0634 乗っ取られた
昼食休憩ももうすぐ終わる時間帯。
会議室にも、それなりに各国外交団が集まっている。
その一角には、数人の首脳がいた。
「リョウ殿も変わった質問をするな。呪法使いに最も必要とされる資質や能力?」
「はい。私は呪法使いのいない中央諸国から来ましたので……ボスンター国のある大陸南部で、冒険者としても活動されていたスー・クーさんならご存じだろうと」
「真っ先に思い浮かぶのは……やはり、揺るがぬ心であろうか」
魔法使いと違い、呪法使いは呪符や霊符を『飛ばして』、魔法現象を発現させることができる。
だがこの際の、呪符などを飛ばしたり、魔法現象を発現させる行為は、冷静に行わなければならない。
なぜなら、そこを失敗すると、呪法が暴走してしまうから。
暴走した呪法は、術者に降りかかる場合がある。
だからこそ、呪法使いになる者は、若いうちから心が揺らがないように鍛えられる。
それが、スー・クーの説明であった。
「ということは、有名な呪法使いであるヘルブ公は、心が揺るがない……」
涼の呟くような言葉を聞いて、無言のままアベルがチラリと見る。
「ああ、先ほどの司会をした者だな。確かにあの者は強力な呪法使いだな。名前は聞いていたが、対峙してみるとその強さがよく分かる」
スー・クーは頷いた。
そんな会話を静かに、何も言わずに聞いている人物もいる。
スージェー王国のイリアジャ女王だ。
涼とスー・クーが話している近くに寄ってきて、二人の話を熱心に聞いていた。
「イリアジャ女王も何か思うところが?」
涼が話を向ける。
「いえ、私も呪法使いに襲撃されましたけど、いろいろ大変なんだなと」
「笑ってそう言えるのは、女王陛下の心が強い証拠ですね」
自分が襲撃されたことを笑いながら言うイリアジャ女王を、苦笑に近い表情で称賛する涼。
襲撃の話を聞いて驚くスー・クー。
そう、奇しくも、二人とも呪法使いに襲撃され、対峙した経験がある……。
さらに、ダーウェイのリュン親王とシオ・フェン公主も近付いてきて話に加わった。
「我々も呪法使いに襲撃された経験がありますね」
やはり笑いながら言うリュン親王。
「こうして聞くと、呪法使いは襲撃してばかりだが……」
「呪法使いそのものの罪ではなく、彼らを使う人たちの問題ですよね」
呪符や霊符という隠密性の高いものを使える呪法使いは、襲撃者として適性が高いのかもしれない。
そんな和やかな空気が流れていた会議室に、次の瞬間……。
轟音がとどろき、会議室の扉が吹き飛んだ。
「<アイスウォール>」
間髪を容れずに涼が氷の壁を構築する。
だが。
パリンッ。
何かの連射を受けて割れる。
「<アイスウォール10層>」
カキンッ、カキンッ、カキン……。
「十層にしてようやく弾けるとは……」
涼は驚きながらも、その原因を視界に入れた。
「ヘルブ公……」
右手にかなり立派な剣を持ち、周囲に四枚の呪符を浮かせたヘルブ公が入ってくる。
「司会をしていたヘルブ公?」
「ですが雰囲気が違います」
リュン親王とシオ・フェン公主の声だ。
魔法の素養の無い二人であっても、ヘルブ公の体が尋常ならざる状態に陥っているのは分かるのだろう。
「リョウ」
「ええアベル。恐れていたことが起きたようです」
アベルも涼も、ヘルブ公自身から聞かされている。
幻王によって、自身が乗っ取られるかもしれないと。
ヘルブ公から、数条の光が奔った。
カキンッ……。
だが全てが氷の壁によって弾かれる。
「<アイスウォール二十層>」
だが、弾いた氷の壁も無傷ではないため、涼は新たに張りなおす。
一撃一撃が、驚くほど強力だ。
まるで悪魔並み。
「アベル、スー・クーさん。みんなを建物の外に避難させてください」
「リョウ殿は、まさかヘルブ公と……」
「ええ、僕が抑えます」
スー・クーの言葉にはっきりと頷く涼。
「リョウ、一人で大丈夫か?」
「ええ、なんとかします。アベルはミーファと一緒に、リュン親王とシオ・フェン公主を特にお願いします。さっきからヘルブ公の攻撃は、首脳全員を虐殺しようとしているみたいですので。ダーウェイの親王にもしものことがあったら、調印まで終えたこの会議も意味をなさなくなります」
「分かった。言っても無意味だろうが、気をつけろよ」
そして、涼はヘルブ公に向き直った。
ヘルブ公も涼の方を向いている。
周囲に張り巡らされた氷の壁が、涼によって張られたものであることを理解し、排除しようと決めたようだ。
「つまり、ヘルブ公の意識がまともであった時代の記憶は使えていないと」
涼が呟く。
大使館で対峙した時のヘルブ公は、涼が水属性の魔法使いであることを理解していたからだ。
だが、今ヘルブ公の体を乗っ取って、あるいは命令を下している人物はその事を知らないらしい。
「いずれはあなたと戦うのだろうとは思っていました。でも、こんな形になるのは想像していませんでしたよ」
涼が心の底から素直な感情を紡ぐ。
大使館の件の後、共に死竜らの問題の解決に赴いた……一応の協力関係を構築して。
だがそれは、本当に一時的なものであり、必ず破滅的な衝突は起きるだろうと……なんとなく涼は感じていた。
それでも……。
「冷静なあなたと戦いたかった」
対峙するヘルブ公は、頭上の冠はなくなり、いつも完璧に結い上げていた髪は振り乱している。
人によっては、こちらの方が恐ろしいと感じるだろう。
「確かに倒すのは厄介でしょうし強さは感じます。でも凄みは、冷静だった時の方がありましたよ」
カキンッ、カキンッ、カキンッ……。
硬質な、だが質量の軽いものがぶつかる音が連続する。
ヘルブ公が飛ばす複数の呪符からの攻撃を、涼の<アイスウォール>が弾く音だ。
しかし弾きながら、涼は気付いた。
少しずつ、ヘルブ公の雰囲気が変わり始めたことに。
「落ち着き始めている?」
なぜか分からないが、涼の口からそんな言葉が漏れた。
一瞬、元の人格が戻った、あるいは幻王なる者から、ヘルブ公が体を取り返したのかと思ったのだが……どうやらそうではないようだ。
なぜなら……。
「ようやく慣れたわ」
ヘルブ公が喋った。
声は以前聞いたヘルブ公の声。
しかも落ち着いており、逆に凄みを感じさせる声。
だが中身は違う。
なんとなくなのだが、断言できる。
精神はヘルブ公ではない。
「つまりあなたが幻王ですね」
涼ははっきりと言い切った。
これは好機。
何の情報もなかった幻王なるものと会話できる。
会話すれば情報を得られる。
相手が、何の情報も渡すつもりが無かったとしても、聞き取る側が鋭敏な感覚を持ち、頭の中を鍛えていれば多くの情報を手に入れることができる。
それはいつの時代、どんな世界においても変わらない。
この後、涼とアベルを含めたダーウェイは、幻人の国であるチョオウチ帝国と対決する。
今、得られる情報はその時に非常に役に立つはずだ。
ならば会話に引き込むべき。
相手を会話に引き込む最高の手札は、相手を驚かせること。
今回は、その手札を切った。
「幻王を知っているだと? 貴様、幻人でもないのになぜ知っている?」
「教えてもらったからです」
「誰にだ?」
「あなたが操っているヘルブ公に」
「嘘をつくな」
涼が事実を述べたのに、幻王は嘘だと断定した。
「なぜ嘘だと?」
「幻人がただの人間に、そのような秘中の秘の話をするはずがない」
「事実なんですけどね。そういえば、魔王の因子によって魔王が魔物を操るのと似ているとも話しましたね」
「……貴様、どこまで知っている」
涼の目論見通りの展開だ。
やはり『魔王の因子』という言葉を知っているだけで、この手の人たちの興味を引くらしい。
(逆に『魔王の因子』を知っていることにどんな意味があるのかに興味を覚えますよ)
そんなことを考えてしまうが、今は関係ない。
頭の隅にその思考を追い払う。
「そうそう。チョオウチ帝国の目的は東方諸国の征服、ひいては世界征服だと聞きました。本当ですか?」
「その問いに俺が答えると思うか?」
「答えないんですか? 思ったよりも器が小さいですね」
「……なに?」
涼の挑発に、怒気を含ませるヘルブ公……を乗っ取った幻王。
「当然、世界征服が目的だ! それくらい言い切る器でないと、世界征服の野望なんて掲げられないと思うんですが」
「貴様が知る必要はない」
「うちの国王陛下の方が器が大きく、気宇も壮大だと分かりました」
「……」
「うちの陛下なら、世界征服など当たり前だろう? 問題は時間だ、一年以内に征服しろと言い切りますよ。あなたとは違いますね」
涼は胸を張って言い切った。
もしアベルが聞いていたらどう思ったであろうか。
もちろん、アベルは世界征服など望んでいない。
一ミリも望んでいない。
全ては涼の勝手な妄想だ……。
「世界を征服したいなら勝手にすればいい」
「ほぉ~」
「俺には俺の望みがある」
「伺いましょう」
「言うつもりはない」
「それは残念です」
涼は肩をすくめる。
そして耳を澄ます。
完全に、部屋の外から音は聞こえなくなった。
さすがにこの状況では、<パッシブソナー>などの魔法を使っての情報収集はやりたくない。
だから音に頼るのだが……おそらく、避難は完了したであろう。
そして、目の前の幻王から引き出せる情報も、そろそろなくなりそうだ。
「この部屋全体を覆っている氷の壁、貴様を殺せば消えるであろう」
「さあ、どうでしょ?」
「その後で、各国首脳たちを殺す」
「殺してばかりでは、大切なものを掴めませんよ?」
「そうか? 少なくともお前を殺せば奴らの命を掴めるだろう」
「試してみますか?」
こうして、ヘルブ公の体を乗っ取った幻王と涼の、戦いの火ぶたが切られた。




