0061 セーラ
「では、僕は朝食を食べてきます」
そう言うと、涼は立ち上がった。
「ん? ここで食えばいいんじゃ……そう言えば誰も食ってないな……」
アベルは周りを見回して首をひねった。
席に座っている者もまばらではあるが、全員水を飲んでいるだけという、食堂としては異様な光景であった。
「今朝、調査団によって、この食堂の食料は全て接収されたのですよ」
「なっ……」
さすがにこれには、アベルを筆頭に、リーヒャ、リン、ウォーレンはいつも喋らないが、みな絶句した。
そして涼が驚いたことに、ナタリーも絶句したのである。
「きゅ、宮廷魔法団は、魔法団付き料理人と糧食を自前で持ち込んでいますので……まさかそんなことになっていたとは知りませんでした……」
自分たちの責任ではないと理解してはいても、やはり申し訳なさそうであった。
「しかし、この事がギルド内に拡がっていると、調査団が冒険者を雇うのはかなり大変になりそうだな。感情的な部分の起伏は、冒険者は大きいからなぁ」
「そう、食べ物の恨みは大きいよ」
アベルの冷静な指摘と、リンのどこの世界でも通用する真実。
どちらにしろ、ダンジョンに近付かないと決めた涼には関係の無い事ではあったが。
「アベル、ダンジョンの封鎖を解除するということになるなら、今日の狩りは中止ですね」
リーヒャがアベルに確認する。
「そうだな。恐らくこの後、ギルマスが主要パーティーを集めて説明すると思う。そう考えると、俺らは少なくとも、連絡のつく街の中にはいたほうがいいだろう。B級パーティーなら確実に呼ばれるだろうし」
「うちと、白の旅団ね。あとはC級パーティーが二十程は滞在していたはずよ」
「あ、そういえば、セーラさんが帰って来てた」
リンが思い出したように言った。
「おお、風のセーラか。依頼で、ずっと王都に行ってたよな」
涼は立ち上がったまま、食堂を出るタイミングを無くしていたが、ここで踏ん切りをつけた。
「じゃあ、僕は行きます」
「お、おう。黄金の波亭なら飯にありつけるぞ」
「ええ。そのつもりだったのです……」
「えと、すいませんでした……」
涼の朝食を食べる機会を奪ってしまったことを理解したナタリーが、顔を真っ赤にして頭を下げた。
「いや、急いでいたみたいだし、仕方ないよ。それじゃあ」
そう言うと、涼はギルドを出て、朝食を求め、黄金の波亭に旅立つのであった。
「リョウさん、黄金の波亭に、朝食を食べに来ていたんですね……それを私、ここに連れてきてしまって……」
涼が出て行った後にも、ナタリーが申し訳なさそうに言った。
「気にするな。リョウはそんなこと気にしねえから」
そういうとアベルは笑った。
「そうだ、ナタリー、水属性魔法の大家であるシュワルツコフの人間として尋ねるのだけど、アイスウォールを、空中高く術者から離れた場所に生成する魔法って、水属性魔法にある?」
「え? いえ、私が知る限り、そんな魔法はありません」
「そう……やっぱりそうよね」
リンの問いに、ナタリーは戸惑いつつも淀みなく答えた。
「なんだリン、まだそれを気にしてたのかよ」
「当たり前でしょ! 魔法使いとして、これが気にならない人なんていないわよ!」
なあなあな感じで言ったアベルに対して、リンはもの凄い剣幕で言い返した。
「アイスウォールを、術者から離れた場所に生成する魔法がある、ということですか?」
ナタリーが恐る恐る尋ねる。
「ええ。でも、私は見てないの」
「じゃあ誰が?」
「そこにいるうちのリーダーが見たの」
「はい、ここにいるうちのリーダーです」
そういうと、アベルは片手を挙げてちょっと首をかしげて見せた。
「そんなことは……ありえないと思うのですが……アベルさん、確かですか?」
「確かに、魔法使いなら誰でも気になるか……。ナタリーでもこんな食いつきだもんな」
ナタリーの食いつきに苦笑するアベル。
「あ、す、すいません。でもそれが本当なら、ぜひ見てみたいですし……。それ、どこで見たのですか?」
「旅の途中で……」
「ああ……それじゃあもう見られないのですね」
ナタリーは目に見えて落ち込んだ。旅の途中で見かけただけなら、ただの見間違いという可能性もあるし……。
「いや……。ああ、そうだなぁ……ナタリー、この話題、ここだけの話にしてくれるか? 家族にすら話してはダメだ。それが約束できるなら続きを話すが……」
「え……も、もちろんです。誰にも話しません。契約魔法で縛ってもらっても構いません!」
「いや、そこまでしなくとも」
そういうと、アベルは少しだけ考えた。言葉を選んだのである。
「アイスウォールを空中に生成して、それを落としてゴーレムを潰したんだ。その魔法使いは、さっきそこにいた、リョウだ」
それを聞いたナタリーの目は驚愕に見開いたまま、しばらく閉じられなかった。
「リョウは規格外だ。リーヒャ、リン、ウォーレンにも言っておく。リョウとは絶対に敵対するな。俺たち四人がかりでも瞬殺される。もし敵対することになったら、素直に降参しろ。そうすれば、あいつは命まではとらない。いいな、これは真面目な話だ。パーティーリーダーとしての命令だ」
「はい」
「わかった」
ウォーレンは頷いた。
「アベルさん……それほどなんですね……リョウさんの実力……」
ナタリーは真剣な表情のアベルを見た。
「ナタリー。もし、どうしても誰かに助けてほしい状況になった時に、その時に俺たちがいなかったなら、その時はリョウを頼れ。ここの宿舎の十号室か図書館にいるだろうからな。その時は、決して騙すな。嘘はばれる。嘘がばれたら殺されると思え。真摯に、正直に、全てを話して協力を取り付けろ。あいつは、お人好しでいい奴だから、その方が助けてくれる可能性が高い」
涼が朝食を求めて黄金の波亭に去り、一時間後、ギルドマスターによる召集が掛かった。
ルンの街にいるD級以上のパーティーリーダーに対してである。
もちろん、無視しても特に問題は無い。
だが、普通はギルドマスターによる召集を無視する冒険者はいない。
もちろん、本人の元に『召集』が届かなければ集まれないわけだが……。
例えば、黄金の波亭から北図書館へ向かう大通り上にいたD級冒険者であり、水属性魔法使いである男、みたいな場合である。
涼が、北図書館に着いたのは、十時過ぎであった。
しかし、入り口には誰もいない。
南図書館は、いつでも司書が三人以上いて、入館料を徴収していたのだが……。
この北図書館には、紙が一枚……『席を外しております。しばらくお待ちください』
誰かが、戻ってくることにはなっているらしい。
たっぷり十五分ほど経った頃、片眼鏡をかけた若い男性が戻ってきて言った。
「お待たせしました」
涼は入館料を払い、冒険者用の黒い入館証を首から下げ、大閲覧室に入って行った。
南図書館の大閲覧室は、それこそドーム一個分ほどの広大な空間であったが、北図書館は、そうではなかった。
古いヨーロッパの大学図書館、といった印象を涼は持った。
書架はかなりの高さがあり、作り付けの移動梯子に乗って、高い場所の本を取る形式である。
涼は一目で気に入った。
広大な南図書館もその圧倒的なスケールが気持ちいいが、膨大な書籍との一体感を得られるこの北図書館の雰囲気は、格別なものであった。
涼の視線は、最初はそんな感じで大閲覧室の雰囲気そのものを感じていたのだが、ふとした瞬間から、ある一点から目を離すことが出来なくなっていた。
高い窓から降り注ぐ柔らかな光。
照らし出される一人の女性。
周りの空気が光りを纏って、目を逸らすことが出来ない。
プラチナブロンドの髪、透けるような白い肌、すっと通った鼻立ち、形の良い唇……本来なら最も目立つはずの少し先の尖った耳……だが、最も印象的なのは緑色の大きな瞳。
あまりにも現実離れした光景。
一幅の絵画かという色彩。
涼がぼぅっと見つめていたのは、どれくらいの時間だっただろうか。
その女性はふと顔を上げ、涼の方を見た。
しばらく見た後、大きく目を見開き驚いた表情を見せた。
そこで、涼はようやく我に返った。
ずっと、その女性を見ていたことに気付いたのだ。
女性は席を立つと、涼の方に歩いてきて言った。
「こんにちは。君も冒険者だな。私はセーラだ、よろしく」
そう言って、手を差し出してきた。
「はい、冒険者のリョウです」
そう言うと、涼は握手した。
その間も、その女性、セーラはリョウを見ていた……だがその視線は、涼の顔などではなく、涼のローブに注がれていた。
しばらくローブを見た後で、ようやく、涼の顔を見てにっこり微笑んだ。
「今、この図書館の司書たちは、全員学術調査団に引っ張られて行ってここにはいない。だから、探している本があるなら私が手伝おう。だいたいの本の場所ならわかるから」
「ああ、だから入り口に誰もいなかったのですね……」
「モノクルをかけた若い男性が来たろう? 彼は司書じゃなくて、管理のためだけに城から派遣された子だから、本の場所とかわからないんだ」
セーラは、残念、と言った感じで唇を固く結んで首を傾げた。
(悪魔について、セーラさんに訊くのはちょっと……正直、どんな反応が返ってくるかわからないから今日はやめておこう)
「えっと、錬金術についての本を探しているんです。中級向け……では多分足りないのでしょうけど……すぐではないのですが、最終的にゴーレムを動かすための錬金術関連を」
これにはセーラも驚いたらしく、大きな目をさらに大きく見開いた。
「ゴーレム! それは遠大な野望だな……。う~ん、さすがにゴーレムに関して直接書かれている錬金術の書物は無いが……いくつかそれに繋がりそうな本はあったはず。ついておいで」
それから数時間、二人はゴーレムに繋がりそうな錬金術関連の書籍を片っ端から調べた。
かなりの数の書籍ではあったが、涼にとっては、とても居心地のいい時間を過ごすことが出来た。
元々、地球にいた時から、涼は読書が大好きであった。
だが『ファイ』に来て、ロンドの森で生活している間、『本』と呼べるものは『魔物大全 初級編』と『植物大全 初級編』だけ。
ロンドの森で生活している間は、それで特に困ることも無く、活字への欲求が沸き上がることも無かったのだが……。
ルンの街に着き、南図書館で書籍に囲まれた時間を過ごすと、涼の中で失われた活字中毒者の素養が復活していたのである。
そんな涼にとって、北図書館の適度な広さ、膨大な数の書籍、静謐な空間……その全ては気持ちのいいものであった。
しかも今は、絶世の美女も手伝ってくれている。
本当に幸せなひと時だった。




