0815 教皇の提案
文字通り、森を一気に突っ切る涼。
何本かの矢と魔法が飛んできたが、<アイスウォール10層>に全て弾かれる。
暗殺者たちが涼の前に出て、その侵攻を妨害できたのは屋敷の入口前だった。
前に出たというより、そこを通らざるを得なかった涼が現れた、というのが正解なのだが。
「<アイシクルランス32>」
先端を丸めた三十二本の氷の槍が、暗殺者たちの顎と腹を撃つ。
十六人の暗殺者が瞬時に倒れるが、ただ一人の女性だけが無傷。
それは涼が攻撃しなかったからだ。
なぜ攻撃しなかったのか?
それは、知った顔だったから。
「こんにちは、ナターリアさん」
そう、涼の目の前で前首領『ハサン』に死に至る攻撃をした、恐らくは現首領『黒』の側近でもあるはずの幹部。
トワイライトランドにおける使節団への襲撃の指揮を執っていた幹部。
「なぜ、貴様がここにいる……」
ようやく、そしてゆっくりとナターリアの口から漏れた言葉は、震えていた。
仕方あるまい。
ナターリアは涼の凄まじさを知っている。
たった一人で、王国にあった教団の村を壊滅させ、前首領と互角以上に渡り合ったのだ。
ナターリアが知る限り最強の男である前首領……そんな男と互角に戦える者など、恐怖以外の何者でもない。
だが、その恐怖そのものの人物は中央諸国、ナイトレイ王国にいたはずだ。
断じて、この西方諸国ではない。
「知らないんですか? 中央諸国から、つまり王国も使節団を送ってきていることを」
「聞いてはいたが……」
「それですよ」
涼が肩をすくめて答える。
その言葉を理解し、苦虫を嚙み潰したような表情になるナターリア。
彼女は覚えている。
トワイライトランドで、目の前の恐怖の男との間に交わした約定を。
ナイトレイ王国に手を出したら、『黒』と新たな暗殺教団を壊滅させる。
そう言われた。
だが、手を出さなければ見逃すと……。
「約束通り、我が教団はナイトレイ王国には手を出していない!」
「鉱石は僕たちナイトレイ王国が買い取ることになっているのです」
「馬鹿な……」
「だから、退いてください」
「そ、そういうわけには……」
狼狽するナターリア。
暗殺教団の前首領は、驚くほど錬金術に秀でていた。
その下で育った者たちの中にも、非常に優秀な者たちがいる。
彼らは苦労しつつも、手に入れた隠蔽のブレスレットや融合魔法のブローチを分析し、同じようなものを作ることに成功した。
どちらも、暗殺者にとっては喉から手が出るほどに欲しいものだ。
可能なら、全員に装備させたい……。
魔石はどうにかなる。
時間はかかるし手間もかかるが、手に入らないわけではない。
だが、もう一つの重要品……ミトリロ鉱石は、そうはいかない。
産地は暗黒大陸。
その暗黒大陸でも、現在は交易ルートにのることはなくなっている。
お金をいくら積もうが、手に入らないもの。
どうするか?
西方諸国内で手に入れるしかない。
だがそもそも、一般の間で流通するものではない。
政府間取引が主だが……ここ数年、その取引も行われていないらしい。
そんな中、マファルダ共和国が精錬したミトリロ塊を持っているという情報を掴んだ。
まだ流通していた時代に大量に購入し、精錬して保管していたもの。
共和国は西方諸国内では異質な国。
西方諸国の中心ともいえる西方教会の総本山ファンデビー法国とは、長年の対立関係にある。
そのため、西方諸国の多くの国々と表立っての交易が少ない。
そういう事情もあって、ミトリロ塊は長い間、共和国内に保管されたままになっていた。
暗殺教団は、それを狙った。
もちろん、共和国という国家を敵に回すことになる。
しかも、西方諸国に置いた新たな拠点は、その共和国にある森の中……。
だが、それでも、教団の新たな発展のためには必要なもの。
最終的には、拠点を捨てることになっても、手に入れるべきもの。
新首領『黒』はそう判断をくだした。
「<スコール><氷棺>」
涼が唱えると、ナターリア以外の十六人が氷漬けになった。
それを見て、顔を引きつらせるナターリア。
はっきりと、恐怖を思い出す。
「退いてください」
「くっ……」
ナターリアは判断に迷っていた。
一方その頃、ファンデビー法国聖都マーローマー。
そこにある王国使節団の宿舎一階で、ちょっとした騒ぎが起きていた。
「グラハム……?」
「ああ、マクグラス団長、いいところに」
突然の教皇の来訪である。
驚くなという方が無理だ。
たとえ道路の向こう側が教皇庁だとしても。
「アベル陛下に至急お会いしたい。取り次いでいただけますか」
「え、いや、しかし……」
「先ほど、ゴスロン公国との会合から戻ってこられたのは存じ上げております」
はっきりと言い切るグラハム。
居留守など使えないということ。
「はあ……分かった、ちょっと待ってくれ」
ヒューはそう告げると、アベルの部屋に向かった。
「ロンド公爵がどちらにいらっしゃるかは把握しております」
「そうか」
「もちろん、それについて責めるつもりはありません」
「当然だな」
アベルは頷く。
主権国家として、ナイトレイ王国の動きを掣肘することは誰にもできない。
「共和国が保有するミトリロ塊をナイトレイ王国が購入するために、筆頭公爵であるロンド公爵を派遣された」
「答える必要を認めんな」
グラハムの言葉を、軽く受け流すアベル。
この程度は、三年以上国王をやっていれば日常茶飯事。
「正直申しまして、王国の動きは法国にとってありがたいものです」
「ほぉ」
アベルの反応が少し変わる。
なぜ、わざわざそんなことを言う?
なんのために、こちらに伝える?
ほとんど一瞬で答えに辿り着く。
「つまりこちらの動きを見逃しているのは、ミトリロ塊を共和国に置いておく方が、後々面倒なことになるかもしれんということか。多少の金が共和国に流れても、強力な錬金道具の材料となりうるミトリロ塊は、西方諸国内に置いておきたくないと」
「解釈はお任せします」
アベルの説明を否定しないグラハム。
まだ今のところは、マファルダ共和国はミトリロ鉱石を使っての強力な錬金道具の作成はされない……例えば隠蔽のブレスレットや融合魔法のブローチなどは。
だがいずれ、どこからかブレスレットなどを手に入れて研究が進み、模倣品を生み出す可能性も無いとは言えない。
その時に、大量のミトリロ塊があると困る。
だから、中央諸国にミトリロ塊を持っていってもらいたい。
それは想定内の動きだった。
しかし今になって、しかも急に王国宿舎にやってきたということは、想定していなかった何かが起きたということ。
あるいは予想外の情報が入ってきたということ。
「それで、今回の急な来訪の理由を聞こう」
「現在、共和国軍による暗殺教団の本拠地への攻撃が始まっています。その中に、ロンド公爵……リョウさんたちも加わっています」
「そうだとしても、俺はリョウを罰するつもりはない。王国にとって最善と思われる行動をとった、その結果だと信じているからだ」
アベルははっきりと言い切る。
「ええ、もちろん法国もそこに難癖をつけるつもりはありません。残りのミトリロ塊の回収を助け、金額交渉などでも有利に運びたいという考えもあるでしょう。そこは良いのです」
「ふむ、ならば何が問題なのだ?」
「暗殺教団の者たちとはいえ、命を奪うのは人道的にどうかと思うわけです」
「……は?」
グラハムの言葉の意味を、理解しそこなうアベル。
人道的?
もちろん、それが建前であることは誰でも分かる。
だが、なぜそんな建前が必要になる?
「説明を続けてもらえるか」
「一方的に虐殺をするべきではないと、西方教会の教皇として思うわけです」
「……つまり、ミトリロ塊の回収は構わんが、暗殺教団の連中を殺すなということか。それは連中の特殊技能……暗殺の技術を失わせるのがもったいない? ああ、もっと直接的に手に入れたいということか? なるほど」
アベルは自分で言っているうちに、グラハムの考えを把握していく。
確かに、暗殺教団の者たちが持つ『暗殺技術』は、一部の者たちにとって……特に国家権力の中枢にいる者たちにとってよだれが出るほど欲しいものかもしれない。
アベル自身は、そうは思わないが……理解はできる。
グラハムはそれを、人道的にどうだこうだと建前をつけているのだ。
「彼らを安全に、生かし続けることができる……そういう表現に変えていただけるとありがたいのですが」
「表現を変えても中身は変わらんだろうに」
アベルは肩をすくめる。
より現実に起きそうな、そして起きてしまったら大変なことになる物事を考える。
「彼らを生かしたのに、結局、暗殺に使うようなことがあれば、リョウは怒るぞ? あいつはお前さんや俺が想像している以上にお人好しだが、怒ると怖い。ああ、リョウが怒った姿を思い浮かべるくらいなら、世界全てが敵に回る方がましって思うぞ。あれは、マジで」
「承知しております。アベル陛下は少し誤解されているようですが、私は、彼らを暗殺者として使う気はありません」
「なに?」
「むしろ我が法国はもちろん、他のどの西方諸国の国々も……もちろん共和国を含めて、彼らの暗殺技術を今後、使わないようにしたいのです。そう、多分リョウさんならこう言うでしょう……まっとうな生活を送ってもらいたい。その方策があります」
グラハムは、正面からアベルの目を見て言う。
アベルの理性は、その目は嘘をついていないと判断する。
しかしアベルの感情は……グラハムを心の底から信じてよいとは、自信を持てない。
だが結論として、グラハムの提案を受け入れることによって、ナイトレイ王国の損にはならない……。
グラハムを隣室に残して、アベルは『魂の響』を繋いだ。
((ああ、リョウか。忙しいのは重々承知だが、少し聞いてくれ))
((アベル! なんてタイミングで繋げてくるんですか!))
涼が驚いているのがアベルにも分かる。
それも当然だろう。
今、涼は、ナターリアを説得しているのだから。
((グラハムからの希望を伝える。暗殺教団の人間は、できるだけ生かしたまま法国に連れてきてほしい、だそうだ))
((はい?))
((暗殺教団の人間だからといって殺すのは忍びない、ということらしいぞ))
((絶対、何か悪いことを考えていると思いますよ?))
((ああ、考えているだろうな))
((それなのに、その片棒を担げと?))
((暗殺教団の連中を、全員殺すよりはましだろうと言われた))
((そりゃあ、人の命は何よりも大切なものですけど……))
アベルも涼も、いろいろ納得はいっていない。
しかし……暗殺者とはいえ、人。
今後、悪いことをしないで生きていく、その道があるのなら……まっとうに生きてほしいのは確かだ。
((シャーフィーは更生しました。だから不可能ではないと思います。それでも……))
((ああ、簡単ではないだろう))
涼もアベルも現実主義者だ。
そんな時、涼の頭に、一つのアイデアが浮かんだ。
((ボードワン国に、この人たちを移住できないでしょうか))
((ボードワン? 中央諸国と西方諸国の間にあった、あの滅びた国か?))
((西方教会だけが知る場所に匿う……ある種の軟禁ですと、教団の人たちの人権は無いと思うんです。でも曲がりなりにも国として存在すれば……例えば法国の保護国としてでも良いと言えば、グラハムさんも飲むのではないかと))
((なるほど))
一瞬だけ考えて、アベルも頷く。
最初は荒唐無稽なアイデアだと思ったが、案外悪くないのかもしれない。
実行すれば、いくつも問題が出てきそうだが……国の運営など、毎日問題が山積するのが当たり前。
そう考えれば……。
((分かった。グラハムには、その方向で俺が交渉する))
((こちらはこちらで、全力を尽くします))
アベルと涼は『魂の響』を通して頷くのだった。
「そういうわけで、命を取るのはやめました」
「……は?」
『魂の響』での会話が聞こえていないナターリアは、素っ頓狂な声を出す。
「代わりに、氷の中に入っておいてください。<スコール><氷棺>」