0790 暗黒大陸の底力
「さすがはアベル陛下、お見事」
「グラハム聖下、代わってくれてもよかったのだぞ」
「いやいや、私も勉強させてもらおうと思いまして」
グラハムが笑いながら答える。
アベルは、少し前からグラハムが見ていることに気付いていた。
「聖別した剣で首を斬り飛ばし、心臓を貫けば消滅させられると聞いたんだが、別に俺の剣は聖別とかされていないんだよな。魔剣ならいいのか?」
「いえ、聖剣ならともかく、魔剣ではヴァンパイアは消滅しません。ですが、シオンカ侯爵は確かに消滅しています」
「……何でだ?」
アベルは首を傾げて、自らの愛剣を見る。
いつも通り、赤く輝いているだけだ。
ただ、昔に比べると、白い輝きが加わっている気がしないでもないが……。
「陛下の剣は、王城の宝物庫にあったのを持ってきたとか」
「ああ、そうだ。だから、正確な銘も来歴も知らん。ただ、時々、人外の連中がリチャード王が使っていた“エクス”とかいう剣と関係がありそうなことを言うんだ」
「ナイトレイ王国中興の祖と言われる方ですね。私も名前だけは知っていますが……それが関係するのかもしれませんね」
「さてな。王家の伝承には、リチャード王の剣として“エクス”という名の剣は記されていない。だから、連中が言うのがどこまで本当なのか……」
アベルは小さく首を振る。
愛剣の名前も来歴も知らない。
秘めた力のようなものも知らない。
だが、まだ剣の力を全て出し切れていない気だけはしている。
「まだまだ、俺はこいつに認められていないようなんだ」
「アベル陛下ほどでも? それは……そこらの聖剣よりも厄介ですね」
「違いない」
グラハムもアベルも笑う。
聖剣は、主と認めない人物が握れば命を奪い取ってしまうこともあると言われている。
魔剣は、そんなことはない。
つまり、魔剣に比べて聖剣はわがままなのだ。
まるで、自らに意思があるかのように振る舞う。
そう考えると、アベルの剣は、見た目は魔剣だが聖剣に近い気がする。
「国に戻ったら、ケネス辺りにちゃんと調べてもらうべきか?」
ケネス・ヘイワード子爵は、王立錬金工房の主任研究員で、天才錬金術師の名をほしいままにする人物だ。
魔剣や聖剣は、錬金道具の最高峰と呼ばれることもある。
どうやって造られるのか……それを知る者はいない。
魔剣も聖剣も、昔からあった。
決して壊れないために、今もあり続けている。
どれほどの鍛冶師でも、天才と呼ばれる錬金術師でも、魔剣や聖剣を生み出すことはできない。
だから、魔剣持ちや聖剣持ちは、それだけで注目される……場合もある。
「私も、一時的に聖剣を扱ったことがありますが……一時的に扱える者と、きちんと主として認められた者とでは、発する光が違っていました」
「ああ……あれだな。前教皇の就任式の時のやつだろう。『十号室』のニルスとアモンが聖剣を振るったという報告書を読んだ覚えがある。そういえばその時、霧を斬っていたんだったな」
「はい。お二人……エト殿にリョウ殿も含めた四人には、助けられました」
「リョウは別枠だが、あの三人は昔から筋が良かったからな。想像を超える速さで冒険者ランクを駆け上がったし、今では、その聖剣を正式に引き継いでるんだろう?」
「はい。西方教会の名の下で、正式に譲渡されています」
「たいしたもんだ」
アベルは少し嬉しそうに頷く。
ルンの街にいた時から、『十号室』の三人がF級だった時から知っている。
そんな三人が、一流どころか超一流の仲間入りをしようとしているのだ。
後輩思いのアベルにとって、こんなに嬉しいことはない。
アベルは、消滅させた跡を見ながら尋ねる。
「今のが、教会が追ってきていたシオンカ侯爵だろう?」
「はい」
「そいつを消滅させたってことは……法国艦隊は国に戻るのか?」
「いくつか事後処理は必要でしょうが、最終的には戻るつもりです。ですが、ここは暗黒大陸中央。四千メートルもの断崖絶壁の上。そこから降りる方法が見つからない限り……」
「中央部に釘付けだな」
グラハムの答えにアベルも頷く。
対象は討伐できたが、全く想定外の場所で討伐した。
まさか、そこから出る方法が見つからないとは……。
一方、第三守備隊と涼は。
「向こうは……大丈夫でしょうか」
モーラ隊長のその呟きは、誰に対して言ったものでもなかったが、全員の耳に聞こえた。
とはいえ、第三守備隊の他の四人は答えようがない。
この場で答えられるのは一人だけだ。
「あっちは百人くらいいますからね。アベルがミスっても、スコッティーさん率いる王国騎士団は精鋭ですし、グラハムさんの護衛に至っては異端審問官ですから、よほどのことは起きないでしょう」
「グラハムさん?」
涼の答えの中に、聞き覚えのない人名があったために、モーラが首を傾げる。
そう、普通の人は、教皇の実名など知らない。
「ああ、西方教会の教皇様です。元々ヴァンパイアハンターで、個人戦闘能力もすごく高いのです」
「今の教皇様は、勇者パーティーの聖職者として魔王を討伐した一人だと聞いたことがあります」
「ええ、ええ。その人です」
アンジュリの言葉を肯定する涼。
とはいえ、魔王ナディアが生きていることを知っているし、あまつさえ勇者ローマンと結婚して中央諸国にいることも知っている。
「いろいろ、あったのです」
涼だって、外に漏らしてはいけない情報くらいは分かる。
少なくとも魔王が生きていることは言うべきではないことくらいは。
「その勇者パーティーの時に、ナイトレイ王国に来たことがあるんです」
「そうなんですか!」
涼とモーラの会話に、他の四人も聞き耳を立てている。
「様々な行き違いがあって、王都の路上で、アベルと勇者ローマンが死闘を繰り広げました」
「え……」
突然の涼の話転換、絶句するモーラ。
他の四人も、全員が足を止めて涼の方を見る。
「悪い貴族の策略にはめられたのです。あれはものすごく激しい剣戟でした」
「吟遊詩人にも謳われるアベル陛下と、勇者様の戦い……」
「畏れ多いけど……」
「ちょっと見てみたかったかも」
モーラもアンジュリもオミンも同じ気持ち。
ミニとパラスは無言のままだが、何度も頷いている。
第三守備隊の五人は、さすが守備隊というだけあって熾烈な戦闘を見てみたかったらしい。
「その二人の戦いは……最終的にはどちらが勝ったのですか?」
「引き分けです」
「おぉ……」
「クレープが王都に平和をもたらしました」
「くれーぷ?」
涼が厳かに言うが、クレープという言葉にモーラは首を傾げる。
中央諸国であれほどの、不気味なまでの広がりを見せていたクレープ屋であるが、さすがに暗黒大陸にまでは、その足跡は及んでいないらしい。
そう思われたのだが……。
「あれですよね、薄い生地にクリームと果物を入れた甘い……」
「なぜ知っている!」
ミニの言葉に、心の底から驚く涼。
同時に、体が震える。
それはミニに対してではない。
暗黒大陸にも進出していたクレープに対してだ。
「この大陸の南部に、昔からあるおやつです。私、親の仕事の都合で、小さい頃、南部にいたことがあるので」
「ああ、ミニ言ってたね。くれーぷは美味しいって」
「南部のおやつなんだ」
ミニの言葉にパラスが頷き、オミンが新たな知識を得る。
しかしここに一人、よく理解できていない涼という人物がいる。
「クレープが、暗黒大陸の南部に昔からある?」
「はい。高級な部類のおやつなので、毎日食べるのは難しいですけど……」
涼の確認に、ミニが答える。
「南部に行った時に確認せねば」
涼は頭の中のチェックリストに書き込んだ。
まあ涼のチェックリストは、大体において忘れ去られてしまうのだが。
「ミニさんは、この大陸西部とかではクレープを見たことは?」
「いえ、ありません。北沿岸部にも行ったことありますけど、そこでも見ませんでした」
「やっぱり」
「むしろ、リョウさんが知っているのが不思議です」
「実は王国では、謎のクレープ屋さんが跋扈しておりまして……」
涼は、多くの場所で見かけたクレープ屋に関して説明した。
王国だけでなく、デブヒ帝国でも見かけた、あのクレープ屋。
どこでも、バナナとクリームの黄金配合だった……。
「まあとにかく、とても美味しかったです。クレープは食べた人を幸せにします」
「ですよね!」
クレープの味とその影響力に意気投合する涼とミニ。
味を知らないために、他の四人は二人を見守るしかない。
「僕が出会ったクレープ屋は、クリームとバナーナを中に入れてました」
「バナーナ! うんうん、その組み合わせもありました! 美味しいですよね~」
「ミニさんが知っているクレープは、他の配合も?」
「はい。クリームは必ず入っていましたけど……バナーナ以外にも、リンドーとかモモーとかもありましたね。あと、ショコラ」
「え……」
最後の単語に絶句する涼。
ショコラ……つまり、チョコレート。
「ショコラって、黒くて甘い……」
「はい。クリームにバナーナにショコラの組み合わせが一番人気でした」
「チョコバナナクリーム……」
涼の知らないところで、鉄板の組み合わせが再現されていたようだ。
ショコラが『ファイ』にも存在することは知っている。
西方諸国、マファルダ共和国で宿泊したお宿『ドージェ・ピエトロ』のラウンジで、ケーキにかかっていたのを食べた。
確かに中央諸国では見た覚えはなかったが……。
西方諸国にあったのだから、暗黒大陸にあってもおかしくはない……そんな気がする。
「いつか、その鉄板を食べてやるです」
涼は秘かに決意したのだった。
一行は歩を進め、いよいよ尖った山をはっきりと見える辺りにまで進んできた。
現在は森の中。
「焼け焦げた跡が、たくさんある」
「自然に火の手が上がって燃えたようには見えないね」
モーラ隊長とアンジュリ副隊長が、炭化した木を見て意見を述べ合う。
「一直線に炎が通ったみたいな……」
「火属性の攻撃魔法?」
「魔法使いがいるのかも」
ミニとパラスと治癒師オミンが可能性を指摘する。
「ここまでで遭遇したのは、全部魔物だったけど……」
「人や高度な知能を持つ者たちがいるのかも」
モーラとアンジュリの言葉に、他の三人が頷いた。
涼は無言のまま、炭化した木を見ている。
いや、場所によっては、炭化というより融けているというべき。
「すごく熱い火?」
そう呟いた次の瞬間。
「<アイスウォール10層>」
ガン、ガン、ガン、ガン。
涼が瞬間的に張った氷の壁に、炎の塊四つがぶつかる。
そして、<アイスウォール>が消滅した。
「馬鹿な!」
驚く涼。
だが、すぐに冷静になる。
「<アイスウォール10層> まず、森の中から出ましょう」
守り、提案する。
火が移り、枯れ枝などが燃え広がっている。
このまま森の中にいても良い事など何もない。
「左手へ。森が切れてる」
「リョウさん、走ります!」
「大丈夫、全員をカバーします」
アンジュリが確認し、モーラが言い、涼が答える。
六人は、ほぼ全速力で走って森を出た。
「<アイスウォール10層>」
再び氷の壁を張る。
「何かが森の中にいます」
「こっちに歩いてくる」
モーラとアンジュリが緊張した声だ。
涼は驚いている。
たった四発で、<アイスウォール10層>が割れたからだ。
普通の魔物はもちろん、人間の魔法使いでもそんな攻撃力はない。
いや、ヴァンパイアの魔法でもそこまでの破壊力はない。
つまり、それ以上の魔法を放つ……。
森から出てきた巨体が見えた。
「熊?」
「赤い……熊?」
「普通じゃない」
「あれが炎を放ったの?」
「初めて見た……」
モーラ、アンジュリ、ミニ、パラスそしてオミン……五人とも初めて見たのだ。
ただ一人、見覚えのある涼を除いて。
本日2025年3月19日、『水属性の魔法使い 第三部 第一巻』の発売日です!
皆様、すでに手に入れられましたでしょうか?
天野先生による、異国情緒あふれる素敵な表紙……良いですよね!
書籍の後ろの方に載っていますが、次巻『第三部 第二巻』の発売は2025年夏です。
楽しみにお待ちください!