0703 辺境にてⅤ
七夜連続投稿の第五夜目です。
涼とアベルが訓練指導を請け負って三日目、夕方。
「彼らも、訓練の流れには慣れてきたようだな」
「まだ三日ですので、さすがに実力の向上は見られませんけど、一日の流れみたいなのは各自の中で定着しているみたいです」
アベルも涼も、訓練している五十人の表情が充実したものになっているのを見て満足していた。
そこにやってきた長白髪の老人。
「良い感じだな」
「おお、マスダ殿」
「師範、お疲れ様です」
マスダ老が嬉しそうに声をかけ、アベルが頷き、涼が挨拶する。
「二人とも教え方が上手だな。わしなんかよりはるかに上手い」
「さすがにそれは……」
「いやあ、それほどでも」
マスダ老の称賛に、謙遜するアベル、照れる涼。
「いや本当に、二人に頼んで本当に良かったと思っている。二人ともナイトレイ王国に戻る途中らしいが、どうだ、このまま砦に住まぬか? 剣術の師範として十分やっていけるぞ」
「さすがにそれは……」
「はい、ちょっとそれは……」
アベルも涼も、さすがにその選択肢はない。
王国には待っている人もいるわけで……。
マスダ老も引き留められるとは思っていないのだろう。
大笑いしている。
そんな三人は、ほとんど同時に気付いた。
訓練場に入ってきた人物に。
「む? モールガーが会合から戻ってきたようだが……」
「暗いな」
「あれ、絶対、会合がうまくいかなかった顔ですよ」
マスダ老もアベルも涼も、三人ともがはっきりと分かるくらいに、戻ってきたモールガー総隊長の表情が暗い。
「ああ、三人とも……」
声も暗い。
「その様子だと、うまくいかなかったようだな」
マスダ老が、全く言葉を飾ることなく声をかける。
二人の関係性なればこそ、言葉を飾る必要がないのだろう。
「ああ……歩み寄るどころか、わずか一回で決裂だ。どちらも、もう会わないと」
「なんと」
「それは……」
「一回目から決裂とか……」
落ち込むモールガー、驚くマスダ老、アベル、涼。
普通、こういった数万人が関わるような大きな交渉というのは、落としどころや双方の歩み寄りが見られなかったとしても、それは想定内。
二度目、三度目の交渉の席でそれらを見つけていくものなのだ。
だから、たった一回で決裂して、もう会わないというのはあまりないはず……と涼は思う。
しかし、そもそもこの会合に関しては懸念事項があった。
「もしかして、仲介役が?」
「仲介役? 確かハンダルー諸国連合の……東部第八管区外務担当次官ドン・レ殿とかいったか。そう、あまり積極的に動かれない印象だった。最初なので、両陣営にある程度自由に話させようと考えていたのかもしれない」
涼の言葉に、モールガーが会合を思い出しながら答える。
「どちらにしても……もう会わないというのは、まずいな。しかも両陣営共とは」
「うむ。それで私も落ち込んでしまって」
「いやモールガー、お主の責任ではあるまい?」
「そうだが……砦の未来がかかった会合に軍事責任者として出たのに、決裂するのを見ているしかできなかったのは……」
モールガーはそう言うと、深いため息をついた。
「ニュシャ侯爵もピーセック商会長も、とても落ち着いて話し合いが始まった……。それなのに……」
その後、落ち込むモールガーをマスダ老が連れていった。
こういう時は酒でも飲んで忘れるに限る、そう言いながら。
残された涼とアベル。
「連合の暗躍があったに違いありません!」
「何だよ、暗躍って」
「決裂するように、何かしたのです!」
決めつける涼。
「例えば?」
「え? た、例えば……そう、両方の出席者に、あらかじめ連合の息のかかった人物を潜り込ませておいて、会合の席で罵り合わせてぶち壊しにするのです」
「侯爵陣営はともかく、砦の会合出席者は全員知り合いみたいなもんじゃないのか? 五年もこの砦の中で、一緒に生活しているんだから」
「で、でも、人口とかカイラディー並みにいるってアベルは思ったんでしょう? 二、三万人ですよ? 知り合いじゃない人だって……」
「砦の人間全員となればそうかもしれんが、会合に出たのは、いわゆる上層部だろう? 守衛総隊長のモールガーのような。上層部の人間同士なら、全員知り合いだろ」
「ぐぬぬ」
アベルの正論に、妄想を封じ込められる涼。
そう、もちろん『連合の暗躍説』は涼の妄想だ。
何の根拠もない。
だいたい会合の場にいなかったのだから、どんな状況になって決裂したかなんて分からないのだ……。
涼の妄想を退けたアベルではあるが、気になることはあるらしい。
それに気付いた涼が機先を制する。
「連合暗躍説は、僕が先に主張したんですからね! アベルは横取りしないでください」
「せんわ!」
「でも今、何か考えていたでしょう? この状況で考えることなんて、僕の主張の横取りくらいしか……」
「なんでそうなるんだよ」
涼の更なる妄想……いや暴走に呆れるアベル。
「俺が気になったのは東部第八管区外務担当次官とかいうやつだ」
「ドン・レさん? 珍しくて特徴的な名前ですよね」
珍しく特徴的な名前であるため、涼ですら一回で覚えてしまったらしい。
「連合東部に、プレマ王国という国がある。その国を実質的に取り仕切っているのがレ伯爵家だと、昔聞いた覚えがある」
「ドン・レさんはその伯爵家の人? もしかして伯爵本人とか?」
「詳しくは知らんが、さすがに伯爵本人ではないだろう。だが、レ伯爵家の一族だとは思う」
「やっぱり連合の暗躍説が……」
涼は頷きながら呟く。
「そうだとしても、俺たちにできることは限られているぞ」
「分かっています。でも、平和を求める人たちが戦争に巻き込まれるのは見たくありません」
「それは全くの同感だな」
アベルは頷いた。
「連合の暗躍を阻止するという方針の一致を見ました」
「そうなのか?」
「今ここで、あーだこーだ考えていても仕方ありません。宿に戻ってアンダルシアに顔を見せに行きましょう」
「……愛馬をかわいがるのはいいことだが、暗躍の阻止とどう関係があるのか」
なんだかんだ言いながら、涼もアベルも宿に戻ったら、まず厩舎に寄る。
そして自分の愛馬に挨拶してから、部屋に戻るのだ。
もちろん、朝、訓練場に向かう前も同じように……。
当然のように、二人が宿泊しているのは『砂の眠り亭』である。
しかもこれまた当然のように、アベルが交渉して、宿代は依頼人もち……つまり、この砦の商人たち払い。
とても素晴らしいことなので、交渉の席で、涼は口を挟まなかった。
「あれくらいスムーズに交渉が進めばいいのに」
小さく首を振る涼であった。
翌日。
モールガー総隊長は、訓練場に現れなかった。
その翌日も現れなかった。
さらにその翌日も現れなかった。
そしてさらにさらに翌日夕方、ようやく現れた。
その様子は、遠目にも疲労の色が濃いのが分かる。
だが、表情は輝いていた。
「やったぞ、二人とも。もう一度、会合が開かれる!」
「おぉ!」
「ここ数日、訓練場に来なかったのは、それに関係していたのか?」
「ああ。単身、ニュシャ侯爵の城に行って、直接掛け合ってきた」
「すごい……」
モールガーの答えに驚く涼。
本格的な武力衝突は起きていないとはいえ、小競り合いはあったのだ。
五年も対立していれば、それくらいはあるだろう。
そんな相手のところに、軍事責任者が一人で乗り込む?
場合によっては捕まって交渉の材料にされたり、見せしめに殺されたり……そんな可能性だってある。
国同士の関係ではない。
対等の関係とは、そもそも言えない。
モールガーは、反乱分子、時代によってはテロリスト……そう見られている者たちの軍事責任者なのだ。
どう扱われるか分からない。
だが、乗り込んだ。
戦争を避けるために。
「モールガーさん、すごいです」
涼は自然と頭を下げた。
「いやいや、やめてくれ。たいしたことはしてない」
照れるモールガー。
すごいことを成す人は、照れ屋さんが多いのかもしれない。
「たいしたことだろ。なかなかできることじゃない」
「あはははは……」
アベルも称賛し、モールガーは苦笑した。
「急だが、明後日、二度目の会合を開く算段を取り付けた」
「早いですね」
「向こうの気が変わらないうちにとな。いや、侯爵陣営だけじゃないな、こちらも気が変わらないうちに。まずは会って話をしなければ進まないからな」
平和的な関係は、対話しなければ始まらない。
「まず明後日の第二回会合を、この砦で行う。侯爵自身が、砦の人たちに開け放たれた場所がいいとおっしゃったので、実はこの訓練場で会合を行う予定だ」
「大胆だな」
「というか、相手の侯爵さん、こっちに来てくれるんですか? 第一回目の会合は中立地帯でやったんでしょう?」
「次の第三回を、侯爵の領地で行う。交互にやろうと。これで最低でもあと二回は会合が行われる」
嬉しそうに頷くモールガー。
「もしかしてモールガーさんって、かなりの交渉上手なんじゃ」
「守衛総隊長じゃなく、外交官だな」
「やめてくれ」
今度こそ、手を顔の前で振って否定するモールガー。
「この訓練場で会合を開くと言ったが、こんな開けた場所、危なくないか?」
「私もそう思ったのだが……。侯爵が、開かれた場所がいいとおっしゃったのだ。どうせ砦に出向くのであれば、できるだけ多くの砦の人たちに見てほしいと。それで、ダメもとで訓練場での会合を提案したら……受け入れられた」
「侯爵自身が来るのだろう?」
「そうだ。我ら、守衛の見せ場だ」
決意に満ちた表情のモールガー。
その場で、もしものことが起これば全てが水泡に帰す。
武力衝突になるのは間違いないだろう。
だがうまくいけば……砦の人たちに会合そのものを見てもらえる。
結果だけを発表するより、交渉そのものを見せた方がいい。
そもそも議論の場の存在理由は、議論そのものを公開することにある。
結果より過程に、その本質が存在するのだから。
「砦の人間みんなで、一致して事に当たりたいというのが正直なところだ。誰かがやってくれる、専門の人間に任せる……そういうのではなく、自分も当事者の一人だと」
「そうだな。武力衝突が起きたら、嫌でも全員が巻き込まれるんだからな」
「その時になって、こんなはずじゃなかった、なんでちゃんとしてくれなかったんだ……そんな風に言っても遅いのです」
モールガーが気持ちを述べ、アベルが事実を述べ、涼が現実を述べる。
誰がやっても変わらない?
そんなわけない。
誰がやってもいっしょ……そんなものは、この世の中には存在しないのだ。
やる人によって違いが出る。
その事を忘れてはいけない。
良い結果だけでなく悪い結果の時もある。
だから全員を巻き込んで、誰か特定の人物に責任を負わせるのではなく、全員が責任を負う……。
「どこかで見た民主主義です」
「なんか言ったか、リョウ」
「い、いえ、独り言です。そんなことより、あと二日間、いっぱい鍛えないといけませんね」
慌ててごまかす涼。
「心が折れない程度にな」
「そこは普通、怪我しないようにでしょう?」
「怪我は<ヒール>で治る。だが、心の傷は治らんぞ」
「深いようでいて浅い言葉ですね」
「リョウにだけは言われたくない……」
アベルは小さく首を振りながら言うのであった。
モールガーが具体的に説明し始めた。
「警備に関しては、熟練者一人に新米二人、三人一組で動いてもらう」
「熟練者ってのが元からいるやつらで、新米ってのが、俺とリョウが訓練してる子たちだな?」
「はい。もちろん、両陣営の代表と仲介役の直接の護衛は、熟練者だけで行いますが、この砦での警備は手伝ってもらいます」
「承知した。目標となるものがあった方が、彼らもやる気が出るだろう」
モールガーの説明に、アベルも頷く。
実際の戦闘はまだまだ難しいが、警備の手伝いなら問題ない。
トラブルが発生して荒事に巻き込まれても、大声なり笛を吹くなりして味方を呼べばいいのだ。
守衛仲間はもちろん、砦の者たちもいわば味方なのだし。
なにより、役に立てると感じるのは努力のモチベーションになる。
そこに、長白髪の老人師範がやってきた。
「お、モールガー戻ったのか。その表情ってことは、当たりをつけられたのか?」
「ええ師範。明後日、この砦で第二回会合を開く。その後、別の日に向こうの領地で第三回会合を開く。そこまで決めてきました」
「おぉ、すごいな。侯爵の所に直談判に行くって聞いた時には驚いたが……結果を出してくるとは大したもんだ。よっしゃ、今夜は祝杯だな!」
「この前も、なんだかんだ理由をつけて飲んで……泥酔したでしょ?」
「それが気分転換になって、今回のやつがうまくいったんだろう? やっぱ酒は素晴らしいってことだ!」
「えぇ……」
マスダ老が笑いながら困惑するモールガーの背中を叩く。
そして、モールガーはマスダ老に連れていかれた。
「もしかしたら、一番すごいのは師範さんかもしれません。交渉上手なモールガーさんに、手も足も出させずに拉致しました」
「ああいうのが、年の功というのかもな」
涼は驚きながら、アベルは苦笑しながら、連れ立っていく二人を見送った。
「でもいいのでしょうか、あんなにペラペラと警備計画について喋ってしまって」
「ペラペラ? いつもホウ・レン・ソウが大切だと言ってるのはリョウだろう?」
「それはそうですが、誰にでも言っていいわけではありません」
「どういうことだ?」
「もしアベルが妨害工作者の手先だった場合、大変なことになります!」
「……そうだな」
「情報の共有相手は、きちんと選ばないと」
「もし俺が妨害工作者の手先だったら、リョウはどうするんだ?」
「僕はアベルが相手であっても、泣く泣く戦いますよ! 戦争回避に全てを掛ける、この砦の皆さんの思いを無にはできませんから」
「そうか……俺が手先じゃないといいな」
なぜか決意に満ちた表情で頷く涼、ため息をつきながら首を振るという器用なことをするアベル。
涼の妄想は、誰にも止められない。
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