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水属性の魔法使い  作者: 久宝 忠
第三部 最終章 幻人戦役
712/930

0668 皇太子を暗殺したのは

「あり得ん……」

その光景に最も驚いたのは、間違いなくローウォン卿であったろう。

その様子を表すなら、茫然自失(ぼうぜんじしつ)が最適解。


「魔法なら分かる。わしがやったように支配下に置いてから割ればよい。じゃが錬金術で生成した氷の牢獄(ろうごく)じゃぞ? あり得ん……」

何度も、あり得んを繰り返すローウォン卿。


その人生のほとんどを魔法と錬金術に捧げ、ダーウェイ一と言われるほどの実力者であればこそ、できることとできないことを理解している。

その境界を、最も深く理解している自負がある。


その経験と知識から、『あり得ない』のだ。



「そう、以前だったら僕もそう言ったでしょう。あり得ないと。でも以前、ある人が言ったのです。僕が錬金術で氷漬けにされる可能性もあるのではないかと」


ファンとの戦闘直後、アベルが言ったのだ。

「錬金術を使えば、リョウを氷漬けにすることも可能ということか」と。

その問いを聞いた瞬間、涼は固まった。


ファンですら抜け出せない錬金術による氷漬け。

当然、涼でも抜け出せないだろう。

この先、絶対にそんなことはない……とは言えない。

だから、それに対抗する方法を、カウンターの方法を考えておかないといけないと。



それが、今日ここで活きた。



「それは……先見の明のある助言じゃな……」

ローウォン卿は称賛しつつも、その言葉には悔しさもにじんでいる。

完璧に捕らえたと思ったのにそれを突破されれば当然であろうか。


「はい。素晴らしい相棒、それがローウォン卿と僕との差です」

はっきりと言い切る涼。



だが……。



「『驟雨氷牢』を突破したのは見事。それは認めよう。じゃが、まだ負けてはおらんぞ」

「確かに。僕はまだ勝っていません」

ローウォン卿の言葉に、涼も頷く。


「ですが、先ほどまでのような戦いにはもうなりません」

「なんじゃと?」

「そもそも、なぜ僕は錬金術による氷の牢獄から突破できたのでしょうか? もちろんカウンター……対抗策を準備してはいましたけど、それは具体的にどんなものでしょう? それは、そう簡単に準備できるものでもないですよね」

「対抗策を準備していた……確かに、簡単に準備できるものではない。ロンド公爵の錬金術は素晴らしい、それは認めよう。じゃが、わしとてそうそう後れはとっておらんはず。それなのに現実には突破された……なぜじゃ?」


考えるローウォン卿。


一つの可能性に思い至ったのだろう。

驚いた表情になりながら、確認のために唱えた。

「『星霜輪環』」


無数の空中砲台が生まれ、そこからの俯角(ふかく)射撃を行う錬金術……だが、生成されなかった。


それで理解した。


「わしの錬金術の……魔法式を書き換えたのか……」

「はい」

愕然(がくぜん)とした表情のローウォン卿、にっこり笑う涼。



錬金術では、魔法式か魔法陣を何かに書き込む。

書き込まれた物が錬金道具と呼ばれる。


例えば涼の場合は、潜水艦ニール・アンダーセン号を生成する魔法式は、村雨の鞘に書き込まれている。

なのでこの場合、村雨の鞘は錬金道具ということになる。


どうやって書き込んだかというと、氷の板の上に魔法式や魔法陣を描き、それを縮小して村雨の鞘に写したのだ。


錬金術の魔法式や魔法陣の大きさに制限はない。

そのため、大きい方が書きやすい。

だが、場所を取る。

だから、縮小して『写す』ことが多い。



涼がローウォン卿の魔法砲撃を受けている間、さらに氷に閉じ込められた後も探っていたのは、ローウォン卿の魔法式が書き込まれた場所。

涼で言うところの村雨の鞘にあたる、錬金道具はどれなのか……。


戦闘中、錬金術を多用していたローウォン卿であるが、体のどこからも錬金術発動時に出る、あの淡い光は見えなかった。

そのために、探り出すのに非常に時間がかかった。


百六十センチない身長。

深い青地の東服を着て、杖をつき、白髪と白髭はかなり長く伸びている……そのどこかにあるはずだと。


「手首や足首に何かはめているかもと思ったのですが、はめておらず。もちろん服みたいな伸び縮みするものには、魔法陣や魔法式を書き込むのは向いていません。見る限り、本当に分かりませんでした」

「……」

「まさか、その杖だったとは」


もちろん杖も光ったりはしなかった。


「杖が空洞になっていて、その内側の空洞部分に魔法式が書き込まれていました。そのために、錬金術の光は外に漏れなかった」

「うむ。見事じゃ」

涼の指摘にローウォン卿は頷いた。



「じゃがそれが分かっても……錬金術の魔法式書き換えなどできん。できんように<保護>をかけておる」

「ええ、その<保護>の制御を奪いました」

「なんじゃと?」

「ローウォン卿が、僕の<アイスウォール>の制御を奪って自分の支配下に置いたように、僕は<保護>の制御を奪って自分の支配下に置きました。保護は、ローウォン卿自身の魔法によってされていましたので」

「なんと……」


<保護>の魔法の制御を奪い、錬金術の魔法式を書き換える。

ローウォン卿は使えず、涼だけが使える錬金術へと。


それによって、錬金術で生み出された『驟雨氷牢』のマスターを涼にして、解除。

さらに、杖の内側に書かれていた他の魔法式も涼のものになるように書き換えたのだ……。



涼の耳に深いため息が聞こえた。


「錬金術で完敗とは……」

ローウォン卿の呟き。


「じゃが……まだ魔法がある」



カキンッ。



二人の間にあった十メートルの距離を一瞬で詰めたローウォン卿。

その杖による一撃を、涼は村雨で受けた。


「魔法使いで錬金術師じゃからというて、近接戦ができんとは思うておらぬじゃろう?」

「もちろんです。ローウォン卿は兵部所属で戦場を渡り歩いたとか。あなたの命を狙って、敵は近接戦を仕掛けてくることも多かったでしょう。そうであるなら、近づかれたら終わり……それでいいはずがありませんよね」

一撃を受けられながら笑うローウォン卿。

想定の範囲内であると村雨で受ける涼。


「さあどうするロンド公爵。お主の錬金術を、このおいぼれに今一度見せてはくれんかな」

「いいでしょう」


涼はそう言うと、一度大きく村雨を払い、バックステップして距離をとった。


そして唱える。

「<アバター>」


二人の涼が生まれる。


「それは……錬金術と魔法の融合……」

ローウォン卿の呟きは誰にも聞こえない。


「<アイシクルランスシャワー><ウォータージェットスラスタ>」


涼本体を含め三体の涼から、極小、無数の氷の槍がローウォン卿に向かって撃ちだされた。

同時に、三体の涼の背面から微細とも言える水が噴き出し、氷の槍と同じ速度で突っ込む。


氷の槍の着弾、三体の涼の斬撃、それは一瞬で生じ、一気に収束した。


後に残ったのは、両手両足を無数の氷の槍に貫かれ、首の左右と胸に三本の剣が寸止めされたローウォン卿。


「見事。わしの負けじゃ」

ローウォン卿はわずかに笑ってそう言った。


「申し訳ないですけど、氷漬けになってください。<スコール><氷棺>」

涼はそう言って、ローウォン卿を氷漬けにした。


その上で……。


「僕の勝ちです」

涼の勝利宣言は、崩れ落ち氷漬けになったローウォン卿に向かってではなく、コウリ親王に向かって放たれた。



涼の視線を正面から受け止めるコウリ親王は、だが首を振って言う。

「私は認めない」

ゆっくりと、はっきりと。


「負けを認めないと?」

「そう、認めない」

涼は確認し、コウリ親王は頷く。


「分かりました。<スコール><氷棺200>」



涼は、コウリ親王ら乗組員ごと、コウリ艦隊全てを氷漬けにした。




「なあ、リョウ」

「何ですか、アベル」

「全員氷漬けにしたのはなんでだ?」

「コウリ親王が降伏しなかったからですよ?」

アベルの問いに、首をかしげて答える涼。


「いや、仕方ないのは分かるんだが……」

「本当は皇帝陛下の裁可(さいか)を仰ぎたかったのです。アベルにひとっ飛びしてもらって、皇帝陛下に来てもらうのはどうかと考えたのですが」

「お、おう……」

想定外の涼の考えに、さすがに驚くアベル。


「でも、もしものことを考えたのです」

「もしものこと?」

「アベルが皇帝陛下を抱えたまま墜落(ついらく)した場合を」

「墜落……」

「魔力切れとか、突然の幻人による襲撃とか、いろいろ可能性はあるでしょう?」

「ま、まあな……」


可能性だけなら、いろいろあり得る……それは確かだ。


「ナイトレイの国王が、ダーウェイの皇帝を抱えて墜落したら、絶対に国際問題になると思うのです」

「なるだろうな」

「それを未然に防ぐには、全員氷漬けにするしかなかったのです。彼らは、アベルの犠牲になったといっても過言ではありません。アベルは、彼らコウリ艦隊の乗組員の犠牲に感謝してください」

「うん、最後の部分に、論理の飛躍がありすぎたな」


アベルは涼の妄言には惑わされなかった。


「いろいろ考えるのがめんどくさくなって、全員氷漬けにしたんだろ」

「き、決めつけるのはやめてほしいですね」

「違うのか?」

「違う気がしないでもなく、するかもしれず、やっぱりしないでもなく……」

「うん、よく分かった」


氷漬け、めんどうだから氷漬け。


「でもでも、ローウォン卿は氷漬けにしておく必要性があったのです」

「気絶させているんだろう?」

「ええ、意識はありません」

「トリガーワード無しでも、魔法を使われる可能性があるからか?」


アベルは、以前涼が幻人の意識を奪った状態で氷漬けしていた理由を覚えていたのだ。


「それもあるんですけど、ある意味、ローウォン卿の身を守るためでもあります」

「身を守る? 誰から?」

「多分……皇帝陛下とコウリ親王?」

「……はい?」


皇帝ツーインは分からないではない。

だがコウリ親王は、いわばローウォン卿の雇い主でもある。

もちろん今は氷漬けになっているが……そんな人物から守るため?

アベルにはまったく意味が分からなかった。


「本当は戦闘中にでも情報を引き出せればよかったのですけど……そのタイミングはなかったですね」

「まあな」

「そのうち取り調べとかすると思うので、そこで確認しましょう」

涼が言ったのはそこまでであった。




皇帝率いる陸上部隊と、カブイ・ソマル率いる連合艦隊が合流したのは、翌々日。

先に港に入っていた皇帝ツーインは、港の沖合に停泊した連合艦隊のさらに向こうに、多くの氷の塊が浮いている光景に驚いた。


船が丸ごと氷漬けになって海面に浮いている。

しかも二百隻。

もちろん報告は受けていた。

だが、文字による報告と、実際の光景を見ての衝撃とは全く別物で……。


「あれがロンド公の魔法の力か。凄いものだ」

その呟きに、傍らにいたバロー伯フー・テンは無言のままうなずくしかできなかった。



「カブイ・ソマル殿、ご苦労。ロンド公爵にも、いろいろ迷惑をかけたようだ」

「もったいないお言葉」

「もう少し上手くやれればよかったのですが」

皇帝ツーインが褒め、カブイ・ソマルが頭を下げ、涼が頭をかく。


「リュン、久しいな」

「陛下……いえ父上、ご無事で何よりでした」

皇帝ツーインは、コウリ艦隊から救出されたリュン親王に嬉しそうに声をかけ、リュン親王も父でもある皇帝ツーインの身が無事であったことを喜んだ。



そうしてようやく……。


コウリ艦隊から連れてこられたのは、コウリ親王と未だ氷漬けのままのローウォン卿。


「コウリよ……」

「陛下、私は必要なことをしたまでです」

悲しげな様子の皇帝ツーインに、毅然(きぜん)とした態度で答えるコウリ親王。


「失礼ながら父上では、ダーウェイのかじ取りはできません」

コウリ親王がはっきりと言い放つ。

その表情には、いつもの余裕はない。

必死に、不本意でありながらも必死に訴えかける……それは、ある種の弾劾(だんがい)


「そうかもしれぬ」

弾劾され、だがいっそ優しげな表情でそれを受け入れる皇帝ツーイン。


「ジュンが……皇太子が生きておれば一番良かったのだ」

そう言った皇帝ツーインの視線は遠く、もう今では決して取り戻せない記憶を見ているかのような。


「なぜジュン兄上は亡くなられたのですか……」

コウリ親王の口から洩れたその言葉は、誰かに問うているわけではなかった。

聞こえた皇帝ツーインも、その問いへの答えは持っていないわけで。



だが、実はここに一人、その答えかもしれないものを持っている人物がいる。

その人物は、言うべきか言わざるべきか迷いつつ、結局この場では言わず、後で皇帝だけに伝えることを選択したかのようにうつむいていたのだが……皇帝ツーインは、その変わった様子に気づいた。


「ロンド公、何か思うところがあるのではないか?」

「え?」


問われた涼は、本当にびっくりした。

この場では何も言わないと決めてうつむいていたのに、突然問われたからだ。


「い、いえ、陛下、別に……」

涼が皇帝ツーインの前で、このような状態に陥るのは初めてだ。

それは当然、皇帝ツーインが訝しむことになる。


「何を聞いても怒らぬと誓おう。ロンド公、知っていることを話してはもらえぬか」

とても優しい口調。

ダーウェイの最高権力者に、ここまで言われてはさすがに涼も逃げられない。


「陛下、これはあくまで推測にすぎません。ですので、丁寧な調査をした後に……」

「うむ、それをぜひ聞きたい」

涼が言を左右にごまかそうとしているのを、一刀両断にする皇帝ツーイン。

さすがは大国の皇帝。



涼は一度深呼吸をした。

悪魔たちと戦闘をする以上に緊張しているのを自覚できる。


「陛下、皇太子殿下を(あや)めたのはローウォン卿であろうかと思われます」

「……」

一思(ひとおも)いに、躊躇(ちゅうちょ)なく涼は言い切った。

そんな言葉への反応は、完全なる絶句。


皇帝ツーインだけではない。

コウリ親王はもちろん、その場にいる全員が絶句した。


涼としては、驚くほど居心地が悪い。

とはいえ言ってしまったものはどうしようもないし、あの状況で黙っておくのも後々禍根(かこん)を残すのは明白。

結局、答えにたどり着いてしまった以上、言わないわけにはいかなかったのだ。



「ロンド公……いや、公が軽い気持ちでそのような告発をしたのではないことは分かっておる。分かっておるが……それでも……」

皇帝ツーインも言葉を選びながら、結局言葉は途切れる。


コウリ親王に至っては、完全に何も言えない。


この場には、他にも大きな衝撃を受けている人物がいる。

それは、告発された人物に近い人物。


ローウォン卿の弟子である……。


「ルヤオ、気分が悪いなら向こうで座っていてもよい」

顔色の悪くなったルヤオ隊長に、優しい言葉をかける主リュン親王。


「いえ、殿下。私もここで聞かせてください。師が、本当に道を踏み外したのであれば、それは弟子として目を背けてはいけないと……」


真実の告発は、多くの人を悲しませる。

だが、告発しなかった場合のことを考えると……やむを得ないのだ。



「ローウォン卿が……ジュン兄上の命を奪ったという、その根拠を教えてほしい」

そう言ったのは、ずっと黙ったままで、おそらくこの場で最も衝撃を受けていたコウリ親王であった。


その言葉を受けて涼は皇帝ツーインを見る。

皇帝ツーインも頷いた。


「最初に疑問に思ったのは、皇宮内でも水属性魔法が使えた時でした」

「それは、幻人が襲撃してきたときであろう? あの時は星辰網に不具合があったからで……」

「いえ陛下、実はあの後も、水属性魔法を使えたのです」

「なに……」

「その時は、私が変なのかあるいは私の魔法が特殊なのかなど、いろいろと理由を考えてしまいました」


一度そこで言葉を切ってから、涼は再び話し始めた。


「ですが聞いてみますと、皇宮内にある兵部……その幹部の中にはローウォン卿以外には水属性の魔法使いはいない。皇宮からの依頼を受けることも多いであろう高いレベルの冒険者たちの中にも、水属性の魔法使いはいない。……もしや、普段から皇宮内では水属性魔法だけは使える『設定』になっていたのではないかと」

「しかし、星辰網を管理する皇宮錬金術師がそれに気付かないとは思えん……」

「その錬金術師の方々も素晴らしいのでしょうが、ダーウェイ一の錬金術師ではありませんよね?」

「まさか……」

「ダーウェイ一の錬金術師で、水属性の魔法使い……そして、皇宮内で水属性魔法だけが使える……それを、皇宮錬金術師にも気づかれないように仕込み、設定することができる。そんな人物が一人だけいます」


涼はそう言って、氷の棺を見た。

透過率を変え、中に閉じ込めたローウォン卿が見えるようにしてある。

ローウォン卿は目を閉じ、意識は失われたままだ。



「なるほど」

皇帝ツーインは一つ頷いた。


「帝都に戻ったら、詳細な調査を行う。ロンド公、もしやローウォン卿はチョオウチ帝国の者たちと繋がっていたのか?」

その皇帝ツーインの問いには、多くのものが驚いて頭を上げた。

確かに、タイミングがピッタリすぎる。


だが、涼は首を振った。

「陛下、それはないかと思われます」

「なぜ?」

「もしそうであるならば、チョオウチ帝国はわざわざユン将軍をこちらに捕らえさせてまで星辰網の情報を収集しようとはしなかったでしょう。ローウォン卿から、より詳細な情報を得られたはずだからです」

「そうか」


涼の説明に、皇帝ツーインは頷いた。


「帝都に戻る前に、この場で本人に聞いておきたいことがある。ロンド公、それは可能か?」

「はい陛下、可能にございます」


涼はそう言うと唱えた。

「<アイスウォール複層氷50層>」

まず、氷の棺の外側に氷の壁を築く。

ローウォン卿が無謀な行動をとったとしても被害が少なくなるようにだ。


その上で。

「<氷棺 部分解除>」

頭の部分だけを解除した。



ゆっくりと目を開けるローウォン卿。

周囲を見回し、首から下が氷漬けになっている状況を確認するとため息をついた。

「皇帝陛下、お久しぶりにございます」

「ローウォン卿、聞きたいことがある」

「はい陛下、なんなりと」


努めて声音を落ち着かせて問う皇帝ツーイン。

いつも通りのローウォン卿。



「皇太子ジュンを暗殺したのは(なんじ)か」



その問いには、一切の怒気は含まれていないようであった。

怒りがすべてなくなったかのような表情、声。


だが、それは錯覚だ。

怒りが頂点に達し、あまりに大きくなりすぎると弾ける。

その後に訪れる虚無。


皇帝ツーインが(まと)いしは、その虚無。



問われたローウォン卿は、一瞬驚いたようであった。

そして周囲を見回す。

コウリ親王を見て、リュン親王を見て、そして弟子であるルヤオ隊長を見る。


最後に、涼を見た。

その瞬間、すべてを理解したようであった。


「なるほど。いろいろとばれたようですな」

ローウォン卿が苦笑しながら呟いた。



その瞬間、怒気が吹き上がった。

「貴様!」

それはバロー伯フー・テン。

あの時、ジュン皇太子の東宮を警護していた責任者だ。

役目を追われ、領地を召し上げられた。

間違いなく、被害者の一人と言っていいだろう。


だがそれ以上に、敬愛し、心の底から守りたいと思っていた人物を殺された……その犯人が目の前にいれば怒るのは当然か。


「待てフー・テン」

だが皇帝ツーインの言葉で、その怒りを抑えた。



「余が尋ねたいのは一つだけだ。なぜ皇太子を殺した?」


皇帝ツーインが問うた瞬間、すべての視線がローウォン卿に向いた。

そう、確かにそれは知りたい。

多くの者たちの希望であった皇太子を暗殺した……それはダーウェイにとって大きなマイナスだ。

国を裏切る行為。

だがローウォン卿と言えば、半世紀にわたって兵部として国の最前線でダーウェイを守り続けた英雄と言ってもよい魔法使いだ。


なぜ……。


「この二十年、ダーウェイの力は(おとろ)えに衰え続けておりました」

ローウォン卿は語り始めた。


「そんな中、十年前に皇太子殿下が立てられ、ダーウェイの政治中枢としてダーウェイを動かしていかれました。私も、最初は皇太子殿下に期待しました。ダーウェイを、かつてのような強き国にしてくださるのではないかと。ですが、そうではなかった」


誰も口を挟まずに聞く。


「皇太子殿下の治下においても、ダーウェイの軍事力は衰えていく一方。私は皇太子殿下に直言いたしました。軍事力を強化するべきだと。このままでは、いざという時に巨大なダーウェイは、その巨大さゆえに自らを守りきれず滅ぶと。ですが皇太子殿下は答えられた。周辺にダーウェイを脅かすような強国はない。今、政がやるべきは、民の生活を豊かにすることだと。むしろ過剰な軍事力を削り、それを民の生活を豊かにする形に振り分けると」

「……」

「なんと愚かな! これが為政者か? 現場の人間が、力が足りないと言っているのだ! なぜそれを無視する? それどころかさらに削る? 愚かを通り越して救いようがない!」


(げき)したローウォン卿の言葉が、今は亡き皇太子を打つ。


「見るがいい、チョオウチ帝国に対抗できぬ弱り切ったダーウェイを! 図体だけがでかく、簡単に倒せると思われているから攻められる! 皇宮を襲撃されもする! 五年前には誰も知らなかった国が、ダーウェイに挑戦しようとしている! これだ! これが恐れていたことなのだ! 新たに生まれた国は勢いがある。だが巨大なダーウェイはすぐには(かじ)を切れない。新たに生まれた国の一撃が、古き巨大な国を滅ぼすのは歴史上よくあること。だが、故国がそうやって滅びる姿など……私は見たくなかった。だから、コウリ殿下に賭けたのだが……」


最初は興奮していたローウォン卿であったが、最後に言葉を言い切る時にはむしろ悲しげな表情で小さく首を振っていた。



誰も何も言わない。



ローウォン卿も、誰からの答えも期待はしていなかったのだろう。

涼の方を向いて言った。

「ロンド公爵、私は言うべきことは全て言った。どのような罰も受ける。だから再び氷の中に戻してもらえんか?」

言うべきことを全て言い、受けるべき罰も全て受ける……その覚悟の下、ローウォン卿はいつも通りに落ち着いた声音に戻っていた。


涼は判断がつかず、皇帝ツーインを見る。

皇帝ツーインは小さくうなずいた。


「<スコール><氷棺>」

再び、ローウォン卿の全身を氷が覆うのであった。




翌日から、一行は再び北上を続けた。

涼とアベルも、連合艦隊に戻ってローンダーク号の甲板上にいる。

そこには、ローウォン卿の氷の棺もある。


他のコウリ艦隊の乗組員たちは、皇帝ツーインに従うことを誓約したため解放されている。

コウリ親王自身も、(ほう)けたようになって皇帝ツーインに従っている。

だが、ローウォン卿だけは拒否したため、氷の棺で移動しているのだ。



涼は、あれからローウォン卿の言葉を何度も思い返していた。


1205年にモンゴルの諸部族を束ねたチンギス・カンは、わずか六年後の1211年には当時の中国北半を支配していた金王朝に攻め込んだ。

二年にわたって金国内を略奪してまわり、たまらず金は屈辱的な和平を結ぶことになった。

しかもその後、結局和平は崩れ、1215年にはモンゴルは元々の金の首都燕京を包囲、陥落させている。

できたばかりの勢いのある国の強さを、歴史を学んだ涼は知っているため、ローウォン卿の言葉を否定することができなかった。


「アベル、政治って難しいですね」

「うん? もしかして昨日のローウォン卿のやつか?」

「ええ。誰もが戦争などしたくない、戦争に巻き込まれたくない、平和であってほしい、そう思っているのにそこに至るまでの道が違うために不幸が生じます」

「そうだな、確かに難しいな。だがリョウ、どんな道であっても、とってはならない方法があるぞ」

「なんですか?」

「それは、人を殺すという方法だ」

「あ……」


そう、ローウォン卿は自らの考えのために皇太子を暗殺した。


「俺は、人を殺してまで求める道が、正しい道だとは思わん」

アベルははっきりと言い切る。


それはまさに、王の姿。


「ローウォン卿は、戦争で何万人、何十万人が死ぬよりも、一人の犠牲でと考えたのかもしれん。だが、それでもだ」

「アベルは……強いですね」

涼が、(あこが)れにも似た表情でアベルを見て称賛する。


「いや、俺だって強くはない」

苦笑するアベル。


「戦場に行ってくれ、戦って死んでくれと言うのは辛い。死ぬまで慣れることはないだろう。だがその全ては、民のためだ。民の幸せのために、なさねばならないこと。それを俺が代行しているだけだ。それが王の役割だと思っている」

「政治なんて、誰がやっても面倒なだけなのに……それをわざわざ担ってくれるなんて、王様って素晴らしいですね」

「筆頭公爵が代行してもいいと思うぞ?」

(つつし)んで辞退いたします」


アベルも涼も、ローウォン卿をめぐる悲しい気持ちは抱きつつも、前を向くことに成功していた。

こういう時に、相棒や相方がいると救われるのかもしれない。



だがその時、北上し帝都を目指す皇帝率いる陸上部隊に、急報が入っていた。


「チョオウチ帝国軍が、北河を超え、北河南岸のシュンタイ城を占拠しました!」

怒涛の最終章。

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『水属性の魔法使い』第三部 第3巻表紙  2025年7月15日(火)発売! html>
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