0653 涼対マリエ Ⅲ
マリエの体は歩いていき、落ちていた頭を拾い上げて、本来の場所に戻した。
さらに、懐からポーションを出し、首の周りにかけていく。
淡い光が発し……首が繋がった。
「なに、それ……」
その光景を、アベルに体を支えられながら見ていた涼が呟く。
「私は幻人だから、放っておいても繋がるけど……このポーションを使えばすぐに繋がる」
「そんな馬鹿なポーションがありますか!」
涼が憤慨する。
そう、それはさすがに『ポーション』の限界を超えている。
確かに、ケネス・ヘイワード子爵が作るポーションの中でも最上級のものは、切断された腕を繋げることができるが……それとて、適当にくっつけてポーションを振りかければOKというわけではない。
「そうだ、リョウも使うといい。このポーションなら、その腕も生えてくるから」
「……はい?」
マリエの言葉は、涼には理解できなかった。
涼は水属性の魔法使いであるが、同時に錬金術も嗜んでいる。
ゴーレムを作る事ができるほどに、それなりの知識と技術力を持っているとも思っている。
だから知っているのだ。
「ポーションで四肢再生はできません」
はっきりと言い切る。
「そう、普通はできないね」
マリエも頷いて同意した。
つまり、マリエが渡すポーションは普通ではないということだ。
「私も、なんでこれが四肢再生までやれるのかは知らないよ。そもそも私、錬金術とかほとんどできないし」
「じゃあ、そのポーションはどうしたんですか?」
「昔、もらった」
「そんなものを……貰った? 誰にですか?」
「あるヴァンパイアに」
マリエは遠い目になる。
その時のことを思い出しているのかもしれない。
「私が唯一、剣で負けた相手。ああ、今リョウに負けたから二人か」
マリエは顔をしかめて言う。
涼に負けたのは悔しかったようだ。
「マリエさんより剣が強い……」
「リョウ、その認識は正しくないよ」
「え?」
「私より、圧倒的に剣が強い」
マリエは顔をしかめず、はっきりと言い切った。
涼に負けたのとは違うらしい。
涼に負けたのは悔しい。
そのヴァンパイアに負けたのは当然。
それほどに差がある。
「錬金術もとんでもなかったな、そういえば……」
マリエがそう言った瞬間、なぜだか涼の脳裏に、トワイライトランドの真祖様が思い浮かんだ。
だから尋ねてみた。
「そのヴァンパイアの方は、もしかして真祖様と名乗られたりは……」
「シンソ? いいえ、そんな名前じゃなかったよ」
「他のヴァンパイアを率いていらっしゃったとか?」
「いや……そういえば、自分は追放されたんだって言ってたね。彼は一人きりだった」
「そうですか」
どうも違うのかもしれない。
「そのヴァンパイアさんには、どちらでお会いに?」
「暗黒大陸だね。あ、もしかしてヴァンパイア狩りとかしようなんて思ってないよね?」
「いいえ、そういうつもりはまったくありません」
「そう、良かった。手を出しちゃだめよ。リョウでも秒殺されるから」
「あ、はい」
今、涼の全力戦闘を経験したマリエがこう言うのだ。
そのヴァンパイアの強さたるや、推して知るべし。
涼は手渡されたポーションを見る。
うっすら青いポーションだ。
「これを飲めばいいんですか?」
「そう。いちおう、その氷の腕は外しておいた方がいいかも」
「……分かりました」
涼は腹をくくった。
氷の右腕を消し、深呼吸をする。
涼を支えていたアベルは距離を取った。
何が起きるか分からない以上、仕方ないとはいえ……。
「アベルに見捨てられました」
「何かあったら、すぐに助けるからな」
涼は、小さく首を振りながら恨みがましい視線でアベルを見た。
アベルの、何かあったら助けにいく、その気持ちは本当だ。
再び、涼は深呼吸をする。
そして……一気にポーションを飲み干した。
特に何もない。
何も起きない。
「あれ?」
涼の口から、小さくそんな言葉が出た次の瞬間。
「うがっ」
涼の口から、アベルが聞いたこともない叫びが発せられる。
左手で、切断された右腕を押さえている。
右腕に激痛が走っているのだ。
「ああ、そう、四肢再生だと激痛が走るから……」
マリエが頬を掻きながら言う。
完全に忘れていたようだ。
「そういうことは、もっと早……うごっ」
涼が文句を言いきらないうちに、再びの激痛。
それにともなって、ゆっくりと右腕が再生されていく。
切断された箇所から、再構築されていく感じであろうか。
「<エクストラヒール>のやつとは全然違う」
アベルのその呟きは、マリエにも聞こえたようだ。
「そうね。あれは本当に神の奇跡みたいなものよ。ほとんど痛みなく再生される……再生医療の面から見てもあり得ない」
マリエが頷いて言う。
アベルにはよく分からない単語もあるが、神の奇跡である点は同意せざるを得ない。
「あれは本当に、光属性魔法なのかしら」
マリエが呟く。
「むしろ、時間の巻き戻しとかの方がしっくりくるくらい」
それはあまりにも小さな言葉であったために、誰にも聞こえなかった。
二人の視線の先では、まだ涼の『再生』が続いている。
涼は歯を食いしばっている。
だが限界を超えるかのような激痛が走った瞬間は、その強力な涼の意思さえも無視して思わず声が漏れてしまう。
そんな光景が五分以上続き……。
ようやく再生が終了した。
涼が浅い呼吸を繰り返す。
深呼吸をするだけの力がまだないのだ。
「リョウ……」
アベルですら呼びかける声は小さい。
そして、ゆっくりと近付く。
ようやく、涼の呼吸が浅いものから深いものへと変わり始める。
アベルも激痛を経験したことがある。
激痛の間は呼吸などできない。
激痛が収まるにしたがって、ようやく浅い呼吸、最終的に深い呼吸へと移り変わっていく。
その経験からすれば、ようやく涼も痛みが治まってきたように見える。
「リョウ?」
再びアベルが呼び掛けた。
「ええ、アベル……大丈夫です」
意識して深い呼吸をとりながら、涼が答える。
「もう大丈夫みたいね」
マリエが頷いた。
「いや、あんな激痛が走るなら先に言っておいてください!」
「うん、ごめん。最近、人の四肢再生とかしなかったから忘れてた」
涼が非難し、マリエが苦笑しながら答える。
涼は気付いていた。
斬り飛ばされた腕が消え去ったことに。
右腕が二本、にはならなかったようだ。
「斬り飛ばされた腕が材料となって、腕が再構築された?」
なんとなく思ったことを口にする。
確かにそれなら、質量の保存は問題なさそうだ。
何度も、新たな右腕を振ったり、にぎにぎしたりする。
全く違和感はない。
だから宣言した。
「右腕、完全復活です!」
高らかと突き上げられた右腕。
涼は心の中で誓った。
二度とあんな痛い思いはしないと。
涼はふと皇帝ツーインが寝ているはずの寝室の窓を見た。
そこには、ツーインが立ってこちらを見ている。
「あれ? 皇帝さん起きていたのですか?」
「ああ、途中からリョウたちの戦闘を俺と見ていたぞ」
涼が問い、アベルが答える。
「そう、起きれたんだったらここを去ってもいいかもね。あまり無理はしない方がいいけど、首領とかが戻ってきて鉢合わせしたら面倒でしょう?」
「マリエさんは、いいんですか?」
涼の問いは、マリエは責任を取らされないのかという意味だ。
「どうかしらね。分からないけど、私は正直に話すだけよ」
肩をすくめて答えるマリエ。
実際、領主たる幻王がどういう反応をするのかよく分からない。
まあ、褒められはしないだろうが……。
マリエほどには割り切れない者たちもいる。
他の幻人たちだ。
涼とアベルを遠巻きにしたままで動けてはいない。
当然であろう。
マリエが負けたのだ。
自分たちで勝てるとは思えない。
「あーえっと、マリエさん」
「なに?」
「周りの方々が迷われているみたいなんですが」
「ああ……」
マリエは周りを見回して状況を理解した。
そしてはっきりと言った。
「私が負けた。責任は私がとる。だからこの二人とダーウェイ皇帝は去らせる。手を出したら許さない」
ほとんど感情のこもっていない、業務連絡的言葉。
だが他の幻人たちは理解し、安堵したのだろう。
頷いているものがほとんどだ。
少なくとも、涼たちを攻撃しようとする者はいない。
「あと……お布団をいただけると嬉しいのですが」
「お布団?」
「はい、皇帝陛下の馬車……というか乗り物に敷くのに」
「ああ、寝室のやつ、勝手に持っていっていいわよ」
こうして、涼とアベル、そして皇帝ツーインは『夏の別邸』を出ることになった。
だが、問題がある。
皇帝ツーインに長い距離を歩かせるのは酷だ。
涼やアベルのような冒険者ではないし、そもそもこの二人の持久力は、一般成人男性と比べても異常なわけなので、ついてこれないであろう。
そのため、涼の<台車>に乗ってもらう。
<台車>の中で横になれるように、お布団も貰ったのだが、そもそも……。
「<台車>は荷物を運ぶのには便利なのですが、人が乗るにはクッション性に難があるんですよね」
涼が首を傾げ、ああでもない、こうでもないと悩んでいる。
皇帝ツーインを乗せるにしても、舗装されていない道を進むとかなり乗り心地が悪いに違いないが……。
「道の方を綺麗にすればいいんじゃないか? 森や密林を進む時、リョウがやってたみたいに」
「確かに! 台車がダメなら道を整えればいいじゃない、というやつですね!」
アベルの提案に、涼がどこかのマリー・アントワネットが言ったとされるセリフを修正して言い放つ。
なんと汎用性の高いセリフだろうか。
こうして、涼とアベルが先導し、その後ろから皇帝が載った<台車>がついてくる形で、一行は脱出したのであった。
三人が去った『夏の別邸』内、マリエの部屋。
「リョウは錬金術を嗜んでるって言ったっけ。ハルがくれたこの魔法陣……さっきのポーションを生成するところとか、見せてあげればよかったかな」
マリエはそう言うと、引き出しから出したカード状の金属プレートを机に置き、魔力を流した。
次の瞬間、机の上と、その上……つまり空中にも魔法陣が描かれる。
「積層魔法陣とか、喜んだかな?」
マリエは笑う。
「そういえば、ハルも転生者だったっけ。またどこかでリョウに会ったら……その時にこの積層魔法陣も見せてあげようか」




