0006 アサシンホーク
『ファイ』に来て二十一日目。
涼は、結界の外で狩りをしていた。
対するは、レッサーラビット。
ウサギのような魔物。
不規則に飛び跳ねながら対象に近づき、喉元に噛みつく。
それが、レッサーラビットの動き方。
涼の狙いは、レッサーラビットの飛び跳ねる瞬間。
その瞬間に、後ろ脚を、左右同時にウォータージェットで狙撃する。
脚を貫くほどの威力はまだないが、着地後はバランスを崩し、次回以降の飛び跳ねを阻止できる。
そして近づきながら、今度は両目をウォータージェットで狙撃する。
ここまでいけば、ナイフ付き竹槍で突き刺して、息の根を止める。
「ふぅ」
そう、涼は、ついに安全な狩りの方法を確立したのである。レッサーラビットに対して。
もう一つの敵、結界外に初めて出た日に出会ったレッサーボア。
その後も何度かレッサーボアと対峙したが、レッサーボアにはこの方法は通用しなかった。
理由は簡単だ。
飛び跳ねるレッサーラビットは、その瞬間に後ろ足が露わになり狙撃できるが、前傾姿勢で突っ込んでくるレッサーボアは後ろ足が狙撃できないからだ。
ならばと前足をウォータージェットで狙撃したが、ラスト三メートルを後ろ足だけで飛びかかってきたのだ。
とっさに横に跳んでかわしたが、初めてレッサーボアに会った時の、あの悪夢が蘇った。
その後、竹槍をめった刺しにして、ようやく冷静になったのは、苦い思い出だ。
それ以来、レッサーボアは最初の時同様に、アイスバーン+アイシクルランス、とどめにナイフ付き竹槍で狩ることにしている。
猪突猛進という言葉通り、レッサーボアは必ずこちらに向かって一直線に向かってくるから、この方法が一番嵌まるのだ。
何はともあれ、家の周りによく出るレッサーラビットとレッサーボアに対しては、比較的安全に狩ることができるようになった。
最近の涼のスケジュールは、午前中は結界の外で狩りをし、午後は結界の中で魔法の練習、という感じだ。
未だにアイシクルランスは飛ばないし、ウォータージェットも対象を貫くほどの威力は無い。
それでも、毎日の狩りの成功は、涼の心に、ある種の平穏さをもたらしていた。
「平穏は、次なるステップへの踏切り台である by三原涼」
次なるステップ、もちろんそれは、食の充実。
『食の充実』とは言っても、果物と、塩以外の味付けの獲得、それが目的だ。
一般に、『衣食住』が生活の基盤。
そのうち『住』は、ミカエル(仮名)が準備してくれた家と結界があるために、盤石と言える。
そして『衣』であるが……すでに『ファイ』に転移してきた時に身に着けていた服は着ていない。そちらは大切に保管してある。完全冷凍保管で。
涼が今、身に着けているのは……レッサーボアの皮をなめして『革』にしたものだ。
そう、涼は『なめし』を行った!
素人作業なので、しかも地球にいる時に、ブログや動画で見たことがあるだけなので、かなり適当ではあるが……。
まず、レッサーボアの皮を剥ぐ。
そして剥いだ毛皮を丁寧に洗う。洗う。洗う。
水属性魔法使いの面目躍如。
洗って乾燥させたら、皮の内側についている肉や脂肪を剥ぎ取る。
レッサーボアの場合は、手でビリビリと剥ぎ取ることが出来た。
そして残った真皮、あるいはコラーゲンと呼ばれる部分。ここになめし剤を結合させて素材として安定させるのが『なめし』なのだが……問題はこの『なめし剤』だ。
地球でなめし剤として主流のクロム……もちろん無い。だいたいどうやって作るのかも知らない。
もう一つの主流であるタンニン……ワインとかの渋み成分、なので植物由来なのだろうがどんな植物から手に入るのか、涼は知らない。
そもそも『なめし』とは『鞣し』と書く。
『革を柔らかくする』
それが『なめし』
では、なめさなかったらどうなるのか。
腐敗したり乾燥したりして、硬くなる。
腐敗して、硬くなる服……そんな服は、嫌だ。
それらを防止するために、クロムやタンニンの中に『漬け込む』のだ。
そう、基本的に『なめし』は皮を『漬け込む』のだ……が、涼は知っていた。
漬け込まない『なめし』があるということを。
「燻煙鞣し……動画で見たことがある」
とはいえ、何かの葉を燃やして煙を出していたのは覚えているが、何の葉だったかは思い出せない。
まあ、何か植物由来の煙をあてればいいだろう、うん。
いつもの薪以外にも、青々とした葉っぱも周りの木からもいで来る。
そして火をつける。もう、火をつけるのはお手の物である。
あまり火が強くなりすぎないようにしながら、青々とした葉や、まだ青い草を火の中に入れ、あえて煙を大量に発生させていく。
例えば本来の『燻製』に使うような煙ならば、サクラチップなど木材を燃やして煙を出すのだろうが、そこはそれ、とりあえず植物由来の煙でなんとかならないかなぁ、という涼の適当さの発露である。
住宅地でやったら間違いなく苦情が来るレベルの煙だ。
最近の日本なら、畑であってもお巡りさんがやってきて名前を控えていく案件となる……世知辛い世の中になったものだ。
とはいえ、この『ファイ』における涼の家の周りには誰もいない……多分。
竹を組んで作った布団干しみたいなものに掛けられた、レッサーボアの皮。
半日ほど煙まみれになる。
次の日、燻煙鞣しをされたレッサーボアの皮……いや、もはや『革』。
この革をとりあえず洗う。
燻煙鞣しは、別に煙の臭いを革に染み込ませるのが目的ではないのだから。
洗った革をついに、<氷ローラー>で薄く均一に伸ばしていく。
そう、これはまさに水属性魔法使いの天職!
出来上がったレッサーボアの革は、卓球台ほどの面積であった。
腰布的に使う部分をとりあえずナイフで切り出す。
革を留めるのは、ひも状に細く切り出した革。
そもそも糸が無いのだから。
そうやって、レッサーボアの革を腰に巻いた涼が誕生した。
「自分で狩った魔物から皮を剥ぎ取ってなめす……典型的なスローライフだ!」
……スローライフの定義は、人それぞれ。
レッサーボアの革、腰布装備。
レッサーボアの革、サンダル装備。
それ以外は何も着ていない。
日本であれば、即通報されるであろう。
「本当は胸当てとかも作った方がいいのかもしれないけど……やっぱり本職の人が作ったやつじゃないからこの革、耐久力なさそうだもんなぁ」
レッサーボアの革を手でペチペチと叩きながら涼は呟いた。
「ん? 耐久力なら水属性魔法で、革の表面に氷を張ればいいのか? いやいやそれならそもそも革の胸当てとかしないで、直接氷の鎧みたいなのをまとえばいいのでは? いや、それは冷たくて心臓止まっちゃうかもしれないから危険か? いつかは、攻撃されたら自動で氷の盾が発生して防御……ふふふ、その程度の攻撃が我に届くとでも思ったのか、愚か者が! とか言ってみたいなぁ……」
男は、いくつになっても中二病。
衣食住の『衣』と『住』が揃えば、当然最後の『食』の充実を図ることになる。
目的は、果物や新たな味の獲得。
問題はどの方角に行くかである。
家から見て、南西の方角には五百メートルほど先に海がある。
ミカエル(仮名)はそう言った。
南の方角には河が流れている。対岸まで数百メートルはあろうかという河。火打石を見つけた河だ。
東の方角は初めてレッサーボアと戦い、その後もレッサーラビットの主要な狩場として使っている。
ただし、結界からあまり離れたことは無い。
となると、北の方角がまだ全然足を踏み入れていないことになる。
「近場でも見つかる可能性があるのは、北……行ってみようか」
持ち物は、腰布とサンダルを除けば、いつものナイフ付き竹槍と麻袋。
この麻袋は本当に麻なのかどうかはわからないが、ミカエル(仮名)が干し肉を入れて貯蔵庫に置いていた二つの袋のうちの一つ。
果物を見つけても、持って帰るかばんや袋などないのだ。
あるものを使うしかない。
入っていた干し肉は、とりあえず全部貯蔵庫に置いてきた。
この麻袋、コーヒー豆とかを運ぶ時に使うような麻袋なのだ。
「北回帰線と赤道の間ということは、もしやコーヒーの木とかもあるのかな?」
『植物大全 初級編』にはコーヒーの木は載っていなかった気がする。
コーヒー豆を採集したとしても、どうやって淹れるのかという問題はあるのだが……とりあえず飲み物においても食の充実を図るのは、悪いことではないはずだ。
「では、出発!」
北の方角だからといって、別段、東や南と植生が変わるということはなかった。
まあ、北に出た途端、寒風吹きすさぶ極寒の地、とかであったら、困るのは確かであろう。
とってもファンタジーではあるのだけれども。
出てすぐに、イチジクの様なものを見つけた。
「確か植物大全にイチズクって書いてあったやつ。食用って書いてあった」
とりあえず一個もぎ取って食べてみる。
「酸味と甘味がいいバランスだ!」
異世界に来て以来、初めて口の中に広がる果物の味。
熟れている『イチズク』を十個ほど麻袋に入れる。
「こんな感じで、いろいろ見つかるといいんだけどなぁ」
この後、一時間ほど周辺を散策したが果物は見つからなかった。
「仕方ない、もう少し北の方まで足を延ばしてみよう」
現在、体感で結界から二百メートルほどの地点。
全ての方角で、これ以上結界から離れた経験はない。
しかし、いずれは、もっと遠くまで出ていくことになるだろう。それが少し早くなっただけだ。
だが、涼はその先に進むことは出来なかった。
それは考えての行動ではなかった。
考えるな、感じるんだ
それを地で行ったのだ。
とっさにしゃがんだ涼の頭の上を、何か、目に見えないものが通り過ぎた。
その見えない何かが来たと思われる方角には、何かが羽ばたいていた。
「鳥?」
その鳥は、大きく羽ばたいた。
すると、目には見えないのだが、何かが空気を切り裂いて向かってくる音がする。
横にかわして回避する。
「これって風魔法か? 風魔法を操る魔物……しかも鳥形態」
いわゆるエアスラッシュとかソニック何とかというような、不可視の風属性遠距離攻撃魔法。
「うん、これは勝てない」
判断は迅速に。
「<アイスウォール コの字>」
涼が防御用に編み出した氷の壁である。前左右に、幅一メートル高さ二メートルの壁を発生させる。
後方への退避用防壁。
家の方に走り始めると、アイスウォールも涼のすぐ後ろをついてくる。
実際には、涼が魔法を込めながら自分の移動速度に合わせて動かしているのだが、傍から見れば壁がついてきているように見える。
(結界まで二百メートル、なんとか走り切らないと)
だが百メートルほど走ったところで、アイスウォールが砕け散った。
「なに!?」
不可視の風属性攻撃魔法を三発まで受けたところで、耐え切れず砕け散ったのだ。
背中を見せたまま、残り百メートルを走り切って逃げるのは無理。
涼としては、振り返って対峙せざるを得ない。
鳥は、先ほどよりもはっきり見えた。
「アサシンホーク……不可視の風属性遠距離攻撃魔法エアスラッシュと、音速にも迫る突撃からのくちばしや爪での攻撃が主武器」
『魔物大全 初級編』を読んで覚えていた内容が、思わず口から出てきたが対処の方法は全く思いつかない。
レッサーボアにやった、アイスバーン+アイシクルランスは使えない。
レッサーラビットにやった、ウォータージェットは使える……多分。
翼の付け根を狙撃すれば多少は動きを阻害できるか。
善は急げだ。
(<ウォータージェット>)
相手は魔法を操る知恵のある魔物だ。無詠唱の方がいい。
発射されたウォータージェットは、正確に狙いを貫いた。
そう、『貫いた』……空間を。
アサシンホークの身体に当たらなかったのだ。
音速を超えるスピードは、直進だけではなく敵の攻撃をかわすのにも活かされているらしい。
「ならば、数で制圧する」
(<ウォータージェット32>)
涼の左手から、32本のウォータージェットが同時に発射され、アサシンホークに向かう。
だが、ウォータージェットがアサシンホークのいた空間を貫いたとき、アサシンホークはすでにそこにはいなかった。
大きく横に移動し、涼の右斜め前方に移動していたのだ。
「まずい!」
涼はよくわからないまま左へ倒れ込むように跳んだ。
その瞬間、涼のいた地面が爆ぜた。
アサシンホークの突撃。
なんとかかわしたことで、涼のすぐそばにアサシンホークがいるという状況になる。
右手に持ったままだったナイフ付き竹槍をアサシンホークに向けて突き出す。
ザシュッ
「ギィェェェェ」
何かを切りつけた手ごたえを感じた。
同時に、アサシンホークの叫びが耳をつんざく。
その瞬間、間違いなくアサシンホークと目が合った。
右目は血が流れ、開いていなかった。ナイフ付き竹槍は、右目を傷つけた様だ。
残った左目……そこには憎悪が満ちていた。
本来、鳥の目はガラス細工の様な、それほど感情を読み取れるような目ではないのだが、その時のアサシンホークの目は、間違いなく憎悪が満ちていた。
「<アイスウォールパッケージ>」
目の前のアサシンホークに対して、上から箱をかぶせる形でアイスウォールが形成される。
だが、さすがアサシンホーク。
傷ついても、その俊敏さは、まだ死んでいなかった。
アイスウォールが形成されるより早く、涼の前から距離をとったのだ。
そして涼の方を一瞥し、去って行った。
次は殺す、涼にはそんな声が聞こえた気がした。
アサシンホークがいなくなっても、涼はしばらく動けなかった。
「今回は、やばかった」
しっかりと、怪我など自分の状態を確認しながら結界に向かう。
「あれは……いったいどう対処すればいいのか……」
次から次へと難問が降り注ぐ……スローライフinロンドの森、なかなか大変である。