0723 外交とは
アベルらナイトレイ王国一行が通された会議室の一階上、大臣室ではマーター首長とノンタ港湾大臣が緊急会議を開いていた。
ある意味、和やかな会議室に比べて、この大臣室の空気は重い。
限りなく重い。
「とんでもないことになってしまった……」
マーターが震えている。
ナイトレイ王国一行を会議室に通して、冷静になって考えてみると、置かれた状況のまずさを理解してしまうのだ。
友好のために訪れた異国の王を襲撃。
そんなことは前代未聞だ。
しかも衆人環視の中……首長たる自分の目の前で。
どこか他国の陰謀……あるいは、全て夢であってくれれば、どれほど楽か。
十数年、この国を率いるマーターだが、これほど追い込まれた記憶はあまりない。
基本的に、国民の人気は高かったから。
しかし、今回のはまずい。
「モッツアレはどうしておる?」
マーターは『怪人』モッツアレの様子を尋ねる。
「部屋の隅で頭を抱えているそうです」
「あれは、闘争本能は高いが、それ以上に脅威に対する感応力も高い。アベル王を脅威と見なしてしまって……恐怖に駆られたのだろう」
マーター首長はモッツアレを責めず、あの場に引き出してしまった自分の判断能力の無さを悔いた。
全ては、あの女船長……彼女の存在で、自分の判断を狂わせてしまった。
「アベル王に謝罪をしたい……」
「首長様……」
それがマーターの素直な気持ち。完全に理解できるノンタ。
しかし、なぜ、それができないのかまでノンタは理解している。
国のトップは、他国のトップに簡単には頭を下げられないのだ。
それは、自国民のため。
自国民を代表するという立場のため。
それが衆人環視の中で行われれば、自国民の過激な者たちが暴走する契機になる。
それを避けるために、個人的な会合の場でなら謝罪もできるのだが……。
「さっき会ったばかり、挨拶と握手をしたばかりの相手……しかもその部下が襲い掛かった相手と……一対一でなど会ってくれるはずがない」
それくらいはマーターでも分かる。
例えば、よく知る隣国のバンバン王国のトップですら、一対一では会ってくれないだろう。
国のトップ同士が、よほど個人的な信頼関係を結んでいない限り、それは難しいことなのだ。
「首長様、部下を限定して……そう、お互いに部下を一人だけというのでお会いするのはどうでしょうか。それも、彼らがいる会議室の隣……小会議室がありますので、そちらで。もしもの場合は、すぐに大声を出して味方を呼べると判断してもらえれば……」
「なるほど。それなら受けてもらえるかもしれんな」
ノンタの提案で、ようやくマーターの表情に赤みが戻る。
これまで、死人のように青白かったのだ。
追い詰められた状況が、マーターの顔をそうしていた。
会議室の隣の小会議室。
ピシュカン国側からは、マーター首長とノンタ港湾大臣。
ナイトレイ王国側からは、アベルと涼。
四人での会談が行われることになった。
もちろん、ピシュカン国側からその提案がされた時、護衛の責任者ともいえるスコッティー中隊長は難色を示した。
まだ信頼関係もできていない人物と、主を少数で、しかも密室で会わせるのは当然怖いからだ。
だが、これもまた当然のようにアベルが言った。
「護衛にリョウを連れていけばいいだろう? 今度は、俺が襲われる前に守ってくれるはずだ」
「もちろんです、任せてください! 敵の凶刃が届く前に、アベルを完璧な氷漬けにして守ってみせます!」
「できれば、俺を氷漬けにしないで守ってほしい……」
豪胆をもってなる英雄王アベル一世も、氷漬けにされるのは怖いらしい。
「ならば仕方ありません。御庭番一番隊を引き連れていきましょう。彼らは人ではないので、向こうが提案した『部下一人まで』の中には入りませんよ」
「うん、それはさすがに卑怯じゃないか?」
「アベルは真面目ですね。国のトップ同士の会談は、いわば戦争です。そこは魑魅魍魎が跋扈する恐ろしい世界。毒殺の危険、吊り天井の罠、暗殺者の影など、多くの謀略が待ち構えているのに……そこにたった二人で飛び込もうなど。真面目を通り越して愚かかもしれません」
「うん、真面目でも愚かでもいいから、ちゃんと守ってくれ」
涼の妄想を軽く流し、アベルはそう言って議論を締めくくった。
そして、今。
四脚の椅子に、二対二で座っている。
真っ先に口を開いたのは、マーター首長であった。
「アベル王、部下の件、本当に申し訳なかった」
そう言うと、座ったままではあるが、深々と頭を下げた。
その光景に、ちょっと驚く涼。
国のトップが、ここまで深く頭を下げる光景は、地球にいた頃ですら見たことはなかったから。
だが、頭を下げられたアベルは微笑みながら言う。
「マーター首長、面をあげてください。確かに襲い掛かられはしましたが、怪我をしたわけではありません。お気になさらずに」
もちろんこれは、お人好しで言っているのではない。
王という立場でない場合は、そういう場合もあり得るが……すでにここは外交の場。
相手の不手際は、こちらの好機。
しかも、ちょっと会談の場に遅れてしまいましたとか、そんなレベルの話ではない。
もっとも、アベルとしては、当初の要求が通るのであれば他はどうでもいいと考えている。
その要求だって、一方的にナイトレイ王国だけに益があるものではなく、このピシュカン国にも益が……多分あるものだ。
「そもそも、我がナイトレイ王国のスキーズブラズニルが貴国に寄港したのは、難しい要求をするためではありません」
アベルは微笑みを浮かべたまま、そう切り出した。
頭をあげてマーターがアベルを見る。
その瞳の奥に、少しだけ警戒の色が浮かんでいるのがアベルには分かる。
当然だろう。
いきなり国王を名乗る人物がやってきて、難しい要求はないと言っても頭から信じるのは難しい。
「我がナイトレイ王国は中央諸国にあります。貴国から東に、船で一週間といった辺りです」
「一週間……」
アベルの説明に絶句するマーター。
言葉を発せられないノンタ。
ピシュカン国は島国だ。
その首脳である二人とも、当然、海と共に生きてきた……そう言っても過言ではない。
だから、魔物のいるこの海を一週間も航海する恐ろしさを知っている。
いや、正確には経験したことはない、だが想像はできる。
ピシュカン国の人間は、海に出ても一日だけ。
隣国であるバンバン王国まで、船で半日から一日の距離。
それ以上、長く海に出ることはない。
それはピシュカン国だけではなく、バンバン王国も同様。
それが、この海域の常識である。
それなのに、目の前の国王は一週間、船に乗ってきたと言う。
マーターやノンタが知る限り、近くにバンバン王国以外の国は存在しない。
聞いたこともない。
寄港した巨大な船を見れば分かる。
自分たちよりも、造船技術の進んだ者たちであると。
想像できないほど遠くからやってきた……それを受け入れるしかないと。
「分かりました。我々には想像もできませんが……」
「我らの船はスキーズブラズニルというのだが、この船の目的は、海路で西方諸国に向かうことだ」
「その名前は、以前聞いた覚えがあります。前回、その巨船……スキーズブラズニルが寄港した際に、西方諸国から来たと」
「そう、まさにその通り」
マーターが思い出しながら言い、アベルは頷く。
「現在、西方諸国と我が王国を繋ぐ航路を開こうとしている」
「航路を開く……」
「まだ、すぐにという話ではない。今まで、誰も……少なくとも記録に残る限り、誰も行き来したことのない海を渡るのだ。ご存じのように、海には恐ろしい魔物たちがいる。それらに襲われないような技術……実用化されたものを、さらに磨く必要もあるだろう。今ようやく、試験的な航行が始まったのだ」
「その……西方諸国というのは、我が国からどれほどの距離にあるのでしょうか」
「二週間以上らしい」
「そんなに……」
アベルの答えに、再び絶句するマーター。
アベルも二週間以上と答えはしたが、恐らくそれ以上かかるだろうと言われている。
西方諸国から中央諸国に向かってスキーズブラズニル号が来た際は、風に恵まれたと報告を受けている。
外洋において、それも横帆を多く張ったスキーズブラズニル号のようなクリッパー船は、風に恵まれればかなりの速度に達する。
逆に向かい風であれば速度は落ちる。
完全な向かい風に対しては進むことができないため、ジグザグを描きながら進むことになる……速度も上がらず、距離も余計に必要になるため、時間がかかる。
だから、風向きに大きく左右される。
しかもこの先、航路開拓となれば、行き来するのはスキーズブラズニル号のようなクリッパー船ではない船が多いだろう。
船足は間違いなく遅い。
二週間というのは、本当に最短でという条件付きなのだ。
「その西方諸国と、ナイトレイ王国の間に航路が……試験航行であったとしても繋がるというのであれば、それらの船が我が国に寄港する可能性がありますね」
マーターにも、ようやくスキーズブラズニル号が寄港した理由が見えてきた。
「そうだ。その際、可能なら補給を受けたり、船員らを陸上で休ませてほしい。もちろん、相応の報酬は払う」
「なるほど」
アベルの提案に、大きく頷くマーター。
マーターとしても理解できる。
理解はできるが……簡単に頷くことはできない。
それは交渉術的な理由ではなく、もっと物質的な理由だ。
「我がピシュカン国は島国です。交易に関しても、隣国であるバンバン王国としか経験しておりません。それはつまり、食料を含め、多くの物の生産力があるわけではないということです」
マーターがはっきりと言い切る。
それを聞いてアベルも頷いた。
もちろんアベルも理解している。
今回のスキーズブラズニル号のような、船一隻分であればいい。
せいぜい百人分の食料。
十万人が暮らすピシュカン国としては、たいした量ではない。
しかしこれが、『航路が開かれる』となれば話は変わってくる。
もちろん、まだピシュカン島は開発されていない地域がほとんどであるため、その開発を進めていけば多くの食料供給が可能になるだろう。
だから……。
「今回話したのは、すぐにということではない。まだ試験航行の段階であり、交易が確定しているわけでもない。だが我が国としては、ぜひ西方諸国との交易は行いたいと思っている」
国としての方針を明確に告げる。
「その際、このピシュカン国並びに、これから訪れる隣国バンバン王国とも、補給はもちろん交易も行いたいと考えている。今回私が訪れたのは……その打診だと考えていただけるとありがたい」
「なるほど」
アベルの言葉に頷くマーター。
いきなりやってきて補給基地になれ、と言われるよりは、はるかに受け入れやすいだろう。
江戸末期、黒船がやってきて『捕鯨漁の補給基地になれ』と言われた日本の歴史を知っている涼は、心の中で頷く。
そう、そもそも、太平洋の向こう側のアメリカ黒船がわざわざ日本の浦賀沖に現れたのは、産業革命が進んだ結果、欧米各国が鯨油を手に入れようとしていたから。
捕鯨活動の補給基地が必要だったのだ。
果ては南極にまで捕鯨基地を造って鯨油を手に入れていたわけで……。
歴史には、そういう一面もある。
「今回の訪問は、そういう国の方針をとる国家がある……それをお知らせいただいた、との認識でよろしいでしょうか」
「結構だ」
マーターの確認に、アベルが答えた瞬間だった。
隣室……つまり会議室が騒がしくなったのが分かった。
アベルが何か言うより先に、会談の間ちょこんと座ってお行儀よく聞いていた涼が立ち上がり、飛ぶように出ていった。
それを追うアベル。
さらに、マーター首長とノンタ港湾大臣も続く。
会議室には、押し入った筋骨隆々の男と、それを押しとどめようとするピシュカン国の兵士たち。
アベルの護衛である王国騎士団員たちは、剣に手をかけてはいるが行動には出ていない。
油断せずに、事の成り行きを見守っている。
騒がしい声を出していたのも、ピシュカン国の兵士たちらしい。
「スコッティー、何があった?」
アベルが会議室の中に入っていき、スコッティーに問う。
「あの男……陛下を襲った男が会議室に入ってこようとしているのを、この国の兵士たちが押しとどめようとしています」
スコッティーの説明は、見たままそのままである。
実際、それしか起きていないのだから仕方ない。
そんな会話を交わしている会議室に、声が響いた。
「モッツアレ!」
呼ばれた筋骨隆々の男、『怪人』と呼ばれるモッツアレがびくりとして動きを止める。
そして顔だけ、声の方を向く。
名前を呼んだのはマーター首長。
会議室を横切って、モッツアレの元に歩いていく。
それに合わせて、モッツアレは頭を下げた。
モッツアレを抑えていた兵士たちも頭を下げた。
マーターは、首長として敬意を払われているのだ。
当然だろう。
そうでなければ、十年以上も国を率いることなどできない。
「どうした、モッツアレ」
その呼びかけは、最初のものとは違う。
優しさと慈愛に満ちた呼びかけ。
「オレ……謝りたい……」
「謝る? 誰にだ」
モッツアレは無言のまま手を挙げ、アベルを指さした。
「アベル王に謝りたい? それは港での件か?」
マーターの問いに、モッツアレは無言のまま頷く。
二人の会話は、静まり返った会議室で行われた。
当然、アベルの耳にも届いている。
「その謝罪、受けよう」
アベルはそう言うと、モッツアレに向かって歩き出した。
当然、護衛であるスコッティーが止めようとするが、それを軽く腕を出して制す。
ここは、ある種の外交の場。
今後、両国が友好を育んでいくための契機となる、その転換点となるべきタイミング。
アベルは瞬時にそう理解した。
そして、ゆっくりとモッツアレに近付いていく。
よく見ると、モッツアレは震えている。
本能から、アベルを恐ろしい戦闘力を持った人物だと認識してしまっているのだ。
そんな人物を、自分の間合いに入れる……それは恐怖でしかない。
だから、震える。
それでも、モッツアレは我慢した。
港での自分の行為で、敬愛する首長の立場を悪くしてしまったことを理解していたから。
それをなんとかして、挽回しようと思ってここにやってきたのだから。
だから、恐ろしいが……震えが止まらないが、我慢する。
アベルはモッツアレの前に立った。
「申し訳……ありませんでした」
モッツアレは頭を下げた。
「謝罪、確かに受け取った」
アベルはそう告げた。
最初は、握手でもするべきかと思ったのだが、モッツアレの体が震えているのが分かったからやめたのだ。
その震えが、自分への恐怖からだと理解できたので。
アベルは元A級剣士。
そして、涼の近くにいたために、人外の者たちと接したこともある。
そんな者たちが自分の間合いに入ってくれば……まさに恐怖でしかない。
だから、モッツアレの震えを理解できる。
アベルは、マーター首長の方を向いて、努めて明るい調子で声を出した。
「マーター首長、実は美味い食い物があるんだ。ぜひ、こちらの……モッツアレ殿に食べていただきたい。きっと気に入ってもらえるはずだ」
「……はい?」
アベルの突然の提案に、首を傾げるマーター。
当のモッツアレも全く理解できていないようだ。
その後、会議室から港に停泊中のスキーズブラズニル号に連絡が行く。
十五分後、目当てのものが届いた。
コバッチ料理長らが持ってきたのは……大皿いっぱいの『カラアゲ』。
漂う、食欲をそそる香り。
山盛りの唐揚げに目が釘付けになるモッツアレ。
届いたカラアゲの山に、さっそく手を伸ばすアベル。
そして一個……行儀良くはないが、手に取り、そして口にほおばる。
「ホッホッ……」
熱そうだ。
だが、表情から伝わる……美味い物を食べていると。
「さあ、モッツアレ殿も食べられよ」
アベルが呼び掛ける。
思わず手を伸ばしたモッツアレだが、途中で手を止める。
そして、マーターを見た。
本能に従って手を伸ばしてしまったが、自分の行為は問題ないかとマーターに確認を取ったらしい。
マーターは無言のまま頷いた。
再びモッツアレは手を伸ばして、カラアゲを一個取り……口に運んだ。
「ホッフッホ……」
筋骨隆々の男性であっても、熱いものは熱いらしい。
しかし……。
「美味しい……」
食べた後、思わず漏れる声。
「たくさん作ってもらったからな、好きなだけ食べるといい」
笑顔で告げるアベル。
そして、頷くコバッチ料理長。
「アベル王」
「ああ、すまんマーター首長。勝手をしてしまったが、私のわがまま、許してはもらえないか?」
「もちろん……もちろんですとも。許すなどとおこがましい、私は感謝したいくらいで……」
アベルが笑顔で告げ、マーターが何度も頷きながら、美味しそうにカラアゲを食べ始めたモッツアレを見る。
ちなみにモッツアレの隣では、負けじと白いローブの男性が食べている。
隣のモッツアレと、笑顔を浮かべ合っている。
もちろん、涼だ。
「モッツアレを凍りつかせた……」
「ああ見えて、我がナイトレイ王国の筆頭公爵だ」
「え?」
「中央諸国一の水属性の魔法使いでもある」
「……美味しそうに食べますな」
「だろう? 世界平和の鍵は、美味しい料理に違いないと言い切るような男だからな」
「世界平和……それは壮大な」
アベルの言葉に、笑顔ながらも驚きを見せるマーター。
そう。
世界の広さなど誰も知らない。
それなのに、『世界平和』などを唱えれば……壮大と言わざるを得ないだろう。
「ですが、こんな光景を見せられると、あながち不可能ではないのではないかと思ってしまいます」
「そう、平和の難しさを一番知るはずの首長や国王ですら……思ってしまう。面白いものだ」
マーターの言葉に、アベルも頷く。
会議室には、料理が導いた平和が広がっていった。
昨日(2025年1月10日)、アニメ化の発表がありました。
多くの方に喜んでいただき、待ってもらっていたことを知り、本当に嬉しく思いました。
公式Xのフォロー数や、PV第一弾の再生回数など、思っていた以上の数字で……なんてありがたいのでしょう。
筆者にできることは『水属性の魔法使い』という作品を書いていくことだけです。
感謝の気持ちを込めながら書き続けていきますので、これからも応援よろしくお願いいたします。




