0633 暗転
アティンジョ大公による開幕宣言、ヘルブ公による各国代表紹介と司会によって、東方諸国合同会議は始まった。
喧喧囂囂、あるいは丁々発止の会議を期待していた涼であったが、その予想は裏切られる。
驚くほど和やかに進む会議。
参加国全てが力を合わせてチョオウチ帝国に対抗するという基本方針はもちろん、軍事面における最前線と決定権はダーウェイに委ねるという部分に関しても、問題なく可決された。
「思っていたのと違います」
「何だ? どんな会議になると思っていたんだ?」
「怒号が飛び交い、相手国を非難しまくる収拾のつかない会議です!」
「そんな国際会議があるのか? 聞いたことないが」
「国際会議は、剣を言葉に取り換えての戦争なのです! 甘っちょろいものではありません」
なぜか涼が力強く言い切る。
もちろん、涼が主張する根拠などアベルは全く知らないし、むしろ逆だと思っている。
「二国間協議ならともかく、多国が参加しての会議はそうはならんだろう? だいたい、首脳が揃う会議の前に、官僚たちによって事前調整がされているわけだし」
「甘えですね! そんなことでは首脳たちが鍛えられません」
「うん、よく分からん」
涼の主張は、現役首脳であるアベルには理解されなかった。
もちろん涼の主張はただの妄想であるため……理解されないのは当然なのかもしれないが。
その時、アベルがフッと笑った。
それを見咎める涼。
「何を笑っているんです?」
「いや、昔、王城にいた頃に受けた、『会議にうまく臨むために』という講義を思い出してな」
「はい?」
涼には意味がよく分からないので尋ねてみることにした。
「ナイトレイの王室では、そんなことも教えるんですか?」
「多分、俺の出来が悪かったから、先生が教えた方がいいと思ったんだろう。兄上がそんなのを受けたという話は聞いたことないしな」
アベルはうっすら笑った。
もちろんその間にも会議は続いているのだが……かなりサクサクと決まっている。
「提案者が、会議の場でみんなから意見を出してもらって何かを決めましょう、などという態度で臨めば結局何も決まらずに時間だけがかかる」
「それは言えてるかも」
「だから、最低でもたたき台となる案を準備していく必要がある。そして、最終的な落としどころまで考えておかねばならないと」
「たたき台は分かりますけど、落としどころまで想定できます?」
「ああ、難しくはない。参加する者たちの立場、これまで提案されてきたものなどを調べておくだけでけっこう推測できるもんだぞ。そういうのなら、相手に直接当たらなくても手元にある資料で分かるだろう?」
「確かに」
アベルの説明に頷く涼。
涼も以前、外資系コンサルに就職した先輩から話を聞いたことがある。
配属されて真っ先にマネージャーに言われたのが、腹案と譲れるラインまでを用意してから会議に臨むということだ。
それはプロジェクト内のミーティングでも、他社との会議でも、何においても。
日本人に比べて欧米人は会議の進め方が上手いという人がいるが、それは必ずしも議論が上手いわけではないのだ。
会議が始まる前から、腹案やたたき台を準備し、譲れるラインを上司に確認し、落としどころまで想定しているからスムーズに決定まで展開されるだけのこと。
もちろんそれらを含めて『会議の進め方が上手い』というのならその通り。
何の案も見通しもなく会議室に集まり、ああでもないこうでもないと言い合ったところで、何も決まらずに時間だけが過ぎていくのは自明の理。
本当は学校で、せめて高校ではそれくらいの『コツ』を教えた方がいいのだろう。
それは、どんな場面においても役に立つし、一生使えるコツでもあるからだ。
話し合って色々決められる人というのは、無意識のうちにそれらができている場合が多い。
『会議を開く』のと『議論をする』というのは、実は似て非なるものなのかもしれない。
会議の場で議論をしてもいいが……それは会議の本質ではない。
会議というのは、何かを決める場だ。
議論というのは、何かを決めるためのものではない。
それを理解しているだけで、『決まらない会議』などというものは無くなるだろう……。
そして今、涼の目の前では圧倒的な早さで『決まる会議』が展開されていた。
司会はヘルブ公。
間違いなく、彼の中には落としどころが準備されてきているのだ。
軍事上の最前線はダーウェイ。
指揮権の関係上、各国からの軍の派遣は行わない。
協力の方法は、物資の支援。
これはダーウェイにとっても、他の国にとっても落としどころとして妥当なものであろう。
各国から軍の派遣をとなると、各国民の感情の問題が出てくる。
「そんな聞いたこともない北のはずれの国からの攻撃のために、なぜわざわざ他国に赴いて戦わねばならないのか」と。
派遣される者たちも、感情的な面で複雑であろう。
ならば思い切って、物資だけの支援に絞るのは妥当だ。
ダーウェイ側にとっても、士気の低い他国の軍隊が傍にいて良いことなど何もない。
その結果……初日午前中で、基本条約の調印まで終わってしまった。
「すごいです……」
「ああ確かにな。ヘルブ公の議事進行は見事だな」
涼とアベルは、昼食休憩のために会議室を出ようとしているアティンジョ大公とヘルブ公を見ながら囁き合った。
「この会議って、三日間って聞いてましたよね」
「そうだったな。だが、条約の調印まで終わってしまったから……あとは細かな調整だけだろ? 各国が出す物資の種類や量の決定。だがそれは首脳らには関係なく、官僚たちでの話になるから……」
「実質、会議はお終いです」
さすがにそれは二人にとっても想定外だ。
だが、決して嫌な想定外ではない。
「長い会議など迷惑なだけです」
「短く終わらせて、生まれた時間を有意義に過ごすほうがいいよな」
この時、二人の脳内がクベバサの美味しいお店の検索を行っていたかどうかは誰にも分からない……。
全ての代表団に、控室が準備されている。
ヘルブ公が、いくつかの国との調整を終えてアティンジョ大公国の控室に戻ってきた。
奥の別室に入ると、アティンジョ大公が座っている。
目の前に置かれた昼食は、ほとんど手付かずだ。
「兄上、お食事は……」
「うむ、食欲が無いのだ」
ヘルブ公の言葉に、苦笑しながら答えるアティンジョ大公。
ヘルブ公はそれ以上は何も言わない。
食欲が無い理由はなんとなく分かる。
幻王による<幻王傀儡>が影響しているのだろうと。
自由都市であったクベバサにヘルブ公が大使として赴任して以降、今日初めてアティンジョ大公の食事を見た。
かつては豪放磊落とも言うべき豪快な食べっぷりを見せていただけに、正直不安で仕方ないのだが……。
言ったところでどうにもならない。
「各国との調整を簡単に行ってきました。問題なさそうです」
「さすがはプラクだ。お前に任せておけばうまくいくだろうと思ったが……まさか初日午前中で終わってしまうのは想定していなかったぞ」
ヘルブ公の報告に、はっきりと笑いながら称賛するアティンジョ大公。
敬愛する兄に称賛され、嬉しそうなヘルブ公。
それは、普段のヘルブ公が絶対に見せない表情かもしれない。
ただ兄の前でだけ、常の仮面を外しすべてをさらけ出すことができる……。
十五歳差という年齢は、ヘルブ公にとっては心地良い年齢差なのだろう。
「午後は、調印内容の公表と、各国からの物資の種類と量の決定を行います。午後のはじめの公表には出ていただきますが、その後の物資内容の決定は、兄上を含めて各国首脳は休んでいただいて問題ありません。最後の閉式の儀だけ出ていただければ……」
「分かった、任せる」
ヘルブ公の提案に、アティンジョ大公は頷いた。
それを受けてヘルブ公は少しだけホッとした。
正直、<幻王傀儡>に抵抗するというのがどれほどの負担になるのかは知らない。
だが目の前の兄を見る限り、かなりの体力の消耗を伴うものであることは分かる。
意志の力はさすがに強く、それを表す眼光も鋭いのだが……。
その時だった。
「うぐっ」
アティンジョ大公がくぐもった声を出し、胸を押さえたまま床に転がる。
「兄上!」
ヘルブ公が慌てて駆け寄る。
同時に叫ぶ。
「誰か! 治癒師を呼べ!」
ヘルブ公の叫びと同時に部屋になだれ込んでくる付き人たち。
その中の一人が、治癒師を呼びに走る。
もちろんヘルブ公も理解している。
恐らくこれは<幻王傀儡>であると。
治癒師がどうにかできるものではないと。
恐れていたことが起きたのだと……。
「そこに……ズルーマは、おるか……」
「陛下、ここに!」
アティンジョ大公が苦しそうな声のまま呼び、ズルーマが答える。
アティンジョ大公とヘルブ公を除けば、この場での宮廷内序列はズルーマが最上位だ。
「そなたが……証人と、なれ。余は……ヘルブ公プラクに……命じる。余の……首を斬り、魂の……器たる心の臓を……貫けと……。良いな」
「……ズルーマ、証人としてしかと承りました」
「……ヘルブ公プラク、勅命……承りました」
その場には、三人以外にも多くの者がいる。
当然、何が起きているのか理解はしていない。
なぜアティンジョ大公が、突然そんな勅命を出したのかも分からない。
なぜヘルブ公が、何の反論もなくそれを受けているのかも分からない。
だが、尋常ならざる事態であることは分かる。
それくらいは分かる。
それすら分からないような愚か者が、アティンジョ大公の周りに侍る事などできるわけがない。
ヘルブ公は立ち上がると、立てかけてあった剣を手に取った。
それはアティンジョ大公の剣。
鞘を払い、片膝をつく。
床に倒れたままのアティンジョ大公の首筋に剣を持っていく。
「プラク、後を頼んだ」
「はい……兄上」
一閃。
さらに一突き。
アティンジョ大公の首が斬り落とされ、心臓が貫かれた。
「閣下……」
全ての音が消えた別室に、最初の音をもたらしたのはズルーマであった。
それは、剣を握ったままのヘルブ公への問いかけ。
「すまぬ。しばらく一人にしてくれ」
それは小さな声であるにもかかわらず、その場にいた全員の耳に届いた。
全員が部屋を出ていき、扉が閉められる。
「兄上……」
そんな呟きと共に涙がこぼれる。
小さな嗚咽の音。
剣が手から落ちる音。
「立ち直ります、必ず立ち直りますから、今、少しだけ……」
囁くような声がヘルブ公の口から漏れる。
後を託された。
もちろん全力を尽くす。
だが、今しばらく待って欲しい……。
敬愛する兄を、自らの手で殺めた……それは、幼少より揺るがぬ心を持つように育てられたヘルブ公であっても、さすがにこたえる。
揺るがぬ心は、呪法使いとして、また将来の大公弟として最も必要なものであった。
だからこそ、完璧と言ってもいい心を手にした。
だが、さすがにこれは辛い。
しかし……。
それは、全て計算されていた……。
「うぐっ」
くぐもった声が、今度はヘルブ公の口から漏れる。
その瞬間、悟った。
<幻王傀儡>だと。
「しまった……最初から狙いは私だったのか」
絶対に揺るがない心を揺るがせるために、敬愛する兄を自らの手で殺めさせた。
その直後、揺らいだ心が奪われた。
「不覚……」
ヘルブ公の意識は消えた。




