0657 壁がある理由
「事前の打ち合わせもなく突然振ってしまい、申し訳ありませんでした」
涼の前でカブイ・ソマル護国卿が頭を下げている。
「ああ、気にしないでください。もしかしたらと思っていましたから」
にこやかに答える涼。
役に立てるのが嬉しそうだ。
「かつて、ブラルカウ号……建造時はレインシューター号でしたか。かの船を、アティンジョ大公国の魔法砲撃から守ってくださった場面が思い浮かびまして」
「ええ、ええ。僕は水属性の魔法使いですから、守るのは得意なんですよ」
「その後、氷の槍で五隻全てを沈められて……」
「そう、そう。あれは<アイシクルランスシャワー“扇”>といって、お気に入りの技の一つなんですよ。相手の乗組員には一発も直撃させずに、船だけ沈めましたからね。水属性の魔法使いの面目躍如です」
カブイ・ソマルの言葉に、涼が嬉しそうに答える。
そこに、第十船ラー・ウー船長がやってきた。
「カブイ・ソマル卿、先ほどは失礼いたしました。決して、面目を潰すつもりではなかったことだけは理解いただきたい」
「もちろんです。命のかかった戦に出るのです。その会議において発言に遠慮など不要。率直な意見こそが部下たちの命を救うことになります」
ラー・ウー船長もカブイ・ソマルも海の男であり、元々軍艦乗りなのだ。
小さなことにうだうだ言ったりはしないらしい。
「ボアゴーから北上する際に寄港する場所は、以前シオ・フェン公主がお披露目に立ち寄った港をなぞることになるとか」
「そうですね。現実的に大きな港を構えた街ばかりですので、補給を含めて何があっても大丈夫なところばかりだと言えます」
カブイ・ソマルの確認に、頷いて答えるラー・ウー船長。
シオ・フェン公主のお披露目艦隊の一角には、ラー・ウー船長率いる第十船も当然いたため、知った港ばかりだ。
「旗艦は本当にローンダーク号に置かれるので? こう言ってはなんですが、公船第十船はダーウェイ艦の中でも最も沈みにくい船の一つです。向こうの艦隊と対峙することになれば、旗艦が先頭に立つ場面が増えるでしょう。もしもの場合を考えても、第十船でなくてよろしいので?」
ラー・ウー船長が問う。
「そう、全くその通りだと思います」
カブイ・ソマルは笑いながら頷いた。
そして言葉を続ける。
「ただ、ローンダーク号は幸運を持っているようですので。船長もでしょうが、我々船乗りはそういうのを大事にするでしょう?」
「なるほど、それは全く同感ですね」
カブイ・ソマルとラー・ウー船長は笑いながら頷いた。
二人は部下たちの報告を受けに、部屋を出ていった。
「なんかいいですね、船乗り同士、海の男同士って感じで」
「言いたいことは分かる。ああいうのは、本当にその道の専門家同士だからこそ通じるものがあるんだろうな」
涼とアベルは、カブイ・ソマルとラー・ウー船長について話す。
「アベルもいずれそうなるのでしょうか」
「俺? 何の専門家だ?」
「……統治?」
「統治? 誰と通じ合うんだ?」
「……帝国のルパート陛下や連合のロベルト・ピルロ陛下?」
「すまん、全くその光景を想像できん」
「自分で言ったものの、僕にも想像できませんでした」
専門家同士が通じ合うというのも、簡単には起きなさそうである。
「むしろ剣士同士とかのほうがありそうですかね?」
「なるほど、確かにな。例えば誰だ?」
「……ミーファ?」
「それは……何か違わないか?」
「自分で言ったものの、僕にも想像できませんでした」
師匠と弟子は、また違うものらしい。
ダーウェイ南部ボアゴーの街で、そんな会議が開かれていた頃、ダーウェイの更に北。
チョオウチ帝国によって陥落したペイユ国首都プリン。
臨時幻王府で。
「首領様、皇帝陛下が……」
「取次ぎ不要と言ったはず!」
そう言って、幻王の部屋に入ってきたのは豪奢な東服をまとった、180センチほどの男性。
顔立ちはベルケ特使や幻王に似ているが、年齢は六十歳ほどに見える。
また、二人に比べるとかなり華奢な印象も受けるが……。
「皇帝陛下、このようなむさくるしいところへご臨幸いただき……」
「挨拶などいらん!」
幻王の挨拶を遮る華奢な男。
彼が、チョオウチ帝国皇帝ワンシャン・ク。
今やペイユ国まで占領し、名実ともに近隣諸国が認める『帝国』となったのだが……その国主としては余裕がないようだ。
だがそれは、幻王の前に皇帝ワンシャン・クが出る時はいつもの事。
幻人全てを意のままに動かすことができる幻王の方が、皇帝たる自分よりも強い立場にあることを嫌でも理解しているからである。
しかもそれが、自分の子であればなおさらであろう。
さらにそれが、一度は忌み子として宮廷から放逐した子であればなおさらであろう……。
だが、言わねばならぬことがある。
「ダーウェイ攻め、手を貸せ」
有無を言わせぬ口調。
そうなのだが……言われた幻王はうっすら笑っている。
わざとらしく、何かを考えているかのような笑みを浮かべ。
そして、幻王は口を開いた。
「私などが手を貸さずとも、ダーウェイごとき、皇帝陛下の威光をもってすれば簡単に攻め滅ぼせるかと」
「黙れ!」
皇帝ワンシャン・クの鋭い言葉が幻王を打つ。
だが幻王にはまったく効いていない。
「私が、ダーウェイを憎んでいるのは知っているな?」
「かつてダーウェイの錬金術師たちに封印されたからですな」
「そうだ! 三十年もの間……何も聞こえぬ、何も見えぬ暗闇の底に封じられた。あの屈辱は決して忘れぬ」
皇帝ワンシャン・クは心の底からの、魂の叫びとも言っていい言葉を吐いた。
それはまさに呪詛。
ダーウェイへの呪詛であり、皇帝ワンシャン・ク自身への呪詛である……幻王はそのことを理解している。
呪詛である以上、論を尽くして説明しても無駄。
呪詛から解放される唯一の方法、それは望みがかなうこと。
幻王は小さく、本当に小さくため息をついた。
「手を、貸せ」
皇帝ワンシャン・クが、再び、今度は重々しく言う。
幻王は小さく肩をすくめてから答えた。
「条件が二つあります」
「なに?」
皇帝ワンシャン・クは顔をしかめている。
不愉快であることを隠していない。
「一つは『器』を全て、私の指揮下に置きます。皇帝陛下の本隊は魔物を全て使えるようにしますので問題ないでしょう」
「……もう一つの条件は?」
「ダーウェイの帝都を落としたら、ベルケにチョオウチ帝国本国をお与えください」
「何だと? どういう意味だ」
「そのままの意味です」
皇帝ワンシャン・クは顔をしかめるだけでなく、首もかしげている。
チョオウチ帝国本国を渡せという意味が分からないのだ。
「陛下はダーウェイの帝位に就かれればよい。ですので、チョオウチ本土をベルケに」
「全てを手に入れることはかなわぬと申すか?」
「いえ、手に入れればよろしいでしょう」
皇帝ワンシャン・クがわなわなと震えながら問い、幻王が小さく首を振ってこたえる。
「ですから皇帝陛下の治める下で、チョオウチ帝国本土をベルケへ。もし、ダーウェイの領土で何か起きても本国が大丈夫であれば我ら幻人、何度でもやり直せます」
一分後。
「分かった。『器』の指揮権を与え、ダーウェイ陥落の暁にはベルケに本国を任せる」
「ありがとうございます」
皇帝ワンシャン・クの言葉に、幻王は一礼した。
数時間後。
「七星将軍マリエ・クローシュ、首領様ご依頼の品をお届けに上がりました」
マリエが恭しく跪き、口上を述べた。
「……三週間は、さすがに時間がかかりすぎじゃないか?」
口角を上げながら文句を言う首領こと幻王。
「急いで運んでこぼしたらマズいでしょ? 壺に入ってるの、凝固していないダーウェイ皇帝の血なんですから。そんなものを、舗装していないどころかデコボコが多すぎる道を、いやいや道とすら呼べないような獣道を馬車に積んで運んできたんだから。まったく!」
最初こそ、丁寧な口調と恭しく跪いていたが、すぐにそんなものが取り払われてマリエの地が出た。
明確に幻王に反抗することはないが、口調に丁寧さがないのはいつものことなのだ。
「まあよい。どうせペイユ国攻めに参加したくなかったのであろう?」
「分かっているなら聞かないでよ。弱っちい相手をいたぶる趣味はないの」
「それが命令なら?」
「命令なら従うよ? でもできれば、強い奴と戦いたいね」
はっきりと言い切るマリエ。
「ロンド公爵は強かったか」
「そう、強かった」
マリエはそう言うと、何かを思い出すように少し頭上を見て、言葉を続けた。
「圧倒的というわけではなかった。だから、ほんの少し展開が違えば勝てたかもしれない……
そう思うからすごく悔しいんだけど。ああ、でもそうね、強さってのは、その『ほんの少しの違い』なのよね。そう考えたら、やっぱり強かったのか」
マリエは何度か頷いた。
「昔お前が負けたヴァンパイアとは違うと」
「当たり前でしょ。でもどっちも……」
マリエははっきりと幻王を見て言った。
「どっちも化物よ」
謁見室を出たマリエは、すぐに衛兵に呼び止められた。
「首領様が、執務室の方に来てほしいとの事です」
「ふむ」
そして、執務室に入るマリエ。
「呼ばれたので来ました」
それは不満たらたらの部下の態度。
いつものことであるため、やはり幻王は叱ったりしない。
机の上に取り出したのは一枚の紙。
今回、到着早々にマリエが提出した書類だと分かる。
「手紙は読んだ」
「ええ」
「帝国を離れたいと書いてあるが、どういう意味だ」
「その通りよ、そのまんまの意味」
幻王の言葉に、肩をすくめて答えるマリエ。
「待遇に不満があるとか、そういう話ではなさそうだな」
「そう、特にその辺には不満はないわ。ちょっと……出歩きたくなったの」
「ロンド公爵に負けたからか?」
「そうね、それもあるかも」
そう答えながらも首をかしげるマリエ。
確かに、それは直接の引金にはなったかもしれないが、それが主因ではない気がする。
「ちょっと西方諸国と暗黒大陸に行ってみたいと思ってね」
「なるほど、西方諸国と暗黒大陸か」
マリエの言葉に、どっかと椅子に深く体をうずめて答える幻王。
しばらく考えた後、幻王は口を開いた。
「今の状態では、西方諸国に行けないのは分かっているよな?」
「『回廊』が通れないからでしょう? 『壁』を開かないといけないけど、そのために必要なのが、ダーウェイ皇帝の血だったわけで。それは手に入ったから……首領なら開けられるでしょ? そもそも中央諸国に行きたいわけでしょうから」
「正確に言うと、俺が開ける必要はない」
「はい?」
幻王の言葉に、首をかしげるマリエ。
「時間はかかったが、『壁』を開ける準備は整った。あとはダーウェイ皇帝の血を注いでしばらく待てば、『鍵』ができる。それを使えば誰でも……ある程度魔力のある幻人なら開けられる」
「へぇ、そうなの」
マリエはあまり興味がなさそうだ。
「マリエにその『鍵』で壁を開けてほしい」
「は?」
素っ頓狂な声を上げるマリエ。
「いやいや、首領は?」
「ああ、ちょっと戦うためにダーウェイに行くことにした」
「ロンド公爵……リョウと戦いたくなった?」
「そうとも言う」
「そもそもクベバサで戦って負けたんでしょ?」
「おい……」
マリエの言葉に、傷ついたような表情になる幻王。
あまりこの手の表情を見せることはない。
「ちゃんとそういうのは言いなさいよね。いっつも威張ってばかりだから、こういう時にちゃんと報告できないのよ」
「そんなに非難されるようなことじゃないだろう」
「まあ、それはいいわ。もう一度、今度は生身でリョウと戦いたいってのも分かる。でも、だから私に『壁』を開けろ? 場所もよく知らないし、どんな形状の『壁』や『回廊』なのかも知らないのよ?」
マリエは肩をすくめる。
幻王は一つ大きなため息をつくと、話を始めた。
「そもそも、なぜ『壁』が存在し、中央諸国と隔てられているかは知っているか?」
「いいえ、知らないわ。私が海の方に行っている間に、あれ築かれたのよね。もう千年くらい前? もっとかな?」
「あれは、中央諸国からスペルノが来るのを防ぐために築かれた」
「スペルノ? ああ、人間たちが魔人って呼んでいる奴らね」
マリエは一つ頷いた。
それなら分かる。
「スペルノは厄介だったからね。あの頃は、まだかなり数が多かったんだっけ。確かに、あんなのが大量にやってきたら、東方はめちゃくちゃになるわ。でも今はもう、かなり数が少ないでしょ? そうか、だから『壁』を開けるのね」
ようやく、マリエは得心がいったようだ。
「それもある。そもそも、数百年、『壁』自体もかなりがたがきている。当代一の錬金術師によって築かれはしたが、さすがに千年も経てば数年間隔で開いたり閉じたりするわな」
「まあ、開けても大丈夫なのは分かったけど、わざわざ開ける必要もなくない?」
「スペルノが、なぜ不死身か知っているか?」
「さあ?」
「『祠』のせいだ」
「祠? そうか……中央諸国とか西方諸国にあるやつね。地脈につながっている……」
「あれは、スペルノの生命力を補充するものなのさ」
「マジ? どうりであいつら、強いわけね」
マリエも初めて知る『祠』の意味。
あるいは『隠された神殿』というか……。
「我ら幻人がそれを奪い取る」
「ああ……」
「どうせスペルノはほとんどいなくなった。使わなくなったものを、我らが使ったところで悪くなかろう?」
「そういう理由があったんだ」
マリエもようやく全てを理解した。
「どうだ?」
「いいわ、そういうことなら協力してあげる。どうせ、西方諸国に行くには中央諸国を通るし。『壁』を開けないと行けないからね」




