0737 東部諸国と西部諸国連邦
バモス島を出たスキーズブラズニル号は、一路西に進み、暗黒大陸本土に向かっていた。
「暗黒大陸の『東部諸国』って、国の名前なんですか?」
いつものように、スキーズブラズニル号の甲板で涼が尋ねる。
「元々は違ったんだが、今は連合国家的な意味合いで国の名前になっているな。中心にあるのは、バーダエール首長国だ」
「西の方は、西部諸国?」
「そっちは、西部諸国連邦として正式に連邦国家になっている」
「『東部諸国』と『西部諸国連邦』? 複雑です」
アベルが国王として正確に答え、涼が顔をしかめて首を振る。
「国の外交外務に携わる場合は正式な国名を把握しておく必要があるが、そうじゃないなら東部諸国と西部諸国でいいんじゃないか? 百年以上前に袂を分かってからずっと、一般的にはそういう風に呼ばれていたはずだ」
「そうなんですね。それなら分かりやすいです」
アベルの提案に乗る涼。
分かりやすいのが一番である。
そもそも国名というのは、けっこうくるくる変わるものであるし……。
「ナイトレイ王国は、かなり昔からナイトレイ王国なんですよね?」
「そうだな。初代アシュトン王が国を開いて以来、ずっと変わらんな」
「初代アシュトン王、中興の祖リチャード王、そして現在のアベル……」
「何だ?」
「そんな偉大な王たちと比べられて大変ですね」
「いや、その二人と比べるのが、どうかしてるだろ」
なぜか両腕を組んで偉そうに論評する涼、顔をしかめて不満を述べるアベル。
「歴史ある国の王となったからには、歴代の王を超える王になる! そういう気概を持っているのではないかと」
「持っていない」
「アベルが望むのなら、月一にしたケーキ特権を週一に戻すことで、協力するのもやぶさかではありません……」
「うん、協力しなくていいから戻さないぞ」
「くっ……一度失った特権の回復は大変です」
苦渋に満ちた表情の涼。
そう、やはり平和なスキーズブラズニル号の甲板であった。
そんなことを話していると、パウリーナ船長がやってきた。
「陛下、あと一時間もすればバーダエール首長国の港町ボールンが見えてきます」
「ボールン? 俺の記憶では、首長国でも屈指の規模を誇る港町だよな」
「はい。首長国のみならず、東部諸国全体でも五指に入る規模です。それだけに、ある程度以上の大きさの船ですと、必ず臨検を受けることになります」
「スキーズブラズニルの大きさなら、絶対にか」
「はい、哨戒船がやってきます」
「承知した。バモス島の時も言ったが、俺の身分照会が必要ならプレートの照会でもなんでもしてもらってくれ。すべて船長に任せる」
「ありがとうございます」
パウリーナ船長が去った後、涼がアベルに尋ねる。
「アベルって、暗黒大陸の事、結構知っているじゃないですか?」
「そうか?」
「そもそも、暗黒大陸語も操れましたし」
「それは王城で学んだからだ。高等学院でも必修科目だったしな」
エリート教育である。
「でも中央諸国と暗黒大陸って、直接の交流は無いでしょう?」
「無いな」
「それなのにどうして学ぶのでしょう?」
「王室の歴史で学んだのだが、かなり昔……数百年前には交流があったらしい」
「え? いや、めちゃくちゃ遠いじゃないですか。どうやって……」
「海上ルートでないことは確かだから、陸上だろうな。西方諸国まで陸上で行き、そこから暗黒大陸にはさすがに船だろうが」
時間の経過とともにすたれた交易路。
涼の頭に浮かぶのは、地球のシルクロードだ。
文化圏をまたぐほどの長大な交易路は、なかなか維持されにくい。
交易路の途中で政変、戦争、国や街の滅亡などが起きれば、寸断してしまうからだろう。
「それを今、僕らは復活させようとしているのですね」
「そうだな。陸ではなく海でな」
涼もアベルも、感慨深げな表情になって水平線を見るのだった。
しばらくすると、前方、陸の方から二隻の船が近付いてきた。
「停船せよ。こちらはバーダエール首長国、哨戒船である。本船の臨検を受けよ」
そんな声が、スキーズブラズニルの甲板にも聞こえてきた。
「ものすごく大きな声で叫んでいます」
「そういう仕事なんだろう」
「声をおっきくする錬金道具とかを作ってあげればいいのに……」
アベルのあんまりな言葉に、涼はつらい労働環境に違いないと憐れに思い、小さく首を振る。
「そんな錬金道具ができたら、あの叫んでるやつの仕事はなくなるんじゃないか?」
「もっと人道的なお仕事に回してあげれば……」
「まあ……喉は大変だろうからな」
楽な仕事なんてない……そういうことであろう。
スキーズブラズニルは哨戒船の停船要請を受け入れた。
二隻の哨戒船のうちの一隻が接舷し、五人の役人が上がってきた。
「バーダエール首長国第三哨戒部隊、隊長のナウである」
「臨検ご苦労様。ナイトレイ王国所属、スキーズブラズニル号の船長パウリーナだ」
お互いに名乗り合う。
船の責任者はあくまで船長であるため、パウリーナが名乗る。
そして、書類をナウ隊長に渡す。
「乗員証明書だな、確認させてもらう」
ナウはそう言うと、慣れた手つきで確認していく。
その間に、乗り込んできた四人がチラチラと甲板上を見ている。
動き回ってはいない。
まだ、この船がどんなもので、誰が乗っているかも分からないのだ。
臨検するとは言っても、他国の船と分かっているものを、手順を無視して歩き回るわけにはいかない。
「乗員証明書によると、乗組員五十人はゴスロン公国民、乗員八十人はナイトレイ王国民となっているが……ナイトレイ王国というのは、西方諸国ではないな?」
「ええ。中央諸国よ」
「中央諸国? 中央諸国というのは……西方諸国の遥か東にある国家群だろう? そんな国に所属する船が、なぜ我らの大陸沖にいる?」
「ナイトレイ王国は現在、ファンデビー法国と協力して、西方諸国と中央諸国との間に航路を開設しようとしている。この船は、その調査船の一隻だ。今回は中央諸国から西方諸国に行くはずだったのだが、途中で嵐に遭ってこの沖に流れ着いた。そのため、責任者の意向によって、暗黒大陸沿岸諸国をまわってから、西方諸国に向かうことにした」
「暗黒大陸をまわってから? 何のために?」
「将来結ぶ予定である通商協議の地ならし」
「ふむ」
パウリーナが完璧に答えているが、ナウ隊長は首を傾げている。
正直、理解できていないようだ。
ナウは甲板上から船を見回す。
「ゴスロン公国の船もたまに見るが……ここまででかいのは初めてだ。これほどの船を造船する技術を持っているのだな」
「いえ、この船を造ったのはマファルダ共和国よ」
「共和国? いや、共和国で造った船は、共和国の商会か政府しか運用されんだろう? そんな法律があると聞いた覚えがある」
「その通り。この船は……いくつもの例外的な手続きによって、中央諸国のナイトレイ王国の船となったということ」
パウリーナが答える。
それを聞いて、再び首を傾げる哨戒隊長。
「マファルダ共和国で建造した船を、ゴスロン公国の船乗りが動かし、船籍は中央諸国? なんだそりゃ」
「それで想像できるでしょう? この船は、何カ国もの思惑と利害が絡んだ重要な船だと。しかも乗っているのは、その中央諸国の大国、ナイトレイ王国国王アベル一世陛下」
「それこそ……なんだそりゃ」
顔をしかめる哨戒隊長。
そんな哨戒隊長に、後ろから声をかける者がいた。
哨戒隊長の部下らしい。
「隊長、ナイトレイ王国のアベル王って、あれじゃないですか? ほら、例の歌の……」
「例の歌?」
「『王都は落ちた。王弟と帝国の手に落ちた。民の嘆きが王国の空を覆う』……ってやつです」
「あれか。最近、吟遊詩人が歌って回っている……」
「その中にありますよ。『王国に新たな王を生む。その名はアベル王。辺境の街にて立ち上がらん』って」
二人の会話が聞こえたのだろう。
パウリーナが口を挟む。
「ああ、その方だ」
「おいおいおい……」
ナウ隊長が言った瞬間……その視界に、奥から一人の男がローブの男を引き連れて、歩いてくるのが見えた。
決して豪奢な服を着ているわけではない。
しかし、船の乗組員や騎士たちとは違う、一目で仕立ての良い上質な服であることが分かる……だが動きやすそうな服。
そう、この地の領主が、普段着ているような服を着た男。
そんな服から視線をあげて顔を見た時、ナウは思わず跪きそうになった。
だがそれを、何とか意思の力で止める。
誰の説明を受ける必要もない。
その人物が、傑物であるのが分かる。
もし受けた印象を言葉にするなら『威厳』であろうか。
決して、敵対的な雰囲気を出しているわけではない。
だが、馴れあえる相手でもない。
一歩ずつ近づいてくる。
そのたびに、ナウは後ろに下がりたくなる。
敵対的ではないのだが、近付くごとに押しつぶされるような感覚を覚えるから。
そして……。
「役目ご苦労、ナウ隊長」
「ははっ」
その男から掛けられた言葉で頭を下げるナウ。
頭を下げたのはナウだけではない。
彼の後ろにいる四人の部下もだ。
そのうちの一人など、思わず片膝をつきそうになり、慌てて体を起こすのが分かった。
「パウリーナ船長も説明した通り、ナイトレイ王国国王アベルだ。暗黒大陸との将来的な通商条約締結の地ならしを行うために来た。貴国への上陸を許可してもらえるだろうか」
「はっ……あ、はい、陛下……わ、私では、その判断は……」
「誰ならできる?」
「ぼ……ボールンの領主様、かと……」
「ふむ。ボールンの街は、東部諸国でも屈指の港町だと聞いたことがある」
「はい……我が首長国の首都に次ぐ港町でして……」
「そうか。ならそこに案内してもらえるかな?」
「……承知いたしました」
わずか十数秒の会話の間に、ナウ隊長の上半身は汗まみれとなった。
こうしてスキーズブラズニルは、バーダエール首長国の港町ボールンへと寄港するのだった。




