0772 人を育てる理由
ファンデビー法国艦隊はヴォンの港を出港した。
艦隊の中心にいるのは、教皇御座船アークエンジェルと、スキーズブラズニルだ。
スキーズブラズニルの甲板上では、今日も国王陛下が剣を振るっている。
当然、王国騎士団もグループに分かれて剣を振るっている。
その中でも最も気合いが入っているのは、ある中隊長。
「ザック、気合いが入っているな!」
「昨日の教皇……聖下の剣を見て、気合いを入れなおしました!」
アベルが声をかけ、ザックが返す。
そんな光景を見て、満足そうに頷く筆頭公爵。
もちろん涼は、気合いを入れることに関して何も貢献していない。
それなのに、なぜかとても偉そうだ。
そんな涼は何をしているかというと、氷の板を目の前に並べていじくっている。
錬金術に勤しんでいるらしい。
「やはりホーリーナイツは強そうでした。西方諸国最強の名は伊達ではありません。我がゴーレム軍団も負けてはいられないのです」
などと呟きながら。
とはいえ、頑張っていても休憩はとられる。
当然のように、涼の前の氷のイスに座るアベル。
当然のように、その前に出されたコーヒーを飲む。
「ん? 冷たい?」
「ええ。アベル、体を動かして汗をかいたでしょう? そういう時は冷たいものが欲しくなるじゃないですか。だから今回はアイスコーヒーにしてみました」
涼が得意そうな顔で答える。
確かにいつものコーヒーに比べて、入っているコップが大きい。
コップというより、グラスと言うべきであろう。
ちなみに、氷は入っていない。
氷が融けると薄まってしまうため、コーヒーそのものを冷たくしたのだ。
「全ては水属性魔法の大いなる力によるものです」
「お、おう……すごいな水属性魔法」
涼が舞台俳優のような言い方をし、アベルが賞賛する。
アベルはアイスコーヒーを飲みながら、並走するアークエンジェルを見た。
「ヴァンパイアを信仰する宗教とかもあるんだな」
「ああ、昨日のヴィーラ教でしたっけ」
アベルの呟きに、涼が反応する。
「人は、人を超えるものを信仰しやすい生き物ですから。神々、神の子、あるいは天狗など……」
「最後のは何だ? テング?」
「伝説上の生き物です。外見上は人に似ているのですが、鼻が長くて、驚異的な身体能力と知力、そして剣の腕もすごいそうです。人を鍛え育てると言われています。ある種の魔物かもしれませんね」
「そんなやつが……ああ、伝説上の生き物と言ったか。だが、興味深いな。人を鍛え育てる魔物か? そいつは、何のためにそんなことをするんだ?」
アベルは天狗に興味を持ったようだ。
「う~ん……修行者や武士……剣士とかに試練を課したり、場合によっては剣の技を伝授したりするんです。それによって、人の方は成長します、強くなったりもしますし、心が鍛えられたりもするわけです。でも、天狗にとってのメリットは……無いですよね。もしかしたら……」
「もしかしたら?」
「強くなりすぎて戦う相手がいなくなったから、人を鍛えて自分が戦う相手にしたかった可能性があります」
「……暇つぶしか?」
「アベルの表現はとっても意地悪ですけど、そういう言い方もできますね」
涼は何度か小さく頷いている。
「リョウは、剣を師匠に習ったんだよな」
「え? ああ……確かに。言われてみれば、師匠もどうして僕に剣を教えてくれたんでしょうね。このローブやブーツ、村雨もくれましたし……」
「最初は、どういう出会いだったんだ?」
「見つけた師匠に、僕が襲い掛かりました」
「おい……」
「師匠が付き合いの良い人で助かりました」
「……そうだな」
涼が出会いを思い出すかのように遠い目になり、アベルが小さく首を振る。
「本当に、付き合いの良い師匠で良かったな。普通なら、リョウは殺されているだろうからな」
「今回の法国艦隊の遠征って、ヴァンパイアが教皇庁を襲撃したことに対する報復ですよね?」
「ああ。グラハムとアドルフィトという枢機卿以外、枢機卿全員が殺された」
「さすがにそれは、そのままにはしておけませんか」
「そうだな。民の信仰が絡むものだからな」
「民の信仰?」
「極論だが、国や教会の上層部だけの話であれば、こんな遠征をする必要もなかったと思う」
「ほう?」
「だが、民は納得しないだろう? 自らが信仰する大切な教会、その偉い人たちを傷つけられたんだ。『平和のために報復はしない』などと発表されて、納得はできないだろう?」
「まあ、そうですね」
アベルの説明に、涼は頷く。
地球の歴史を紐解けば、該当する事例は山のようにある。
むしろ、報復が行われなかったケースの方が少ない。
なぜか?
報復を行わないと、自らの民たちが怒り狂って、暴力でもって報復することを求めてくるから。
理性ではない、感情でだ。
もちろんそれは、民が愚かだから、などという話ではない。
手元にある情報の違いと、何を大切にするかの違い。
それらの違いによって、理性を優先するか、感情を優先するかに分かれる。
上層部には民が苦しむ姿は見えていない。
民には上層部が持つ特別な情報は降りてこない。
だから違いが出る。
「とはいえ、俺たちが持っている情報も限られたものだ」
「教皇であるグラハムさんとかの元に届く情報は、もっと多いでしょうからね。それらを総合的に判断した結果、討伐が決定された……可能性もあると」
「そう、民、信徒らを納得させるためだけじゃなくてな」
アベルは、並走するアークエンジェルを再び見る。
「グラハムの真意は分からん」
アベルの呟きは、かろうじて涼の耳に届いた。
「人とヴァンパイアの争いって根が深いんですよね?」
涼はちょっと話題を変えてみた。
「ああ。この世界に人が満ちる前、世界を支配していたのはヴァンパイアだったと言われている」
「え? そうなのです?」
「人は文字通り、ヴァンパイアの家畜として存在していた。血を提供する家畜としてな」
「なんと」
アベルの語る前史に驚く涼。
ちょっとした話題替えのつもりだったのに、なにやら凄い話が出てきた。
しかしながら……。
想像する。
牢獄に囚われ、血を抜き取られるだけの人生を。
体が震えた。
「ケーキもコーヒーもない人生……」
「そうだな。家畜にそんなものは食わせんだろうな」
「つまり、人がヴァンパイアと争うのは、ケーキとコーヒーを食すためなのですね」
「え……そ、そうとも言える……のか? 可能性はある、というべきなのか?」
涼が頷きながら言い、アベルは否定する必要はないが認めていいのかどうか迷う。
「でもでも、ヴァンパイアってめっちゃ強いじゃないですか? そんな強いヴァンパイアがたくさんいる中、人はどうやって状況を逆転させたんです?」
「転機となったのは、錬金術だと言われている」
「おぉ!」
「ヴァンパイアでも錬金術を扱う者はいるらしいが、人の方が秀でていたそうだ。そして人は、ゴーレムを生み出した」
「ゴーレムが、ヴァンパイアへの切札だった……」
それは涼の知らない歴史。
「僕は、トワイライトランドでラーメンを食べさせてもらいました」
「ああ、言ってたな」
「トワイライトランドは、ヴァンパイアが支配階級にいる国です」
「そうだな」
「でも、ヴァンパイアの数を遥かに超える人間が暮らしていました。特に虐げられているようには見えませんでした」
「うむ」
「真祖様を筆頭に、あのヴァンパイアたちも、そんな人との確執の歴史を乗り越えて国を立ち上げ、人と共存しているのでしょうか」
涼は小さく首を振る。
「さっき言ったのは、あくまで王国で習った伝承だ。どこまで本当かは分からんぞ」
「過去はともかく、これからの未来がどうなるか……」
「そうだな」
「人もヴァンパイアも、ラーメン、カレー、ケーキやコーヒーを共に楽しむことができる世界がくればいいですね」
「……そうだな」
「いつか、人とヴァンパイアが争いを終える日が来てほしいのですが」
「難しいんじゃないか? ヴァンパイアは知らんが、人は人同士でも争う生き物だぞ」
「なんと悲しい現実でしょう」
涼は現実を見て悲しむ。
「アベル陛下、リョウさん、暗黒大陸北沿岸部でよく食べられているマグロードというお菓子を作ってみました。試食していただけますか」
「おぉ、ぜひ!」
「わ~い、さすが料理長さんです」
コバッチ料理長が、新作の甘味を持ってきて、アベルと涼が手を伸ばす。
「美味いな。この甘みは蜂蜜か」
「これはまずいですよ、手が止まらなくなります」
「甘いでしょう? コーヒーにも合うと思うんですよ」
「合う!」
涼とアベルが異口同音に答える。
「お二人の舌を満足させられたのなら、どこに出しても大丈夫ですね。たくさん作って船員と騎士団の方々にも振る舞いましょう」
「ああ、コバッチ料理長、ぜひ頼む」
コバッチの提案にアベルは笑顔で頷く。
こうして、スキーズブラズニルは新たな甘味を手に入れた。
スキーズブラズニルは艦隊の中心を走っているが、本当の中心は教皇御座船アークエンジェルだ。
ここには『教皇御座船』の名の通り、グラハム教皇が乗船している。
「西の雫亭で戦ったクベシュ子爵ヤロスラフの反応から考えて、ゾルターンは目を覚ましているのだろう」
「ロズニャーク公爵……ヴァンパイアの公爵ですか」
グラハムの言葉に、さすがのステファニアも落ち着きは無い。
ヴァンパイアは強さに応じた爵位を持つ。
それは人も知っている。
だからその爵位によって、ヴァンパイアの強さもおおよそ見当がつく。
しかしそれは、おおよそだ。
公爵の強さなど、ほとんどの人間が知らない。
なぜならここ百年以上、ヴァンパイアの公爵が人の前に現れたことはないからだ。
人の寿命など短い。
百年出てこなければ、誰も知らなくなるのは当然だ。
だが、これだけは伝わっている。
「出てきたら、逃げろ。ゴーレムですら勝てないのだから」と。
「もちろん今回の討伐対象は、ロズニャーク公爵ゾルターンではない。できれば接触も避けたいと考えている」
「ですがクベシュ子爵ヤロスラフが、ゾルターンに仕えていたというのであれば、それを倒した以上……」
「そうだな。聖職者や信徒らのために仕方なかったとはいえ、倒した以上は対峙することになるかもしれん。まあ、そうなったらそうなっただ」
「聖下……」
「どうせ今回ぶつからなかったとしても、起きたのであれば、いずれ本国を襲撃したりするだろう。それこそ、シオンカ侯爵のように教皇庁を直接襲撃するかもしれんぞ」
そう言うとグラハムは笑った。
シオンカ侯爵とその一党には勝てる。
それだけの戦力を揃えてきた。
しかし相手がヴァンパイア公爵となると、話は大きく変わる。
並走するスキーズブラズニルをチラリと見た。
「彼らの力を借りないで済むようにせねばな」