0621 勅命
リュン王府が襲撃されたという報告は、出征中のリュン親王率いる征討軍に届けられた。
報告は、襲撃が始まってすぐに征討軍に向かって走ったため、その時点で結果は分からない。
「分かった」
リュン親王が言ったのはそれだけであった。
軍を戻すのはもちろん、軍を割いて援軍を王府に向かわせるという指示も出さない。
「殿下、王府への援軍は……」
ウェンシュ侍従が尋ねる。
だが……。
「無用」
答えは、ただそれだけ。
当然、ウェンシュ侍従だけでなく、供回りの者たちは納得できない。
戻るべきだと口々に言う。
それに対して、リュン親王は怒ることもなく感情がこもらない言葉で答えた。
「この征討軍は、勅命によるものだ。勅命をはたしていないのに戻れるわけがない」
そう、勅命。
皇帝からの命令。
そう言われれば、誰も何も言えない。
リュン親王は自らの天幕に入っていった。
共に入ったのはリンシュン侍従長だけ。
天幕に入ってからも、リュンは何も言わずに中を歩き回る。
だが顔をしかめている。
「私は……一番大切な時に、シオの隣にいてやれない」
「殿下……」
「殿下はやめろ。他には誰もいない」
「はい……リュン様」
苛立たし気に言うリュン親王、それとは対照的にあえて落ち着いた声音で答えるリンシュン侍従長。
一番王府にとって返したいのはリュン親王である。
そのことを、リンシュン侍従長は嫌というほど分かっている。
元々は政略結婚であったが、今ではシオ・フェン公主のことを愛しているのだ。
だから、全てを投げうってでも王府に戻りたいと。
だが……。
「そんなことをすれば、私はシオに怒られる」
「……」
リュン親王は婚礼前夜、シオ・フェン公主に告げた。
次期皇帝位を目指すと。
支えてくれと。
シオ・フェン公主は支えると答えてくれた。
だからこそ、戻れない。
ここで戻れば、他の親王たちにいらぬ攻撃の隙を与えることになるから。
「ここから強行軍で王府に向かったところで、間に合いますまい」
「リンシュン?」
「リュン様、我々は進むしかありません」
リンシュン侍従長は厳然たる口調で告げる。
それは事実だ。
帝都まで休まずに軍を戻したとしても、丸一日はかかる。
どう考えても、王府での戦闘は終了しているであろう。
王府の陥落か、守り抜いたかそれは分からないが。
「リンシュンの言う通り、せめて魔法砲撃隊は全て王府に残してくるべきであったな」
「リュン様……」
「それがあれば、ルヤオなら守り抜くであろうから」
「ルヤオなら、現有戦力でも戦い抜くでしょう。それに、シオ・フェン公主の側近たちもいます」
「そうだな。彼女たちならやってくれるだろう」
リュン親王はそう言うと、一度深く息を吐きだす。
次の瞬間、表情が変わった。
それは決意に満ちた顔。
後ろを振り返らないと決めた顔。
「北上し、ペイユ軍を完膚なきまでに叩き潰す。誰にもつけこむ隙を与えないほどにだ。その功績を持って帝都に凱旋するぞ!」
「はい!」
五日後、リュン親王率いる征討軍一万が、南下してくるペイユ軍と衝突した。
平地で五百メートルの距離をおいて、両軍はにらみ合っている。
征討軍天幕にて。
「敵ペイユ軍は、騎馬のみ五千騎」
「平地での騎馬の突撃は厄介です」
「なんの! こっちにはダーウェイ禁軍一万がいます」
供回りの者たちがいろいろと話している。
彼らは、この征討軍の幕僚も兼ねている。
無言なのは二人だけ。
リュン親王と、禁軍統領補イー・シマ。
イー・シマ統領補は、椅子に座り、無言のままずっと目をつぶっている。
すでに征討全軍の作戦は練られ、布陣も大方済んでいる。
そのため、今さら指示を出す必要はない。
そこへ、伝令が入ってきた。
「報告!」
そう言うと、一枚の紙をリュン親王に渡す。
リュン親王は一読し、頷いた。
そして、椅子に座る人物に声をかける。
「統領補、行きます」
「承知!」
目を見開き、重低音で答えるイー・シマ統領補。
リュン親王が天幕を出て、それにイー・シマ統領補、さらに供回りたちが出た。
その瞬間、禁軍一万が整列し、全員がリュン親王を見る。
それだけで、禁軍がその名に違わず精鋭であることが分かる。
「ダーウェイの勇士たちよ! 時は来た! 侵略者たちを打ち倒し、その力を見せつけよ!」
「おう!」
リュン親王の檄に、禁軍一万が答える。
「進軍!」
イー・シマ統領補が号令すると、禁軍は整然と進軍を開始した。
もしその場に、ダーウェイの軍事専門家がいれば驚いたかもしれない。
ペイユ軍を構成する騎馬部隊は、平地にて絶大な威力を発揮する。
そこに、歩兵を中心としたダーウェイ禁軍を、正面から進めているからだ。
確かに、ダーウェイ禁軍は精鋭であり、勇壮無比。
力においても技においても、近隣諸国の軍とは比べものにならない。
また、ダーウェイ内の他軍、たとえば黒旗軍などと比べても、その強さは圧倒的である。
しかしそれでも、北方騎馬民族の騎馬部隊に正面からというのは……。
禁軍の前進を見て、ペイユ軍は怒り狂ったようであった。
当然であろう。
平地で絶大な力を発揮する騎馬部隊に対して、何の策もなく正面から進軍してくるなど、自分たちを馬鹿にしているとしか思えない。
これまでにも、ペイユ軍とダーウェイ軍は何度も戦ったことがある。
確かに、ダーウェイの方が勝率は高いであろう。
だがそれは、地形を活かしたり罠にはめたりと、ダーウェイ側が策をめぐらせたからだ。
今回のように、平地で正面からぶつかればペイユ騎馬部隊が負ける道理はない!
兵士だけでなく、指揮官クラスすらペイユ軍は怒り狂った。
そこにあるのは、もはや指揮ではない。
我先にとダーウェイ軍に騎馬突撃を敢行していく。
もしその場に涼がいたらこう言ったかもしれない。
「相手の冷静さを奪うのは、対人戦の初歩の初歩」と。
ガキンッ。
両軍は正面からぶつかった。
歩兵のダーウェイ軍。
騎馬のペイユ軍。
正面からぶつかった場合の突進力は、騎馬の方が圧倒的に高い。
だが……。
「止まった?」
「踏み潰せない?」
ペイユ軍の騎馬隊は、止められた。
止めたのは、ダーウェイ禁軍の大盾。
だが、そんなものはペイユ軍の計算の範囲内だ。
これまでにも、何度も弾き飛ばしてきた過去がある。
しかし今回は、止められた。
ダーウェイ禁軍は、一つの大盾を二人で支え、さらに槍をつっかえ棒のようにして支えていた。
その大盾を隙間なく最前線に並べ、騎馬の突進を止めたのだ。
決して複雑な事をしたわけではない。
とはいえ、誰にでもできることではない。
なぜなら、騎馬の突進を受けるのは恐怖だからだ。
恐ろしいものなのだ。
しかしさすがは禁軍。
ダーウェイが誇る最精鋭。
一万人全員、誰一人ひるむことなく、全員が心と力を合わせて盾の長城を築き、突進を止めた。
騎馬部隊の最大の強さは、その突進力にある。それは運動エネルギー。
であるなら、その突進を止めたら? 運動を止めたら?
騎馬は、簡単に後ろに戻ることはできない……そこに立ち尽くすしかない。
「弓隊、放て!」
イー・シマ統領補の命令で、禁軍後衛から放たれる千本の矢。
しかも立て続けに。
その間も、禁軍前線は微動だにしない。
味方の矢が自分たちに当たるかもなどとも考えない。
最精鋭なのだ。
矢を放っている者たちも禁軍。
信頼。
それこそが、全軍における絆であり、まさに禁軍であることの誇り。
立て続けに放たれる矢によって、ペイユ軍は混乱している。
そこに矢を放ちながら、禁軍は両翼を前進させ始めた。
中央は止まったまま、両翼が前進。
突進を止められたペイユ軍を半包囲するように。
助走の取れない騎馬部隊に、突進力は生まれない。
その場で槍を突くか、馬から降りて戦うか……。
どちらにしても、本職歩兵のダーウェイ禁軍に通じるはずがない。
それは、ペイユ軍に属する者たち全員が理解していた。
「撤退!」
「退けー!」
だからこそ、そんな声がペイユ軍から上がる。
しかし……。
「魔法砲撃隊、斉射四連、撃て!」
ペイユ軍後方から響く声。
さらに、次々と着弾する火属性の攻撃魔法。
「何だ?」
「後ろから敵?」
「馬鹿な!」
ペイユ軍の後方、つまり北からダーウェイ軍が現れた。
その光景は、遠眼鏡を通してダーウェイ司令部からも確認できる。
「リンシュン侍従長とウェンシュ侍従が率いる王府軍、北側からの敵包囲に成功したようです」
その報告に無言のまま頷くリュン親王。
そう、リュン親王は最も信頼するリンシュン侍従長らに、魔法砲撃隊を含めた自らの手勢二千を与え、戦闘開始前から敵の後方に動かしておいたのだ。
東、南、西の三方から禁軍一万が包囲し、さらに北からリュン王府軍二千によって蓋をされる。
突撃力を失ったペイユ軍を包囲殲滅……完全に策がはまった。
その日、ペイユ軍は四千騎を超える屍を大地にさらした。
ペイユ軍を完膚なきまでに叩き潰す……そう宣言した通り、リュン親王率いる征討軍は完勝したのであった。
これで「第五章 リュン親王」はおしまいです。
明日より、ついに第三部「最終章」に突入します!
とはいえ、最終章はかなり長いので……ええ、軽く一か月は超えますので……。
今しばらくお付き合いください。




