0661 六聖
バントは港町でもあるが、ボアゴーに比べれば港は広くない。
そのため、連合艦隊は港の沖合に停泊している。
バントでの皇帝の本陣は代官公邸に置かれた。
遠征軍は、代官公邸周辺に配置されている。
決して油断はしていなかった。
代官公邸の代官寝室前では、禁軍統領ティンが寝ずの番をしている。
当然、昼間の移動している間も皇帝ツーインの馬車のすぐ横を、騎馬で移動しており……簡単に言えば寝ていない。
だがそれはティン自身が望んだことであった。
眠気を『無くす』ために、必要なものも手に入れた。
それは『カコの実』と呼ばれるもので、覚醒作用がある。
もちろん違法なものではない。
どこかの世界の合成薬と違って、最終的に分解されて全て体外に排出され、依存性も全くないものだ。
ただし、高価。
ダーウェイ南部でしか採れず、その数も少ない。
どうしてもやらねばならない仕事がある、これをやり遂げなければクビになる……そんな時に、中央の官僚が頼る最終手段。
一粒で十二時間は起きていられる。
正確には、マイクロスリープという数秒、あるいはゼロコンマ数秒の睡眠が繰り返されるため、ずっと起きているのに比べれば体へのダメージも少ないのだ。
もちろん、ちゃんと眠るのに比べれば疲労は溜まるのだが……。
それをティンは四十個手に入れていた。
カコの実の産地として知られるのはダーウェイ南部。
その一つ、バロー伯に直接掛け合って。
言うまでもなくバロー伯は先日復帰したフー・テンである。
話を聞いたフー・テンは、すぐに自領から調達してきた。
感謝するティンは、帝都に戻ったら必ず代金は払うと約束した。
だが首を振るフー・テン。
「代金は不要。役目に邁進されよ」
それだけ言うと、自分の仕事に戻っていった。
フー・テンは分かっていたのだ。
皇帝ツーインは命を狙われるかもしれない。
それを阻止し、絶対に命に代えても守り抜く……禁軍統領ティンはそのつもりなのだと。
一度は失敗した。
だから、今度こそは。
その気持ちは、フー・テンには痛いほどよく分かった。
なぜならかつて自分も経験したから。
守り抜けなかった皇太子の件を忘れることなどできない。
だから、ティンには成功してほしかった。
そんなカコの実を夜八時に飲んだ禁軍統領ティン。
翌朝八時まで睡魔は襲ってこない。
襲ってこないはずなのだが……。
「これは眠気? あり得ぬ」
フー・テン以外の者から手に入れたカコの実であれば、本物ではなかったのかと疑ったかもしれない。
だが、フー・テンに限ってそれはない。
五年前、皇太子の暗殺が起きるまで、バロー伯フー・テンは皇宮での役目を多くはたしていた。
その正直さと真面目さ、それでいて高い問題解決能力は、皇太子はもちろん皇帝からの信頼も厚いものであった。
だから知っている。
フー・テンは信用していい。
となれば、眠気を感じる理由が別にある。
ティンは廊下からそっと庭を覗いてみた。
そこには兵士が巡回しているはずだったのだが……。
「全員が寝ている?」
思わず呟いたが、それは信じられない光景。
だが、事実、目の前で起きている。
当然、疲れて寝ている、あるいは巡回の手を抜いて寝ている……そんなことはあり得ない。
であるならば……。
何か人為的な方法で強制的に眠らされている。
それが起きる理由として考えられるのは、まずは夕食に何か混ぜられていた?
「いや、私は食べていない」
そう、ティンは常に持ち歩いている水筒から水を飲んだだけだ。
口にしたのは水とカコの実だけ。
それなのに自分にも眠気が襲ってくるのはおかしい。
「眠気を誘う香の類か?」
だが見る限りそんなものはない。
匂いも感じない。
「あまり良くないのは分かっているがやむを得ん」
ティンはそう言うと、カコの実をもう一粒飲んだ。
飲み過ぎは推奨されない。
だが、効果が抜群であることも知っている。
そして案の定、眠気は完全に覚めた。
そうすると、分かってきたことがある。
「精神に直接作用してくる何かがある」
それが、眠気を引き起こすのだ。
ティンは生粋の軍人であり、武人であり、皇帝守護である。
皇帝を守るために、多くの知識を持っている。
その中には当然、魔法関連もある。
「闇属性魔法だな」
ダーウェイ広しと雖も、闇属性の魔法使いは多くない。
ティンもそれは知っている。
だが、いないわけではない。
「護衛を眠らせる……狙いはただ一つ……陛下の命」
ティンが小さく呟いた時だった。
「おい、そこに起きているやつがいるな? 出てこい。どうせ起きているのはお前だけだ」
そんな声が聞こえ、庭に三人の人影が現れた。
ティンが闇属性魔法で寝ていないというのを分かった上で、そんな声をかけてきた。
ティンとしては迷う。
この建物には守るべき主が眠っている。
今いる廊下が戦場になり、主がそれに巻き込まれては困る。
それは一番避けたい。
庭で戦うしかない。
選択肢は他になかった。
ティンは手甲をはめた手に抜身の剣を持って、庭に出た。
「なるほど。やはり禁軍統領ティン・メウか。バーダ、お前の負けだな。統領殿は眠らなかったぞ」
そう言うと、先ほどからずっと喋っている人物は大笑いした。
その左隣にいる深くフードを被った背の低い人物は、不満そうに息を吐いている。
右隣のほっそりした人物は無言のまま肩をすくめた。
ティンが持つ情報は少ない。
だが、今、決定的な情報が出てきた。
闇属性魔法使いの名前はバーダ?
「特級冒険者バーダ? まさかお前たち、六聖か」
「おっと、こいつは口が滑っちまったな」
中央の大男がわざとらしく笑う。
190センチ近く、筋骨隆々なその外見……剣も佩いている。
もし六聖というのなら、六剣にも名を連ねる……。
「火属性の魔法使いブウォン……」
「おぉ正解! さすが禁軍統領ともなると、ヤバい奴の名前は全部覚えているのかな」
絞り出すように口にしたティン、ニヤリと笑って余裕のブウォン。
その差はそのまま、二人の間にある圧倒的な実力差でもある。
「分かるだろう? 六聖三人で皇帝陛下の命を貰いにきた。禁軍統領ティン、あんたが強いのは知っている。だが、それは人の中でだ」
「……」
「六聖とは人外。俺たちのうち一人でも、あんたを楽に倒せる。しかし、それは依頼の中に入っていない。依頼は皇帝の命、ただ一つ。もちろんそれを邪魔する相手を排除する許可は貰っているが、正直やりたかない。だから、あんたは邪魔するな」
「主上が……仕えるべき主が殺されるのを、むざむざ見過ごせとでも言うのか?」
口から絞り出されたティンの声は、震えていた。
それは恐怖ゆえではない。
怒りゆえだ。
「私は一度失敗した。それを主上は許してくださった。そんな主の身を、自分の命惜しさに差し出すとでも思っているのか?」
言葉だけでなく、体すら震わしながら怒るティン。
「あり得るか! そんなことはあり得ない!」
「死ぬぞ?」
「殺さば殺せ! この身と引き換えにしても主上の命は守る! 二度も失敗は許されない。主上が許しても俺が許せない!」
そこまで言い切って、逆にティンの震えは消えた。
怒りはその体に内包され、むしろ冷静さを取り戻したようにすら見える。
「いいだろう。俺が相手をしてやる」
火属性の魔法使いブウォンが剣を抜いて、対峙した。
(立ち会うだけで分かる、強すぎる)
ティンは心の中で呟く。
勝ち目がないのは分かる。
嫌でも分かる。
だが……。
(負けるわけにはいかない!)
戦端を切ったのはティンであった。
強い相手であるのは分かる。
だからこそ自ら動き、死中に活を求める!
カキンッ。
弾き飛ばされる剣。
「うぐっ」
そのまま腹を剣で貫かれ、さらにもう一度今度は背中から剣を突き立てられるティン。
自分に何が起きたのか、全く理解できなかった。
ただ一つ分かったこと。
それは負けたということ。
勝負は、ただ一合で決した。
「馬鹿……な……」
「気合は良かった。だが、これが俺とあんたの差だ」
地面に崩れ落ちるティン、淡々と事実を述べるブウォン。
「禁軍統領ティン、主が殺されるのをそこで見ておけ」
勝ち誇るでもなく、粛々と仕事を遂行しようとするブウォン。
「また……私は……失敗するのか……」
ほとんど声にならないティン。
悔し涙が浮かぶ。
ティンを庭に放置し、建物に入ろうとした三人の特級冒険者。
だが、五本の青い光が三人を横から襲った。
「む?」
三人とも<障壁>を張って防ぐ。
五本の青い光は、三人と建物の間に立ちふさがった。
「人形?」
「ゴーレム」
「氷のゴーレムだ」
火属性のブウォンが首を傾げ、風属性のレオ・リンが囁くような声で言い、闇属性のバーダがはっきりと言い切る。
三人の前に立ちふさがったのは、槍を腰に構えた五体のアイスゴーレム。
「氷ってことは、あれか? 例の公爵閣下か?」
「間違いなく、ロンド公爵だ」
ブウォンの問いに、バーダが答える。
「だがロンド公爵は艦隊の方だよな? 沖合に停泊している……」
「皇帝への襲撃を予想して配置しておいたのだろう」
「なるほど。なら、やることは一つだな」
ブウォンはニヤリと笑うと、唱えた。
「<業火煉獄>」
その瞬間、ゴーレムたちの足下から何十本もの炎の柱が立ち昇った。
しかし、彼らは動かない。
溶ける、あるいは砕けるゴーレムたち。
放たれた魔法が抵抗できないほど強力である以上、よけるしかないはずなのだが……その場を動かない。
まるで、その場を動けば侵入を許してしまうから……だから体を張って侵入を阻止し続けているかのような。
だが炎の柱は、無情にも彼らを襲い焼き続け……五体のゴーレムは消滅した。
「ふん、他愛もない」
ブウォンが口に出した瞬間だった。
空気が変わった。
三人とも同時にそれを感じる。
すぐに周囲を見回す。
地面に寝ている守備兵たちと、息も絶え絶えの禁軍統領ティンがいるだけだ。
「これは……」
「上!」
ブウォンの呟きに、バーダが叫んだ。
空に二つの人影。
一人は、黒いマントを羽織った赤毛の男であり。
もう一人は……怒りに満ちた、白ローブの黒髪の男であった。




