0768 ヴィーラ教
一方。
「聖下、ようこそおいでくださいました」
「ミキタ司教、お久しぶりです」
ヴォン教会を訪れたグラハムを、責任者であるミキタ司教が出迎えた。
ヴォン教会は、西部諸国連邦の西側地域ではかなり大きな教会である。
しかしだからこそ、聖職者たちが困難な状況に陥っているという報告が届いていた。
「過激な者たちが、聖職者を襲っていると聞きました」
「はい、聖下。新興の宗教が……」
ミキタ司教はため息をつきながら報告する。
「特に布教が活発になって、元々現地の人々が信じているものとぶつかった……というわけではありません。自らをヴィーラ教の信徒であると名乗っている者たちが、攻撃を仕掛けてきておりまして」
「ヴィーラ教?」
聞いたことのない言葉に、グラハムは首を傾げる。
暗黒大陸西部で、西方教会の聖職者や場合によっては教会すら、襲撃されているという報告は受けていた。
とはいえ、それはいつの時代、どんな地域においても起きてきたこと。
布教とはそういうものだ。
別のものを信仰している者、元からそこに住んでいる者たちにとっては、新たにやってきた異物。
グラハム自身はそう理解している。
開祖ニューが、信仰の自由を唱えていたことをグラハムは知っている。
西方教会の教えを信じない者たちに、無理に信仰を押し付けてはいけない。
未だ信者となっていない者たちが、自らの意思で、自らの足でやってきた時、その時に受け入れて心の平安を得る手助けをする。
それが、ニューが言い続けた西方教会のスタンスなのだ。
もちろん時間を経るにしたがって、西方教会は変質していった。
教会内部の変質は言うまでもないが、それは『布教』においてもであった。
西方教会の信仰が広まるにしたがって、教義を信じない者たちとの摩擦が増えていった。
摩擦が生じ、物理的な衝突が発生し、破局が訪れる。
数千年の歴史の中には、そんな不幸な歴史も確実に存在している。
西方教会が攻撃する側になることも、攻撃される側になることもあった。
ただ最近は、教会自体が布教の圧力を減らす方向に舵を取っていたこともあり、外部との摩擦は減っていたのだ。
それに比例して、教会内部での軋轢が増えていたというべきか……。
「ヴィーラ教徒は、人ではない、何か超常なるものを信仰しているようです」
「ふむ」
「アドルフィト猊下に派遣された者たちが、探っているようです」
「なるほど」
グラハムは頷く。
アドルフィトは、西方教会の高位聖職者の中で、最も搦め手を得意とする人物だ。
その彼が目を付けたということは、普通の新興宗教ではないのかもしれない。
グラハムは、ヴォン教会の聖職者や信徒らに祝福を与えて、法国艦隊が確保した宿に移動した。
宿に入ると、先に情報を収集していたステファニアがやってきた。
「聖下、ヴィーラ教に関してアドルフィト枢機卿の手のものから情報が」
「ああ、見よう」
グラハムは、二十枚ほどの報告書を受け取った。
二分ほどかけて読み終える。
「ヴァンパイア信仰か」
グラハムは小さく頷いた。
「はい」
先に目を通していたステファニアも頷く。
そう、ヴィーラ教とは、ヴァンパイアを信仰する宗教なのだ。
もちろん信仰している者たちは人間だ。
実は、ヴァンパイアを信仰する者たちは昔からいた。
かつては、西方諸国にも数多くいたのだ。
怖れ、敬う……この二つの感情は非常に近い。
どちらかが生じれば、もう一方も生じやすい。
それは、信仰へと昇華する場合がある。
ヴァンパイアを信仰する者たちの始まりはそういうものだ。
だが、信仰は変容する。
いつの間にか、自らをヴァンパイアにしてほしい……そういう望みに変わっていった宗派もあった。
今報告されたヴィーラ教は、明確にヴァンパイアを崇め奉る者たちらしい。
とはいえ、ただヴァンパイアを崇める者たちというだけなら、はっきりいって大したことはない。
問題なのは……。
「彼らが西方教会の聖職者や信徒、教会すら襲撃しているという点だ」
「おっしゃる通りです」
「このヴィーラ教とヴァンパイアそのものとの繋がりは、まだ確認されていない?」
「確認されていないそうです」
グラハムの問いにステファニアは答えた。
グラハムは考える。
大陸南部にヴァンパイアの公爵が眠っている。
そこに教皇庁を襲撃した侯爵が拠点を構えた。
大陸西側に、ヴァンパイアを信仰する者たちがあらたな宗派を生み出している。
これらが全て偶然である確率……それはあまり高くない。
むしろ、緩やかであっても関係していると考える方が確率は高い。
そうであるなら、どうする?
教皇として、どう行動するのが良い?
ヴァンパイアを信仰する者たちからすれば、西方教会は明確に敵であろう。
ヴァンパイアと西方教会は、数千年にわたって争ってきたのだから。
その中でも異端審問庁は、最も憎むべき相手かもしれない。
西方教会の最前線でヴァンパイアと戦ってきたのは、異端審問庁だから。
さらに、新しく教皇になったグラハムは元異端審問庁長官。
さらにさらに、ヴァンパイアハンターとすら呼ばれていたのだ。
そんな人物が、自分たちの目と鼻の先に来たらどう思う?
どんな行動をとる?
グラハムが彼らだったらどうする?
黙って見過ごすか?
そう簡単に手を出せない敵の首魁が、自分たちの目の前に……。
「釣る……べきか」
グラハムのその呟きはステファニアに聞こえたが、彼女でも意味が分からない。
「ステファニア、このヴォンでの滞在を少し延ばす」
「承知いたしました」
「とりあえず……一週間だな。そのことをヴォン教会と、ヴォン政庁、あと市場などでもそれとなく広めてくれ」
「は? いえ、承知いたしました」
グラハムの意図は正確には理解できないが、ステファニアは受け入れる。
「これから、その件をアベル陛下に相談に行く」
こうして、ヴォンの街でいくつかの思惑が絡み合うことになった。
スキーズブラズニルの甲板には、筆頭公爵はいなかった。
アベル王がパウリーナ船長らと会議をしている間に、市場に買い出しに行こうとしたコバッチ料理長について船を降りたのだ。
もちろん、事前に上司たるアベルに報告はした。
「市場で買い食い……いや、失礼。コバッチ料理長さんのお手伝いをしてきます」
「買い食いって聞こえたぞ」
「ハッ、しまった。心の声が漏れてしまいました」
「絶対、わざとだろうが」
アベルはジト目で涼を見た。
もちろんアベルも、会議が終わったら再び下船して港周辺を巡るつもりではあるのだ。
夜はスキーズブラズニルに戻って寝るのだが、それまでに露店巡りをしようと……。
そう、涼とアベルとスコッティーの三人は、先ほど下船して、買い食いをしてきた。
一度スキーズブラズニル号に戻ってきたのだ。
しかし、コバッチ料理長らが買い出しに行くと言うので、涼はそれについていって下船し、再び買い食いをしようとたくらんだ……。
涼がコバッチ料理長ら厨房スタッフと下船し、アベルがパウリーナ船長らとの会議が終了した直後だった。
「陛下、グラハム聖下がお越しです」
「そうか、通してくれ」
こうして、何度目かのトップ会談が開かれた。
「アベル陛下、ご相談したいことがあります」
「うん?」
「この街に一泊ということでしたが、もうしばらく……一週間ほど滞在したいのですが」
「一週間?」
グラハムの提案にアベルは首を傾げる。
「少し、教会の方で処理すべき案件が出てきまして」
「教皇自らが取り組んだ方がいいほどのものだと」
「はい。当地の聖職者や信徒らを悩ませている案件で、私がいれば早く解決できる可能性があるのです」
「ふむ」
アベルは、後ろに控えるパウリーナ船長をチラリと見る。
パウリーナは無言のままうなずいた。何のために見られたのか、何も言われずとも分かっているのだ。
「分かりました。スキーズブラズニルは法国艦隊についていくので、艦隊が留まるというのであればそれに従いましょう」
「感謝いたします」
アベルの言葉にグラハムは笑顔になって感謝する。
「ただ……」
「はい?」
「食料の調達などで、こちらにある程度優先的に回していただけますか」
「食料の調達?」
「ええ。うちの筆頭公爵は、その辺り、とてもうるさいですので。彼が暴れないように」
「承知いたしました」
アベルが茶目っ気たっぷりに言うと、グラハムも微笑みながら承諾した。
今も、コバッチ料理長ら厨房スタッフが市場に出かけて、食材を手に入れている。
ついて行っている筆頭公爵は、買い食いが目的だが……。
その手間をアベルは少し減らそうとしたのだ。
もちろん、法国艦隊から基本的な食材は回してもらえるようになったとしても、コバッチ料理長は自ら現地の市場に行って、自分の目にかなったものを買ってくる。
それはそれでいい。
全く手に入らなかったら困る、という状況に陥らなくなるというだけだ。
セーフティネットは、あるにこしたことはない。
こうして、スキーズブラズニルは食料の調達が保証された。
ただ一人、魔法使いを犠牲にすることによって。
不憫なる者、その名は涼。