0707 虜囚のアベルⅡ
エピソード「虜囚のアベル」……四夜連続投稿の第二夜です。
「ど、どうぞおかけください、アベル陛下、ロンド公爵閣下」
部屋の主であるニュシャ侯爵が、ソファーにアベルと涼を案内する。
部屋の主であるが、ものすごい汗をかいている。
「実は、ニュシャ侯爵に事前に話を通さないで、私はこちらにうかがいまして」
「でしょうな」
オーブリー卿が言い、アベルもさもありなんと頷く。
ニュシャ侯爵としては、まさか連合の最高権力者オーブリー卿がやってくるなどとは考えていなかっただろう。
もちろん両国は戦端を開いているわけではない。
国力の違いはかなりのものだが、それでも隣国同士ではある。
国のトップが隣国を訪れる際には、それなりの事前交渉というものがある。
あるべきなのだが……。
「まあ私は、ただの執政です。ですので、気軽に隣国を訪れても問題ないと考えています」
「訪れられた方は困ってそうですが?」
「そうですか?」
アベルが疑問を呈し、オーブリー卿はニュシャ侯爵の表情をあえて無視して笑う。
ちなみに、アベルとオーブリー卿が丁々発止の会話を繰り広げている間、涼はアベルの隣におとなしくちょこんと座っている。
そして、出てきたコーヒーをおすまし顔で飲むのだ。
「それにしても、報告を受けた際はまさかと思いましたよ」
「はい?」
「ザーラッシュ砦の交渉の場にアベル王が現れたと」
「その報告を聞いて、首都ジェイクレアから?」
「ええ。もし本当なら、我が連合領を通過される際に護衛するのが、国賓に対する接遇であろうと思いまして」
「それはそれは」
アベルは微笑みながら答え、言葉を続ける。
「ご配慮感謝しますが、護衛の必要などありません。お気になさらずに」
「そうはいきません。連合領内で陛下の身に何か起きたら、大変なことになりますので」
「何か起きる可能性があると?」
「もちろん、我が連合領は治安の維持に努めておりますが……これ幸いと、第三国が謀略の手を伸ばす可能性が無いとは言えませんので」
オーブリー卿は、帝国がアベルを、連合領内で手にかける可能性を指摘する。
「なるほど、それは恐ろしいですな」
「でございましょう?」
アベルは再び微笑み、オーブリー卿は頷く。
(竜虎相打つ……権謀術数の渦が目に見えるようです)
などと涼は第三者的に考えている。
出されたコーヒーは満足いくものなので、何の懸念もなく、エンターテイメントの一環としてアベルとオーブリー卿のやりとりを見ているのだ。
だが、いつまでも観客でいられるはずがない。
「ご存じの通り、私の傍らには筆頭公爵がおりますので、簡単には殺されないと考えております」
アベルの言葉で巻き込まれる涼。
「おお、もちろんです。白銀公爵、あるいは氷瀑と名高いロンド公爵閣下……噂には聞いていましたが、本当にあの時対峙した冒険者だったのですね」
オーブリー卿が言うのは、インベリー公国での戦いの際の話だろう。
涼は、オーブリー卿らと対峙した。
ロンド公爵=涼、というのは、まだそれほど広がっていない。
西方諸国に使節団が派遣される前まで、「ロンド公爵などという者はいない」という噂すら流れていたのだ。
ナイトレイ王城に勤める者たちは、王城の中を歩き回っていた涼のことは結構知っていたのだが……ハインライン侯爵による防諜が完璧な王城からは、なかなか情報が抜かれなかったらしい。
「オーブリー卿は、一万前後の騎士を率いて来たようですが」
「ええ。私の護衛用です」
「護衛にしては多いですな」
「そうですか?」
オーブリー卿は笑いながら答える。
「ニュシャ侯爵、連合の精鋭一万騎に国境を越えさせるのは、躊躇されませんでしたか?」
「私の元には、そんな報告はありませんでした。外交使節が急いで訪れたいので、国境を越えるとしか」
アベルの問いに素直に答えるニュシャ侯爵。
「はい、私は外交上の理由で訪れましたから。護衛は、私は少なくていいと言ったのですが、責任者たちがいろいろ付け加えた結果、この数に。ちょっと増えてしまいましたかね」
まさに、いけしゃあしゃあとはこのこと……オーブリー卿を表す適切な言葉だろう。
「とはいえ、不十分な数ですな」
「はい?」
アベルの言葉に首を傾げるオーブリー卿。
「うちの筆頭公爵がその気になれば、三秒で全員死体になる程度の数。私に会いに来るには十分とは言えないでしょう?」
「これはこれは。アベル陛下は恐ろしいことをおっしゃいます」
「もちろん、冗談です」
「ええ、もちろん分かっています、冗談ですよね」
アベルとオーブリー卿は朗らかに笑う。
そんな会話を横に、ニュシャ侯爵がはっきりと震えているのが涼には見えた。
可哀そうだなと、これまた第三者的な感想を持ち、心の中で小さく首を振る。
涼自身は、自分に降りかかってこなければ、特に何とも思わないのだ。
むしろ最近は、慣れたと言ってもいい。
西方諸国への使節団で、帝国の先帝ルパートや連合の先王ロベルト・ピルロらと接することが多かったからだろうと思っている。
そんな中、オーブリー卿が爆弾を落とした。
「実は、陛下を首都にお招きしたいと思いまして」
「……はい?」
アベルが首を傾げる。
正直に、オーブリー卿の狙いが分からなかったからだ。
「アベル陛下にジェイクレアにお越しいただいて、王国と連合、両国の友好を諸国に示したいと考えております」
笑顔で説明するオーブリー卿。
そこまで聞いてアベルも理解した。
《俺を捕虜にしたぞと王国に示したい?》
《その可能性はありますね。国王を返して欲しければ身代金を渡せ、というやつです》
《身代金だか領土割譲だか分からんが、要求に乗れば、王国の権威は地に落ちるだろう?》
《でしょうね》
アベルの言葉に涼も頷く。
かつて地球の歴史でも何度かあった。
最も有名な例は、イングランドのリチャード獅子心王だろう。
第三回十字軍は、イングランドのリチャード獅子心王、フランスのフィリップ尊厳王、そして神聖ローマ皇帝のフリードリヒ一世、通称赤髭という、後世、英雄と呼ばれる者たちが軍を率いた。
いわばヨーロッパのドリームチームであった。
迎え撃つイスラム側も、率いるは英雄サラディン。
世界史上でも、ある意味、最も華やかな東西対決といってもよいものだったのだ。
最終的には、十字軍は目的であるエルサレムの占領はできずに撤退している。
問題は、その撤退時に起きた。
リチャードがイングランドへの帰国の途中、オーストリアのレオポルト五世に捕まったのだ。
レオポルト五世はこの第三回十字軍に参戦していたが、アッコン包囲戦でリチャードに屈辱を受けたので恨んでいた……その結果、帰国途中のリチャードを捕虜にした。
結局、イングランドはリチャード王を取り戻すために、莫大な身代金を払う……。
さらにフランスのフィリップ尊厳王と、神聖ローマのフリードリヒの後を継いだハインリヒ六世は、リチャードの弟ジョンをそそのかし、イングランド王位を簒奪させようとし……。
その後、イングランド王となったジョンからフィリップ尊厳王は大陸のイングランド領をごっそり奪い取って、王権を強化していく。
無能な隣国の王族を扇動して王位に就け、その無能な新たな王から領地を奪う。
芸術的な謀略。
そんな権謀術数もあった、この時代。
涼は、そんな地球の歴史を頭の中で考える。
しかし、今判断するべきは、この『ファイ』における状況だ。
《護衛させましょう》
《ふむ。誘いに乗ると?》
《ええ。護衛付きで移動できます。少なくとも連合首都までは。よしんば襲撃されたとしても、僕が守りますから大丈夫です》
《相手は、精鋭一万騎だぞ?》
《問題ありません》
チェスや将棋において、最も強い手というのは、相手の誘いに乗る手だ。
下手な相手であれば、「しめしめ乗ってきおったわ」となるのだが、もし相手が世界チャンピオンや永世七冠、八冠王などであればどうだろう?
「こちらの狙いは分かっているはずなのに、なぜ乗ってきた?」となる。
当然、「私が気付いていない手筋がある? 罠があるのか?」と考える羽目になる。
相手の冷静さを奪うのは、対人戦の初歩の初歩。
だから、相手の誘いに乗る手は、最も強い。
そして打ち手であるオーブリー卿は、アベルの事を高く評価している。
一万騎も率いてやってきたのがその証拠。
そんなアベルがオーブリー卿の手に乗ってきたら?
それだけで、オーブリー卿の冷静さを、多少は奪うことに成功するのではないか……。
涼の思考を、アベルも理解した。
《ジェイクレア旅行としゃれこみましょう》
《それはそれで面白そうだ》
アベルは『魂の響』を通じて同意すると、口を開いた。
「ジェイクレアへのお誘い、謹んでお受けしよう」
「え……」
アベルの言葉に、オーブリー卿ですら驚きを隠せない。
なんとしても拒否するだろうと考えていたのだ。
だが、受けた。
なぜ?
しかし、オーブリー卿の顔に訝し気な表情が浮かんだのは一瞬。
次の言葉を吐く以外の選択肢はない。
「お受けいただき感謝いたします」
ついに明日2024年4月20日(土)、
『水属性の魔法使い 第二部 第三巻』が発売されます!
たくさんの方に読んでいただけると嬉しいです。
今回も、いっぱい加筆・修正をしていますからね。
以前、どこかで書いた気がしますが、この『第二部 第三巻』、自分で言うのもなんですが
涼vs某男型悪魔の戦闘部分5000字加筆が熱いです!
《なろう版》では決着をつけなかったのですが、《書籍版》では完全決着です。
目指したのは剣豪小説!
魔法使いのお話なのに、剣豪小説!
今まで書いてきた『水属性の魔法使い』の文章の中でも、トップクラスで良い感じに書けましたよ。
ぜひぜひ、皆様には読んでいただきたいです!




