0606 響音会 上
響音会当日。
涼とアベルは、皇宮から回された馬車に乗って参内した。
着ているのはいつもの服ではなく、以前、緑荘平野での討伐戦後に皇帝ツーインから下賜された服だ。
涼の服は、水色地に濃い青の縁取りがされ、唐草模様のようなものが金糸で縫われている。
アベルの服は、紅地に黒の縁取りがされ、こちらは銀糸で縫われている。
実は、前日に皇宮から使いが来て、可能ならばその服を着てほしいと言われたのだ。
とても素敵な服で、確かにこういう華やかな席できるのにはちょうどいい服なので、二人とも着ている。
「リョウがローブを着ていないのは珍しいから、新鮮だな」
「あのローブは師匠がくれたものですからね。僕に一番似あっているはずです。でも、たまにはこういう服もいいですね」
涼もまんざらでもないらしく、大きな袖をヒラヒラさせている。
そんな会話を交わしている間に、馬車は皇宮に到着した。
二人はそのまま禁城内の北の方に案内される。
以前にも案内された、皇帝ツーインの私室のような部屋だ。
だが、名前を未だ知らない。
そこで涼は、案内人に思い切って聞いてみることにした。
「皇帝陛下の私室に案内されると思うのですが、あそこは何というお部屋……いや建物? なのでしょうか」
「はい、文華殿と申します。先々代陛下によって建てられ、主上は小さい頃によくそちらで遊ばれていたと聞いております」
主上というのは、現皇帝ツーインのことだ。
涼やアベルは、元々中央諸国の人間であるため使い慣れていない言葉なので、いつも『皇帝陛下』である……礼を失しなければいいかなと思っているのだ。
「文華殿とは、いい名前ですね。芸を愛する陛下の私室にピッタリです」
涼が嬉しそうに頷く。
それを聞いて、案内人も心なしか微笑んでいる。
自分が仕える人物が、吟遊詩人にも歌われる有名人に称賛されれば、嫌な気持ちはしないだろう。
そう、アベルが言うところの『リョウの人たらし』である。
ちなみに今回は、アベルは無言のまま。
表情はとっても……何か言いたそうであるが。
「おお、ロンド公、よく来てくれた」
「陛下、この度は響音会へのお招き、ありがとうございます」
涼がそう挨拶し、アベルと共に頭を下げた。
「いやいや、楽への造詣の深いロンド公とアルバート殿に、ぜひ聞いてもらいたいと思うてな」
皇帝ツーインはそう言いながら、二人に椅子をすすめた。
「いや、アルバートはともかく、私は……」
涼が苦笑する。
アルバートことアベルは、工房統領ロン・シェンへのヴァイオリンの指導を行い、見事皇帝が称賛するほどの演奏を行えるまでになった。
当然、皇帝ツーインがアベルを高く評価するのは分かる。
「なんの! ロンが言っておりましたぞ。ピアノを弾ける可能性がある。それもあって、グランドピアノ『シェン-ロン』一番台は、ぜひロンド公に下賜して欲しいと」
「ああ、やはりロンさんのおかげで、あの素晴らしいグランドピアノはうちに来たのですね」
涼は大きく頷いた。
あれ以来、毎日ピアノを弾いている。
地球にいた前世以来……二十数年ぶりということで、最初は指が思うように動かなかったが、現在では問題ないほどに動くようになった。
その頃に弾いていた曲も、また弾けるようになっている。
実は、涼のピアノを、アンダルシアとフェイワンが芝生に寝転がって気持ち良さそうに聞く姿は、輪舞邸の新しい光景ともなっているのだ。
「確か本日は、そのグランドピアノ『シェン-ロン』の正式なお披露目もあるとか」
「うむ。さすがに大きいためにすぐには無理だろうが……いずれは、ヴァイオリンのように世界中に広がって欲しい楽器だと思っておる」
「素晴らしいですね!」
「いつかお二人がナイトレイ王国に戻られたら……このダーウェイから贈りましょうぞ」
「おぉ!」
皇帝ツーインの言葉に驚き喜ぶ涼。
涼の横で聞いているアベルも、驚いて目を見開いている。
東方諸国と中央諸国との間は、商隊はもちろん高位の冒険者すら行き来することはないと言われている。
そう考えると、ピアノ一台を運ぶのはかなり大変であろうと思う。
それでも……超大国であるダーウェイの皇帝が本気になれば、できてしまえそうな気もする。
そんな話をしていると、部屋の隅に総太監が現れ、皇帝ツーインに向かって頭を下げた。
入室の時間らしい。
「響音会は、リュンの披露宴を行った正林殿で行われる。余は中央の席になるが、ロンド公とアルバート殿は、披露宴の時に座った場所に席を設けておるゆえ、そちらに座っていただく」
「ありがとうございます」
皇帝ツーインの説明に、涼とアベルが感謝し頭を下げた。
「皇帝陛下のお出ましー」
廷臣全てが立って皇帝を迎える。
皇帝が入ってくる。
その後ろに付き従う二人の男。
廷臣たちが訝しむ。
だが、それはほんの一瞬。
付き従う男たちの顔を知らずとも、誰なのかは想像できる。
一人は、水色地に濃い青の縁取りがされ、唐草模様のようなものが金糸で縫われている。
もう一人は、紅地に黒の縁取りがされ、こちらは銀糸で縫われている。
どちらも見事な服だ。
皇帝が下賜した服であることを、ここにいる者たちは当然知っている。
そんなことも知らないような者は、ここに並ぶことはない。
「あれがロンド公爵……」
それは、玉座から離れた席で呟かれ、あるいはざわめきとなった言葉。
玉座に近い者たち……皇子や六部の高官らは無言だ。
当然、ロンド公爵のことは知っているし、顔も知っている。
そして、どのような立場なのかも知っている。
皇帝と共に入ってきた。
ただ、その一事によって、ロンド公爵が皇帝のお気に入りであることが示されている。
そもそも本来、ダーウェイ皇帝が誰かと共に入室するということなどありえないのだ。
だが、ロンド公爵は入ってきた。
護衛の剣士を引き連れて。
そこにいるいくらかは、面白くないとは思いつつも、その感情を表情には上らせない。
そこにいるほとんどは、特に何とも思ってはいない。
ただ一人、その光景を、苦々しく見つめる人物がいた。
その人物は、第四皇子であり、親王でもある。
ビン親王。
皇子たちは、同じ並びにいる。
少し離れて、彼らの家族たちがいる。
皇子の家族らのほとんどは、響音会を楽しみにしている。
だが皇子たちは……心の底から楽しむことはない。
入口から見て左側の席に、皇子らとその家族が座る。
反対の右側の席に、六部の高官らが座る。
その最上位の席に、ロンド公爵と護衛剣士は座った。
披露宴の時と同様に。
開会の挨拶が終わると、さっそく料理が膳に乗って運ばれる。
そして、シタイフ層の中でも、それほど地位の高くない者たちやその家族たちの演奏が始まった。
前座、というべきだろうか。
「アベル、さっき、ものすごく睨まれていたように見えたのですが、それは気のせいだったでしょうか」
「リョウ、気のせいじゃないぞ。第四皇子ビン親王が、恐い顔で睨んでいたぞ」
響音会が始まると、涼とアベルは小声で話し始めた。
もちろん、話したからといって怒られたりはしない。
正面の席に座る皇帝と皇后も、楽しそうに話しているし、演奏を妨げない程度の小さな声で、あちこちで会話が行われているからだ。
もちろん、隣の人同士なので……皇子たちは誰も話していない。
皇子の家族たちは、それなりに話しているようだが……。
「ビン親王も、あんなに分かりやすい表情で睨まなくてもいいと思うんです」
「いろいろ上手くいかないんだろうな」
「でもでも、七十人の二級冒険者の襲撃を防いだのは僕らではありませんよ。ローウォン卿で……しかもローウォン卿は第二皇子コウリ親王の下にいるんですよ? にらみつけるなら、コウリ親王を睨むべきです」
涼は表情を変えずに、視線も演奏者たちに向けたままそんなことを言う。
アベルも、視線を演奏者に向けたまま頷く。
二人の席は、尚書らの上位の席だ。
つまり、皇子たちの対面にあり……皇子らの表情がよく見える。
ビン親王は明らかに機嫌がよくなさそうだ。
手酌で飲む酒のピッチが明らかに早い。そして時々二人を睨む。
コウリ親王は演奏者に視線を向けたまま、ゆっくりと飲み、ゆっくりと食べている。
「なんというか、第二皇子さんは余裕があります」
「コウリ親王な。俺らの席からよく見えるということは、他の六部の高官たちからも良く見えるということだ」
「ああ! 余裕のある様子を見せておけば、それだけで、さすがはコウリ殿下! ってなりますね」
「そういうことだ。常に見られているという意識を持っているかどうかの違いだな」
「さすがアベル。国王経験が活かされています!」
アベルの的確な説明に、何度も頷く涼。
そう、立場が上がれば上がるほど、常に見られているという意識を持っていなければならない。
そこに、プライベートなどというものはない。
一度有名になってしまうと、プライベートなどというものは存在しなくなる。
それは、いつの時代、どんな世界においても変わらない。
だからこそ、常に気をつけなければならない。
「あ、シオ・フェン公主とミーファがこっちを見ていますよ」
涼がそう言うと、二人が小さく頭を下げたのが見えた。
それを見て、涼がにっこり微笑む。
アベルが、ほんの少しだけ頷いた。
「緊張してはいないようだな」
「ちゃんと準備できたのでしょう。これで懸案はなくなりましたね」
「懸案? 元々なかっただろう? リョウは美味しい料理を食べることだけを考えていたろう?」
「な、何てことを言うんですか。僕だって、二人がちゃんと準備できているのか気にはしていましたよ」
「そうか、俺は全く心配していなかったぞ。むしろ、出される料理のことだけを気にしていたな」
「くっ……ここでアベルが器の大きさを見せつけてくるなんて」
アベルがニヤリと笑って言い、涼が悔しそうに小さく首を振った。
だが……。
「この、つみれみたいなやつ、美味しいですよ!」
「王国では食べたことのない料理だが、確かに美味いな」
すぐに、美味しい料理を食べて機嫌がよくなる。
まさに料理の力、恐るべし。
響音会は全部で二部構成。
第一部は、まずシタイフ層の中でもそれほど地位の高くない人たちから始まり、最後に近付くにつれて尚書クラスの演奏が行われ、最後にゲストの演奏で締められるらしい。
第二部は、いわゆる帝室に連なる人たちの演奏で、皇子たちの演奏から始まり、各親王……そして大トリに、新たに親王となった第六皇子リュンの正妃シオ・フェン公主となる。
「官吏の人が演奏したり奥さんと思われる人が演奏したり……あるいは旦那さんの演奏に奥さんの舞いを合わせたり、いろいろですね」
「いろいろ趣向を凝らしていていいんじゃないか?」
涼もアベルも、基本は美味しく食べるのがメインだ。
とはいえ、中には驚かされる出しものもあるし、思わず聴き入る演奏もある。
楽器も、ヴァイオリンを中心とした、チェロやコントラバスを組み合わせた弦楽四重奏もあれば、琴とヴァイオリンの組み合わせといった、涼の目から見れば東西合作なものもある。
だがどれも素敵なのだ。
「音楽は素晴らしいです」
「確かにな」
腕の上手い下手はあるのかもしれないが、いずれもいいものを届けようとしている気持ちは感じる。
それは、とても心地いい。
楽器として使われるのが多いのは、ヴァイオリンと笛、それと琴であろうか。
笛と琴は分かるが、涼的にはそこにヴァイオリンが入っているのがとても面白い。
「アベルもヴァイオリンを弾きますけど、演奏する人、多いですね」
「まあ、ヴァイオリンは世界中にあるからな」
当然という顔で言うアベル。
地球の歴史を知っている涼には、全く理解できない。
(絶対、過去の転生者が広めたに違いありません)
「リチャード王が世界中に広げたとか?」
「さあ、それは知らんが……。俺が王城で学んだ時には、ヴァイオリンは世界中で弾かれているから、絶対身に付けなければならない教養だと言われたぞ」
「ヴァイオリンが教養……」
恐ろしい世界である。
「もちろん、王族としての教養な。招かれていった外国で、教養がないと思われたら王国民が恥をかくことになる。王族というのは、良きにつけ悪しきにつけ国の顔だからな。だから、ヴァイオリンが弾けるのは王族としては当たり前だと」
「アベルって、冒険者をやっている時にも、ヴァイオリン弾く機会とかあったんですか?」
「いや、全くなかったな」
涼の問いに即答するアベル。
「だから、王族として求められる教養と、市井の民として必要となる教養は全く別物だ。その間を行き来する者は大変だろうがな」
「そんな人……アベル以外にいます?」
「リーヒャがそうだろう?」
「ああ! なるほど」
リーヒャは、国王であるアベルに嫁いだ。
聖女ではあっても、元々の王族ではないし、貴族であったという話も聞いたことはない。
つまり、市井の民からナイトレイ王国の王室に入ったのだ。
求められるものがガラリと変わって、大変かもしれない。
「リーヒャもヴァイオリンとか練習したんですか?」
「練習はしていたな。何を習得するにも、早ければ早いほど身につきやすい。だから王室でも三歳になるとヴァイオリンの訓練が始まるのだが……」
「まあ、何歳になっても身につかないわけではないですし」
「ダンスも含めて、リーヒャはかなり努力していた」
「ダンス……」
王室の舞踏会などというものは、涼としては小説や物語の中だけの知識でしかない。
だがそれは涼が知らないだけで、二十一世紀の地球においてであっても、ヨーロッパの社交界デビューなどというものは厳然として存在していたのだ。
当然、そこでは、一般人が普通に生活する時に求められるものとは全く別の教養が求められ……。
「立場が変わると、いろいろ大変ですね」
「それは間違いないな」
涼がしみじみと言い、アベルも頷いて同意した。
二人がそんなことを話しているうちに、響音会第一部の最後の演目になった。
確か、ゲストによる演奏だったはず……。
「前半最後は、当代きっての吟遊詩人、ワンア・シーによる演奏です!」
その瞬間、歓声が弾けた。
あちこちで、おぉー! とか、やっぱり! とか言う言葉が交わされている。
静かなのは、皇子たちと六部の尚書たちくらいだ。
ちなみに皇子らの家族らは、お隣同士でも嬉しそうに話している。
そして、ワンア・シーが登場した。




