0585 こたえ
「だいぶ情報が集まりました」
涼が満足した表情で頷く。
「確かに、リュン皇子が来た時に比べれば、格段に違うな」
アベルも頷いた。
だが、涼としては最後の一押しが欲しい。
「決定的な情報をとりたいです」
「何だ? 決定的な情報って」
「第二皇子コウリ親王自身の情報ですね」
「そりゃあ、それが取れれば一番いいだろうが……突撃するわけにもいかんし、難しいだろう?」
アベルの言葉に、涼の目がキラリと光った。
「そう、それです!」
「それ?」
「アベルが、コウリ親王の本拠地に、単騎特攻をかけるのです! そして、相手の出方を見ます!」
「うん、さっき御史台を出た後に、そんな話をしたよな。そして、無理だという結論に至ったよな。だいたいそんなことしたら、俺は捕まって大変なことになるんじゃないか?」
「あの時とは、前提条件が変わりました、仕方ありません。そもそも、貴重な情報を集めるのには、犠牲はやむを得ないのです。やむを得ない犠牲、コラテラルダメージなのです」
「こらて、何とかってのは知らんが、却下だな」
「なぜ!」
「俺は自分の身が大切だからだ」
はっきりと自己保身のためと言い切るアベル。
多くの人は、そんな提案をする涼が間違っていると言うであろう。
「そこまではっきりと自己保身に走るなんて! 偉大なるアベル王の言葉とは思えませんね」
「うん、偉大でもなんでもないから。リョウこそ、自己犠牲を示したらどうだ? ロンド公爵なんだから、相手もそう簡単に殺さんだろう?」
「分からないじゃないですか、そんなの。いいチャンスだから、いっそ一思いにとか……どうせリュン皇子の元に走る可能性があるのなら、先に芽を潰しておこうとか。そんなことを考えるかもしれません!」
「突っ込んだら、捕まって処刑される可能性があるって分かってるんだな。それなのに、俺に突っ込ませようとしたんだな……」
「しまった……アベルにばれてしまいました」
パートナーを犠牲にしてでも情報を手に入れる。
それは、成功してもその後の展開に支障をきたす。
持続可能ではないために避けた方がいい方法に違いない……。
「コウリ親王への直撃はやめることにします」
「ああ、当然だな」
ちゃんと話し合えば、分かり合えるのだ。
「勝負は明日ですね」
「は? 勝負?」
ちゃんと話し合わないと、分かり合えないことだらけらしい。
翌日。お昼前。
涼とアベルは、お隣さんを訪問していた。
「突然押しかけてすいません、公主様」
「どうぞ、シオとお呼びください」
「ああ、では僕のこともリョウとお呼びください」
外国映画のように、ファーストネーム的な呼び方をお願いする涼とシオ・フェン公主。
「久しぶりだな、ミーファ」
「はい、アベル先生。ご無沙汰しています」
こちらは、師匠と弟子の再会である。
それが……しばらくすると、庭での模擬戦へと変わっていった……。
「アベルだけでなくミーファまでも脳筋に……」
涼のその言葉は、隣にいるシオ・フェン公主にも聞こえたのだろう。
微笑んでいる。
慌てたのはその場にいた者たちではなかった。
庭から、突然、剣戟の音が聞こえてきたからだろう。
屋敷の裏手にある訓練場から、兵たちが走ってきた。
その先頭にいたのは、白い鎧に身を包んだ背の高い女性。
公主護衛隊長ビジスだ。
本来は、シオ・フェン公主の輿入れにおける護衛隊長であり、ダーウェイに到着したらボスンター国に戻る予定であった。
そして職を退き、家を継ぐ予定だったのだが……。
もう少し、もう少しと言いながら、公主の周りに護衛として残っている。
そんなビジス護衛隊長を先頭に、兵たちが庭に飛び込んできて、アベルとミーファの剣戟を目にし……硬直した。
模擬戦と言うには、あまりにもハイレベルな剣戟に。
硬直せずに見守っているのは二人。
涼とシオ・フェン公主だけ。
「ミーファ、ずっと訓練していたんですね。以前よりも剣筋が洗練された気がします」
「はい。船の上では毎朝昼夕、ダーウェイについてからも毎朝夕、必ず剣を振っています。朝なんて、陽が昇る前に起き出して……」
「なんと……」
「でも、以前に比べて……剣を振るのが楽しそうです」
「ほっほぉ~」
シオ・フェン公主の言葉に、少し驚く涼。
「以前は、本当に必死でした。いえ、もちろん、私のためですので、それはとてもありがたかったのですけど……。でも、アベル先生に教えを乞うてからでしょうか。剣を振りながら、笑みを浮かべることも出てきました」
「それはいい傾向だと思います」
必死にやるのは悪いことではない。
人によっては大切だというであろう。
だが、好きこそものの上手なれ……この言葉にかなうものは存在しない。
涼は、そう信じている。
剣においてもそうだ。
ストイックであることが間違いだというのではない。
ストイックである事すら好きになれるのなら、何の問題もない。
そうでないなら……。
二十四時間、寝ても覚めてもその事ばかりを考える者に勝つのは至難だ。
好きであれば、二十四時間考える。
それが普通。
だから、勝手に上手になる。
指導する者が最も注意深く考慮し、可能なら最初に仕込むこととは……。
それを楽しいと思わせること。好きだと認識させること。
勉強でもスポーツでもなんでも同じ。
もちろん、とっても難しいのだが。
だがミーファは剣を振ることが好きらしい。
アベルは、教える者としてうまくやったということなのかもしれない。
涼はそんな話を聞いて嬉しかった。
「よし、ここまでにしよう」
アベルはそう言って、模擬戦の終了を宣言した。
「ありがとうございました!」
ミーファが頭を下げる。
多少息は上がっているが、限界ではなさそうだ。
最初にアベルと剣を合わせた頃と比べて、かなり持久力も上がっているように見える。
「ミーファ、よく努力しているな。師として誇りに思うぞ」
「は、はい!」
アベルが微笑みながら、弟子の努力の跡を称賛する。
褒められたミーファも嬉しそうだ。
努力していることを認めたら褒める。
とても大切なことであろう。
「あの!」
そこへ、庭の隅から声があがる。
ビジス護衛隊長だ。
「私にも、一手ご指南を!」
とても真剣な表情でアベルに向かって言った。
「いいだろう。来い!」
それからアベルは、一時間近く、連続戦闘をこなすのであった……。
そんな光景を見ながら、涼とシオ・フェン公主の会話は行われている。
「リュン皇子は皇宮に上がられているのですね」
「はい、申し訳ございません」
「いえいえ、突然僕が押し掛けたのが悪かったのです」
涼はそう言うと、笑いながらお茶を一口啜った。
「実は昨日、リュン皇子に、力添えを頼まれました」
「はい、リュン様から聞きました」
笑みを浮かべながらの涼の言葉に、こちらも笑みを浮かべて答えるシオ・フェン公主。
「もちろんそれは、親王に進んだ後、次期皇帝位を目指すからということで」
「はい」
「昨日の段階では、リュン皇子を全面的に支持するだけの自信というか、責任を持てませんでした」
「責任?」
「ええ、ダーウェイ国民への責任です」
「なるほど」
涼の言葉に、シオ・フェン公主は大きく頷いた。
民あってこその国。
民あってこその王。
国元でも第三王女として、国政を近くで見てきたシオ・フェン公主には、涼の言わんとすることは完全に理解できた。
同時に、好ましいとも思った。
目の前の、異国の筆頭公爵は、国の本質を理解している。
吟遊詩人にも歌われるほどの伝説的な人物でありながら、常に民への視線を忘れない……そんな人物が夫の周りにいてくれれば、どれほど心強いだろうか。
もし、何か不幸なことが起こり、夫が道を逸れたとしてもそれを引き戻してくれそうな……そんな安心感を抱く。
「それで、昨日、半日かけていろんな人のところを駆けまわっていました」
「まぁ」
ただ断れば簡単なのに、自ら情報を集めて回って真剣に提案を考えてくれる。
それは嬉しいを通り越して、申し訳ない気もしてくる……。
その時、先触れがやってきた。
「リュン皇子が戻られます」
「ロンド公、お待たせしたようで」
「いえリュン皇子、シオ・フェン公主に歓待していただきましたので」
リュン皇子の言葉に、にこやかに答える涼。
この場にいるのは、リュン皇子と涼、アベルを除けば一人だけ。
リュン皇子の右腕である、リンシュン侍従長だけだ。
リュン皇子の取り巻きたちの中でも最年長であり、常に冷静であるリンシュンのことを、涼は高く評価している。
「本日伺いましたのは、昨日のお申し出への答えをお持ちしたからです。ただその前に、一つお尋ねしたいことがあります」
「……どうぞ、お尋ねください」
涼は真面目な口調になって切り出し、リュン皇子は姿勢を正した。
「リュン皇子は、何のために皇帝を目指されるのでしょうか」
「良き国を作り、民が幸せに暮らせるようにするためです」
涼の問いに、リュン皇子は即答した。
まるで、質問を想定していたように。
いや、想定していたのだろう。
だがそれは、涼からの質問ではなく、常に自分の中で考えていたという意味の想定だ。
現在のダーウェイはどうか。
これからどうなるべきなのか。
それはなぜか、誰のためか。
それを常に考え続けているからこその即答。
その答えと速さに、涼は満足した。
少しだけの静寂の後。
「私、ロンド公爵リョウ・ミハラは、リュン皇子にお力添えいたします」
涼は、はっきりと言い切った。
それを受けて、目を見開いたまま、言葉を紡げないリュン皇子。
言葉を出せたのは、たっぷり一分後であった。
「ありがとうございます」
そう言うと、両手を胸の前で重ねて、ダーウェイ式の礼をとった。
「ただ、いずれは中央諸国に戻りますので、それまでという期限付きになりますが……よろしいですね?」
「もちろん承知しております」
リュン皇子はそう答えると、傍らのリンシュン侍従長を見た。
その視線を受けて、リンシュン侍従長も頷いた。
あまり表情の変わらないリンシュン侍従長だが、涼でも分かるくらいの笑みを浮かべている。
「そうは言っても、具体的に何ができるのかとか、何をするのかとかは分かりませんが」
「いえ、特に何かを……積極的に何かをしていただく必要はありません」
涼の疑問に、リュン皇子は明確に答える。
「これは私たちの陣営の戦いです。ロンド公は、もしもの場合にお助けいただければそれで十分。さらに、助けるに値しないと感じられたら、私を切り捨てていただいても結構です」
それは、ある意味、苛烈な提案でもある。
「友好的中立というか……そう、親しい隣人って感じでいいってことですね」
涼は微笑みながら答える。
それなら、涼の中でも分かりやすい。
……ほとんど今までと変わらないのだが。
「はい。隣人として、これからもよろしくお願いいたします」
「こちらこそです」
リュン皇子と涼は、そう言うと微笑み合うのであった。




