0079 三日目
ウィットナッシュ開港祭、三日目。
ついに、ニルスとアモンの勝負の日が来たのだ。
朝から気合いを入れていた二人は、『第三十回二人乗りボート周回 冒険者の部』の会場に向かった。
だが、そこで衝撃の光景が繰り広げられた。
「なんで、てめぇがいるんだ」
「あ? それはこっちのセリフだ」
そこには、ギルド宿舎一号室のダンもエントリーしていたのである。
その光景は、観客席にいる涼とエトからも見えていた。
「やっぱり、あれはダンですね」
「ニルスがぶつかってるもんね」
ニルスの態度によって、二人は確信したのだった。
二人から少し離れたところに、ダンの取り巻き達もいた。
取り巻きは全員男だったはずなのだが、その中に一人女の子がいることに涼は気付いた。
(あれ? あの子は確か……宿舎の中庭でダンが助けた子……そうか、ダンのパーティーに入ったのか。すごくダンを心配そうに見ているけど、まさかダンに惚れた……?)
涼は小さく首をひねった。
「どうかした?」
それを見て、エトが涼の視線を追う。
「ダンの取り巻き?」
「ええ、その中に女の子がいるでしょう? 以前、ダンが助けてやった子みたいなんです」
「ほほぉ~。あれは、二号室のサーシャです。私と同じ神官なので知っていますよ。まだ十六歳のはずですが、けっこう優秀です。ただ、二号室の他の子たちは、E級のパーティーにそれぞれスカウトされて行ったんです。サーシャも誘われていたはずですが……あの様子だと、ダンのパーティーに入ったのかな。あそこは、元々神官がいなかったから、サーシャが入ったなら、とてもバランスのいいパーティーになるでしょう」
エトはさすが、宿舎の内情にもいろいろと詳しかった。
そんなことを話している間に、『二人乗りボート周回 冒険者の部』が着々と準備を整えつつあった。
大会が準備するボートに、四本のオールを持って、二人一組で乗り込み、基本的にオールを漕いで四百メートル沖合のブイを回って帰ってくるというシンプルなものである。
ただし、半ばのブイを越えた瞬間から、他のボートへのオールによる攻撃が可能となる。
魔法の使用と共に、他のボートに乗り込むのは禁止。
両足の踵からつま先までは、自分の船から外に出てはいけない。
また、オール以外の武器の使用は不可。ただし、己の肉体はその限りではない。
ルールがシンプル、それでいて暴力的ということで、毎回根強い人気を誇るイベントである。
第三十回ということは、ざっと百五十年の歴史を誇るのだ。
全三十艘が位置に着く。
「レディ……ゴー!」
一斉にオールを漕ぐ全三十艘。
とにかくブイまでの前半は、他の船への攻撃は不可。
ひたすらブイに向かって漕ぐ。
だが、ここで少し考えて欲しい。
二人乗りのボート……実際に乗ったことが無い人であっても、写真や動画で見たことがあるだろうか……漕ぐ人は、どんな乗り方をしているか?
そう、進行方向に背中を向けて、オールを漕ぐのだ。
そうじゃないのもある? そんなボートは用意されていない。
これはエンターテイメントなのだから、観客が喜ぶ光景を……海上の格闘技的な光景こそが望まれる絵なのである。
基本的に一人が漕ぎ、もう一人が方向を指示する……そういう風に説明され、それに適したボートが用意されるのだが……たいてい、そんなに上手くいくわけないのだ。
進む方向が見えないまま漕いでいけば……他の同じようなボートとぶつかる。
接触、乗り上げ、怒号……海上は阿鼻叫喚の渦巻く戦場となる。
この大会は、海中に落ちても、自力で船に戻ればそのまま再開できる。
ただ、気絶状態で海中に投げ出されたりすれば、海中に待機している大会委員に救い出され、失格となってしまうのだ。
なんとも恐ろしい絵が、そこには存在していた。
「お金に釣られなくてよかった……」
「エト、神官の力が必要じゃないですかね」
「あ~、我が力及ばず……残念です」
観客席の涼とエトは、うわ~と言いながらその地獄の光景に見入っていた。
そんな二人から少し離れた観客席で、やはり地獄の光景に見入っている帝国の四人がいた。
「聞きしに勝るハードな競技ね」
帝国皇帝魔法師団長にして皇女であるフィオナは、目を大きく見開いたまま感想を口にした。
「魔法無しというのが辛いですね」
「魔法ありだったら、一瞬で終わってしまうだろ……」
副官ユルゲンと副長オスカーの会話は物騒であった。
「師匠……誰もが師匠の様に強力な魔法を放てるわけではないのですよ?」
「いや、団長がやっても、結果は同じだろう?」
フィオナの指摘に、オスカーはいかにも心外だと言わんばかりに反論した。
誰が聞いているともしれないため、いつもの『殿下』ではなく『団長』と呼んで。
「どちらにしろ、攻撃はオールのみです」
副官兼メイドのマリーが不毛な会話を収拾する。
「それにしても、団長はそのくれぇぷ、相当気に入ったのですね。昨日も食べてましたよね」
団長フィオナが美味しそうにくれぇぷを頬張るのを見て、マリーが意外そうに言った。
二年近く、フィオナのお世話をしているが、フィオナが食にこだわった姿を見たことがなかったからである。
嫌いな食べ物は無いが、好きな食べ物も特に無い。そういう印象だったのだ。
「うむ、これは美味しいぞ。ぜひ、演習場でも提供できるように……」
「無理です」
言下に却下したのは、副長オスカーであった。
「し、師匠、そこをなんとか……」
「そもそも、演習場は訓練と演習を行う場です。食べ物も厳選して、健康にいいものだけを食堂で出しています。甘味は対象外です」
副長ではあるが、フィオナにとって魔法の師匠でもあるオスカーの言葉は絶対である。
絶対ではあるが、くれぇぷは諦めきれなかった。
「ならば、城にくれぇぷ屋を呼び寄せよう……」
そんな呟きは、オスカーの耳には届かなかった。それとも敢えて、届かないふりをしていたのか……。
「ま、まあ、本当に美味しい露店がいっぱいありますよね」
なんとかまとめたのは、副官ユルゲンであった……。
海上では、戦いが佳境に入ろうとしていた。
ついに、先頭の二艘が半ばのブイを越える位置に達したのである。
「あれは……ニルスとアモンですよね……」
「もう一艘はダンたちだね……」
観客席の涼とエトは、しぼりたてオレンジジュースとリンドージュースを飲みながら海上を見ていた。
因縁深きニルスとダン、この二人のボートが先頭争いをしていたのである。
いや、そうなるように両者が頑張ったのではあるが。
アモンが漕ぎ、ニルスが船上に立ち上がる。
それに合わせて(?)ダンも船上に立ち上がった。
そして睨み合う。
ニルスが何か声を上げるのに合わせて、アモンがボートをダンのボートにぶつかるほどに寄せる。
そこから始まるオールでのどつき合い。
叩く、突く、叩く、叩く、叩く……。
「ニルスもダンも、揺れるボートの上なのにすごいですね」
「さすがは剣士!」
涼とエトだと、ボケボケの組み合わせになるらしい。ツッコミ不在。
E級とはいえ、剣士同士のどつき合いは、すでにオールは一本砕かれ、二本目のオールでの戦いとなっている。
その間も、船は少しずつ前に進んではいるが、無駄な戦闘を避けた他の船に追い越されていく。
だが、観客席の歓声はニルスとダンが独り占めである。
「いいぞ~ ぶんなぐれ~ 突き落せ~」
「そこだ、右からフェイントいれて、一気に突け!」
「上から、叩け叩け叩け」
「船に穴開けて沈めちまえ」
「オールなんていいから剣で斬れ~!」
「動きから二人とも剣士と見た! ならば、袈裟懸けからの無拍子切上げ、燕返しで倒して見せよ」
実に様々な歓声が飛び交っている。
そして、ついに叩きあった瞬間、二本目のオールが二人ともほぼ同時に砕けた。
「おぉ~!」
盛り上がる観客席。
お互い無手となれば……当然、殴り合いである。
だが……別々のボートで、別々の揺れであるため、見事なまでに拳が当たらない。
ニルスもダンも、さすがは剣士、それを理解したのであろう。
どちらからともなく、お互いの右手と左手を組み合って、力比べへと移行した。
プロレスでいうところの、ロックアップというやつである。
力自慢のレスラーが、リング中央でがっしと組み合う様は、男と男の意地の張り合い。
それは、動きが無いのに、見る物を興奮させる不思議な熱量を持っている。
それは、この海上でも同じであった。
そして……二人のロックアップは、優劣がつかない。
だが、それを見る観客たちは、先ほどまで以上に盛り上がっていた。
「あ、先頭がゴールしてしまいました……」
「まあ、最下位か下から二位は確定ですね」
エトと涼は、ニルスとダンの力比べに全く熱くなっていなかった。
もちろん、パーティーメンバーとしてニルスを応援しているのは揺るがない。
だが……まあ、それだけと言えばそれだけなのである。
そして、破局は突然訪れた。
組み合った手と、上半身は全く動かなかったのであるが、足元は違った。
揺れる船上……船というよりボート……二人の踏みしめる圧力に、ボートが耐え切れず、割れた。
ザボンッ
海中に投げ出される四人。
船が割れているため失格である。そう判断し、すぐに大会委員たちが回収に向かうが……向かった先でも、つまり海中でもニルスとダンは組み合っていた……。
「大会から特別賞が、観客を沸かせた二チームに授与されます」
ニルスとアモンは、ダンのチームと共に、めでたく特別賞を受け取った。
一チームあたり一万フロリン。
「ニルス、アモン、おめでとう」
「無事戻ってこられて良かったよ」
涼とエトも、心から拍手を送った。
ニルスもアモンも、いろいろ不満であったようだが……一万フロリンをもらうと、笑顔になった。
現金の力とは、かくも恐ろしいものなのだ。
そして午後、三胴船レインシューターのお披露目航行が行われる。
十号室の四人は、特別賞としてもらった一万フロリンもさっそく食べ物に変え、準備万端で来賓席の横に場所を確保していた。
なぜなら、そこが一番、船が見える場所だからである。
「何でリョウたちがそこにいるんだ……」
来賓の中で、一番端の席に着いたルンの街のギルドマスター、ヒューは、ごく小さな声で囁いた。
「ここが、一番いい場所だからです」
涼の、とてもまともな、そして非常に正確な回答であるが、ヒューが問わんとしている意味からは全く外れた回答でもあった。
「そ、そうか……」
前日からの会談、会合の連続に疲労を蓄積させているヒューは、力なくその回答を受け入れる。
「で……そっちのニルスは、何を涎を垂らしそうな感じで見ているんだ?」
ヒューは、来賓席の方を食い入るように見ているニルスが、そんな状態である理由を涼に尋ねた。
「あちらの、美人な皇女殿下を見ているだけです」
「そうか……くれぐれも手を出すなよ。間違いなく国際問題になるからな」
「爆炎の魔法使いに焼かれますかね」
涼は、リンとリーヒャが言っていたことを思い出しながら尋ねた。
「よく知ってるな。爆炎の魔法使いは、あの皇女様の部下として、この街に来ている。名前はオスカー・ルスカ男爵。その功績により、平民から貴族に取り立てられた元冒険者だ」
そんなことを話している間に、レインシューターが港湾内に入って来て、来賓席の前をゆっくり走り始めた。
「おぉ」
「なんと美しい」
「まさに船の革命」
あちこちから称賛の声が漏れる。
それは、十号室の四人も例外ではなかった。
「やっぱ綺麗だな……」
「流れるように進んでいるね」
「乗ってみたいですねぇ」
「なぜ、ジェットとウォータージェットのハイブリッドなのだろう」
ニルス、エト、アモン、涼それぞれ言葉は違うが、『感嘆』を表現したものである。
最後の涼の言葉も……ある意味『感嘆』なのである。
そして横から聞こえた、ある種無粋な言葉も、『感嘆』であるに違いない。
「建造費三千七百億フロリンは伊達じゃない……」




