0617 王府防衛戦 上
涼たちが帝都を発った日の午後、北方から不穏な知らせが皇宮に届いた。
「ペイユ国、南進!」
ペイユは、ダーウェイの北方に位置する国だ。
そのペイユの更に北に、過日問題となったチョオウチ帝国があるらしいが……。
「ペイユが攻めてきただと? 誤報ではないのか?」
一報を受けて、皇帝ツーインはビャン丞相に確認する。
それも当然であろう。
二国の国力比は、20対1から30対1とも言われているのだ。
ダーウェイから攻めるならまだしも、圧倒的劣勢なペイユ側からダーウェイに攻め込む道理が無い。
しかも現在、両国の関係はそれほど悪くない。
ペイユ王は十年前に即位したが、それ以来、ダーウェイに対して朝貢している。
ダーウェイからも、貰った以上の物……特に米を中心とした食料を送っており、戦いが起きる理由が分からない。
「ペイユ軍五千騎が南下し、我が国の街を襲っているのは事実のようです」
「意味が分からん」
皇帝ツーインは小さく首を振った。
とはいえ、何もしないわけにはいかない。
即日、第六皇子リュン親王に勅命が下った。
禁軍一万を率い、ペイユ軍を打ち払えと。
リュン親王が出立する前夜、コウリ王府。
そこでは、第二皇子コウリ親王とローウォン卿がコーヒーを飲んでいた。
「ペイユの迎撃、リュン親王を陛下に推挙したのはコウリ殿下とか」
「そうですね」
ローウォン卿がうっすら笑いながら問い、コウリ親王もうっすら笑いながら答える。
「なぜですか? これまで外敵の打ち払いは、殿下以外ですと、武のチューレイ親王を推挙していたはずです。禁軍を使える親王であれば、負けるはずがありません。それはつまり、功績を重ねる好機。今回も、禁軍一万を率いるリュン親王は負けないでしょう」
「そう、リュンは勝つでしょうね。そうでなければ困ります。彼は、これからのダーウェイに必要な人材。こんなところで死んでもらっては困る」
「ではなぜ……」
ローウォン卿はそこまで問うて、ふと何かに思い当たったように首を傾げ、すぐにそれを確信した。
「……リュン親王をリュン王府から遠ざけるのが狙いですか」
ローウォン卿のその言葉に、コウリ親王は何も答えずに、うっすら笑いながらコーヒーを飲む。
「今、隣接する輪舞邸のロンド公爵は南方に。さらにリュン親王が北方に行けば……リュン王府にも戦力は残るのでしょうが、常と比べれば驚くほど脆弱。そこで、ビン親王が動くと読んでいらっしゃる」
「……」
「日に日に、正常な判断力を失いつつあると言われる第四皇子ビン親王。その憎しみは、リュン親王に向けられています。そのリュン親王の家族が、無防備に目の前に残されていると見れば……たとえば、残りの二級冒険者らに襲撃させる可能性は高い」
「……」
「しかし、なぜです? なぜその状態でのリュン王府を襲撃させるのです?」
無言のままのコウリ親王に対し、最も大きな疑問をぶつけるローウォン卿。
うっすら笑ったままコウリ親王が口を開いた。
「先ほども言った通り、リュンは今後のダーウェイに必要な人材です。あれほどの将器、そうはいません。ですが、ここ一月で想定よりも強くなりすぎました」
「強くなりすぎた?」
コウリ親王の言葉に、首をかしげるローウォン卿。
「ええ。心が強くなりすぎました。あれでは、私のために動かすのが難しくなります」
コウリ親王は笑みを浮かべたままだが……その目の奥に鋭い光が宿ったのを、ローウォン卿は見て取った。
コウリ親王の想定以上の何かが起きたということだ。
それが『なりすぎた』ということ。
それは、非常に珍しいことでもある。
「なぜ、強くなりすぎたのでしょう?」
「人の心を強くするのは人です」
ローウォン卿の問いに、すこし婉曲的に答えるコウリ親王。
「つまり、リュン親王の周りにいる誰かのせいで、想定以上にリュン親王の心が強くなった? それほど親王が信頼する人物となると……リンシュン侍従長でしょうが、しかし彼は元々親王と共にいた。ここ一カ月となると……ああ、なるほど。公主殿下ですかな」
「ええ、シオ・フェン公主です」
「わしは全く面識がないのじゃが……それほどですか?」
「そう、彼女は女傑です。世が世なら、女帝となる人です」
「ほぉ……」
コウリ親王が、ここまで称賛するなどめったにないことだ。
そのため、ローウォン卿も驚いた。
そして、言葉を続ける。
「だから、今のうちにご退場いただくと」
それに対して、コウリ親王は何も答えない。
ただ、ローウォン卿に言いたいことはあったようだ。
「ローウォン卿、お弟子さんは王府に残るようです。ですが、今回の件での助言は控えていただきたい」
「ふむ、ルヤオですか。優秀な人材なのですが……仕方ないですかな」
「ええ、優秀であるのは認めます」
「まあ、これで死ぬようならそれまでの者であったと」
ローウォン卿は肩をすくめて、コーヒーを飲み干すのであった。
リュン親王率いる討伐軍が帝都を発って数日後、深夜。
眠っていたシオ・フェン公主は鐘の音で目が覚めた。
すぐに、侍女ミーファが部屋に入ってくる。
「シオ様、王府が襲撃されました。こちらを着てください」
ミーファに渡された外套をシオ・フェン公主は着る。
さらに、公主護衛隊長ビジスと、親王羽林軍隊長ルヤオが部屋に飛び込んできた。
カンカンカン、カンカンカン……。
大きな鐘の音がはっきりと聞こえる。
「これは……」
「設置してある防衛用錬金道具です! 敵襲です!」
シオ・フェン公主が眉をひそめ、ルヤオが答える。
ビジスもミーファも冷静に対処しているが、驚いてはいる。
驚くのは当然であろう。
ここはリュン王府。
親王の居城を襲うなど、本来あり得ない。
だが……。
「リュン様が軍と装備を持っていかれましたから、確かにいつもよりは手薄ですね」
冷静な声で指摘するのは、リュン親王がいない現在、王府を預かるシオ・フェン公主。
「公主様、避難舎に移動してください!」
「分かりました」
ルヤオ隊長の言葉に、何も問い返すことなく受け入れるシオ・フェン公主。
親王羽林軍隊長であるルヤオ隊長が、避難しろと指示したのだ。
それが最適解であろう。
避難舎は、最硬の壁と扉に守られた避難所だ。
現代地球で言えば、パニックルームであろうか。
家が強盗などに襲われた時、そこに逃げ込んで警察が来るまで時間を稼ぐための部屋……。
避難舎も、襲撃者の標的となっている人物にそこに逃げてもらって、安全を確保するための建物だ。
「こちらへ」
公主護衛隊長であるビジスが先導し、それにシオ・フェン公主が続き、最後に侍女ミーファ。
これに、部屋の外に待機していた侍女たちが周りを囲んで移動することになる。
「あの二人に任せておけば大丈夫」
ルヤオ隊長は小さく呟くと、正門に向かって走った。
「状況は!?」
正門に着く早々、状況確認に入るルヤオ隊長。
だが、答えを得る前に分かった。
かなりまずい。
「隊長! このままではもちません!」
「敵が多すぎます!」
報告をするルヤオ直属の魔法砲撃隊員たち。
彼らも、魔法砲撃をしながらの報告だ。
敵の魔法にこちらの魔法を当てて対消滅させているが……敵からの魔法砲撃があまりにも多い。
弾幕を抜けて、王府の門や壁にダメージを入れられる。
王府は、小さな城である。
そのため門にも壁にも、錬金術によって、魔法的な防御が施されている。
だから、簡単には破られない。
特に戦闘状態となった現在は、最大出力で魔法防御機構が稼働している。
しかし、それでも無敵というわけではない。
魔法砲撃を当てられれば削られる。
魔法的に削られた箇所が、魔石の魔力を使って修復される。
つまり何度も砲撃を受ければ、そのうち防御機構は魔力切れで動かなくなるのだ。
だから、魔法砲撃隊が敵の魔法を対消滅で迎撃しているのだが……それすら抜けられる。
「私の手甲は?」
「こちらを」
ルヤオ隊長が開発した、魔法砲撃強化手甲。
「……これが最後か」
「はい。二十着、全員装備しました」
「殿下が半分置いていってくださったとはいえ、敵が多すぎる」
ルヤオ隊長が悔しそうに呟く。
これまでに開発したのは四十着。
そのうちの半分を、リュン親王率いる遠征軍が装備していった。
二十着あればどうとでもなると思ったのだが……。
「ビン親王の自暴自棄を見誤ったか」
ルヤオ隊長の視線の先には、襲撃者たちがいる。
その中には、見覚えのある魔法使いがチラホラ……。
いずれも、ビン王府軍に所属する魔法使いたちだ。
つまりビン親王は、自分の王府軍まで、リュン王府の襲撃に参加させたのだ。
言われていた八十人の二級冒険者だけではなく。
「たとえ王府を落としても、ビン親王に未来はないぞ?」
そう、誰もがそれを理解している。
証拠のある無しなど、もはや関係ない。
これほどおおっぴらに王府を襲撃したのだ。
皇帝は激怒するであろう。
帝都を守る巡防兵は、王府軍には手を出せないかもしれない。
だからこの襲撃は、もしかしたら成功するかもしれない。
しかし、その先にビン親王の未来も、家臣たちの未来もない……。
だが、今ルヤオ隊長がやるべきは、この正門を守る事だ。
裏門は大軍を通せる構造にはなっていない。
そのため、敵もそれほどではないらしい。
しかし、この正門が落とされれば……その瞬間、王府全域が占領されるほどの大軍がなだれ込んでくる。
「やむをえんか」
ルヤオ隊長はそう呟くと、唱えた。
「『月照因果』」
その瞬間、ルヤオ隊長が右腕にはめていた腕輪が、柔らかな光を放った。
それは、錬金術の光。
光を放った腕輪は十二個に分裂し、空中に浮かび、自転し始め、さらに前方に飛んだ。
そこに、襲撃者からの魔法砲撃。
十二個の『月』は次々に空中を移動し、魔法砲撃にぶつかる。
『月』にぶつかった魔法は、180度方向を転換し……。
「うぐっ」
「ぎゃ!」
「うご……」
放った者たちに当たった。
「おぉ!」
「さすが隊長の『月』……」
直属の部下たちであっても、めったにお目に掛かれないルヤオ隊長の『月照因果』に驚く。
規格外とすら言われるルヤオ隊長の錬金術によって生み出された『月』は、魔法砲撃を弾き返すのだ。
「今のうちに魔力回復薬を飲んでおけ。態勢を整えるんだ」
ルヤオ隊長の号令に、魔法砲撃隊が動き出した。
(ビン王府軍を相手に……さて、どこまでもつか)
ルヤオ隊長の心は晴れなかった。
「何だ今のは?」
襲撃隊を率いるのは、ビン親王の片腕と言われるリンスイ。
失踪していたと言われていたが、実は帝都で地下に潜っていただけである。
それも、ある目的があって。
その目的を達し、ついにビン王府に戻った彼は、さっそく襲撃隊の指揮官に任命されてここに立っていた。
遠征に兵力を割いた王府を落とすのには、十分な戦力を展開し、優位に砲撃戦を進めていたのだが、いきなり敵の魔法砲撃でこちらの複数の魔法使いが倒されたのだ。
当然驚くであろう。
「報告いたします! 敵正門に、ルヤオ隊長が現れました」
「なるほど」
一つ頷くリンスイ。
それで理解できた。
「つまり今のが、噂に聞く『月照因果』か」
「さすがローウォン卿の愛弟子」
「ルヤオまで遠征軍に入っていれば、この襲撃も楽だったものを」
幕僚たちの言葉が聞こえるが、リンスイは反応しない。
すでに作戦は練られ、発動している。
ルヤオ隊長が出てくるのも想定内。
予定通り進めるだけだ。
「魔法砲撃を倍にしろ」
「この砲撃密度で、これだけ連射されると……」
ルヤオ隊長が思わず呟く。
防衛側は、圧倒的に劣勢である。
ルヤオ隊長の『月照因果』を発動し、魔法砲撃隊二十人全員が『手甲』をつけているにもかかわらずだ。
それでも、敵のいくつかの魔法砲撃が彼らの迎撃を抜け、門や壁にダメージを与える。
その修復の度に、王府に設置された魔法防御機構用の魔石の魔力が使用され……早晩尽きる。
尽きれば、一気に正門を突破され、王府は蹂躙されるであろう。
いちおう、シオ・フェン公主は避難舎に移動してもらったが……。
避難舎は、門や壁の防御機構とは別系統の魔石によって守られているが、それとて完璧ではない。
「くっ……」
ルヤオ隊長を突然激しい頭痛が襲い、思わず片膝をつく。
「隊長!」
「大丈夫だ! 迎撃を続けろ!」
砲撃隊員が声をかけるが、それを振り払うルヤオ隊長。
原因は理解している。
『月照因果』の酷使だ。
本来、『月照因果』は、六個の月で迎撃する前提で構築してある。
だが、今回ほどの魔法砲撃に対しては、六個ではさすがにさばききれない。
そう判断して、初手から設計上最大使用可能数の十二個の月を飛ばした。
だが、これは体に驚くほどの負担をかけ、思わず意識を失ってしまうほどの頭痛に襲われることがある。
今回、意識は失わなかったが、片膝をつくのは避けられなかった……。
これが、<月照因果>の使用をためらった理由。
ルヤオ隊長が、このまま戦闘が推移した場合の暗い未来に顔をしかめる。
だが、その時……。
道路の奥、暗闇から十本の青い光が奔った。
「うぐっ」
「ぐは……」
「くっ」
槍で突かれた襲撃者たちから、苦悶の声が漏れる。
「え?」
ルヤオ隊長をはじめ、正門を守る者たちは何が起きたのか分からなかった。
何か、高速で移動してきたものが襲撃者を襲ったようには見えたが……。
襲撃者を襲って反対方向に突き抜けた、その何かが、そこから再び襲撃者たちに向かって奔った。
「……ゴーレム?」
そう呟いたのは誰だったか。
そのゴーレム集団の先頭は、首に黄色いスカーフを巻いている!
「友好の証二号君?」
ルヤオ隊長が信じられないという表情で呟く。
脚部からは車輪が現れ、高速走行を行っている。
以前はなかったはずの機構だ。
今回のために急遽つけられたのかもしれない……。
二撃を食らわせ、襲撃隊をいったん退かせた、友好の証二号君率いる輪舞邸御庭番二番隊がルヤオ隊長らの前にやってきた。
友好の証二号君を先頭に、きちんと整列している。
全員が右手に氷の槍を持ち、これを構えて、突撃を繰り返したようだ。
「二号君……感謝する!」
ルヤオ隊長の言葉に、二号君は何も言わない。
だが、ルヤオ隊長には分かる。
「間に合ってよかった」とその表情で語っているのが。
「二号君たちは、今のように敵の魔法使いらに突撃していって陣形を崩して欲しい。同時に我々も、魔法砲撃での攻撃に転じる」
守るのに必死だった魔法砲撃隊だが、二号君らの登場により攻勢に転じようというのだ。
そのタイミングで、襲撃隊も新たな魔法使いを繰り出してきたのが見えた。
二号君は左手を挙げる。
それによって、後ろに従う二番隊のゴーレムたちに気合が入った……ように見えた。
そして突撃。
黄色いスカーフをなびかせた二号君を先頭に、御庭番二番隊は突っ込んでいった。




