0817 交渉
「安心せえ、峰打ちじゃ」
((……))
なぜか反応のないアベル。
「安心せえ、峰打ちじゃ」
((……))
聞こえていないのかなと思って、もう一度言う涼。やはりアベルの反応は無い。
涼の故郷に昔からある慣用句だと、アベルには説明してあるのだ。
イリアジャ女王の即位式の際、白仮面を峰打ちにして倒した後、アベルは反応しなかった……だからその後、ちゃんと教え込んだのだ。
それなのに、反応がない。
ボケているのにツッコんでもらえないというのは、とても不憫なことである。
((どうしてアベルはツッコんでくれないのですか!))
((いや、そう言われてもな))
((以前、教えましたよね?))
((さあ? 記憶にないな))
((なに悪徳政治家みたいな答弁をしているのですか! そんな言葉は聞きたくありません))
((ミネが何かは覚えているぞ。刃の反対側で、斬れない場所だよな。俺の剣には無いが、リョウの剣にはある))
((ええ、それです。そこで打ち据えたのです。それは、命は取らないでおいてやったぞという意味です))
((命は取らないでおいてやったぞ、でいいんじゃないか?))
((そこが違うのです! これこそが、もののあはれなのです))
((やはり来たか、もののあはれ……))
アベルのため息が聞こえる。
『黒』を氷棺に閉じ込めた後、涼は氷漬けの『黒』と共に屋敷の外に出た。
そして怒鳴る。
「『黒』殿は捕虜となった! 『黒』殿との約束により、投降すれば命は取らない! 全員、剣を捨てよ! 戦いは終わった!」
涼が腹から出す声は、けっこうよく通る。
多分、言ったことに関して嘘はついていない。
『黒』との約束~の部分は、明言してはいないが教団の者たちの命を取りたいと涼が思っていないのは確かであるし、この後の共和国政府との話し合いのためにも、そういうことにしておきたい。
その後、続々と暗殺教団の者たちが投降した。
中には屋敷に戻ってきて、氷漬けの『黒』に涙する者もいる。
「大丈夫です、『黒』さんは生きています。いろいろ話し合いを終えたら、きちんと解凍することを約束します」
涼は一人一人に、そう説明していく。
森の中で暗殺者と戦うことに比べれば、一人一人への説明など大変なことではない。
指導者が氷漬けになっていればショックを受けるのは理解できるから。
確実な、そして丁寧な説明をする必要があるだろう。
そんな涼の説明もあってか、逆上して涼に斬りつけたりする者はいなかった。
むしろ自分から「氷漬けにしてほしい」という者たちが……。
「『黒』様と共に」とか「何も考えたくないから眠らせて」などと口にして。
涼が希望通りに氷漬けにしていくと、無言のままだった他の暗殺者たちも氷漬けになることを希望しだして……結局、涼の近くで投降した者たち三百五十人ほどが氷漬けにされた。
森の端々で戦い傷ついたまま投降した教団の者たちも、共和国軍によって集められ、治療を受けている。
彼らは、涼の後ろからついてくる三百五十体の氷の棺を見て、驚き、涙を流した。
だが、怒りにまかせて襲い掛かったりはしない。
そんなことをすれば、『黒』を含めた氷漬けになった仲間の身に危険が及ぶと考えたのかもしれない。
そんな者たちにも、涼は「彼らは全員生きている」「しかるべき場所で、全員解凍する」ことを約束して回る。
希望するなら氷漬けにすると言うと、なんと全員が氷漬けになることを希望した。
さすがにそれは涼も想定外だったが……。
「そうでした、彼らは『教団』でした……ある種の宗教的組織。仲間たちと同じように生きる、生きたいと思うのは一種の本能のようなものなのかもしれません」
そう強引に結論付ける。
人の考えや行動を全て理解し解説することなどできやしないのだ。
そんなことよりも、今はもっと大切な、涼だけにできることがある。
涼は現場責任者であるボニファーチョ局長の元に歩いていき、声をかけた。
「局長さん、この暗殺教団の者たちの件で、元首コルンバーノさんと話し合いたいことがあります」
「え? はい……承知いたしました」
「この方たちは、僕が責任をもって氷漬けにしておきますので、大丈夫です」
涼の口調は優しいし、表情も笑顔を浮かべている。
だが、抵抗はできない。
言い返すことはもちろん、抗うこともできない。
そんな圧力を、ボニファーチョは感じる。
どうせ彼自身では判断がつかないレベルの話なのだ。
敵の首魁を討ち取った目の前の公爵が、元首と会いたいというのならその希望を叶えるのが誰にとっても幸せになるはず。
「この後、撤収して首都に戻ります。その際に公爵閣下とその氷漬けの方々も一緒に……来ていただけますでしょうか」
「はい、ついていきます」
ボニファーチョの提案に、涼は頷いた。
「なんとか終わったな」
「隠蔽の錬金道具を使った暗殺者たちとの戦いなんて、ほとんど経験できませんからね」
「みんな、大きな怪我をしなくて良かったよ」
ニルスが安堵し、アモンが経験を積めたことを喜び、エトが笑顔で結論付ける。
そこに涼が歩いてきた。
「三人とも無事でよかったです」
「おう、リョウ。相手の首魁を討ち取ったんだって? さすがだな」
涼が笑顔で素直な感情を述べ、ニルスが称賛する。
「正確には、峰打ちで気絶させて氷漬けにしました」
「ミネウチ?」
ニルスもアモンも首を傾げている。
アベルだけでなく、この二人の剣士にも教育せねばならないと涼は固く決意する。
「教団の他の人たちも全員氷漬けにして連れていきます。実は本拠地の屋敷に向かう途中でアベルから連絡が入りまして、生かしたまま捕らえろと言われました」
「え……」
「ほとんどは戦闘能力を奪って、捕縛しましたけど……何人かは命をとっちゃいました」
ニルスが絶句し、アモンは頬をかきながら説明する。
仕方がない。
二人の責任ではない。
涼は軽く左耳に下げている『魂の響』を指で弾く。
「もっと早く言ってこなかったアベルの責任ですから、気にする必要はありません」
涼が厳然たる口調で言い切る。
「でも、どうして生かしたままに? どこかの国との交渉に使うつもりなのかな? でも、そういうの、アベル陛下らしくないよね」
「どうも、教皇のグラハムさんが提案してきたそうです。悪いことに使う可能性もありますから、そこはきちんと僕も話を聞いていこうと思っています」
「そうだね、それがいいね。彼らは、リョウの氷に身を任せたんだし」
エトは一つ頷いて、森の中に立つ氷の棺を見る。
五百柱を優に超える氷の棺。
そこに納められた暗殺者たちがどうなるのか……それは涼の肩にかかるのだった。
暗殺教団壊滅作戦から一日後。
マファルダ共和国首都ムッソレンテの住民たちは、大通りを移動する一行に驚いた。
共和国が誇るゴーレム『シビリアン』と共和国軍、そして知る人ぞ知る特務庁のボニファーチョ・フランツォーニ局長が先頭の方にいる。
それはいいだろう。
ゴーレムが出動したという話は聞いている。
何のために出たのかは知らないが、共和国軍や特務庁も動いたということは、かなりの大トリ物があったのかもしれない。
問題はその後だ。
氷の塊がついてきている。
反射率が変えられた氷の中身は見えない。
その一つ一つが、氷の荷台に乗って連なっている。
一列に並んで、果てしなく……。
ある市民は、その氷の塊の数を数えたらしい。
その数、五百五十五。
「なんだ、あれは……」
「氷の塊、だよな?」
「中が全然見えないが、何が入っているんだ?」
「キラキラ輝いてる」
「綺麗ね」
中身を当てたものは誰一人いなかった。
当然だろう。
誰が、「中に入っているのは暗殺教団の人間たちだ」などと想像できるだろうか。
五百五十五柱の氷の棺は、全て元首公邸の庭に入った。
その後、涼たち買い付け一行は、コルンバーノ元首から深く感謝された。
その上で、涼は切り出す。
「この方々の身柄を、こちらで全て引き取りたいです」
「身柄を引き取る?」
涼の言葉に、コルンバーノは首を傾げる。
もちろんボニファーチョから、ロンド公爵から何か提案があるらしいとは聞いていた。
恐らくはミトリロ塊の買値交渉か何かだろうと思っていたのだが……どうも全く違うらしい。
「僕は嘘をつくのが苦手なので、正直に話します。我が国のアベル王と、西方教会のグラハム教皇の間で話し合いが行われ、暗殺教団の人たちを生かしたまま連れてきてほしいと頼まれました」
「それは、また……」
コルンバーノは顔をしかめる。
言うまでもなく、共和国はファンデビー法国とは険悪な仲だ。
一年前には戦争すら起きた。
法国のトップとはすなわち教皇。
その教皇の考えと言われれば、顔をしかめない方がおかしい。
「最初は、暗殺者として確保し、彼らを駒のように悪いことに使おうとしているのかもしれないと僕も考えました」
「でしょうな」
涼だって、コルンバーノが最初にどう考えたかは分かる。
彼らは、暗殺者として貴重な人材だ。
これまで西方教会は、暗殺に特化した人材を持っていると言われてきたし、その頂点ともいえる「教皇の四司教」と涼は戦ったこともある。
実際に、西方教会は暗殺者を抱えていたのだ。
そこが、生かしたまま連れてきてほしいと言えば、自分たちの手駒として使うのではないか……為政者なら、そう考えるのは当然だろう。
「そんなことは、僕が許しません」
「え?」
「もし教会が、いえグラハムさんがそんなことをしたならば、僕はグラハムさんを氷漬けにします」
「え、いや、それはさすがに……」
「それだけの覚悟があります」
涼ははっきりとコルンバーノの目を見て答える。
その気持ちは本当だ。
グラハムを氷漬けにし、西方教会を敵に回して戦う決意すらある。
もちろんそれは、ナイトレイ王国に迷惑をかけるだろう。
しかしアベルのことだから、涼は騙されたらそれくらいはするかもしれない……そう考えているのではないかと思う。
「僕は、冗談は好きですけど、人を不幸にする嘘をつく人は嫌いです。それは僕だけでなく、アベル王も同じです。もしグラハムさんやファンデビー法国が僕らを騙すのであれば、相応の報いを受けてもらうつもりでいると、ここで断言します」
涼ははっきりと言い切った。
共和国としては、暗殺教団が国内からいなくなってくれればよい。
元々そのつもりで壊滅作戦を行ったからだ。
しかし、いなくなった暗殺教団が、教会や法国に組み込まれて、裏での仕事に使われるのは困る。
「ロンド公爵、あなたがそこまでおっしゃるのであれば、私はあなたの言うことを信じたい。ですが、個人的な友誼と為政者としての責任は別物です。教団に関して、具体的な方策があるのであれば教えていただきたい」
「ボードレン国に移住してもらいます」
涼ははっきりと答えた。
それが、涼が出した結論であり、グラハム教皇らに提案するつもりの案。
「ボードレン国というと、いわゆる回廊諸国の一つですな……住民が全て消え、国が消滅したという報告は私も受けています」
「はい。我々使節団も通過してきましたが、街の中はもちろん街の周囲にも、生きている人は誰もいませんでした」
「なるほど、そこに移住……。もともと住んでいた者たちが誰もいなくなったのであれば、その辺りの摩擦は起きないでしょうな」
コルンバーノは考えながら、何度か頷いている。
為政者として、入植の難しさを理解しているからこそなのかもしれない。
「我が共和国には、どのような利点が?」
「ミトリロ塊一千キロ、そちらが提案された一兆五千億フロリンで購入させていただきます」
「ほぉ」
涼の言葉に、正直に驚くコルンバーノ。
ミトリロ塊は貴重なものではあるが、それでも一千キロで七千億から八千億ドゥッカートであろうと共和国政府内では試算されていた。
まあ、最初の交渉だし少し吹っかけてみようと思って出した金額が、一兆五千億。
当然、この金額がそのまま受け入れられるとは思っていなかった。
それを受け入れると言う。
「ただ現在、持ち合わせが一兆フロリンしかございません。ですので、残りの五千億フロリン分は、彼らをアベル王の元に送り届けた後で、お支払いする形になります」
「ふむ」
「またその際、五千億ドゥッカートの形でお支払いさせていただくことになるかと思います。どういうことかは、深く説明せずとも理解いただけるかと思いますが」
「なるほど」
涼の言葉に、コルンバーノは頷く。
中央諸国の通貨フロリンではなく、西方諸国の通貨ドゥッカートで支払うということは、言い出しっぺのファンデビー法国に払わせるということだ。
それは、仮想敵国たる法国に五千億ドゥッカートもの損害を与えることに等しい。
共和国にとっては痛快と言っていいものだろう。
将来、議会に説明する際にも賛同を得られるだろう。
コルンバーノでも、その程度の計算はできる。
「分かりました。マファルダ共和国元首として、ナイトレイ王国筆頭公爵であるロンド公爵閣下の提案を受け入れましょう」
一週間後、買い付け一行は五百五十五柱の氷の棺と共に聖都に戻った。
聖都に入る際に守衛らに止められたり、『ホーリーナイツ』に襲われたりはしない。
教皇庁から通達があったようだ。
四人が乗った馬車と氷の棺たちは、そのまま教皇庁へと入っていった。
四人が招き入れられたのは、会議室のような部屋。
中には西方教会のグラハム教皇、ステファニア枢機卿、ナイトレイ王国のアベル王とヒュー・マクグラス王国使節団団長がいた。
アベルの前で片膝をつく涼。
「国王陛下、全て滞りなく進みましたことを報告いたします」
こういう時、涼は完璧に筆頭公爵を演じてみせるのだ。
「ロンド公、大儀」
アベルも、当然のように国王として振る舞う。
涼もアベルの隣に座り、『十号室』の三人は二人の後ろに立つ。
それを見て、グラハムが口火を切った。
「ロンド公爵の元ボードレン国への移住案は、アベル陛下から伺いました」
「はい」
「私としては、いえファンデビー法国としての正式な回答としては、その案で問題ありません」
「え……」
グラハムの答えに、逆に驚く涼。
まさか、あっさり受け入れられるとは思わなかったのだ。
「それと、五千億ドゥッカート供出の件も問題ありません」
「え……」
再び驚く涼。
それに関しても、タフネゴシエーターぶりを発揮して交渉せねばならないだろうと思っていたのだ。
しかし……。
「お金で解決できるのなら、それに越したことはありません」
笑顔で言い切るグラハム。
((いつか僕も言ってみたいセリフです))
((リョウも十分、大金持ちだろうが))
((でも五千億フロリンをポンっと出せはしません))
((うん、大金持ちでも出せないのが当たり前だ))
すぐ隣に座っているのに、『魂の響』で会話する涼とアベル。
仕方がないのだ。
グラハムは鋭いので。
「現実問題として、元ボードレンの地が誰も住んでいない状態だとあまり良くありません」
「それは、回廊諸国としての繋がりという意味合いか?」
「ええ、陛下のおっしゃる通りです」
アベルの確認に、グラハムが頷く。
回廊諸国と呼ばれる四つの国。
中央諸国に近い側から、アイテケ・ボ、シュルツ国、ボードレン国、そしてスフォー王国。
シュルツ国とスフォー王国の間にあったボードレン国がないと、回廊諸国内での東西の行き来は完全に途切れる。
確かに、商人や馬車が行きかうのはほとんど不可能なのだが、それでも上級の冒険者たちは行き来していた。
それに「ほとんど不可能」なだけで、とてもたくましい商人の行き来が全然なかったわけではないのだ。
いつの世の、どんな世界でも、お金を稼ぐために無理をする者たちはいる。
だがボードレン国がない状態だと……シュルツ国とスフォー王国の間の距離は長すぎる。
馬車で行くのは完全に不可能。
「いずれは西方諸国と中央諸国は海路によって結ばれるでしょう。しかしそれまでは、回廊諸国が必要です」
「そうだな」
アベルは頷く。
アベルの脳裏には、シュルツ国を侵略した騎馬の王アーンの名前が浮かんでいる。
現在、アイテケ・ボとシュルツ国は、アーン王が支配している。
ボードレン国の場所に、暗殺教団の国が生まれれば、それはアーン王の西進を阻むことに繋がるのではないかとグラハムは考えている……かもしれないと。
「これで、懸案は取り除かれましたね」
グラハムが確認する。
「後は、本人たちの意思です。これが一番大事です」
「それは……新たな首領、『黒』殿と言いましたか? その方を説得すればよろしいのでは? 他の方々は『黒』殿についていくでしょう?」
「ええ、まあ」
グラハムが笑顔で言い、涼は頷く。
確かにグラハムの言う通りなのだ。
暗殺教団と言うくらいなので、宗教組織的な側面を持った集団なのは確かだ。
そういう場合、教祖のような人物に人はついていく。
「その『黒』殿には、私が直接話して説得します」
「グラハムさんが?」
「きちんと深いところまで話し合えば、一致できる部分が見えてくるかもしれません」
笑顔のまま言うグラハム。
涼とアベルは顔を見合わせる。
もちろん、どちらの顔にも、それ以外の方策は書いていない。
涼は無言のままアベルに頷く。
「分かった、教皇聖下にお任せしよう」
アベルは言うのであった。
<氷棺>から出された『黒』と、教皇グラハムによる会談が行われた。
それはステファニア枢機卿すら入らない、一対一の会談。
三時間にもなる会談の後、『黒』は暗殺教団の元ボードレン国への移住を受け入れた。
部屋から出てきたグラハム。
「他の魔法陣がすでにありましたが、干渉しないようにすることはできましたね」
いつも通り、微笑みを浮かべながら呟くグラハム。
『黒』の胸に描かれた双頭の鷲を貫く剣の魔法陣に紛れて、星型の魔法陣が描き加えられていることに気付くものは誰もいない。
しかし、その魔法陣は起動していない。
「保険として『星』を胸に打ち込みましたけど、必要なさそうです。愚直なほど真面目、教団の者たちの安全が全て……。それを教皇として保証してやり、新たな国として動き出せば、暗殺者集団として活動する必要はない……理を説くだけで納得してもらえましたし」
そこで、グラハムはクスリと笑う。
「重要なのは、共和国を含めた他国が、彼らを暗殺者として使わないこと。そもそも、新たな教会に暗殺者は必要ありませんから。リョウさんは、暗殺教団を我々が利用することを懸念していましたが……いや、アベル王もですか。気持ちは分かりますけど、もう西方諸国では、そんなものは必要ないのです」
その後、ファンデビー法国の保護国として、新生ボードワン国の建国が宣言されたのだった。
本日で「第四部 第五章 ミトリロ塊を求めて」は終わりです。
明日より、ついに「第四部 最終章 暗黒戦争」が始まります。
いつものことですが、「最終章」は結構長いです。