0693 魔人教奇譚Ⅲ
ファラファオ村の城門前に、黒髪の少女と水色髪の男が現れた。
「おい、あの水色髪……」
「奴だ! お頭とロンジャを呼んでこい」
慌ただしくなる城門上の物見。
一分もしないうちに、現お頭アンジュとロンジャが物見台に上がってきた。
そして、少女と男を確認する。
「水色髪……父上の仇!」
「落ち着け、お頭」
怒りに震えるアンジュを、ロンジャが落ち着かせる。
なぜ突然、先代お頭の仇である水色髪が村の城門前に姿を現したのか、ロンジャは訝しんでいた。
部下である教徒を連れず……しかも一人でもなく、よく分からない黒髪の少女を傍らに置いている。
そんな少女の報告など受けたことはないし、ロンジャ自身も見たことはない。
「二人とも、それ以上近付くな!」
ロンジャが怒鳴った。
水色髪も黒髪の少女も、言われるまでもなく、ある程度の距離を保ったまま止まっている。
「何のために来た?」
ロンジャが尋ねる。
「来た理由の前に、いちおう名乗っておく。俺の名前はダイナン、こっちの黒髪がラージャだ。けっこう長くお前らとは争っているが、名乗っていなかったしな」
笑いながら答える水色髪ダイナン。
その傍らで、つまらなそうに肩をすくめる黒髪のラージャ。
そして、ダイナンは言葉を続けた。
「お前たちの仲間に、魔剣使いが新たに加わったな? そいつと勝負したい」
「なに?」
ダイナンの言葉に、思わずロンジャは訝しんだ声を返した。
当然であろう。
争っている勢力のトップが突然やってきて、新たに加わった人物と勝負したいと言えば、何事かと思う。
その声が聞こえたわけではないのだろうが、物見台に涼とアベルが上がってきた。
そして顔を出す。
「俺と戦いたいと言ったか?」
「おう、お前だ、魔剣使い。俺と勝負しろ」
「勝負? 何だ? 二人で走って足の速さの勝負でもするのか?」
「そんなわけあるか……」
「じゃあチェスでもするか? 自慢じゃないが、それほど強くないぞ」
「剣だよ、剣! なんだよ走るとかチェスとか。剣以外で勝負なんてするわけないだろうが」
アベルの言葉に、怒りをにじみ出しながら答えるダイナン。
アベルの傍らで、涼が「相手の冷静さを奪うのは、対人戦の初歩の初歩」などと呟きながら頷いている。
「剣での勝負がしたいならしたいと、最初からちゃんと言えよな。魔人の眷属は、魔人様からそういうのは教えてもらえないのか?」
「……何?」
アベルの突然の核心をついた発言に、刺すような視線になるダイナン。
「何だ? 俺は何か変なことを言ったか?」
「眷属、と言ったな」
「いや、お前、魔人の眷属だろ?」
「おもしろいな、魔剣使い」
ダイナンは小さく何度か頷いている。
そんなダイナンの横にいる黒髪の少女を、涼はじっと見ていたのだが、ある種の確信をもって一つ頷き、アベルの耳元で囁いた。
「あの黒髪の少女、魔人です」
「マジか! 復活していたのか」
アベルが驚く。
そして、ロンジャの方を向いて尋ねる。
「ロンジャ、あの黒髪の少女は、これまでに見たことはあるか?」
「いや、ない。俺も疑問に思っていたんだ。あれは眷属の、なんなんだ?」
「どうも、眷属の主らしい」
「何? つまり、魔人か」
アベルの言葉に、ロンジャは驚いた。
二人の会話が聞こえたアンジュも大きく目を見張っている。
「今まで出てこなかった魔人本人が、今回出てきた理由を知りたいな。もう少し会話してみるか」
アベルはそう呟くと、再び城門前の二人に声をかけた。
「なあ眷属。いや、ダイナンと言ったか。そして、そっちの少女はラージャ? ラージャというのが、魔人としての名前か?」
アベルのその言葉は、まさに爆弾であった。
「おい……」
ダイナンが言えたのはそこまで。
表情は激変している。
余裕は一切なく、驚きと怒りと困惑がない交ぜになった……とても複雑な表情。
そこに畳みかけるアベル。
「鎮守軍だけ襲ったそうだな? 戦いを経験したことのない民ではなく、戦いの経験豊富なやつを倒すことによって魔人が覚醒する……つまり最終段階ということか?」
「お前……お前は、いったい……何者なんだ」
アベルの中でも完全な確信はないことをぶつける、驚きが高まるダイナン。
それはアベルの推論が正しかったという証明。
(情報を引き出しつつ、相手の冷静さを奪う。さすがはアベルです。脳筋剣士なのに、この辺りの戦闘における駆け引きや機微に関しては、僕なんかでは到底太刀打ちできません)
涼がアベルを横目に見ながら、心の中で称賛する。
そう、あくまで心の中でだ。
口に出して称賛したら、調子に乗るかなと思って。
わなわなと体を震わせるダイナン。
だが、明確な反応は、その隣から生じた。
「アーハッハッハッハ」
大笑いの黒髪の少女。
「ラージャ様?」
驚くダイナン。
「おもしろい! ダイナン、お前が見つけてきた男は、とても面白いな」
ラージャは何度も頷く。
そして言葉を続けた。
「もっと早く気付くべきであったわ。見ろ、ダイナン、あいつの赤い髪を」
「え?」
「この東方諸国には、あんな髪のやつはいない。つまり中央諸国や西方諸国の人間だ」
「つまり……」
「向こうで、他の魔人やその眷属とかかわりがあったということだ」
ラージャが、そうであろう? という表情でアベルを見る。
アベルは無言のまま肩をすくめた。
否定はしない、という意思表示だ。
「誰だ……誰に会った? いや、そもそも、そんな細かな部分まで聞かされているというのが不思議だな。まさか向こうでは、我ら魔人に協力していたわけではあるまい?」
「おいおい、世界がひっくり返ってもそんなことはあり得んぞ。俺を含めて、多くの騎士が死力を尽くして戦ったんだ。恨みとまでは言わんが、明確に敵ではある」
「それなのに生きているということは……」
「当然、魔人やその眷属を倒したからだよな」
アベルははっきりと言い切る。
魔人大戦において、王国は総力を結集した。
その上で勝利したと言ってもいいだろう。
「人間が勝利した? 信じられん」
「いやいや、お前さんたちだって、『回廊』を『壁』で封じられたせいで魔人の援軍が来なくなり、同時にお前たちの力となるものも遮断されたんだろう? 今、それが開かれたから、再び力を得られている。つまり、一度は、錬金術師か何かによって封じられたってことだろうが」
ラージャが小さく首を振るが、アベルが明確に反論する。
そう、数百年前の誰かが、『回廊』を封じたのだ。
それは恐らく、錬金術によって。
それによって、東方諸国に取り残されてしまったラージャは力を失った……。
しかし三カ月前、その『回廊』が開いた。
だから、ラージャは力を取り戻した。
「もういい!」
ラージャとアベルの会話を断ち切る一声。
それは、ラージャの傍らから。
「ああ、ダイナンがしびれを切らしおった」
ラージャが顔をしかめて首を振る。
ごくごくたまにある、ダイナンの感情爆発。
「魔剣使い、降りてきて戦え!」
ダイナンが叫ぶ。
「戦ってもなあ……俺が得るものは何もないだろう?」
「お前が知りたいことに答えてやる!」
「ほぉ……」
ダイナンが吠えるように答え、その内容にアベルも興味を惹かれる。
「よろしいですね、ラージャ様! 手を出さないように」
「分かった、分かった。私はこっちで見ておく」
ダイナンの言葉に、ラージャはひらひらと手を振って少し離れた場所に歩いていくと、石の椅子を生成してそこに座った。
「アベル様……」
下に降りようとしたアベルに声をかけるアンジュ。
「アンジュ殿、父上の仇は俺がとってくる」
アベルはそう言うと、にっこり微笑んだ。
だが、しばらく歩き、涼の横に並ぶと、小さな声で言った。
「もしもの時は、後を頼む」
「アンジュさんには大見得切ってましたけど?」
「そう言うしかないだろうが」
苦笑するアベル。
「魔人の眷属ってやつは、とんでもないからな。力の底が見えん」
「僕はアベルを信じています」
「おう。とはいえ、あいつら……死なないんだよな」
「え?」
「魔人が生きている限り、普通に復活する」
「なんという……」
「リョウが、魔人の方を倒してもいいからな」
「アベルが二人抜きをすればいいだけです」
「勘弁しろ」
涼の右拳とアベルの右拳が軽く触れた。
こうしてアベルは、魔人の眷属との二度目の戦闘に身を投じるのであった。




