0580 皇帝の相談
「すごいですね、本当に一心不乱に作っています」
「ああ。あれが、本来のロンの姿なんだろう」
涼とアベルは、暢音閣に隣接した工房を、外からそっと覗いている。
実は、工房統領ロンのヴァイオリン集中講座は、室外舞台での演奏許可を得た翌日、終了した。
それが昨日。
「明日から、楽器制作に打ち込みます」
ロンはそう言って、アベルに頭を下げた。
長く練習に付き合ってくれたことに感謝して。
もちろん、毎日練習はする。
指が忘れないように。
だが、工房統領としての本来の仕事もしなければならないから……。
そしてどんなものかと、翌日つまり今日、二人はロンの仕事をこっそりと覗いた。
それを見て、二人は頷いた。
もちろんアベルのヴァイオリンも、涼のピアノも、いつでも工房の楽器を使ってもらっていいとは聞いている。
とはいえ、二人にもやることがあって、忙しいのだ。
「……忙しいか?」
「今日、皇宮に呼ばれたのも、ある意味お仕事です」
「あ、うん……」
涼が力説し、アベルが微妙な表情で頷く。
今日は、皇帝ツーインから直々に呼ばれたのだ。
昼食を共に食べないかと。
何やら、伝えたいことがあるらしい……。
「伝えたい事って何ですかね?」
「さてな……」
涼の問いに、アベルが首をひねる。
わざわざ二人に伝えたい事と言われても、なかなか頭に浮かばない。
「アベル、僕には想像できていますよ」
「何?」
涼がフフンという表情で言う。
こういう時の涼の意見はたいてい外れていることをアベルは知っているが、一応聞いてやることにした。
「一応聞いてやる、何だ?」
「一応とは失敬な!」
「ああ、ぜひぜひ聞きたいな、聞かせて欲しいな!」
「なんてわざとらしい」
アベルの言い方に、傷ついた風を装う涼。
だが、結局自分の考えを述べた。
「僕らにしかできない事をお願いされると思います」
「具体的に何だ?」
「僕らが中央諸国に戻る際に、ピアノを持って帰って広めろと言われるに違いありません」
「……は?」
涼の断定に、言葉を失うアベル。
どうせ、ろくでもない事を言うだろうと身構えていたアベルの想像すら、涼は上回った。
うん、まあ、開いた口が塞がらないという類の上回りだが。
「ほら皇帝陛下は、ピアノを世界中に広めようとしていると……」
「確かに、ロンは言っていたが」
「その野望達成の第一歩に違いありません」
なぜか涼は自信満々だ。
「あのピアノとかいうやつ、重いだろ?」
「ええ。300キロとか400キロとかですかね」
「それを持って帰るのは大変じゃないか……」
「アベル、ふぁいとです」
「しかも俺に押し付けるな!」
納得できずに吠えるアベル。
だが、すぐに冷静に戻る。
「まあ、どうせそれはリョウの妄想だろうがな」
「アベルは、まるで僕の言うことを信じてくれません」
「そりゃあ非現実的だからな。そもそも……」
そこでアベルは一度言葉を切って、小さくため息をついてから言葉を続ける。
「俺ら、いつ中央諸国に向かって出発するんだ?」
「え? 僕らがここにとどまっているのは、アベルのせいですよ?」
いかにも、何を言っているのだ君は、という雰囲気で涼が指摘する。
もちろん、アベルには意味が分からない。
「なんで俺のせい?」
「正確には、アベルが着けているそれのせいです」
涼はそう言うと、アベルの手首に、ビシッという音が響きそうな感じで、鋭く指差した。
「飛翔環?」
「ええ。それ、『中黄』じゃないと飛べないでしょ? だからアベルは、飛ぶという欲求を満たすまでここに留まりたいんでしょ。分かっています」
涼が断定し、何度も頷く。
「いや、もっと飛べるようになりたいのは認めるが……。それを言ったら、俺よりリョウの方だろう?」
「僕? 何でですか?」
「なぜ『中黄』でしか飛翔環で飛べないのかを解明する、と言っていただろう。そこをクリアできれば、他の場所でも飛べるようになるかも、とか言いながら」
「むぐ……。確かに言いましたけど……」
結局、空を飛ぶというロマンは、人を虜にするということらしい。
二人は同時にため息をつくのであった。
もちろん二人が中央諸国に戻れない本質的な理由は、『回廊が開いていないから』だが。
二人は、禁城の中でも、かなり北の方にある部屋に通された。
未だに部屋の名前は知らないのだが……リュン皇子とシオ・フェン公主婚礼の日、お昼時にほんの少しだけ皇帝と会った部屋であるのは覚えている。
すでに膳が三つ用意され、二人が部屋に入るのと同時に、皇帝ツーインも入ってきた。
「ロンド公、アルバート殿、そちらへ」
ツーインが席を示す。
涼だけでなく、アベル用の膳も準備されたようだ。
「陛下、アルバートの膳まで。感謝いたします」
「なんの。アルバート殿には、ロンの指導もしていただいたからな」
涼が感謝し、ツーインが笑いながら答えた。
しばらく、歓談しながらの食事が進み……。
「今日、来てもらったのは、伝えたい事、というか決めたことがあってな」
ツーインはそう言うと、表情を引き締めてから、言葉を続けた。
「近々、第六皇子リュンを親王に封じる」
「おぉ……」
はっきりと告げるツーイン、驚く涼。
涼の横で、アベルも驚いた表情になっている。
ちなみに、この場は人払いがされている。
三人以外に声の聞こえる範囲にいるのは、皇帝ツーインの後ろに控えた総太監だけ。
総太監は、ツーインの言葉を聞いても、全く表情は変わらない。
恐らくはすでに聞かされていたのだろう。
「先日の、ユン将軍を捕虜にし魔物の集団を撃破した件、その中心となったのはロンド公であったことは理解しておるが、実績としては問題ないであろう。もちろん、リュン本人にも意思を確認してある。親王になりたいと答えた」
「なるほど」
「それで、今回はロンド公に、直接この件を伝えようと思ってな」
「もったいのうございます」
ツーインの説明に、頭を下げる涼。
リュン皇子は、ユン将軍を捕まえる際に涼が中心となったことは言っていない。
それは、涼が口止めをしたから。
だが、氷漬けになったユン将軍を見れば、想像はつくというものだ。
涼も、ここまできて、「いいえ自分ではありません」とは言わない。
他の廷臣たちがいる前ならともかく、この場にいるのは涼とアベルを除けば、ツーインと総太監のみ。
総太監は、いわば皇帝の影。
皇帝が知っていることは、総太監も知っている……。
涼はそう認識していた。
皇帝の前を退き、出口に案内される涼とアベル。
「リュン皇子……ついに親王になるのですね」
「ここから大変だろうな」
ワクワクと心配とがない交ぜになった、表現しにくい表情の涼。
明確に心配そうな表情のアベル。
巨大な宮廷であればあるほど、立場が上がった万歳! では済まないものだ。
会社でもそうだが、組織が大きくなれば……つまり関わる人間が多くなれば多くなるほど、足を引っ張ろうとする人間が増えてくる。
それは古今東西、変わらぬ真実。
それくらいは、涼もアベルも知っている。
さらに、親王になっただけでは意味がない。
親王を支える人材を揃えなければ、他の親王たちに打ち倒される。
派閥というと聞こえが良くないが、食客、あるいは客将を揃える……それは将来、さらに上に進んだ際に政権中枢となる人材でもある。
「親王に進むということは、その先の皇帝位を争うと認識していいんでしょうね」
「当然そうなるだろう。親王になっておいて皇帝になるつもりはありません……そんなの、他の親王たちが信じないだろう。これだけ巨大な国家の中で、次期皇帝位を狙うのであれば、優秀な人材を集める必要がある。だが、その点では大きく出遅れている……」
政権中枢を支えるべきシタイフ層の多くは、既に三人の親王の誰かについている。
「何よりもまず最初に、しかもただちに、土台を固めなければならない。他の者がずっと以前から用意してきたことと同じことを、就任と同時に、時をおかずに実行する心構えが不可欠だ」
涼が何かを読み上げるように言う。
「それは孫子じゃなくて……マキャヴェッリだな?」
「おぉ、さすがはアベルです!」
正解し称賛する涼。
「なんとなく、特徴は分かるようになったな」
アベルは頷く。
「いずれは権謀王アベルと呼ばれるかもしれませんね」
「なんか……それは嫌じゃないか?」
「敵対した王たちは、全て病死か事故死。戦わずして中央諸国全土を征服……。民は全く苦しみませんよ」
「いや、そうなのかもしれんが……」
アベルが顔をしかめている。
「何ですか? 民を不幸にしても、正面から戦争して討ち破りたいと言うのですか? なんという国王の自己満足でしょう!」
「いや、戦争しなければいいんじゃないか?」
「そ、それはもちろん、一番いいのはそうなのですけど……向こうから攻め込んで来たらどうするんですか?」
「理想は攻め込む気を失くすほどの力を持っておくことなんだろう……」
「ええ、理想はそうです。でも、軍備というのは、自国の国力……主に経済力との兼ね合いを考える必要が出てきます。攻め込まれないほどの軍備を整えたけど、自国の経済が破綻して民衆が重税に苦しんでいますなんて、本末転倒もいいところでしょう?」
「確かにな」
国の運営は、いろいろと難しいらしい。
「まあ、王国の話はいいだろう」
「そう、今僕らが直面しているのは、リュン皇子です」
アベルも涼も、話を戻すことにした。
「リュン皇子が親王に進む……。こうなると、国元でシオ・フェン公主を暗殺しようとしていた者たちの見通しは、正しかったということになるな」
「正妃を娶っていなければ、そもそも親王にはならないわけですからね。シオ・フェン公主を暗殺しておけば、時間は稼げた……」
アベルが指摘し、涼も頷く。
「でも、一般的には、リュン皇子への評価って高くないんでしょ?」
「ああ、そうらしいな。愚鈍、とまでは言わないが……民からは好かれているけれども、いわゆる権力者となる鋭さのようなものは持っていない。そういう評価じゃなかったか?」
「ええ。モゴック局長の説明の中にありましたよね」
ボスンター国にいた時、ミーファの父モゴック局長が、そんな説明をしてくれたことを二人は覚えていた。
だが、実際にフェンムーで会い、鎮圧軍でもその姿を見てきた二人が持った評価は違う。
「優秀さを隠していたな」
「自らの命を守るために、あえて愚鈍に見せる場合もあるでしょう」
アベルも涼も、リュン皇子は優秀であると思っている。
しかも、権力争いに巻き込まれないように、目立たずに過ごすことができる慎重さも持っていると。
しかもしかも、その状態でありながら、権力者たる皇帝ツーインからは高く評価されているのだ。
親王に封じようと思うほどに。
目立つことなく自らの優秀さを認識させた?
涼がその立場にあったとして、それを成そうとした場合、具体的な方法は思いつかない。
「つまりリュン皇子は、できる男ということですね」
「国家中枢にいるのであれば、できない男よりはいいんじゃないか?」
そんな会話を交わしながら、皇宮内を出口に向かう二人であったが、反対側の廊下を歩く一団が目に入った。
二十人ほどが、二人同様に案内されながら歩いている。
着ているものは東服だが、ダーウェイの人間ではないように見える。
「あの人たち、皇宮の人ではないですよね。なんとなくそんな気がするのですが」
「ああ……。そうだな、髪を結い上げていないからじゃないか?」
「なるほど!」
アベルの指摘に頷く涼。
そう、その一団は、髪を流したままだ。
基本的に、ダーウェイにおいては、髪を結い上げるのが一般的なようなのだ。
皇宮においては特に。
ある程度地位の高い人物は、握り拳ほどの大きさの綺麗な冠で、結い上げた髪を留めている。
それが礼儀らしい。
だが、二人が見た一団は全員、髪を降ろし、後ろに流したまま。
しかも……。
「一番後ろからついていっている人、多分氷漬けになった人ですよ」
「氷漬け? ユン将軍とかいうやつか?」
「そう、その人!」
涼は頷くと、二人を案内している案内人に呼び掛けた。
「失礼ですが、あの一団は、帝国の特使の皆さんですか?」
「はい。チョオウチ帝国特使の皆様です」
案内人も情報共有できているらしく、よどみなく答えた。
「すごいですね。捕虜になった将軍さんを、わざわざ連れて皇宮に来ています」
「確かにな。豪胆と言うかなんと言うか……」
アベルが呆れたように言う。
その瞬間、涼がアベルの方を向いて言い放った。
「アベルも見習うべきです!」
「は?」
「打ち倒した魔物を引き連れて皇宮内を練り歩く……」
「捕まるわ!」
『豪胆王アベル』育成計画は失敗した。
やりましたよ!
昨日8月20日の紀伊国屋書店電子書籍ライトノベル第2位ですって。
1位:異世界でチート能力を手にした俺は、現実世界をも無双する11
3位:転生した大聖女は、聖女であることをひた隠す7
という、有名作品に挟まれての2位!
https://www.kinokuniya.co.jp/disp/CKnRankingPageCList.jsp?dispNo=107002002005100
皆さんの応援のおかげで、うちの子がんばってます!
ありがとうございます。
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