0677 アティンジョ大公国訪問Ⅱ
「素晴らしいベッドで、気持ちよく寝ていたのに!」
憤慨する涼。
「お、おう……」
チラチラと宿を見るアベル。
宿の火は、すべて消えている。
「あんまり……燃えていないな」
「当然です。水属性の魔法使いが泊まっていたのが、放火犯の運の尽きです」
安眠を妨害され怒り狂った涼が、一瞬で全ての火を消し去ったのだ。
「だいたい、火が広がったら、アンダルシアがびっくりするじゃないですか。馬をはじめ、野生の動物は火が好きではないはずですからね」
アンダルシアとフェイワンの厩舎は、二人が泊まっていた本館とは別の建物。
もちろん、二頭とも無事であることは確認済みだ。
二人は、そんな厩舎の前に立って、辺りを見ている。
「あの二頭……むしろ怯える他の馬たちを落ち着かせているように、俺には見えたんだが」
アベルのそんな呟きは、涼にも聞こえない。
「あちらこちらで戦闘が起きています」
剣戟の音が、二人の元にも聞こえてくる。
「火をつけて、混乱しているところを襲撃するつもりだったんだろう」
「古典的な手法です」
涼が小さく首を振る。
そして言葉を続けた。
「加勢すべきなのかもしれませんが、どっちが敵でどっちが味方なのか、全然わかりません」
「仕方ないだろう。こういう場合は、自分と大事なものを守ることに専念すればいい。そこに攻撃してくるやつが敵だ」
「なるほど! アベルも良いことを言いますね」
「おう?」
「大切なのはアンダルシア……まあ、フェイワンもですか」
「素直に二頭とも守ってやってくれ」
アベルは小さくため息をつく。
火が、涼によって一瞬で消された後、二人とも着替えてからここまで降りてきた。
そのため、装備も一式手元にある。
「いちおう、狙いが聖剣タティエンだったら困るので、ちゃんと持ち出してきました」
涼はそう言うと、左手で袋に入ったタティエンをアベルに見せる。
「マジで、狙いが分からんと面倒だな」
「さすがに深夜の襲撃というだけでも、多少の混乱はありますね」
「火が広がらなかっただけましだろ。これで広がっていたら大変だったぞ」
「僕の安眠を妨げた罰です」
涼が偉そうに頷いている。
暗闇の中、あちこちから聞こえてくる剣戟の音は止まない。
「襲撃してきたやつら、けっこう多いのか?」
「ですね。こっちは歩兵だけでも千人くらいいたわけですし、ここまで制圧に時間がかかるのは変です」
涼は首を傾げると、唱えた。
「<アクティブソナー>」
小さく首を振る。
「やっぱり、多すぎて分かりません」
「そうか……」
「あ、でもこの反応は分かります」
「うん?」
「すぐ近くで、ズルーマさんが戦っていますね」
涼が指をさす。
アベルは少し聞こえてくる音に集中する。
涼にも会話が聞こえてきた。
「ズルーマ、この裏切り者め!」
「化物に飲み込まれおって」
ズルーマを半包囲した者たちが、口々にそんな言葉をぶつける。
「諦めろ、ズルーマ」
包囲した者たちを率いる人物だろうか。
右目に眼帯をつけた男が言葉を叩きつけた。
傷を負い、片膝をつきながらも、右手に剣を握ったズルーマの目からは、光はまだ失われていない。
「ルキヤ、お前ほどの頭脳があれば分かるはずだ。こんなことをしても無駄だ」
ルキヤが眼帯の男の名なのだろう。
ズルーマは顔をゆがめながら、説得するように声をかける。
「大公家の滅亡こそ、我らが悲願。それすら忘れたか、ズルーマ!」
ルキヤが言葉を返す。
だが、ズルーマははっきりと言い返した。
「私の忠誠は、大公様とヘルブ公に捧げたと伝えたはずだ。一族の命令には従わないと」
「そんなこと、認められるわけなかろうが」
ズルーマの言葉を受けて、影から現れた一人の老婆が反論した。
「長老までが最前線に出てくるとは。本気で、バブリー家と組んで、大公家に逆らうのか? 勝てぬぞ」
「ふん、化物はもうおらん。しかも新たな大公は、驚くほど弱々しい人間ではないか。バブリー家だけでも倒せそうなほどじゃ。我らギューガ一族、その勝ち馬に乗る、それだけのことよ」
「なんと愚かなことを……」
長老と呼ばれた老婆は、嘲りを含んだ言葉を吐き、それを受けて顔をしかめて呟くズルーマ。
「もう一度だけ聞く、ズルーマ。一族の元に戻り、悲願達成に力を貸すがよい」
「何度でも答える。私の忠誠は、大公様とヘルブ公に捧げた。ギューガ一族に戻ることはない」
長老の問いに、はっきりと言い切るズルーマ。
「ならば死ね」
カキンッ。
音高く弾かれる剣。
自らの剣を弾かれた眼帯の男ルキヤが、驚きの表情のまま、軽くバックステップして距離をとる。
ルキヤとズルーマの間には、赤く輝く魔剣を持った男が立ち塞がっていた。
「一人を寄ってたかって攻撃するってのは嫌いなんだよな」
魔剣を構えたアベルがうそぶく。
「貴様、ズルーマの仲間か!」
ルキヤが問う。
「いや、違う。それどころか、ズルーマの首を刎ねたこともある」
「首どころか、手足全てを切り飛ばしました」
アベルが控えめな事実を答え、涼が全ての事実を告げた。
「そこまで言わなくてもよくないか?」
「いまさら取り繕ってどうするんですか」
アベルが不平を述べ、涼が呆れたように言う。
確かに、今更、この場で取り繕っても全く意味がない。
「アベル殿、ロンド公……」
片膝をついたままのズルーマが、自分を助けてくれた二人に軽く頭を下げた。
「三人とも殺せば関係ないじゃろう」
「殺せ」
長老が告げ、眼帯男ルキヤが命令した。
ガキンッ。
一気に間合いを侵略したアベルが、ルキヤと剣を交える。
「<アイスウォール10層>」
涼とズルーマに襲い掛かってきた攻撃は、氷の壁で弾かれた。
「反撃です。<アイシクルランス20>」
だが……。
全ての氷の槍が『逸らされた』。
それは、見覚えのある軌道。
空中に浮かぶ紙。
全ての魔法を弾く紙。
「やっぱり呪符! またしても呪符! ジュフジュフジュフジュフ、それしかないのですか、あなたたちは!」
怒れる水属性の魔法使いは、さらに怒った。
「呪符の攻略法は、すでに見つけてあります!」
高々と宣言する涼。
「<パーマフロスト>」
永久凍土と名付けられた広域凍結魔法。
見える範囲の、空気中にある水分子の振動数を少なくし、空気を凍結する。
呪符そのものは凍りつかない。
だが、呪符の周りの空間は凍りつく。
これによって呪符の動きは止まる。
しかし、必要なのはこの次だ。
「<複層氷転換>」
<パーマフロスト>で生成された氷を、『複層氷』に変化させる。
涼の『複層氷』は、『魔力を通さない氷』だ。
西方諸国で涼が編み出した、冷たくない氷。
その原理としては、分子振動のほぼない氷を挟んでいる。
未だに、魔力が何なのか、完璧には分かっていない。
余剰次元にある重力であろうとは思う。
だが、この三次元に来た後に、それがどう『変化』しているのかは分かっていない。
それでも、何であれ、『振動』はしていると思うのだ。
だから、振動を強制的に停止する氷を挟むということは、魔力の伝播を遮断することになる……はず。
そのため、呪符の周りの氷を複層氷に変えると、呪法使いからの魔力が呪符に伝わらなくなる。
つまり……。
「呪符は力を失い、地に落ちる」
涼が、東方諸国を旅する間に、ようやく考えついた対呪符法。
しかし実は情報は、全て揃っていたのだ。
ようやく、思考が情報を使って答えを導き出した……。
「馬鹿な!」
だが、突然呪符を地面に落とされた者たちからすれば、到底受け入れられない。
「撤収!」
それは長老の声。
それに合わせて、あちこちで火属性魔法が打ちあがった。
撤収の合図であり、建物に火をつけて混乱させて逃亡するためだろう。
「<ウォータージェット256>」
再び、怒れる水属性の魔法使いが、感知圏内にある火を全て、一瞬で消し去った。
とはいえそれは、目の前にいた敵たちは逃がしてしまうということ。
「チッ、逃げ足は速いな」
逃げられたアベルが舌打ちをする。
「逃げられるとは、アベルも口ほどにもないですね」
「なんで俺は非難されているんだ」
涼が小さく首を振り、アベルが不満を述べる。
「あいつら、騎士や剣士の類じゃないぞ」
「何なんですか?」
「暗殺者とかそういう類だ」
「なるほど」
アベルの言葉に涼は頷いた。
「お二人とも、助かりました」
ズルーマは、片膝をついたまま礼を言う。
「いえいえ。以前、アベルが無礼を働いたお詫びです」
「おい……」
涼が持っていたポーションをズルーマに渡しながら問う。
「さっきの人たち、ズルーマさんの出身一族とかでしょう?」
「はい、聞こえていましたか」
「裏切り者って言ってました」
「元々……私は、ヘルブ公を暗殺するために一族によって送り込まれました」
「なんと……」
正直に答えるズルーマ、驚く涼。
アベルも無言であるが驚いている。
「ですが、私の力などでは全く及ばず……」
「ああ」
「ヘルブ公は私を返り討ちにした後、仕えよとおっしゃられ……。それ以降、私は全てを大公様とヘルブ公に捧げました」
懐かしさを含んだ表情でありながら、その目には一点の曇りもない。
しかし、それを聞いた二人は……。
「以前に、どこかで聞いた覚えがあります」
「あれだろ、フェルプスとシェナ」
「ああ!」
二人が思い出したのは、B級パーティー『白の旅団』の団長フェルプス・A・ハインラインと、副団長シェナの関係だ。
シェナはフェルプスを暗殺するために近付いたが、暗殺に失敗してフェルプスに仕えるようになったと。
「暗殺者が失敗して、暗殺対象に仕えるってのは多いんですかね?」
「さあ?」
涼の言葉に首を傾げるアベル。
「お二人の知り合いにも、そんな関係の方が?」
ズルーマも興味がわいたのだろう。
「ええ、まあ」
「暗殺に失敗した側からいえば、仕えたくなるのは当然です」
「え、そうなのです?」
ズルーマの言葉に驚く涼。
「自分の全力が及ばない相手だったのですから。圧倒的な実力を見せられれば、ある種の憧れを抱きます。それほど強い人物であれば、素直に、仕えてみたいと思えるのではありませんか?」
「なるほど」
「一理あるな」
ズルーマの説明に、涼もアベルも頷く。
「問題は、仕えられる側です。暗殺対象になった方」
「まあ……一度は命を狙ったんですもんね。そんな人が近くにいるのは、怖いでしょうね」
「ええ、当然です。ただ、こちらも力を見せました。有能である、使ってみたい人材である、と思っていただけるほど稀有であれば……」
「雇うかもしれんな」
アベルは頷いた。
「でもそれって、すごく大きな器ですよ」
「はい。ヘルブ公は大きな器をお持ちです」
「まあ、フェルプスも、人としての器はでかいな」
涼が感嘆し、ズルーマもアベルも思い浮かべた人物は、器の大きい人物であった。
「いずれは、アベルを狙う暗殺者が……」
「以前来た『五竜』のサンは首を刎ねたな……」
「雇いたいと思えるほどの人材ではなかったと」
「単純に、そうせざるを得なかっただけだ」
アベルは小さくため息をつくのであった。
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TOブックスのツイートです。
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