0650 正面突破
「マリエ……って誰だ?」
アベルは素で覚えていないらしい。
「マリエ・クローシュさん。ほら、披露宴の時に皇宮を襲撃した幻人ですよ」
「ああ……」
アベルも思い出したらしい。
「火属性の魔法使いだったよな」
「ええ。確かに火属性魔法を使いますけど……」
「近接戦もいけそう、か?」
「アベルも、やっぱりそう思いました?」
「なんとなくだがな。リョウもそう思ったのか」
「なんとなく、足の運びがそういう感じでした」
「足の運びか、なるほどな」
涼の指摘に、何度も頷くアベル。
こういう時の涼の観察力は、なかなかのものであることをアベルは知っている。
「かなり厄介な相手だな」
「厄介ですね。魔法は悪魔レオノールクラス、さらに近接戦もこなす幻人。アベル、マリエさんには僕が当たります」
「分かった。俺は皇帝を確保して守り抜けということだな」
「お願いします」
そして二人は丘を降り、『夏の別邸』の前に着いた。
「<ウォータージェット8>」
水の線で切り刻まれる別邸の門。
二人は正面から乗り込んだ。
「マリエ・クローシュさん! 皇帝陛下を返してもらいに来ました!」
涼が剣道で鍛えた音吐朗々たる声を響かせる。
もちろん周囲を、幻人たちが取り囲むが……。
「<アイシクルランスシャワー“扇”>」
扇のように広がる氷の槍が、『器』たちの喉元を正確に貫く。
貫かれた瞬間、全ての『器』が消滅した。
それを見せられれば、他の幻人たちは動けない。
襲撃してきたローブとマントの男が、尋常ならざる者たちであり、人間を圧倒的に上回る自分たち幻人ですら、勝てないと瞬時に理解させられたからだ。
そのため、遠巻きに包囲しただけで誰も手を出さない。
しばらくすると、正面の扉が開き、一人の女性が出てきた。
涼も覚えている、マリエ・クローシュ。
「ああ、やっと救出に来たのね。遅かったわ……ん? ローブ? どこかで会ったわよね?」
「あなたが皇宮を襲撃した際に、攻撃を防ぎましたね」
「そう、思い出した! ダイナミック・スチーム・マインね」
「え……ええ、まあ、その魔法も使いましたけど」
マリエ・クローシュが大きく頷き、涼が首をかしげる。
確かに<動的水蒸気機雷Ⅱ>の魔法を放ったが、なぜそれで覚えているのだろう?
「そう、ダーウェイ皇帝さんの救出に来たのよね。あっちの寝室で寝ているわ」
「寝ている?」
「さっき献血してもらったからね。もうしばらくは動かさない方がいいと思うけど」
「献血?」
懐かしい言葉を聞いて驚く涼。
いや、そういえば、トワイライトランドでも行っていたか。
ヴァンパイアに必要な人間の血を、献血のシステムを構築して集めていた……。
もしや、幻人もヴァンパイア同様に、人の血が必要なのだろうか?
「幻人もヴァンパイアみたいに人の血が必要なんですか?」
涼は素直に聞いてみることにした。
「え? いえ、そうじゃないわ。ダーウェイ皇帝の血が必要なのは、首領の命令。どこかの『回廊』を開くのに必要らしいわ。よく知らない」
マリエは肩をすくめている。
その言い方から、あまり好きな仕事ではなさそうだ。
「首領の命令には逆らえないからね。あ、ダーウェイ皇帝さんの体調管理はちゃんとやってあるから。献血も、間隔を開けてるから問題ないはずよ」
「あ、はい……」
そこで涼は、ふと閃いた。
一瞬、何の脈絡もないと思ったのだが……もしかしたら、『首領の命令には逆らえない』という言葉がひっかかったのかもしれない。
「もしかしてその首領というのは、幻王ですか?」
涼のその一言を聞くと、マリエは大きく目を見開いた。
比喩ではなく、目を真ん丸に見開いて……。
「何でその言葉を知ってるの?」
だがその問いは、いっそ静かに、ひそめた声で投げかけられる。
「本人が言ったからです」
「は?」
「知り合いの幻人が、幻王に体を乗っ取られたんです。それで戦ったんですが、その時に幻王本人が言いました」
「あのバカ首領……そういうことがあったんならちゃんと言いなさいよ! 絶対、いいカッコしたいのよね、自分は失敗などしないってイメージで押し通したいんでしょう。そういうのはすぐに剥がれるっての!」
マリエは幻王に毒づいた。
涼は何も言えずに、無言のままだ。
ひとしきり毒づいた後、マリエは何かに気付いたようにアベルを見た。
「そうそう、ダーウェイ皇帝の寝室に行ってもいいわよ。そっちの剣士さん、あなたもそういえば皇宮にはいたわよね。シャドーストーカーを切り刻んだ」
「ああ、いた」
「でも、私と戦ってくれるのは、そっちの魔法使いさんでしょう?」
マリエはそう言うと、うっすら笑って涼を見る。
「どうしても戦わないといけませんか?」
「ええ、当然よ。個人的には、ダーウェイ皇帝さんを連れ帰るのは全然かまわないんだけど、何もしないで奪い返されたってなると、首領に怒られるのよね。それに……」
そこでほんの少しだけマリエの笑いが変わった。
今までのこぼれるような笑いから、凄惨さを感じさせる笑いに。
「あなた強いでしょう? 私、強い人と戦うの好きなの」
「ああ……戦闘狂……」
「そうね、否定はしないわ」
涼は空を見上げて嘆くのだ。
なぜ自分はいつも、こういう境遇に身を置いているのかと。
「僕は平和主義者なのに」
「嘘つき」
「え?」
「あなたも笑っているじゃない」
「そんな馬鹿な!」
そう、涼が気付いていないだけ……うっすら笑っているのだ。
「本当に平和を愛する人は、そんな足のさばき方はしない」
「え……」
「魔法だけじゃなくて近接戦もできるんだ?」
「あなたもでしょう、マリエさん」
そこには、二人の戦闘狂がいた。
アベルは言われた寝室に移動し、皇帝ツーインが寝かされているのを確認した。
脈を取り、問題ないことを理解する。
そして、二人が対峙している前庭側の窓を開けた。
「皇帝は大丈夫だ」
そして涼に知らせた。
それを受けて頷く涼。
「これで、気兼ねなく戦えるかしら?」
「はい。問題ないですね」
笑い合う二人。
だがその笑みは……戦いに身をさらす者たちの笑み。
「改めて名乗るわ。七星将軍マリエ・クローシュ」
「ナイトレイ王国、ロンド公爵リョウ・ミハラ」
「いいわね! ナイトレイ!」
「え?」
「カッコいいじゃない」
「ですよね! それに比べると……」
「そう……なんでうちはチョオウチなのよ……」
嘆くマリエ。
だが、ふと何かを思い出したように頭を上げた。
「あなた、水属性の魔法使いだったわよね?」
「ええ、そうですけど?」
「ということは、あなたがヘノヘノ・モヘジね」
「え?」
突然の指摘に驚く涼。
そんな偽名を使った覚えは確かにあるが……今、本名を名乗ったばかりだ。
「ガリベチとユン・チェンに、ヘノヘノ・モヘジって名乗ったでしょ?」
「なぜ……」
「そんな見え見えの偽名、ダメじゃない」
「はい?」
「自分が転生者だと言ってるようなものよ」
「……はい?」
涼は今、聞こえてきた言葉を理解し損ねた。
今、目の前の女性マリエは何と言った?
「……転生者と言いましたか?」
「ええ、言ったわ。リョウあなたは転生者でしょう?」
「それはつまり……」
「そう、私も転生者よ」
涼が認識した、三人目の転生者であった。
「最初に思ったのは、ダイナミック・スチーム・マインよ。マインって機雷でしょ? しかもスチーム? 水蒸気? そう、あの魔法は、空気中の水蒸気を機雷みたいにする魔法だったわよね。魔法そのものというより、魔法名で転生者を感じたわ」
「で、でも……」
「そう、あなたが作った魔法とは限らない。命名者があなたとは限らない」
「はい」
「でもさっき確信した。リョウ・ミハラだし……黒髪だし……どう見ても日本人じゃん」
「そこまで……」
マリエの指摘に何も言い返せない涼。
まあ、事実を指摘されているので、言い返す必要はないのだが。
「そうそう、私も日本人よ」
「でも髪が緑……」
そうマリエは、濃い緑色ともいうべき長い髪を垂らし、大きな黒い瞳の美女だ。
黒い瞳はともかく、濃い緑色の髪?
「ああ、これは、『受肉』する時に選べるのよ。今回は緑色の髪にしてみたの、目立つでしょ?」
「目立ちます……。いや、そうじゃなくて『受肉』?」
なにやら不穏な単語が出てきた。
「そう……私たちは受肉と呼んでいるけど。そもそも幻人は肉体が滅んだ後、魂だけがこの世界を彷徨うの」
「なんですと……」
「そして魂が入る『塊』が見つかると、そこに入って幻人になる」
「えっと……『器』の人たちは……」
「彼らは『器』として作られた存在だから、ずっと『器』のままよ。彼らの中に魂が入ることはない、彼らは人形なの」
幻人もいろいろ難しそうだ。
「さて、じゃあそろそろ戦いましょうか」
「やっぱり戦うんですね」
「当然よ。戦わないでダーウェイ皇帝を連れて行かれたらさすがにまずいもん。でもそれが無かったとしても、あなたとは戦ってみたいわ、リョウ」
「仕方ありません」
その時、ようやく涼は、マリエが左手に持つ剣に気付いた。
鞘に入っているが、細く反っている……。
「日本刀?」
「ええ。これが一番しっくりくる」
マリエが笑いながら鞘を払う。
「この前、皇宮を襲撃した時には持ってませんでしたよね?」
「よく覚えていたわね、あの直前に折っちゃって……。鍛冶師にすっごい怒られたわ、でもこうやって新しいのを打ってもらった」
みせびらかすマリエ。
「ああ……美しいですね」
「でしょう?」
涼が称賛し、マリエが頷く。
「リョウの得物は?」
「僕はこれです」
涼はそう言うと村雨を引き抜き、刃を生じさせた。
「氷の刀!」
「村雨と言います」
嬉しそうな涼。
「抜けば玉散る……南総里見八犬伝ね」
「まさに!」
マリエが頷きながら言い、涼も再び頷く。
「いいわね! 私の虎徹と勝負よ!」
「おぉ! ならば、いざ!」
こうして、戦いの火ぶたが切られた。




