0602 それぞれの行く末
翌日午前。
涼とアベルは御史台を訪れた。
御史台は、いつものように通りに面した門は開かれている。
もちろん誰も立っていない。
奥の門はしっかりしまっており、その前に人の身長を越える太鼓が置かれてある。
訴えのある人が、太鼓を叩くのだ。
今まで二人が訪れた際には、その太鼓の周りに人がいたことはなかった。
だが、今日は人がいる。
三人の男性だ。
三人はそれぞれ、赤、青、黄の東服を着ている。
東服はきちんと着ており、髪もきちんと結い上げ、左腰に剣を吊るしていて、見た目は問題なく官吏のように見えるのだが……なんとなく粗野な感じがする。
そんな三人だが、太鼓を叩こうとしているわけではないようだ。
ただ、物珍しげに見ているだけ。
涼もアベルも、太鼓を叩くつもりはない。
訴えのある者だけが叩くようにとなっているので、シャウ司空に会いに来た二人は叩いてはいけない。
だから、太鼓の脇を通り過ぎようとした。
そんな二人に、三人が気付いた。
そして、三人が同時に認識した。
「おい、お前!」
「待ちやがれ!」
「何で貴様がいる!」
三人が吠えているのはアベルに対してだ。
だが吠えられたアベルは首をかしげる。
涼は、隣にいるアベルに問うた。
「アベル、知り合いですか?」
「いや、知らん」
アベルは首を振った。
そんなアベルの答えで激高した三人。
「おい、ふざけんな!」
「借りは返すぞ!」
「卵の恨み、思い知れ!」
最後の人物だけ、やけに具体的である。
それで思い出したわけではないのだろうが……。
「ああ、三色か」
アベルは何度か頷いた。
「なるほど、三色ですか」
アベルの『三色』という単語で涼は思い出した。
帝都に着いてすぐ、二人と……というかアベルと、ぶつかったりぶつかりそうになったりした、三人。
その時も、赤、青、黄の東服を着ていたので、アベルが三色と命名したのだ。
ちょうどその時、アベルは全てに優先して飛翔環を手に入れようとしていたため、三人との決闘は後回しにされた。
いろいろ偶然が重なって、聖帝広場で一対三の決闘が行われ……あっけなくアベルが勝利。
全ては終わった……はずだった。
「もうお前らとは終わったぞ。じゃあな」
アベルの中では終わっていた。
「待ちやがれ!」
赤色が叫んだ瞬間、二つ目の門が少し開いて、中から御史台の人が出てきて言った。
「静かにお待ちください」
「う……申し訳ない」
怒られる三人。
入れ替わるように御史台の人の前に進み出る涼とアベル。
「シャウ司空殿にお会いしたいのですが」
にこやかに問う涼。
一瞬、御史台の人間はそれが誰か分からなかったようだが、ローブ姿を見てだろうか、すぐに認識した。
「はっ! 取り次いでまいりますので、少々お待ちください!」
門を閉めるべきか少しだけ逡巡した後、半開きのまま奥に引っ込んでいった。
かのロンド公爵の前で、門をぴしゃりと閉めるのは躊躇してしまったらしい。
「いらっしゃるみたいですね。良かった良かった」
涼がアベルにそう言った時、剣呑な声がかけられた。
「おい、無視するな!」
「ここで決着をつけてやる!」
「卵は高いんだぞ!」
三人は諦めていなかったらしい。
これ見よがしに大きなため息をつくアベル。
「アベル、絶対にわざとでしょう」
涼の呟きは小さすぎて、誰の耳にも届かない。
「なあ、三色……」
「俺はガジだ!」
「俺はグザだ!」
「俺はゴボだ!」
アベルの問いかけに、三人は名乗った。
だが、アベルは首をかしげている。
隣で、涼も首をかしげている。
「すまんな、よく分からん」
「奇遇ですね、僕もよく分かりません」
名前が似すぎているのだろうか。
涼もアベルも、名前と顔がいまひとつ一致しない。
いや、よく見ると、顔は……髭の量がかなり違う。
左から、髭無し、ちょび髭、顔半分髭。
「うん、髭の量は違うが……すまん、やっぱりよく分からん」
アベルが正直に言う。
「もういい!」
三色が異口同音に叫ぶ。
そして、三人同時に剣を抜いた。
だが、その瞬間……。
「やめぬか!」
その声は、無形の鞭となって、三人を打った。
三人とも、剣を取り落とす。
声をあげたのは矍鑠たる老人。
そのすぐ後ろから、シャウ司空の元を訪れていたのだろう、リー・ウー刺史も出てきた。
「お前たち、ここをどこだと思っている。天下の御史台ぞ! 御史台で剣を抜くなど前代未聞! リー・ウー、お主が監督することになっておる三人が、こやつらか?」
「はい、シャウ様。申し訳ございません」
怒り心頭に発したシャウ司空の言葉に、何度も頭を下げるリー・ウー。
だが、肝心の三色の動きが鈍い。
怒鳴られて思わず剣は取り落としたが、いろいろと理解できていないようだ。
ちなみに、剣を抜いていなかったアベルは肩をすくめて、涼と共に、現れたシャウ司空に向かって頭を下げた。
「ロンド公……お見えになったと聞いて出てきたのですが、このリー・ウーの……弟子たちと何かありましたかな?」
「いえ、シャウさん。うちの護衛が、以前ちょっと、この三人とのいざこざに巻き込まれまして。全て終わったはずだったのですが、ここで再び会ったからでしょうか。三人の心の中に嫌な思い出が蘇ったようです」
シャウ司空の問いに、笑顔すら浮かべて答える涼。
嘘はついていない。
終わったはずどころか、会ったことすら忘れていたが……。
「ということは、この三人が一方的に剣を抜いた……」
「いや、ちょっと待て!」
シャウ司空の言葉に、思わず反論する赤色。
だが……。
「控えよガジ!」
今度はリー・ウーに怒られる赤色。彼がガジらしい。
シャウ司空は、リー・ウーの方を向いて言う。
「リー・ウー、この三人の性根を叩きなおすために引き取ったのであったな」
「はい、お恥ずかしい話ですが……」
ため息をつくリー・ウー刺史。
「じゃが、こやつら、御史台で剣を抜きおった。わしですらそんな前例は知らんが……恐らくは腕を斬り落とすことになる」
「えっ……」
シャウ司空の言葉に、絶句する三色。
リー・ウーも、無言のまま大きく目を見開いている。
「確かこの三人の親は……巡防隊を率いる一品侯ハウ・ギン殿であったな」
「はい、その通りです」
「分かった、陛下を通して、ハウ・ギン殿に腕切断の許可を貰ってまいる」
シャウ司空は無表情のまま、はっきりと言い切った。
さすがに震え始める三色。
腕切断とは、その名の通り。
もちろん罰であるため、四肢再生は許されず、一生腕がないまま過ごすことになる。
恐ろしく過酷な刑。
「じゃが……一年、この御史台で仕事に励むなら、陛下に刑の減免をとりなしてやらんでもない」
「!」
シャウ司空が無表情のまま告げる。
だが、三色は顔を跳ね上げ、すぐに何度も頷き始めた。
「御史台の下働きは過酷ぞ? しかも、途中で投げ出せば罪は倍。つまり両腕切断となる。それでも働くか?」
シャウ司空が告げる。
その頃には、門の奥から御史台の人間が十人ほど出てきていた。
恐らくは、シャウ司空が叫んだ声を聞きつけて出てきたのだろう。
「働きます」
「働かせてください」
「雛鳥のように一生懸命に頑張ります」
こうして、ガジ、グザ、ゴボの三人は、御史台で働くことになった。
三色は、御史台の先輩たちに奥に連れて行かれた。
今日から、仕事をみっちり仕込まれるらしい。
「シャウ様、本当に申しわけ……」
「よい、リー・ウー。御史台は、常に人不足じゃ。一年後には、どこに出しても恥ずかしくない真面目な官吏になるであろうさ。そうじゃ、ハウ・ギン殿にはわしが直接出向いて事の経緯を説明するぞ。驚くではあろうが……まあ、問題なかろう」
笑いながらシャウ司空は言った。
そして、涼とアベルの方を向いて言う。
「ロンド公、わしに会いに来られたのに、災難であったな」
「いえ、たいしたことではありません。ちょっと確認したいのですが……先ほど、三人の刑罰は腕切断とおっしゃっていましたが、あれは本当ですか?」
「うむ。先ほども言うたが、この御史台で剣を抜いての決闘騒ぎなど、聞いたことがない。じゃが、過去の事例に照らせば、恐らくそうなるであろう」
「おぉ……」
涼は、脅しか何かかと思ったのだがそうではなかったらしい。
むしろ、本当に三人の将来を思って、御史台での修行で相殺したようだ。
社会奉仕365日で代替した、みたいな感じだろうか。
「それでロンド公が本日参られたのは、もしや、例の冒険者四人の件ではないかな?」
「ご慧眼、恐れ入ります」
シャウ司空がいたずらっぽく笑いながら言い、涼も微笑みながら答えた。
「いや、一昨日、リュン皇子とシオ・フェン公主が襲われた件の取り調べをしておりましてな」
「では、今はお忙しいのでは?」
「いやいや、問題ありませんぞ。なにせ襲撃現場で捕らえましたからな。全員観念しているというか……自分たちからぺらぺらと話しております。協力して、すこしでも恩情を得ようというのでしょう」
「ですが、皇子と公主を襲っておいて、罪が軽くなるのですか?」
「ダーウェイの法では、かなり稀有な情報があれば可能性が無いとは言えませんが……今のところは無理ですな」
王族への襲撃は、どこの国においても極刑……つまり死刑である。
「仕方ないとはいえ……権力者に強いられての襲撃という側面も……」
「そうですな。しかし……親王殿下が直接関与した証拠は出ておらぬのです」
「ああ……」
シャウ司空がさすがに顔をしかめて答え、涼がやっぱりかと頷く。
そしてシャウ司空も、あえて『どの親王殿下』のことなのかは明言しない。
一般名詞としての親王殿下と言うだけにとどめている。
もちろん、ここにいる誰もが、第四皇子ビン親王であることは、分かっているが。
いつの時代、どんな世界においても、本当の黒幕は関与した証拠など残さない。
誰が見ても明らかであったとしても……部下がやったことになるのだ。
「彼ら冒険者たちの前に、親王殿下が顔を出されたことはないそうです。指示も、必ずリンスイが行っていたと」
「誰が見ても明らかであったとしても……」
「ええ、明確な証拠が無ければ……さすがに親王殿下の罪を問うのは難しいでしょう」
「ですが、皇帝陛下には……」
「はい、もちろん明らかになった事実は全て陛下にお伝えします。恐らくそれらを見れば、陛下のお心の中に親王殿下の影がちらつくことでしょう。ですがそこまでいったとしても……」
「明確な証拠がないために、皇帝陛下も親王殿下を罰したりはしないと」
シャウ司空も涼も、深いため息をつく。
絶対権力者たる皇帝であっても、そして自らの子に対してであっても、無制限の権力を振るえるわけではないのだ。
これが、一般家庭なら事情は違うであろう。
だが、彼らは巨大なダーウェイの皇族。
彼らの周りには、多くの人間たちがいる。
その人生が懸かっている。
その家族の生活が懸かっている。
『おそらく』ではダメなのだ。
それを法の不備と言う者もいるだろう。
加害者ばかりが守られていると言う者もいるだろう。
その通りだ。
まったくその通りだ。
まったくその通りなのだが……。
「やむを得ぬ」
「……はい」
シャウ司空が小さく首を振り、涼は顔をしかめて頷いた。
「まあ、その件はいいとして」
「そうであった、ロンド公の庭におる四人の三級冒険者であったな」
「はい。彼らは、親王殿下から切り捨てられたのではないかと考えております」
「同感ですぞ。七十人前後の二級冒険者を失った親王殿下からすれば……たった四人の、しかも三級冒険者のことなど、なんとも思っておらんでしょう」
涼の考えに、シャウ司空も同意する。
「ですので、それについて腹案が……」
涼の腹案に、シャウ司空も怪しい笑いを浮かべて頷いた。
横で聞いていたアベルは、小さく首を振ったという。
その後、輪舞邸に戻ってきた涼とアベルと、シャウ司空……とその部下十人。
そして、なぜかリー・ウー刺史。
「なぜ、私が?」
リー・ウー刺史の疑問に答える者は、誰もいなかった。
一行は庭に入り、シャウ司空の部下、つまり御史台のガタイのいい、ある意味いかつい十人が氷のオブジェを半包囲する。
正面にはシャウ司空を中心に、右に涼とアベル、左にリー・ウー刺史。
「<アイスウォール>」
いちおう、四つのオブジェを囲む。
この辺り、涼は慎重なのだ。
その上で……。
「<氷棺 解除>」
四人の冒険者は、数日ぶりに氷から解放された。
彼らは三級冒険者。
まごうことなき上級冒険者だ。
だが、ずっと氷に閉じ込められて心を折られ、解放されても御史台の人間に睨みつけられ……精神的に参っていた。
そんな中。
「お主ら四人、ビン親王から見捨てられたぞ」
取り調べで最も重要なのは、最初の第一声だと言うベテラン刑事もいる。
シャウ司空の、大上段からのいきなりの第一声は、ただでさえ精神的に参っていた四人の心を、直接打った。
「……」
四人とも、一言もない。
その表情に題をつけるなら、『呆然』であったろうか。
たっぷり一分間、誰も喋らない時間が流れ……。
最初に口を開いたのは、四人の冒険者のうちの一人、中央の剣士であった。
「……証拠は?」
口を開きはしたが、その声音は弱々しい。
反論と言うより、最後の抵抗というべきか。
「今に至るまで、誰も何も言ってこぬ。それ自体が証拠じゃ」
「そんな……」
「わしが誰かは知っておるな? 御史台で司空を務めておるシャウじゃ。その立場として言わせてもらうのじゃが……実は一昨日、この帝都所属の二級冒険者七十人が、皇子への襲撃で捕まっての」
「えっ……」
冒険者、再びの絶句。
もちろん中央の剣士だけではなく、他の三人も、絶句。
「半数は死んでおったが、残りは捕まり取り調べを行った。まあ、誰の指示で行ったかなどは、言うまでもないであろう。お主らと同じお方に雇われたのじゃからな」
「……」
二級冒険者の前にすらビン親王は出なかったのだ。
この三級冒険者の前にも、当然姿はさらしていないであろう。
だが、この冒険者たちだって馬鹿ではない。
真の雇い主が誰かなど、さすがに理解できる。
「二級冒険者すら捨てられたのじゃ。お主ら三級冒険者が捨てられるのは仕方ないであろう?」
シャウ司空が肩をすくめて言う。
「じゃが、捨てられはしても……お主らが雇い主の元に戻れば、どうなるかは想像できるな?」
シャウ司空が問う。
四人の誰も頷かないが、目が恐怖で揺らいでいる。
「分かっておるようじゃな。当然、口を封じられる」
シャウ司空が断言する。
その言葉に反論できる者はいない。
殺されるであろうと思っているから。
「はっきり言えば、お主らはもう、表には出られん。いろいろと知りすぎておる」
「……」
「それはつまり、冒険者としてやっていけないのはもちろん、人に知られるような仕事もできぬということじゃ」
「……」
「どうじゃ? 隠遁するのに十分な蓄えはあるか?」
そう問うたシャウ司空の言葉は優しい。
四人は二十代後半であろうか。
ちょうど冒険者として脂がのっているといってもいい年齢だ。
おそらく、よほどのことが起きない限りは二級にまでは進んでいただろう。
場合によっては、一級にすら進んでいたかもしれない。
二十代後半で三級であれば、かなり有望なのだから。
となると、このまま引退しても大丈夫なほどの蓄えがあるかと言われれば……残念ながらあるとは言えないであろう。
二十代とはそういうものだ。
シャウ司空は全てを理解したうえで言葉を進める。
「ロンド公爵閣下は寛大にも、お主らへの刑は求めぬとおっしゃっておられる。感謝せよ。閣下は、皇帝陛下より、お主らを好きにしても良いと言われておるにもかかわらず、許してくださろうというのじゃからな」
「か、感謝いたします」
弱々しい声ながら、中央の剣士がそう言って頭を下げた。
他の三人も頭を下げる。
涼はそれを受けて、鷹揚に頷いた。
「とはいえお主ら、表には出られぬ。というより、命が大切なら出ぬことを勧める。蓄えがあり、帝都から離れたところで、あるいはダーウェイ国外で隠遁生活に入るのが最も良いであろう。どうじゃ?」
シャウ司空の言葉に、四人は顔を見合わせる。
そして見事に全員、首を横に振った。
十分な蓄えはまだないようだ。
「ふむ。もし望むのなら、御史台の仕事を手伝わせぬでもない」
「!」
シャウ司空の言葉に、面を跳ね上げる四人。
「表に出ぬ仕事じゃ。もちろん名前も変えてもらうし……そう、ロンド公爵邸に捕らわれていた四人は処刑されたと御史台として正式に発表しよう。恐らくそれで、ビン親王一派からの追及はほとんどなくなるとは思うが……どうじゃ?」
「その仕事は……いつまで?」
「ふむ、そうじゃのう……完全にほとぼりが冷めるのは五年といったところか? 最低五年働いてもらう。もちろん、給与は与えるし、住む場所も準備する。御史台では、危険な任務の場合には危険手当も出るぞ。他の、例えば六部に比べれば手取りは多いわい」
シャウ司空はそう言うと、大笑いした。
四人の周りを囲む御史台の十人も笑っている。
四人はしばらく考えていた。
特に相談することもなく。
それぞれで考えたうえで……。
「雇って欲しい」
四人ともが頭を下げた。
こうして御史台は、元三級冒険者四人というかなり優秀な部類の人材を手に入れることになったのであった。
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涼とアベルの山越えからルンまで、やっと二人が揃います。
よかったよかった。