0651 涼対マリエ Ⅰ
だが、マリエ・クローシュが最初に取った行動は、不思議なものであった。
抜いていた『虎徹』と呼称した刀を、一度鞘に納めたのだ。
それを腰に差す。
鯉口を切り、膝を曲げ腰を落とし、前傾姿勢に。
左手で鞘を持ち、右手は柄にわずかに触れた状態……。
「まさか……抜刀術」
涼が呟く。
抜刀術、あるいは居合術。
世界中を見ても、ほとんど日本刀にのみ存在する技だ。
「居合なんて速くない」という人がいるがそれは、折りたたんだ腕の構造、手首の可動をよく理解していないから、そんな言葉が出てくる。
はっきり言って、速い。
驚きはしたが、涼もすぐに心を落ち着かせる。
いつも通り、正眼に構える。
間違っても、涼も抜刀術の構えなどはしない。
抜刀術の打ち合いなど無謀……というか、村雨ではできない……。
抜刀術の構えになってから、マリエの雰囲気が変わっていくことに涼は気付いていた。
少しずつ、深く、そして濃くなっていく気がする。
それは周りの空気が……。
ザシュッ。
一文字に切り裂かれる涼の腹。
慌てて後方に跳んだが間に合わなかったのだ。
しかし、これで終わりではない!
抜刀術は、この次の攻撃までがワンセット。
カキンッ。
マリエの切り下ろしを受ける涼。
それは、抜刀術からの切り下ろし……二の太刀の連携を知っていたからこそできた反応。
だが……。
カキンッカキンッカキンッカキンッ……。
さらにマリエの連撃。
抜刀一閃とは裏腹に、力と速さで強引に押す。
しのぐ涼。
(力と速さを兼ね備えた連撃、しかも日本刀の連撃!)
日本刀の特性は斬る、そして突く。
刀を押し当てただけでは斬れない。引くか押すかしなければ。
マリエの一撃一撃は、全てそれができている。
そして袈裟懸け後の、少しだけ刀を引いた状態からの、下方からの突き。
連撃に組み込まれるこの突きが驚くほど厄介だ。
しかし、そこは涼。
最初の抜刀術と違って、鉄壁の防御を見せ始めていた。
連撃を全て防がれると、一度マリエは後方に跳んで距離を取る。
「凄いわね、リョウ」
称賛するマリエ。
だが涼は答えられない。
答える余裕がない。
剣戟が始まってわずか五分。
二十合ほど刀を合わせただけにもかかわらずだ。
初撃の抜刀術で切り裂かれた腹は、もう血は出ていない。
氷の膜を張って血を止めたから。
もちろん、長い戦闘はできないであろう。
大きく息を吐く。
結果、大きく吸い込むことになる。
強制的な、深呼吸の成立。
「いいわ。言いたいことは剣で語れね」
マリエはそう言うと、再び『虎徹』を鞘に納めた。
このタイミングで涼が打って出られればいいのだが……もちろん不可能だ。
身体的なダメージの深刻さはそれほどでもない。
不可能な理由は、すでにマリエの迎撃態勢は整っているから。
マリエの間合いに飛び込めば、この状況でも文字通り一刀両断されるであろう。
彼女が膝を曲げ腰を落とし、空気が変わっていくのは、迎撃から攻撃への変化にすぎない。
そこに隙は無い。
再び正眼に構える涼。
半眼だったのが、完全に目を閉じた。
マリエの、風切り音すら遅れる神速の踏み込み。
目で捉えることなど不可能な超速の抜刀。
カキンッ。
だがそれを受ける涼の村雨。
さらに前方に倒れ込むように一歩を踏み出し袈裟懸けによる反撃。
それが、マリエに二の太刀を許さない。
マリエは再び大きく後方に跳んで距離を取った。
「まさか居合にまで反応するなんて」
それは称賛を通り越して驚愕。
「視えました」
涼が答える。
「嘘。あなた目をつぶっていたでしょ」
「ええ。どうせ目では捉えられませんから」
マリエが指摘し、涼が同意する。
もちろん馬鹿にして目を閉じたわけではない。
「もしかして水属性魔法? 空気中の水蒸気か何かを使ったの?」
「はい。どれだけ速く動いても、水蒸気を『押し』ます。押された水蒸気は前方に次々に押されていきますので……」
簡単に言えば、<アクティブソナー>をマリエに当て続けていたのだ。
だからマリエが動いた瞬間、つまり距離が変わった瞬間を捉えることができた。
「凄いわね」
マリエが感心して頷いている。
だが、まだ余裕があるようだ。
「力と速さに対しては、リョウの反応は完璧だったわ。つまりこれまでにも、そういう相手との戦闘をかなりの数こなしてきたってことよね?」
「確かに、そういう相手は多かったかもしれません」
幻王に乗っ取られたヘルブ公、魔人ガーウィン、そもそも悪魔レオノールもどちらかと言えばそちらの系統な気がする。
「力押しは無理っぽいけど、キレなら勝負できるかなと思ったのよね」
「それが抜刀術ですか」
抜刀術など、そう簡単に身に付けることができるものではない。
一体どこで……。
「こっちに来る前、おじいちゃんが居合の道場をやってたから」
「なんですと……」
「そういうのを活かせる職業に就きたかったんだけど、なかなかねえ」
「居合を活かせる職業ってありますかね」
「無かったわよ。だから、こっちでこうして活かせているのは、おじいちゃん喜んでいるかもね」
「あ、はい……」
マリエがうんうん頷きながら言い、涼は頷くしかない。
剣道ならともかく、居合を活かせる職業……うん、やっぱり思いつかない。
「警察を勧められたけど、警察でも機動隊とかじゃないと必要ないじゃない? でも女が機動隊に行くのは大変みたいだったから」
「機動隊でも居合とかいらない気が……」
「そう?」
マリエは首をかしげている。
「あの、つかぬことをお伺いしますが、結局地球ではどのようなお仕事に?」
「お医者さん」
「え……。専門は……?」
「心臓外科」
「そうですか……」
マリエは、細かな作業が得意らしい。
涼は昔聞いたことがある。
心臓外科と脳外科は、細かな作業が得意な人じゃないと大変なんだよと。
「だから、どの腱を断てば動かせなくなるかとか、ろっ骨を避けて剣を貫かせるにはとか、けっこうこのお仕事に活かせているのよ」
「お仕事……」
「お給料貰ってるからね、七星将軍として。リョウだって、お仕事はちゃんと真面目にするでしょう?」
「あ、はい……」
お仕事をちゃんとするのは、社会人として当たり前のことだと言うマリエ。
頷くしかできない涼。
「とはいえ、お仕事にも好きな仕事もあればそうでもない仕事もあるよね」
「そ、そうですね」
「正直、皇帝さんの血を抜くために監禁しているのは好きじゃないのよ」
「そうでしょうね」
「でも、こうして強敵と戦うのは大好きよ。お仕事とか関係なしにしてね」
そう言うと、マリエの口角が上がった。
笑みを浮かべたのだ。
だがそれは、美しいを通り越して、凄惨あるいは、凄絶と表現すべき笑み。
「じゃあ、第二ラウンド行きましょうか。そのお腹の傷、ポーションかけてもいいよ?」
「いえ、必要ありません」
「そう? まあ血は止まっているみたい……え? そりゃあ一刀両断のつもりで斬って、でもかわされたけど……それなりの深さで切り裂いたでしょう? なんで血が止まってるの?」
「僕は水属性の魔法使いですから」
「……もしかして血のコントロールもできる?」
「できますよ。氷漬けにされたユン将軍の話、聞いてないですか?」
「……聞いた」
涼が笑みを浮かべながら話し、マリエが笑みから驚きの表情に変わる。
「もしかして、他人の血の流れも……」
「試してみますか?」
マリエが顔をしかめ、涼は余裕の表情を浮かべる。
マリエの元地球人としての知識、医者としての知識が告げる。
目の前の水属性の魔法使いは、ヤバいと。
相手の血の流れをコントロールできるということは、対人戦では最強ではないか!
「これは、厄介な戦いかもね」
だが言葉とは裏腹に、再び凄絶な笑みが浮かぶ。
「言ってることとやってることが全然違う最たる例」
涼の呟きは、残念ながら誰の耳にも届かなかった。
「<ファイアーマシンガン>」
「<積層アイスウォール10層>」
第二ラウンドは、魔法戦から始まった。
マリエの火属性魔法対涼の水属性魔法。
千を超える炎の弾丸が涼を襲う。
それを、砕け散り対消滅の光を発しながらも、重なり続ける氷の壁が防ぐ。
「やっぱりダメか」
「その魔法は、以前見ました」
マリエが通じないことを確認し、涼が答える。
「これなら? <フレイヤスフィア>」
その瞬間、涼を中心に世界が半円形に切り取られた。
半径十メートルの半球……ただし境界は灼熱の炎。
「<積層アイスウォール20層パッケージ>」
涼自身を中心に、外側に向かって自動で重なっていく氷の覆い。
炎の壁と氷の壁が衝突し、対消滅の光が乱舞する。
「半球じゃないのよ?」
マリエが呟いた瞬間、地面が爆ぜた。
地下からも炎が噴き出したのだ。
だがそれを抑える氷の床。
「そうだろうと思いました」
<アイスバーン>ですでに対抗していた涼。
「いいわね! そうそう、水属性の魔法使いさんは知ってる? 炎に炎を重ね合わせて圧力を上げていくとどうなるか?」
「え?」
「こうなるの! <融合プラズマ>」
その瞬間、稲妻が走った。
それはプラズマの光。
原子核のまわりを回っていた電子が、原子から離れるプラズマ。
解き放たれる膨大なエネルギー。
一気に、積み重なる氷の壁が消滅する。
当然、その中心も……。
舞う、土埃。
しばらくすると、中心が見えるようになる。
「驚いた……」
呟くマリエ。
その中心には、氷のオブジェがあった。
「自分を氷漬けにして蒸発を防いだ?」
小さく首を振りながらマリエが呟く。
決して油断していたわけではない。
本当に驚いていたのだ。
だが驚くというのは、緊張の糸が切れている状態。
ズブリ。
氷の刃を宿した刀がマリエの左胸を突き刺す。
その結果に驚いたのは、刺されたマリエではなく刺した涼。
すぐに顔を歪めたことで、失敗ゆえに驚いたのであることが分かる。
マリエが反応し、ほんの少しだけ右に動いたのだ。
涼の突撃は正確にマリエの心臓を狙ったのに……。
「<フレア>」
生じた拳ほどの火球が、瞬時に膨れ上がる。
「<積層アイスウォールパッケージ>」
涼は、火球を包み込むように氷のパッケージを展開する。
もちろん、抑えきれないのは分かっている。
今必要なのは抑えきることではない。
わずかな時間を稼ぐこと。
マリエが魔法を唱えたのは、涼から距離を取るため。
だから、距離を取らせてはいけない!
下がるマリエを追撃!
前がかりになる涼。
「甘い」
次の瞬間、涼の右腕が斬り飛ばされた。




