0582 リュン皇子の訪問
屋敷にピアノが届いた翌日。
涼とアベルの屋敷を、お隣さんが訪問した。
お隣さんがやってくるのは、別に珍しい事ではない……ただその身分が、皇子様であるというだけで。
「リュン皇子、ようこそいらっしゃいました」
「ロンド公、昨日は失礼いたしました」
涼が嬉しそうに出迎え、リュン皇子は昨日訪れることができなかったことを詫びる。
「お気になさらずに。皇宮に呼ばれたとか」
涼はそう言うと、屋敷の中に招き入れた。
リュン皇子の後ろには、いつもの取り巻きたちが従っている。
だが、涼が気になったのはリュン皇子を含めた服装だ。
髪を綺麗に結い上げ、冠で留めているのはいつものこととして、着ている服が皇宮に上る時に着るような……いや、皇帝の御前に出てもおかしくないような、礼服ともいうべき服なのだ。
涼はいつものローブであり、アベルは東服だが皇宮に上がるというより、庶民が着る服に近い。
上衣も太ももまでと短く、活動しやすそうな服……。
皇子一行との対比がかなり凄い。
屋敷に上がり、涼が手ずからお茶を淹れ、一口啜ってから尋ねた。
「皇子、服装が何と言うかかしこまっているのですが……」
「はい。本日は、ロンド公爵閣下にお願いがあってまかりこしました」
「はい?」
リュン皇子の言い方は物々しい。あるいは、改まった言い方というべきか。
「この度、わたくしリュンは、親王に封じられることになりました」
「はい、おめでとうございます」
「つきましては、ロンド公にお力添えいただきたいのです」
「力添え?」
涼は首をかしげる。
斜め後ろで、アベルも首をかしげているのが視界の隅に映った。
リュン皇子はしっかりと涼を見て、はっきりと言い切った。
「私は、次期皇帝位を目指します」
涼もアベルも、そうであろうとは思っていた。
そういう話もしていた。
だが、こうしてはっきりと本人から言われると、やはり身が引き締まる。
「閣下には、そのお力添えをいただきたいと思っております」
涼を正面から見るリュン皇子の視線にぶれはない。
考えに考え抜き、周りの人間にも伝えて賛同を得て、何があってもその道を歩き続ける……そう決断した人間の目である。
だが……。
「そうですか……」
それが涼の返答。
その返答を聞いた時、アベルは驚いた。
涼なら、一も二もなく協力すると言うと思ったからだ。
無言の時が流れる。
この場面、次に口を開くべきなのは涼だ。
どのような返答であっても、涼の手番。
もちろん、涼自身、それは理解しているのだが……。
たっぷり五分もの無言の後。
「皇子、少し考えさせてください」
リュン皇子一行を屋敷から送り出した後、涼とアベルは部屋に戻り、もう一杯お茶を飲んだ。
はっきりと、涼は顔をしかめている。
いちおうリュン皇子がいた時には、顔に出ないようにしていたらしい。
「リョウの事だから、まかせてください! とか、皇帝位は殿下のものですとか言って、すぐに引き受けると思ったんだが」
アベルが正直な感想を言う。
涼との間は、気の置けない仲だと認識しているからこそだ。
「ええ」
涼も、アベルがそう考えるであろうことも認識していた。
「ただ……考えれば考えるほど、自信が持てなかったんです。いや、責任を持てなかった、かもしれません」
「自信? 責任?」
涼の言葉に首をかしげるアベル。
「本当に、リュン皇子を支持してもいいかどうかの自信です」
「それは、リュン皇子は皇帝にふさわしくないということか?」
「いえ、そうではなく……僕が知る限りにおいては、皇帝にふさわしいと思います。でも、『最も皇帝にふさわしい』かは自信がありません」
「ああ、他の親王たちか」
涼の言葉に、小さく頷くアベル。
確かに二人は、他の親王の事をほとんど知らない。
「自信は分かった。責任というのは……?」
「ダーウェイ国民に対する責任です」
「ダーウェイ国民に対する責任?」
再び首を傾げるアベル。
「もしここが、西方諸国のマファルダ共和国や、自由都市だったクベバサであれば、僕がそこまで考える必要はなかったのでしょう。民主主義的手続きで、為政者を選ぶ体制になっていたからです。でも……ナイトレイ王国もですけど、このダーウェイも民主主義国家ではありません。国王や皇帝は、国民が選ぶわけではなく……ダメダメ皇帝だったとしても、国民はそれを受け入れるしかありません」
「ああ……」
「だからこそ、誰が国王や皇帝になるかというのは、なる段階で……すごく考える必要があると思います」
「だから、それに力を貸すリョウは、国民に対する責任を考えたと」
「はい」
涼は頷くと、お茶を啜った。
専制君主制においては、国民は国の政治に対して責任を負わない。
なぜなら、国民主権ではないからだ。
だからこそ、国がどれほど間違った方向に進んでも、国民の責任ではない。
少なくとも、歴史上、責任を追及されることはないだろう。
同時代の隣国からは、いろいろ言われるかもしれないが……。
だが、民主制においては、国民こそが国の政治に対して責任を負う。
なぜなら、国民主権だからだ。
これは、直接民主制だろうが、間接民主だろうが変わらない。
国が採る行動は、国民が責任を負う……。
歴史に対して。
「王国解放戦の時、リョウは俺を支持してくれた」
「ええ、もちろんです。あの時は、自信をもって選択しました。王国民への責任も……アベルが王様なら、王国民は幸せになると考えましたからね」
「そ、そうか」
涼が断言し、アベルはちょっと照れた。
「あの時点で、アベル以外の選択肢は現実的にありませんでしたけど……僕は今でも、良い選択をしたと自信をもって主張できます」
「今回のはまだ、そこまでの自信はないと」
「ええ、残念ながら」
涼はため息をついた。
そして、さらに言葉を続ける。
「しかも今回、涼としての選択ではありません」
「うん?」
「ロンド公爵としてです」
「ああ、そうだな。ナイトレイ王国筆頭公爵としてだな。つまり……」
「王国の名前を背負っての選択です」
「そう、ナイトレイ王国はどの親王を支持するのかという側面を持ってしまうな」
アベルも一緒にため息をつく。
二人にそんなつもりがなかったとしても、選ばれなかった三人の親王は見るだろう。
涼の後ろにナイトレイ王国の影を。
「個人としての選択です、とか言ったって意味がありません。そんな断りは通じませんよね、どんな場面においても。公人としての立場は、その立場を退くまで、場合によっては退いた後もついてまわるものです」
「そうだな」
「だからこそ、慎重な選択をする必要があるのだと思います」
いつの時代、どんな世界においても変わらない。
「近い将来、技術が進み、中央諸国とこの東方諸国との間で簡単に行き来ができるようになったりしたら……。僕が選ばなかった親王が皇帝になっていたりしたら、この選択のせいで王国は不利益をこうむるかもしれません」
「将来の事は誰にもわからんとはいえ、現在の選択は未来の立場に影響を与えてしまう」
国を背負っての行動、国としての選択というのは、未来の事まで考える必要がある。
なんとも厄介なものなのだ。
涼は、残ったお茶を一息で飲み干した。
「ですので、今から選択する際の自信を手に入れに行きましょう」
「他の親王たちについて、調べに行くということだな」
「そういうことです」
リュン皇子は、ロンド公の屋敷から戻ると、大きくため息をついた。
目の前で、シオ・フェン公主がお茶を淹れてくれる。
「どうぞリュン様」
「ああ、ありがとうシオ」
ただそれだけのシオ・フェン公主と、リュン皇子の会話だが、決してとげとげしくはない。
一口飲んだ後、リュン皇子は口を開いた。
「ロンド公には引き受けてもらえなかった」
「あら、そうなのですか?」
「少し考えさせてほしいと」
「なるほど」
シオ・フェン公主は微笑みながら、ただそれだけ言い小さく頷いた。
それを見て、首をかしげるリュン皇子。
「なぜ微笑んでいるんだ? 引き受けてもらえなかったんだぞ?」
「引き受けませんではなく、少し考えさせてほしいとロンド公はおっしゃったのでしょう? それなら脈はあると思います」
「そうだろうか」
シオ・フェン公主の言葉に、顔をしかめているリュン皇子。
彼には、最終的に断るための、距離をおいた言葉としか思えないのだ。
「少し考えさせてほしいとおっしゃったのであれば、そのままの意味。少し考えたかったのだろうと思います」
「ふむ……。だが聞くところによると、私が親王に封じられることは、数日前にはロンド公に伝えられていたとか。そうであれば、私から今回の要請が来ることは推測できたのではないか? ロンド公ほど優秀な方であれば……」
「そうかもしれません。でも、別の要請を考えていたのかもしれませんよ?」
そう言うシオ・フェン公主の瞳は、いたずらっぽい光をたたえた。
「別の要請?」
「例えば、冒険者として他の三人の親王殿下の暗殺依頼とか」
「おい……」
「もちろんそんなことはあり得ないのですけど……ロンド公……リョウ様は面白い方ですから。色々と、私たちが考えていない別の事を考えていたのかもしれません」
シオ・フェン公主は、にっこり笑って言葉を続けた。
「ゆっくりと返事を待つのがよろしいかと思います」
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