0654 合流
その日、森林破壊が引き起こされた。
「体調が万全ではない皇帝陛下のために、森の木々には犠牲になってもらっています」
「そ、そうだな……俺は仕方ないと思う」
涼とアベルは早歩きで喋りながら移動している。
涼の後ろを付いてくる覆い付きの<台車>の乗り心地を確保するために、森の中にデコボコの無い氷の道が敷かれていく。
その中には布団が敷かれ、血を抜かれてまだまだ体調が万全とは言い難い皇帝ツーインが横になっているのだ。
「アベル、もしものことがあったらお願いします」
「もしものことって何だ?」
アベルには涼の言う意味が分からない。
「以前マリエさんが皇宮を襲撃した際、のっぺらぼうを連れていました」
「のっぺらぼう?」
「顔に……目鼻口のない灰色の魔物たちです」
「ああ、シャドーストーカーな」
マリエが連れていた二体のシャドーストーカーを、アベルと侍女ミーファが撃退した。
「あれって、森が生み出す魔物だって聞きました」
「そう言われているな」
正確なところは、アベルほど冒険者経験が豊かな者であっても知らないのだ。
それほど、シャドーストーカーは謎に満ちた魔物である。
「僕も、西方諸国に向かう途中で対峙したことがあります」
「マジか? 珍しいな」
「その後、森さんから警告されました」
「お、おう……」
「もしかしたら、この森にもいるかもしれません。そして僕たちは森林破壊を繰り返しています」
「つまり、森が怒ってシャドーストーカーを放ってくるかもしれない。そうなったら、俺が何とかしろということか」
「そういうことです」
いつもなら、そんなのは理不尽だというアベルだが、さすがに今回はそうは言わない。
元々の目的であった皇帝を救出した。
だが彼をダーウェイまで連れ帰らねばいけないのだ。
皇帝が載るのは、涼の<台車>。
しかも涼は、守りが得意な水属性の魔法使い。
そうであるなら、涼が守りアベルが攻めるのが理想だろう。
「分かった。その時は俺が戦うから、リョウは皇帝を頼む」
アベルは真面目で善い奴なのだ。
しかしその後も、三人の帰途はかなり順調であった。
途中、涼とアベルの間では、戻ってからの話がよくなされた。
「皇帝陛下が戻ったからといって、コウリ親王が大政を奉還するとは思えません」
「タイセイ? ホウカン? よく分からんが、握った権力を皇帝に返すとは思えんということだな。それは俺も同感だ。本人以上に、周りが抵抗するだろう。場合によっては既成事実化するかもしれん」
「既成事実化? ああ、つまり実力行使で皇帝陛下を亡き者にしてしまうということですね」
「そういうことだ」
涼もアベルも、謀略家と言うにはほど遠い。
だがそんな二人であってもそれくらい考えつく。
ということは、コウリ親王の周りにいる謀略家あるいは謀士と呼ばれる者たちであれば、当然そんな手を打つかもしれない。
「誰にも知られずが理想でしょうけど、知られた後でも殺しちゃえばなんとでもなります」
「まあ……シタイフ層の半分以上を押さえていて、皇宮も手にしているからな。よほどのことをやっても何とでもなる」
「こっそり帝都に戻りました、とかでは絶対ダメということですね。大々的な入城をしたいですね。相手がぐうの音も出ないほどの」
「なかなか難しそうだな」
二人でそんな会話をかわすことが多かった。
だが当然、皇帝ツーインに対して、攫われた後にダーウェイ皇宮がどうなったのかも伝えてある。
「そうか、コウリが……」
皇帝ツーインはそう言うと、押し黙った。
涼もアベルも、まだ体調が万全とはとても言えない皇帝ツーインを、さらに追い詰めるようなことを言うのははばかられたし、伝えることができる内容というのも、そう多くはない。
二人が帝都を離れている間に起きたことがほとんどだからだ。
シャウ司空から、リー・ウー刺史を通して伝えられた情報がほとんどすべてであるため、公船第十船と合流してから情報収集をしなければいけないと思っていた。
日が経つにつれ、皇帝ツーインの体調も回復した。
元々病気になっていたわけではなく、献血で抜かれた血の回復を待っていたためなので、栄養のあるものを食べて無理をしなければよかったわけで。
「ロンド公、アベル殿、本当に感謝している」
ほぼ毎日のように感謝する皇帝ツーイン。
「いえ陛下。その感謝は、禁軍統領ティン殿とリュン殿下にお伝えください」
言われるたびにそう答える涼。
おそらく最も無念だったのは禁軍統領ティンであろうし。
新たな権力者コウリ親王に睨まれることを理解したうえで涼に協力を要請したリュン親王も、いろいろと危険な立場に追い込まれるであろうし。
それに比べれば涼とアベルなんて……。
「ちょっとした距離を移動して、命を懸けた戦闘をして腕を切断されただけですからね」
「リョウ忘れるな」
「はい?」
「その途中で、多くの森林が破壊され、犠牲になったということを」
「はい、すいませんでした……」
もはや四肢再生が可能となっている『ファイ』においては、腕を切断されたことは、森林破壊に比べればたいしたことではないのかもしれない。
……いや、そんなはずはないのだが?
チョオウチ帝国首都からかなり離れた場所にある『王』本陣。
そこに首領こと幻王はいた。
「タオラン、マリエからの報告書が届いただと?」
「はい。今届きました」
ベルケ特使と共にダーウェイ皇宮に赴き、黒い仮面をかぶってビン親王をそそのかしていた女性タオラン。
彼女が一通の報告書を渡した。
渡した相手こそが幻王。
もしそこに、ベルケ特使を見たことのある人物がいれば驚いたであろう。
幻王とベルケ特使が瓜二つであったから。
違いは髪の色。
背中までの白髪に、黒い東服を着ていたベルケ特使。
背中までの黒髪に、白い東服を着ている幻王。
だが言葉遣いは全く違う。
常に丁寧なベルケ特使。
荒々しい幻王。
「あのマリエが報告書をよこしてくるなど、よほどのことが起きたか。首都が破壊されたりでもしたか?」
幻王はそう言うと、報告書を一読した。
はっきりと眉をひそめている。
ゆっくりともう一度読んだ後、タオランに報告書を渡した。
「読め。それと、ベルケが戻ってきたら読ませてやれ」
「はっ」
タオランは受け取ると、報告書を読む。
だが、すぐに顔を上げた。
「一騎打ちに敗れて、ツーインの逃走を許した……?」
「ああ、そう書いてあるな」
「そんなことがあっていいはずが……」
「仕方あるまい。そうなったのだ。相手は、あのロンド公爵」
「ロンド公爵が相手とはいえ、マリエが一騎打ちで……」
信じられないという表情で、何度も繰り返すタオラン。
だが、しばらくすると我に返った。
「追手はいかがいたしましょう」
「捨ておけ」
「は?」
「だいたい誰を追手に出す? マリエが負けた相手だぞ。戦えるのは俺かベルケしかおらんだろうが……どっちも追うには遠すぎる」
「しかし……」
タオランも理解している。
輪舞邸で、ベルケ特使と対峙したロンド公爵を見たのだ。
確かにあれは強い。
しかしここでダーウェイ皇帝を逃がせば……。
「そうだな、『皇帝』の南進は厄介になるかもな」
笑いながら言う幻王。
その言葉には、敬意のかけらもない。
「だが忘れるな。俺が欲しいのは中央諸国だ。『皇帝』がダーウェイを手に入れたいなら好きにすればいい、それを止めはしない。ペイユ国も共に攻めてやろう。ダーウェイ北部にも共に侵攻してやろう。だが全ては、中央諸国に続く『回廊』に出るためだ」
「承知いたしております」
「そもそも『皇帝』のために、アティンジョ大公国の機能をマヒさせてやったし、東方諸国合同会議とやらでも暴れてやった。あれでダーウェイの後方を扼してやったのだから……ああ、そういえばあれを邪魔したのもロンド公爵だったか」
幻王は、クベバサで対峙したローブの男を思い出していた。
「何やら、面倒な因縁があるのかもしれんな。中央諸国、ナイトレイ王国の公爵か……」
少しだけ笑って幻王は言った。
「報告書には、ダーウェイ皇帝の血は必要なだけ集まったと書いてある。こっちは、もうしばらく準備のために動けん。今回の件は不問に付すからマリエに、ここに持ってこいと伝えよ」
「承知いたしました」
タオランはそう言うと、退室した。
「マリエが負けるとはな。クベバサで戦った時、確かに厄介な相手だとは思ったが……興味があるな。もう一度、今度は生身で戦ってみるか? ふむ、それも悪くない」
幻王はそう言って禍々しく笑うのであった。
涼とアベルと皇帝ツーインは、『夏の別邸』から七日かけて、ペイユの港町メイ・ヘイ港に到着した。
「陛下、ご無事で」
「ラー・ウー、第十船の乗組員たちにも苦労をかけるな」
「もったいないお言葉」
皇帝ツーインは笑顔を浮かべて、ラー・ウー船長らに声をかけた。
中には、泣いている乗組員たちもいる。
『公船』は、皇帝ならびに皇宮直属であるため、他のダーウェイ海軍の乗組員たちとは皇帝に対する感情も違うのかもしれない。
「そちは司隷台の刺史リー・ウーであったな?」
「私ごときの名前を陛下が……」
「司隷大夫ジューオンから気骨のある刺史だと聞いている」
「ありがたき幸せ」
皇帝ツーインの言葉に、リー・ウー刺史は深々と頭を下げるのであった。
メイ・ヘイ港に隣接する宿に移動した一行。
第十船の乗組員たちは、涼たちを待っている間、ここに泊まっていたらしい。
「まずこちらが、陛下が攫われて以降の帝都の動きです」
広めの部屋に入ってから、ラー・ウー船長はそう言って数枚の紙を机の上に並べる。
そこには、コウリ親王陣営の動きを中心に、第三皇子チューレイ親王陣営が積極的に動けなかった事情なども書いてあった。
「チューレイ親王を北伐大将軍に就けた?」
涼が、目についた項目を思わず声に出す。
「チューレイは良きにつけ悪しきにつけ一本気。だがそれは、ダーウェイ帝室と臣民のためでもある。自分の事よりも国のためにと言われれば、大将軍に就くことを受け入れるであろう」
皇帝ツーインが答える。
「しかしそれだと、コウリ親王の下に就くことを受け入れたとも受け取られないか?」
アベルが懸念を表明する。
皇帝ツーインはその懸念には口に出しては何も答えず、ただ無言のまま頷いた。
その受け入れによって、チューレイ親王についていたシタイフ層のうち、利に聡い者たちは早速離れ、コウリ親王に近付いただろう。
人としてはどうかと思うが、権力の周りで生きる者たちはそんな判断と行動を起こさねば生き抜いていけない……それもまた事実なのだ。
「国のため民のためと言えば、チューレイ殿下が受け入れるだろうと予測し、その結果、チューレイ陣営にいたシタイフ層の派閥も割れると計算した。コウリ殿下も凄いですね」
「コウリらしい計算ではある」
涼の言葉に、皇帝ツーインが頷く。
だが顔をしかめている。
「その高い計算能力は素晴らしいが、民は計算を示されるのを好まない」
皇帝ツーインが呟いた。
その呟きに涼は何度も頷く。
民衆は合理的な説明など好まない。
むしろそれが民衆の本質なのだ。
いつの時代、どんな世界でも変わらない民衆の本質。
その大前提を以て歴史を読み解いていくと、多くの事が納得できる。
むしろそれを理解しないまま研究すると、『民衆』というものが出てきた瞬間、うろたえることになる。
「なぜ?」「どうしてそう動く?」
それは愚か、あるいは賢い……そういう問題ではないのだ。
そういうもの、なのだ。
そしてそれを理解した瞬間……理解した本人は『民衆』ではなくなる。
そう、理解してしまった瞬間から、民衆ではなくなる。
では何になるのか?
それは、自分で決めることになる……その後、何をするかで決まる。
だが、民衆には、戻れない。
もう、民衆には、戻らない。
民衆ではない、何かになる。
そんな、横道にそれた思考を涼がしている間にも、皇帝ツーインは机に並んだ資料を読み進めていた。
その目は、為政者の目。
国の政治を推し進める決意のこもった表情は、明確に皇帝であった。
涼はアベルと目を合わせた。
アベルが頷く。
そう、アベルも涼と同様に思ったのだ。
皇帝ツーインは、ダーウェイ皇帝に返り咲こうとしていると。
どこまでの意思を持っているかは分からない。
力づくでコウリ親王を排除することは、可か?
禁軍を含めたダーウェイ軍が敵に回っていたらそれと戦うのは、可か?
そもそも帝都への帰還を阻む勢力がいた場合、どこまでやるのか……。
涼もアベルも、いずれその辺りも皇帝ツーインに直接聞いて確認すべきだと思った。
「リュンは病と称して王府に籠ったままか」
皇帝ツーインが書類を読んで呟くと、リー・ウー刺史が頷いた。
「新しい情報が届いたのですか?」
涼が驚く。
涼とアベルがここを発つまでには、そんな情報は入ってきていなかったはずだからだ。
「ロンド公がこの街を離れた後、いくつか事態が動きました」
ラー・ウー船長はそう言って皇帝ツーインが読み終えた書類を集め、追加の書類を机の空いた場所に並べ始めた。
「細かな帝都内の情報だな。この字は御史台のシャウであろう?」
「おっしゃる通りです、陛下。シャウ司空様から、うちのジューオン大夫を通して私の元に届きました」
リー・ウー刺史が頭を下げる。
「そういえば、二人は中央試験の同期であったか」
皇帝ツーインが笑う。
それを受けて驚いた表情になったのはリー・ウー刺史とラー・ウー船長。
シャウもジューオンも国の重鎮とはいえ、そんなことまで皇帝は知っているのかと驚いたのだ。
「先々代陛下の殿試で、あの二人は激しくやりあったのだ。皇帝の口頭試問に答える場であるのにだぞ? 二人とも素晴らしい回答であったが、いつの間にか議論し始めてな……。後にも先にもそんな者はおらんわ」
皇帝ツーインはそう言うと、懐かしそうに笑った。
「それが今では仲が良く……」
「お互いが認め合っておるからよ」
皇帝ツーインは、一度大きく頷いた。
そして、ラー・ウー船長の方を向いて言う。
「これまでの状況はだいたい理解した。して、これからの事に関して、どこからか情報なり提案なりはあるか」
「はい。シャウ様、ジューオン様から献策があるとのことです」
ラー・ウー船長はそう言うと、厳重に封がされた封筒のようなものを渡した。
皇帝ツーインが開け、一読する。
「なるほど、さすがの二人だ。先方にも連絡済みか」
皇帝ツーインはそう言うと、その書類を涼に渡す。
「私が読んでよろしいので?」
「もちろんだ。ここまで来たら、申し訳ないがロンド公にも最後までお付き合いいただこうと思う」
涼は受け取ると読む。
横からアベルも顔を伸ばして読んでいる。
二人とも読み終えると驚いた表情になっていた。
「ロシュ・テンは知っておいでだな。もう一名も、その忠誠心において完全に信頼してよい人物だ」
「はい……実は、そのもう一名の方も存じ上げております」
「なに? 余が思うよりもはるかにロンド公はダーウェイ内に人脈をお持ちだ」
皇帝ツーインはそう言うと、朗らかに笑った。
それは恐らく、攫われて以降、初めての心の底からの笑いであったろう。
「よし、行き先は決まった。ボアゴーに向かう」




