0705 辺境にてⅦ
七夜連続投稿の第七夜目、最終日です。
「馬鹿な……」
「なぜ……」
アベルも涼も混乱した。
もちろん二人だけではない。
ニュシャ侯爵の提案について話し合っていた砦の者たちも、二人の発言がありそうだと固唾を飲んで見守っていた者たちも……。
あまりの展開に混乱した。
「え?」
「独立を維持?」
「どうして?」
「提案を取り下げると言ったか?」
「……全面戦争?」
理解できた者はいなかったろう。
表情を変えない人物が、一人。
仲介者である東部第八管区外務担当次官ドン・レだけは、表情を変えない。
十秒後。
「なるほど、そういうことか」
アベルが吐き出すように呟いた。
「え? アベル分かったんですか?」
「闇属性魔法だ」
「え……」
アベルの言葉に、言葉を失う涼。
「多分、ニュシャ侯爵も、最初の会合の後、それを疑ったんだろう。だから今回の会合は、衆人環視の中で会合を行いたいと言ったのだ」
「闇属性魔法で不自然な言動になれば、見ている人たちの中で……例えば今の僕たちみたいに、疑問が湧くからですね」
「最初から変だと思ったんだ。ニュシャ侯爵もピーセック商会長もまともそうに見える。それなのに、一回目の会合は、双方ともに二度と会わないとまで言ったんだろう? 普通じゃないよな」
「闇属性魔法……<スレイブ>とか言いましたっけ。ああいうので操られれば、そういう言動になるのも理解できますね」
アベルも涼も、経験している。
王都騒乱の後、二人で王都からルンの街に戻る途中で、闇属性魔法を操る神官に<スレイブ>をかけられた経験がある。
アベルは常に着けている状態異常回復のネックレスによって、涼は特異体質によって効かなかったが……。
「理由は分かりましたけど、どうします?」
「方法は一つだ。あそこに乗り込む」
「はい?」
アベルによる、まるで涼のような提案に、涼自身が素っ頓狂な声を上げる。
「リョウの、その特異体質……闇属性魔法で操られたやつを、正気に戻すんだろ?」
「そうでした! ヒューさんを回復した覚えがあります」
ヴァンパイアのハスキル伯爵の<スレイブ>で操られた、ヒュー・マクグラスを解放したことがある。
しかし、訓練場の中央は会合の場。
勝手に近づいていいものかどうか……。
「仕方ないだろう。新たな仲介者として名乗りを上げる」
「はい?」
アベルの言ってる意味が、涼には分からない。
「<スレイブ>で操られている間の記憶は、解けた後も残ってるんだよな?」
「ヒューさんはそうだったみたいですね」
「ならいい。行くぞ」
「……はい?」
涼にはやっぱり意味が分からない。
それなのに、アベルは率先してスタンド席から訓練場に飛び降りた。
「猪突猛進な剣士は、いつも冷静沈着な魔法使いを振り回します」
愚痴りながら、涼も飛び降りてアベルの後を追った。
大きな混乱に陥った訓練場スタンド。
だが、スタンドから降りた二人の人物が、ゆっくりと中央に歩いていく姿を見て、再び静まり返る。
砦の者たち全員ではなくとも、それなりの人数が知っている二人。
ここ数日、守衛の若手を訓練している冒険者二人。
訓練を受けている若者たちは、家族と共に砦の中で暮らしている者たちだ。
当然、家に戻って訓練の話をする。
二人が『砂の眠り亭』に泊まっていることも知られている。
隣の『砂の食事亭』で食事をとることも知られている。
それは、砦の中である程度の高い地位にある人物たちの目に留まるということ。
わずか十日足らずであっても、涼とアベルは砦の者たちに知られていた。
そんな二人がゆっくりと近付いていく。
中央の三つの『三人席』から、二人に声をかけた者がいた。
それは砦の軍事責任者。
「アベル殿? リョウ殿?」
「やあモールガー総隊長、実は提案があるのだ」
モールガーに対して、笑顔を浮かべるアベル。
九人の近くまで歩いていくと、モールガーの方を向いた。
アベルの横には涼が並ぶ。
ここまで近付けば、涼の特異体質……溢れ出る『妖精の因子』によって、正常に戻る。
ただし、少しだけ時間が必要であることを、ヒューの事例で学んでいる。
アベルはその時間を稼ごうとしているようだ。
「先ほどから見ていると、いろいろ混乱しているようだ」
「えっと?」
「おそらく、仲介者の力不足ではないかな?」
「はい?」
「おい、貴様!」
アベルが笑顔のまま不穏な言葉を述べ、モールガーが理解できないまま首を傾げ、仲介者ドン・レがすごむ。
「仲介者の力が足りないために、ニュシャ侯爵とピーセック商会長は叫んだのではないかな? この厳粛にして神聖な会合の場で叫ぶなどあり得ない。それこそ、仲介者の力不足の証。もしよければ、私が仲介者になろうと思うのだがどうだろうか?」
「貴様、なんのつもりだ!」
アベルの言葉に、再びすごむドン・レ。
「ああ、これは申し遅れた。私の名は……モールガー殿はご存じだな?」
「はい……アベル殿、ですよね」
「そう、どこの国のアベルかも、ご存じだな?」
「はい……ナイトレイ王国のアベル殿」
「そう、ナイトレイ王国国王アベル一世だ」
「……はい?」
笑顔で告げられたアベルの正体に、理解できずに首を傾げるモールガー。
だが、三秒後には理解する。
「アベル……陛下? 冒険王? いや、英雄王の?」
モールガーの体は震えている。
それも当然だろう。
ナイトレイ王国の国王アベル一世といえば、元A級冒険者であり、王国の半ばを率いて帝国軍を打ち倒し、王国解放戦を戦い抜いた英雄だ。
知らなかったとはいえ、そんな人物に訓練の依頼をしたことも、震える原因となっている……。
ざわりと広がる。
「アベル一世?」
「王国の?」
「英雄王?」
「噂では失踪したと」
「復活した魔人と相打ちになって消えたとか」
「いや、まさか……」
決して大きな声にはならない。
誰もが囁くような声で呟き、あるいは隣と言葉を交わす。
スタンド全体に広がる、囁き。
そして、ついに、アベルの策は成った。
策の本質は時間稼ぎ。
それは、回復のための時間稼ぎ。
「私はいったい……」
ピーセック商会長が正気に戻ったのか、思わず呟く。
「やはり闇属性魔法であったか。だが、なぜ解けた?」
同じタイミングで、ニュシャ侯爵も正気に戻り、解放された理由が分からず呟く。
闇属性魔法で二人を操り、全面衝突にもっていく策が破れたことに、ドン・レは気付いた。
なぜ魔法が解けたのかは分からない。
だが、今重要なのはそこではない。
まだ取り戻す余地はある。
「ふざけるな!」
立ち上がりながら怒鳴る仲介者ドン・レ。
「アベル王がこんな所にいるわけがない!」
自らの策が破れたとはいえ、負けたわけではない。
だが目の前の人物を排除しなければ、失地回復はできなくなる。
「アベル王だというのなら、それを証明しろ!」
ドン・レがそう言うと、連合の仲介団の一人がアベルを掴もうと前に出た。
「下がれ無礼者!」
辺りを貫く声。
発したのは、ローブを着た魔法使い。
「陛下の御身は、お前たちが触れていいものではない!」
いつもの涼とは違う、『ロンド公爵』の声。
それは『圧』を伴う。
一瞬で、その場にいる者たちに、尋常ではないと理解させる。
「そもそも陛下に身分を証明しろなどと何様か! お前たち、国際問題を引き起こそうとしている自覚があるのか!」
「え……」
「連合は、ナイトレイ王国と戦争する覚悟があるのかと聞いている!」
涼が言い放つ。
ドン・レを筆頭に、連合の者たちは誰も口を開けない。
スタンドから見ている砦の者たちも口を開けない。
完全な静寂。
しばらくして、涼が口調を変えて言葉を発した。
「とはいえ、誰とも知れない者たちに仲介役を代われというのは難しいでしょう。砦の人たちにとっては、とても大切な会合です。ですから代わりに、私が身分を証明しましょう。ナイトレイ王国筆頭公爵である、ロンド公爵リョウ・ミハラが」
涼の言葉も、ゆっくりと砦の者たちの間に広がっていく。
「王国の筆頭公爵……」
「それって、あの?」
「帝国の爆炎の魔法使いを超えると言われる……」
「白銀公爵……」
「あるいは氷瀑……」
涼は、身分証明のプレートを首から外す。
そこにすかさず近付いたのは、守衛総隊長モールガー。
恭しくプレートを受け取ると、守衛用の照会板に差し込んだ。
「確認いたしました。間違いなく、ナイトレイ王国筆頭公爵、ロンド公爵です」
「おぉ!」
モールガーは照会板を連合仲介役たちにも見せる。
「馬鹿な……」
思わずドン・レの口から漏れる。
膝をつくドン・レに一瞥もくれず、アベルは代表二人に顔を向けた。
「ニュシャ侯爵、ピーセック商会長、ナイトレイ王国国王アベル一世だ」
「陛下!」
アベルの名乗りに、侯爵陣営、砦陣営全員が片膝をついて礼をとる。
まさに王の威厳。
身分照会など必要ないことを示す、圧倒的な存在感。
「この地域が、連合と関係深いことは理解している。だが関係が深いゆえに、中立とはなりえないようだ。そこに、王国が割って入ろうというのではない。ただ、新たな仲介者として、公平公正な立場から、成り行きを見届けたいのだ。どうだろう、ここは私のわがまま、一つ聞いてもらえないだろうか」
アベル王の提案。
そう、提案である。
あくまで、提案である。
しかし、これほど圧倒的な存在感を持つ人物に提案されて、断れる者などいるだろうか。
「私は、陛下の仲介を受け入れます」
「陛下、お願いいたします」
ニュシャ侯爵もピーセック商会長も受け入れた。
その後の会合では。
内容に関して、一切もめることはなかった。
ただ……。
「自治区ということですが、自由都市という名称にしてはどうでしょうか」
そんな提案がアベル王の側近である、水属性の魔法使いからなされた。
もちろんその人物も、アベル王並みに知られた英雄……。
「ロンド公爵の提案、いいですね」
「では自由都市ザーラッシュと」
ニュシャ侯爵もピーセック商会長も受け入れる。
「ナイトレイ王国国王アベル一世の名において認める」
この出来事は、後世『アベル王の裁定』と呼ばれることになるのであった。
小説などの発売に合わせた、七夜連続投稿、無事終了いたしました。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
ここを読まれていらっしゃる読者の皆様なら、きっとすでに、小説「第二部 第二巻」は入手していることでしょう。
ですのでその次、「第二部 第三巻」の宣伝を少しだけさせてください。
「第二部 第三巻」は、2024年春発売です。
今回も、あまりお待たせしないかなと思います。
いつものように十万字近く加筆しているわけですが……《なろう版》と違って、下の対決が完全決着します。
ええ、涼と、例の(レオノールじゃない)悪魔です。
《なろう版》ですと、「0380 涼、戦う」ですね。
完全決着のために、ここだけで五千字弱加筆したわけですが……。
自分でもけっこういい感じで書けたのです。
担当編集さんからも、加筆箇所を褒められました……
「ここまで次元の高い戦いを書いてしまうと、この先が大変だなと」(by担当編集さん)
まあ、頭の中に降ってきたのですから書くしかないですよね。
後の戦いにとっておきましょうとは、なりません。
まるで柴田錬三郎先生の剣豪小説の、眠狂四郎や御家人斬九郎みたいな感じに
……一歩近づけるような。
(魔法使いのお話なのに、剣豪小説に近づく……)
ちょーカッコいい剣戟が書けたのですよ。
これまで書いてきた『水属性の魔法使い』の戦闘シーンの中では、一番いい感じで書けました。
ぜひ、皆さんに読んでほしいです。
楽しみにお待ちください。




