゴーレムも積んでいたのです」
「白い小さなゴーレム?」
「ええ。一・五メートル級のやつです」
涼が勝手にカテゴライズした、三メートル級ゴーレムと一・五メートル級ゴーレム。
法国のホーリーナイツや、共和国のシビリアン、あるいは中央諸国連合の人工ゴーレムなどいずれも三メートル級だ。
しかし、涼が見たのはその半分のサイズ。
「それは……戦闘用か?」
「分かりませんけど……戦場に、戦闘用じゃないゴーレムを連れてはいかないでしょう?」
「ああ、それはそうだな。なるほど、だから……」
「ええ、だから、新型ゴーレムです」
アベルも理解し、涼は頷く。
周囲でも聞いていたヒューと『十号室』の三人も、顔を見合わせた後頷いた。
確かに、そうかもしれないと。
確かに、そうかもしれないが……。
「なぜ、それが見てはいけないものなんだ?」
「え? だって、僕らの到着前にわざわざ積んでいたんですよ? いかにも見られてはいけないものって感じで」
「どうせ戦う時には見ることになるだろう?」
「そ、そうかもしれませんけど……」
不満そうに頬を膨らませる涼。
まあ、ちょっと気分を出したかったのだ。
「法国も……というよりグラハムも、本気ということだろう。そんな、今まで公開したことのないゴーレムを出してくるくらいだからな」
「そう、それが言いたかったのです!」
「……そういうことにしておいてやる」
涼が我が意を得たり、という口調で言うが、アベルは適当に流した。
涼が完全に、ハーゲン・ベンダ男爵を拉致された時の感情から回復しているのを見て、少し安心したのだ。
もちろん今でもショックはあるだろう。
だが旅路は長い。
その間、ずっと沈んだ気持ちのままでは、いざと言う時に力を出せるかどうか……。
アベルは冒険者としても、王族の経験としても、気持ちの問題が軽視できないことを知っている。
気持ちだけで全ての問題が解決できるわけではない。
必要な準備を整えた上で、最後に成功率を高めるのに精神面の安定が必要なのだ。
涼はアベルと話しながらスキーズブラズニル号に乗船した。
後から王国騎士団がついてきている。
その中に……。
「あれ?」
「どうした?」
涼の言葉に、アベルが反応する。
涼の視線の先には、騎士たちに交じって『剣術指南役』がいた。
「剣術指南役四号君が、います……」
「うん? 王国騎士団は全員が乗船するからな。騎士団預かりになっている四号君も、当然その中に入るだろう?」
アベルが当然と言う表情で答える。
言われてみればそうかもしれない。
そんな四号君が、自分の創造者を見つけてやってきた。
涼の前に立つとお辞儀をする。
それを涼はまじまじと見て、一つ頷いた。
「少し離れていただけなのに、見違えました」
そう言って、四号君の肩をぺしぺしと叩く。
嬉しそうだ。
肩を叩かれた四号君も、どことなく誇らしげな……。
「俺には全然変化が分からん」
アベルには分からないらしい。
隣で見ていた『十号室』のニルスとエトも、顔を見合わせて首を振っているところを見ると、変化は分からないらしい。
だが……。
「ですよね。自信がついたのか、以前に比べて凛々しくなっていますよね」
アモンは分かるようだ。
「さすがアモンです。四号君も、同じ剣の道を志す者として、立派に成長していますよね」
涼はさらに嬉しくなって、四号君の背中もぺしぺしと叩いている。
そんな一行の乗ったスキーズブラズニル号は、法国艦隊と共に、暗黒大陸に向けて出港した。