0695 魔人教奇譚Ⅴ
「お見事」
涼が城壁上で言葉を発した。
アベルがダイナンを倒した瞬間から、全員が無言であったが、涼の言葉をきっかけに言葉が溢れた。
「うぉおおおおおお!」
「やった!」
「すごい……」
「さすがアベル様!」
そんな城壁上の声を聞きながら、涼は城壁から飛び降りた。
もちろん、<ウォータージェットスラスタ>を着地の瞬間だけ発して、怪我はしない。
少しでも早く、アベルの近くに行った方がいいと思ったのだ。
もしも、魔人がアベルに斬りつけた場合に、自分が防げるようにと。
しかし、魔人ラージャは……。
パチパチパチ……。
ゆっくりと歩きながら拍手をした。
「素晴らしい戦いであった」
そう言って頷く。
歩いていった先は、ダイナンの頭。
それを、ゆっくりと拾い上げる。
「嬉しそうに笑っておるわ」
そう、斬り飛ばされたダイナンの顔は、満面の笑みを浮かべていた。
「魔人、ラージャと言ったか」
「うん?」
アベルがラージャに呼び掛けた。
「その眷属、ダイナンを復活させるのはよそでやってくれないか」
「ふむ? 戦って満足したからか?」
「いや……。そいつに父親を殺された少女がいて、戦いを見守っていた。ダイナンの首を斬り飛ばしたことによって、一応の気持ちの整理がついたと思うんだ。だが、そいつが目の前ですぐに蘇ったら……」
「アベルは甘ちゃんだな」
ラージャは口角を上げて笑いながら揶揄する。
「それは否定せん」
「嫌だ、ここで蘇らせると言ったら?」
「お前さんを殺す、魔人ラージャ」
正面から見据えるアベル。
「それも面白いが……」
ラージャが笑う。
「ダメです」
横から二人の会話を遮る声。
もちろん、涼だ。
「アベルは疲れています。僕がお相手しましょう。そして魔人ラージャ、あなたを数千年間封印します」
「何?」
「以前、別の魔人の復活に立ち会いまして、封じていた錬金術を研究する機会がありました。また、西方諸国のマーリンさんの知遇を得て、ガーウィンとも戦いました。対魔人に関する限り、それなりの経験が僕にはあります」
堂々と言い切る涼。
笑いを収め、はっきりと顔をしかめているラージャ。
「赤服や馬鹿と知り合いか」
「赤服はマーリンさんですよね。ガーウィン……やっぱり馬鹿なのですね」
ラージャの言葉に、小さく首を振る涼。
マーリンはともかく、ガーウィン……不憫である。
ラージャは、地面に散らばったダイナンの四肢を見た後、一つ肩をすくめて口を開いた。
「まあいい。私は人に興味などない。だが、いい戦いは見せてもらった。その駄賃として、願いの一つくらいは聞き入れてやる」
「なんという上から目線」
「受け入れてくれるのならそれでいい」
涼が顔をしかめ、アベルが苦笑する。
「しかし……」
ラージャはそう言うと、涼を上から下まで見た。
何度も見た。
「嫌な予感がします」
涼が呟く。
アベルは無言のまま肩をすくめる。
「ローブは、水属性の魔法使いだな?」
「ローブって……僕のことですよね?」
「そうだ」
「僕の名前は涼です」
「そうか、水属性の魔法使いリョウ、お前は妖精王に愛されているな?」
特に強い口調だったわけではない。
おそらくラージャにとっては、ただの確認だったのだ。
だが、涼の反応は過剰であった。
「アベル、全ては露見しました! この上は、彼女の口をふさいで、全てを闇に葬りましょう」
「何でだよ」
「だってそうしないと、アベルが罪に問われますよ? アベルが悪いことをしたのがばれるのですから」
「俺は何もしていないぞ。リョウの正体がばれただけだろう?」
「アベル、諦めが悪いです!」
「なぜ、俺が非難されているんだ……」
世の中にはあるのだ、言ったもの勝ちという場面が。
しかし、一方の当事者魔人ラージャが置いてけぼりになったために、言ったもの勝ちではなくなる。
「妖精王の寵児と、おそらくはリチャードの末裔。面白い組み合わせだな」
「アベル、やっぱり色々露見しています」
「リョウ、世の中には仕方のないことがたくさんある」
ラージャの言葉に、涼もアベルもいろいろ諦めるしかないことを理解する。
ラージャはアベルの方を向いて言った。
「アベルとやら、なかなか強いな」
「そりゃどうも」
「だが、私にはまだまだ勝てない」
「そ、そうか……」
「安心しろ、今ここでお前と戦ったりはしない。ダイナンがもう一度鍛えなおして、お前と戦いたいと言うだろうからな」
「そうか……」
上から目線のラージャの言葉に、反応に困るアベル。
「再戦したいというのなら、それはそれでいいのだが……ここに住む人たちには迷惑をかけるな」
「うん?」
「お前ら、これまでにも多くの人を襲っただろう?」
「ああ、襲ったぞ」
アベルの言葉に、悪びれずに頷くラージャ。
「それをやめろ」
「どうしてもか?」
「……どうしてもだ」
顔をしかめて問いかけるラージャ、頷くアベル。
「だいたい、なぜ人を襲う? 迷惑だ」
「そう言われてもな。人だって、別に迷惑をかけるつもりで、米や小麦を食べるわけではないだろう?」
「米と小麦?」
「生きていくのに必要だからとかいう理由だろう? 米や小麦からしてみれば、『何も自分たちを食べなくてもいいだろう』と感じているんじゃないか? 肉や魚を食べるだけでは満足できないのか、なぜ我々をも食べるのかと」
「魔人が人を襲うのは、人が米や小麦を食べるのと同じことだと?」
「形としては同じだ」
ラージャが肩をすくめる。
顔をしかめるアベル。
その横で小さく首を振る涼。
「魔人に、人による環境負荷について正論を述べられてしまいました」
「なんつーか、人が植物にとって悪い存在のような気がしてきた」
「昔からよくある、『人がいなくなるのが、一番この星のためになります論』です……」
今度はアベルが首を振り、涼が顔をしかめる。
「魔人は……人を襲わねば生きていけないのか?」
「回復期にはその通りだ」
アベルの疑問に、ラージャが素直に答える。
「回復期?」
「封印から解かれる時、と言えば分かりやすいか?」
「つまり、今、か?」
「正確には、先ほどまではだ」
「何? まさか……」
「ああ、完全に復活したぞ」
ラージャはそう言うと、禍々しい笑みを浮かべた。
思わずアベルの体を緊張が走る。
辛うじて、剣に手をかけるのは自制したが。
「本体は、本拠地に置いてあるからな。今、その姿を見せられんのは残念だ」
「いや、別に見たくない」
ラージャの言葉に、間髪を容れずに答えるアベル。
ラージャは少しだけ首を傾げてから、口を開いた。
「そうだ、一つ確認しておくことがある」
「何だ?」
「お前たち二人は、この後もここに留まるのか?」
「……どういう意味だ?」
ラージャの問いに、一瞬返答が止まるアベル。
二人がいなくなれば、村が再び襲われる可能性を考えたからだ。
先ほどは確かに、ここに住む人たちに迷惑をかけるなと言い、ラージャも受け入れた雰囲気だったが……。
「心配するな。もうここの連中は襲わん。回復期を抜けたから、必要ない。言葉を違えるようなことはせん」
アベルの懸念を理解したのであろう、ラージャはニヤリと笑って言う。
「ただ、ダイナンがお前との再戦を願った場合……いや、私もだな。お前たちと戦いたいと思った場合、どこに行けばいいのかと思ってな」
「暗黒大陸に来るがいいです。僕らはしばらくしたら、ここから移動します」
「なるほど、暗黒大陸がお前たちの本拠地か」
涼が横から答え、ラージャは頷いた。
「ならば、暗黒大陸で会おう」
ラージャはそう言うと、地面に散らばったダイナンの体を回収して去っていった。
「<アクティブソナー>」
涼が周囲の状況を探る。
「うん、大丈夫です。もう、この周辺にはいません」
涼が安心したようにうなずいた。
そこに、首を傾げてアベルが問いかける。
「リョウ、暗黒大陸に行くのか?」
「行きませんよ?」
「は? 今、暗黒大陸に行くと答えなかったか?」
「僕の言葉を正確に思い出してください。『暗黒大陸に来るがいいです。僕らはしばらくしたら、ここから移動します』とだけ言いました。本拠地が暗黒大陸だとも、そこに行くとも言っていません」
「……そうか」
涼がなぜか胸を張って主張し、アベルがジト目で涼を見る。
その目は、ちょっと卑怯じゃないかと言っているようだ。
「アベルは、魔人たちと戦うために、暗黒大陸に行きたいのですか?」
「いや……行きたくない」
「でしょう? 僕らも、そう……二百年後くらいには、暗黒大陸に行くかもしれません。ですから、決して嘘をついたわけではないのです」
「お、おう……二百年後とか、生きてないと思うがな」
アベルは肩をすくめた。
「アベルは、いちおう魔人の眷属を倒しました。おめでとうございます」
「うん?」
「でも魔人本人からは、勝てないぞとくぎを刺されました」
「お、おう」
「だから調子に乗ってはいけません」
「調子に乗るつもりはないが……」
涼とアベルはそんな会話を交わしながら、村の中に入っていった。
そこには、城壁から降りてきた村人たちが……皆、涙ぐんでいる。
城壁上にいた時の歓喜とは全く違う。
だがその涙は、悲しみに満ちたものでは決してなく……。
「アベル様、ありがとうございました」
涙の中心にいたアンジュが感謝する。
「親父さんの仇はとった。これで先に進めるな」
「はい……」
アベルが微笑みながら言い、アンジュが泣き笑いながら答える。
ファラファオ村は幸せに包まれた。
ちなみに、水属性の魔法使いの第四部は、『暗黒大陸編』です。
ええ、ええ。
涼にそのつもりがなくても、筆者にそのつもりがあります。
さて、本日で七夜連続投稿終了です。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
またそのうち、投稿しますので、今しばらくお待ちください。
それにしても二人は、いつになったら王国に辿り着くのでしょうか……。




