0665 ネルソンタッチ
「ネルソンタッチです」
「は?」
涼の言葉に首をかしげるアベル。
まあ、いつものことである。
「戦列を組んだ敵艦隊、そこに正面から突っ込む先頭艦には最も砲撃が集中します」
「だろうな」
「かつてネルソン提督はその先頭艦に乗り、敵戦列に突っ込んでいきました」
「……おう」
涼が、トラファルガー海戦を熱く語っているのだが、アベルは全く理解できない。
ネルソンとかいう提督は凄そうだ、くらいの認識である。
とはいえ、熱く語る涼を邪魔するのも悪いと思い聞いてあげている。
アベルは善い奴なのだ。
「突撃し、敵の戦列を食い破って分断します。分断すれば、今度はこちらの舷側全てが敵に向くので、そこで形勢は逆転します」
「あ、ああ……」
「そこから、分断した一方を包囲殲滅し、その後にもう一方も潰す。それがネルソンタッチ。こうして皇帝の上陸を阻止したのです!」
高々と突き上げられる涼の右拳。
命を張って国を守ったネルソン提督に捧げられたものなのかもしれない。
ちなみにこのトラファルガー海戦で、イギリス史上最高の英雄とさえ言われるネルソン提督は戦死している。
はたして今回は……。
「<アイスウォール複層氷50層>」
涼が誇る、最硬の氷の壁。
これで防御は完璧。
あとは……。
「なあ、リョウは攻撃しないのか?」
アベルの問いは、涼とカブイ・ソマルに対してだ。
「<アイシクルランスシャワー>とかいうやつでやれば、沈められるんじゃないか?」
「ゴーウォー艦を沈めた攻撃ですね」
アベルの言葉にカブイ・ソマルが頷く。
頷くが、うまくいくとは思っていないようだ。
「敵……コウリ親王は、皇帝陛下の傍らにロンド公爵がいることを知っています。陸上部隊にいるか、艦隊にいるかをつかんでいるかは分かりませんが」
「ああ」
「それでも艦隊戦を挑んできました。それはなぜか?」
カブイ・ソマルは一度言葉を切ってつづけた。
「対抗できるものがあるからだと私は考えています」
「リョウに対抗できる?」
正直、アベルは、人で涼に対抗できる者がいるとは思っていない。
「私は帝都でロンド公爵の名前を聞くたびに、こう説明されました。まるで……」
「ローウォン卿のような」
言葉を継いだのは涼。そして頷いている。
「なるほど。あの艦隊に、そのローウォン卿がいると」
アベルは頷いた。
それでも、心の中では涼に対抗できるとは思っていない。
なぜなら、人間だからだ。
だが、当の涼自身が補足説明をする。
「僕は多くの魔法使いや剣士、両方を使う者たちと戦ってきました。でも、戦ってこなかった種類の相手がいます」
「うん?」
「錬金術師です」
「あ……」
「錬金術とは、人が極めた技術だと言っても過言ではないでしょう。ローウォン卿は、その頂に立つ人物です」
「なるほど」
アベルはこれまで見てきた。
涼が、魔法や剣で上回る相手に対して、錬金術で対抗してきたのを。
今回は、その錬金術を上回るかもしれない相手。
一流の錬金術師は、一流の魔法使いでもある。
「リョウを、水属性魔法と錬金術で上回る相手?」
「その可能性はありますよね」
アベルの言葉に涼ははっきりと頷いた。
うろたえてはいない。
油断してもいない。
「それにしても……」
アベルがため息をついて言葉を続けた。
「武力衝突を避けるために大軍を準備したのに、結局ぶつかりそうだな」
「人間の愚かしさを象徴しているかのようです」
涼が顔をしかめて首を振った。
人が愚かであっても戦争は進む。
むしろ、人が愚かであるからこそ、一度始まった戦争は簡単には止められないのか。
「ロンド公、攻撃を!」
「はい! <アイシクルランスシャワー“扇”>」
打ち出された極太の氷の槍が、涼を中心にした扇のように広がり、前方に展開するコウリ艦隊に襲い掛かる。
その数、四千以上。
だが、その全てが対消滅した!
「なんと!」
可能性は考えていたが、さすがに目の前で全迎撃を見せられると、放った涼自身でも驚く。
当たった瞬間は見えた。
「氷の円盤が、一対一で衝突してきました」
「氷の円盤? ローウォン卿が得意とすると言われています。円盤一つ一つが、まるで意志を持っているかのように動くと」
「意志を持っているかのように? 魔法でなく錬金術でしょうか……」
ラー・ウー船長の言葉に、小さくうなずく涼。
こういうところにも、錬金術の奥深さを感じる。
「砲撃、来ます!」
マストの監視員が叫ぶ。
戦列展開した二百隻のコウリ艦隊からの一斉砲撃。
だが、それは全て弾かれた。
対消滅ではなく、連合艦隊すべてを覆った涼の氷の壁が、弾き飛ばしたのだ。
「対消滅じゃありませんよ! 圧倒的な力の差を見せつけて弾いてやりました!」
「お、おう……さすがだな」
涼が隣にいるアベルに主張し、アベルが褒めてあげる。
戦闘中にアピールする涼に対して、気分を乗せてやろうと褒めるアベル……大人である。
涼は少し考えて大きくうなずいて言った。
「いいでしょう、こちらにも意地というものがあります」
艦隊指揮官であるカブイ・ソマルを向いて提案する。
「先ほどの<アイシクルランスシャワー>を連射していいですか?」
「え? それは構いませんが、魔力は大丈夫なので?」
「分かりません。ですが、挑戦者は無理をするものです」
「……お任せします」
涼の気分は挑戦者。
「受けてみるがいいです! 氷の槍の全力斉射!」
「言葉は挑戦者じゃないよな」
アベルの言葉は、もちろん涼の耳には届かない。
「<アイシクルランスシャワー“扇”>」
四千を超える極太の氷の槍。
だが、再び、全て対消滅させられる。
「想定内! <アイシクルランスシャワー“扇”><アイシクルランスシャワー“扇”><アイシクルランスシャワー“扇”><アイシクルランスシャワー“扇”><アイシクルランスシャワー“扇”><アイシクルランスシャワー“扇”><アイシクルランスシャワー“扇”><アイシクルランスシャワー“扇”><アイシクルランスシャワー“扇”><アイシクルランスシャワー“扇”>」
<アイシクルランスシャワー“扇”>の十連射。
合計、四万本以上の氷の槍がコウリ艦隊を襲った。
そして起きる、四万回を超える対消滅の光。
「あれを全て迎撃したのか?」
驚いて声を上げるのはアベル。
その表情は、真に信じられないものを見たと語っている。
「リョウ……」
心配して傍らの相棒に声をかける。
「アベル、迎撃されるのは想定内です」
「あれだけの数を放ってもか?」
「ええ。全ては最終的な勝利のための布石です」
心配そうな顔のアベル、対称的に自信と決意をみなぎらせた顔の涼。
「そうだ、もう一つ試しておきましょう」
涼はそう言うと、唱えた。
「<アイシクルランスシャワー“貫”>」
先ほどは涼から広がっていった氷の槍が、今度は一つの目標に向かって放たれた。
次々と。
合計四千本。
全て、対消滅の光を放って消滅した。
「これは凄いですね。いや、凄いというより呆れるというべきでしょうか」
涼が小さくうなずいている。
もちろんその間にも連合艦隊は前進し続けている。
それはとりもなおさず、両艦隊の距離が縮まっているということ。
最終的には、衝突する。
「矛で破れない盾同士がぶつかれば、どうなりますかね」
「……ぶつかったまま力押し?」
涼の問いに、アベルは真面目に答える。
頭の中には、盾使い同士が盾で押し合っている光景が描かれている……。
「それもやむなしでしょうか」
涼はそう言うと、カブイ・ソマルを見た。
その視線を受けてカブイ・ソマルも頷く。
「全艦、接舷戦の準備はしてあります」
だが答えたカブイ・ソマルも、涼も理解している。
おそらくは相手の艦に乗り込めないであろうと。
もちろん、こちらの艦にも乗り込めないであろうと。
そして両艦隊は、衝突した。




