0608 響音会 下
「第十二皇子……」
「皇子、けっこう多いんだな」
最初の演奏が第十二皇子によるものと聞いて、驚く涼と皇子の多さに感心するアベル。
「うちの王国って、王族が少ないじゃないですか?」
「ああ、少ないな。このダーウェイは比べるべくもないが、中央諸国の中で比較してもかなり少ない」
「それって、安全保障上どうなんですか?」
「それはつまり、王族は命を狙われる可能性が高いから、人が少ないと王族が絶えてマズいことになる可能性が高いだろうということだな?」
「ええ、そういうことです」
涼は大きく頷く。
捧げるべき忠誠の対象がいなくなれば、王国というものは揺らいでしまう。
『王族が多い』というただそれだけで、盤石と言えるのだ。
江戸幕府を見てみるがいい。
二百六十年以上にわたって幕府が続いた要因の一つは、徳川氏……特に初代将軍徳川家康の子孫たちの多さにあることは間違いない。
家康には、十一人の息子と五人の娘……。
七代将軍徳川家継が1716年にわずか六歳で夭逝したことによって、将軍家が断絶した後も、家康の息子たちによって開かれた御三家から将軍を迎えることで、幕府は存続された。
そこから150年間も。
この七代家継の後、御三家の一つである紀州徳川家からやってきた八代将軍が、時代劇でも有名な暴れん坊将軍吉宗である。
全ては、開祖徳川家康が多くの子どもを作っていたおかげ……。
「アベル、ナイトレイ王国も王族を増やさなければなりません!」
「それは同感なんだが……以前、ハインライン侯にもそんなことを言われた覚えがある」
「おぉ! さすがは宰相閣下です」
涼の中で、宰相ハインライン侯爵に対する評価は極めて高い。
「ただ、そう簡単には王族は増えんのだ……」
「確かに。この際仕方ありません、尋常ならざる道の研究を始めるべきでしょう」
「尋常ならざる道? なんだそれは?」
涼が、重々しい雰囲気でわざとらしく顎に手を持っていき、何度も頷きながら言う。
それに対して、アベルはかなり胡乱げな目で見ている。
それは、これまでの経験から……だから仕方ないであろう。
「アベルのクローンを作って、ストックしておきます!」
「くろーんって何だ?」
マッドサイエンティスト涼が使う言葉は、アベルには難しいようだ。
「アベルと同じ遺伝子……アベルそっくりの人を作っておいて、アベルが死んでしまったら代わりをさせるのです。アベルと全く同じ人なので、みんな混乱しないでついてきてくれますよ」
「……そんなことが可能なのか? いやそもそも、そいつは、何なんだ?」
「まだ可能じゃないので、研究をしなければいけませんね。錬金術から派生した分野に、そういうのがあってもおかしくないと思うんですけどね。中央諸国に戻ったら調べてみましょう」
「俺と同じ人、って言ったか?」
「ええ、ええ。遺伝子レベルから、アベルと全く同じ人……遺伝子というのは、アベルの中心……みたいな部分でして、そこからアベルと全く同じです」
「なんか……危ない感じがするから却下な」
「国王の横暴反対!」
こうして、人の道を外れたマッドな研究は、王国で禁止されるのであった。
「このうえは、地下に潜って研究を続け……」
そんな敗北した悪いドクターのような涼の呟きは、アベルの耳にも届いたが……小さく首を振られてスルーされた……。
「アベル、気付きましたか?」
「ああ、第五皇子はやはりいないということだな」
「そんなことじゃありません」
「そんなことって……」
涼の否定に顔をしかめるアベル。
第六皇子であるリュンが親王になったが、第五皇子を飛び越したことになる……第五皇子はどう感じているのか? あるいはいないのか?
それは二人の間で懸案になっていたはずのこと。
見た限り、皇子は十人。
かつての第一皇子、先の皇太子はすでにいない。
そして、皇子は第十二皇子までいる。
となると、あと一人誰かが欠けている……第五皇子はいないと考えるのが妥当だろう。
それでアベルは言ったのだが……涼の指摘はそれではなかった。
「膳に載っているものがデザート系……おやつっぽいものに替わりました」
「ああ……言われてみれば確かに」
第一部の時は、お腹にもたまるご飯系というか、食事的なものが多かった。
もちろん膳であるために、大量に載っているわけではない。
だが、召使さん的な人たちがおり、食べてお皿が空くと、新たな皿を運んできて膳に置いてくれるのだ。
しかも、新たな種類の料理を。
見る限り、皇子たちや尚書といった高位の者たちは、多少箸をつける程度であったが二人は違う。
何の懸案もない二人は、音楽を楽しみ、料理も楽しんだ。
皿が空くたびに新たな料理が並ぶ。
それは当然、どこまで何種類準備されているのかを探求したくなるというものだ。
二人とも、不思議なことを探求したくなる冒険者ですから!
しかし!
食べ過ぎて動けなくなってしまうのはまずい。
アベルが言った通り……常に見られているという意識を持たねばならない。
二人とも無名の人ではないから。
有名なロンド公爵と、その護衛剣士。
そのため、お腹といつも以上に緊密な連携をとりながら、料理の種類を探ったのだが……。
「結局第一部の料理は、十二皿までしか探求できませんでした」
「一つとして同じ種類はなかったことを考えると、かなりの準備がされていたんだろうな」
「僕らが食べられなかった料理は……」
「後で、働いていた人たちが食べるだろう?」
「食品ロスにならないのなら良かったです」
アベルも涼も、響音会を楽しんでいる。
他の参加者とは、少し違う形かもしれないが……。
響音会第二部は、第十二皇子から始まって、第七皇子まで終了した。
第六皇子リュンは親王に上がり、さらに正妃を娶ったばかりであるため、今回は最後の演奏順になる。
そのため第五皇子のはずなのだが……。
「ああ、第四皇子であるビン親王が準備をしています」
「やはり第五皇子はいないんだな」
涼もアベルも、舞台に上がったのが第四皇子ビン親王であることを確認して頷いた。
第五皇子が亡くなっているのかここに来られないだけなのか、それは分からないが……。
「僕らを目の敵にしているビン親王がどれほどのものか、見極めてやります」
「……なぜ上から目線なんだ」
涼の言葉に、小さく首を振るアベル。
ビン親王はただ一人、笛を持って舞台に立った。
最初の一吹き……。
「むぅ……」
思わず涼の口から漏れる。
見極めると言った涼ですら認めざるを得ない、澄んだ音色。
それは、他の楽器がない分、余計に際立つ。
美しく波打つ……音なのに、そんな光景が目に浮かぶかのような笛の音。
小さな船が月の光に照らされ、その上でただ一人笛を吹いているような……。
だが、しばらくすると、曲調が変わった。
荒々しく、全てを吹き飛ばすような。
人によっては、雷鳴すら聞こえる……。
高波に翻弄される小舟。
守護するように照らしていた月の光は無い。
小舟に襲い掛かる波……。
誰もが絶望的な光景を脳裏に浮かべたその瞬間……。
嵐は終わった。
再び月の光に照らされる小舟……それが曲の終わりであった。
「おぉー!」
「さすがビン親王殿下!」
「ダーウェイ一の笛の音!」
万雷の拍手。
「ま、まあ、なかなかの演奏であったことは認めざるを得ません」
「素直に凄いと言えばいいだろうに」
なぜかすねた表情だが、演奏のすばらしさを認める涼と、素直に称賛するアベル。
この二人ですら素晴らしいと認める演奏であった。
「リュン殿下の敵ではありますが、笛が上手であることは認めましょう」
「上手というレベルではなく、かなり凄いというべきだろう、あれは」
「でも、この後に演奏する第三皇子さんは大変でしょうね」
「しかも第三皇子チューレイは芸より武に寄った御仁なんだろう? さてどうするのか」
涼とアベルは、ひそひそとそんなことを話しながら舞台を見ている。
中央ではなく、隅の方に一つの楽器が置かれた。
「リョウが琴と言っていたやつだな」
「ええ。正確には古琴というんでしょうか。七弦のやつですね」
涼も知識としては知っているし、地球にいた頃に映画などで見たことはあるが……詳しい演奏法などは知らない。
第一部の演奏でも、古琴は結構使われていたので、その時に『琴』と呟いたので、アベルは覚えていたようだ。
だが、いわゆる日本の『琴』とは違う。
大きく違うのは、琴柱が無いという点であろう。
そう、弦を下から支え上げているあの柱である。
しかし、そんなものよりも大きな疑問がある。
なぜ舞台中央ではなく隅に?
その疑問はすぐに解けた。
「女性が琴の前に座りました」
だが、まだすぐに演奏する感じではない。
何かを待っているようだ。
「ああ、チューレイ親王が舞台に上がってきたな。上がったが……」
「剣を手に持っています」
「もしかして演奏じゃなく……剣舞か?」
アベルの言葉に答えるかのように、チューレイ親王が舞台の中央で舞い始めた。
それに合わせられる琴。
そう、最初は剣舞に合わせていた琴。
だが、それだけでは終わらない。
むしろ、琴が剣舞をリードし始めたのだ。
演奏者は、ちゃんとチューレイ親王の剣舞を確認している。
確認したうえで、リードし始めたのだ。
「剣舞を食うか」
アベルの口から思わず漏れる言葉。
だが、剣舞もそれだけでは終わらない。
負けじと速さを増し、鋭さを増し、荒々しさも纏っていく。
「剣舞も負けていません」
「戦っているのか、この剣と琴は」
涼もアベルも、そんな呟きを発しているが目は剣舞から離していない。
そして耳も、琴から離れていない。
ぶつかり合い、はじけ合い、それでいて互いに高め合い……。
剣と琴のエネルギーが頂点に達して……。
シュッ。
ザザンッ。
最高に鋭い一閃と一掻。
それによって、剣と古琴の戦いは終了した。
「さすがはチューレイ親王殿下とお妃さま」
「毎年ですが、やはり殿下の剣舞は違う!」
「これがあってこその響音会ですな!」
拍手と共に、そんな声があがる。
「チューレイ親王は、毎年剣舞なんですね」
「武を芸にまで高めるとは、かなりのものだ」
「アベルの剣の練習も、剣舞を見ているかのような気になります」
「小さい頃から毎日剣を振ってきたからな。つまり、あの親王も……」
「武に寄った、というのは誇張ではないと」
アベルも涼も、剣を振るう。
だからこそ分かる。
チューレイ親王の剣は、剣舞であっても見せかけだけではない。
その本質は、見せるための剣ではなく人を斬るための剣。
それを、芸にまで高めたということ。
一意専心、剣に打ち込まねばそんなレベルには高まらない……。
「古琴を弾いていた人、お妃さまだそうです」
「お互いに戦っていたように見えた……」
「お妃さま、芯の強い人なのでしょう」
「セーラのようにか?」
「リーヒャのようにでもあります」
アベルも涼も、何度も頷く。
二人を待っている人たちは、芯の強いしっかりした人たちなのだ。
「すごい出し物が続きました」
「さすが親王たちだな」
二人とも感心していた。
全く手を抜かないその姿勢に。
「皇帝陛下の前ですから、手など抜けないでしょう」
「いや、まあ、そうなんだが……」
涼が眼鏡クイッのふりをしながら、まるで検事かの雰囲気での指摘をし、アベルが仕方なく受け入れる。
「こうなってくると、皇太子争いの最右翼、第二皇子コウリ親王がどう出てくるか見ものです」
「言い方はあれだが、確かに興味はあるな」
「笛、剣舞と古琴と来たら……正面突破のヴァイオリンですかね」
「何だ、正面突破のヴァイオリンって」
涼独特の表現は、アベルでも理解しづらい時がある。
いや、むしろ理解できない時の方が多いかも……。
そんな会話を交わしていると、舞台に人が出てきた。
「なんか、いっぱいいません?」
「十人くらいいるか? しかも皇子たちの席を見てみろ」
「あっ……。コウリ親王、席に座ったままじゃないですか!」
そう、主役であるはずのコウリ親王は舞台に上がらず、うっすら笑みを浮かべて舞台上を見ている。
「真ん中に立った子、まだ十歳になっていないでしょう?」
「コウリ親王の息子なんだろう」
まだ少年と言っていいだろう。
緊張しているのが傍目にも分かる。
だが、ヴァイオリンを持って中央に立つ。
その周りに、ヴィオラやチェロ、はてはコントラバスまでいる。
「弦楽四重奏……いえ、十人くらいいますね」
「なかなか面白そうだな」
それは今までと、趣を異にした演奏となった。
少年の演奏は、技術的にはまだまだ向上の余地はあるだろう。
もちろん、十歳にも満たないと考えれば十分すぎる演奏技術だ。
しかも、始まるまでは緊張していたのだが、弾き始めると……。
「堂々としたものです」
「すごいな、かなり鍛えられているということだろう」
涼とアベルが感想を述べあう。
それまでの第四皇子ビン親王や第三皇子チューレイ親王の舞台とは違い、皆、一心不乱に聞き入るというよりは、頑張れと応援しているかのようだ。
そして、最後までミスなく弾き切ると……。
「おぉー!」
「さすがション様!」
「見事でしたぞ!」
喝采の嵐。
演奏に魅了されたわけではないが、頑張る姿に感動したというべきだろうか。
「この辺りが、コウリ親王が計算高いと言われる所以かもしれません!」
「まあ、そうかもしれんが……頑張ったんだからいいだろう?」
涼の指摘にアベルが苦笑する。
「いえ、ここでいったん落として……というか、緊張の糸をほぐしておいて、いよいよ大トリでシオ・フェン公主やミーファが出てくるのですよ。どうやっても、彼女たちは引き立ちます。そうやって、リュン皇子の陣営に恩を売ったに違いありません」
「なるほどな。そういう側面は否定できんな。次期皇帝位争いで、最も有利な立場にいるコウリ親王だからこその余裕ということか」
涼もアベルも、決してひねくれた見方をしたわけではないのだ。
そんなことを話している間に、舞台が整う。
「あれは、さっきの琴か?」
「いえ違います。琴柱があるので……筝? 古筝? 弦の数も多いですよね」
「なるほど。二十本くらいはあるか」
涼が答え、アベルが目の良さを生かして弦の数を数える。
その見た目は、さきほどの古琴よりも、日本の和琴に似ていると言っていいだろう。
琴柱で、弦を上げているからだ。
そんな古筝が中央に一つ。
その後ろに四つ。
しばらくすると、六人の女性が舞台に上がった。
中央の古筝にシオ・フェン公主が。
後ろの四つに侍女たちが。
そして、シオ・フェン公主の脇に、ただ一人ヴァイオリンを持ったミーファが立つ。
「うん、緊張しすぎてはいないようです」
「あれくらいが、一番力を出せるかもしれんな」
涼もアベルも、公主一行がいい緊張感で臨んでいるのを感じ取った。
緊張しすぎてもダメ。
緩すぎてもダメ。
それは、楽器も、人も。
シオ・フェン公主の一掻きから始まった。
それを支える四つの古筝。
春の穏やかな日差しを、聞くものの脳裏に写し出す。
そこに、優しく、本当に優しく入ってくるヴァイオリン。
いつしか、シオ・フェン公主の古筝と、ミーファのヴァイオリンが絡み合う。
その演奏は、涼の脳裏に桜並木を写し出した。
河の両脇に立ち並ぶ満開の桜。
美しく。
そして儚く。
春の日差しの下、咲き誇る桜。
さらに、転調して後に写し出されたのは、月下の桜。
妖しく。
まるで雪のような。
月の光を受けて、淡く光る桜。
そこから、曲調が激しく変わる!
古筝とヴァイオリンが激しく絡み合い、互いに高め合い、どちらもが突き抜ける……。
脳裏に描かれる桜吹雪。
さらに吹き荒ぶ風は、春の嵐を呼び込む。
桜は自ら輝き始め、嵐に乗り、あらゆる場所を奔る。
恐ろしい嵐かと思いきや、あらゆる場所に光を届ける嵐。
互いに高め合った古筝とヴァイオリンが、主旋律と副旋律を絡め合いながら、入れ替わりながら、全ての聴衆を虜にし……。
最高潮に達して、終わった。
完全な静寂の中、小さく響く呼吸を整える音。
シオ・フェン公主とミーファだ。
パチパチ……。
パチパチパチパチ……。
「素晴らしい……」
「まさかこれほどとは……」
ほぼ全員が立ち上がり、涙を流しながら演奏を称える。
「フェン公主の古筝、素晴らしいわ」
「侍女のミーファ殿も……ヴァイオリンが凄いとは聞いていたけど、想像以上」
他の皇子の家族たちが褒めているのが、涼とアベルの元にまで聞こえてくる。
「見事でしたね!」
「ああ、素晴らしい演奏であった」
こうして、響音会全ての演奏が終了した……はずだった。