0570 行軍
五日後。
涼とアベルは、アンダルシアとフェイワンの背に揺られて移動していた。
「あれから五日で出発とはな。早いな」
「結婚する前から、皇帝陛下が伝えていたと言ってましたからね。かなり準備は進めてあったのでしょう」
一万の兵が進むとなれば、かなりの長さになる。
平原を進むわけではない。
帝都から続く道であるため、かなり広いのだが、それでもずっと広いわけではない。
そして、二人がさしかかっているのは橋だ。
「これが南河大橋ですか」
「やはりでかいよな」
帝都の北を流れる、ダーウェイ二大河の一つ、南河にかかる巨大な吊り橋、南河大橋。
南河の川幅は一キロ以上ある。
しかも、海から船が南河を遡上していく。
そのため、その航行を妨げないように、橋はこの南河大橋だけで、しかもかなり巨大なものとなっている。
二人は、この南河を下って帝都にやってきたが、その時に川面からこの巨大な吊り橋を見た。
その時にも圧倒されたが……。
「橋の上から見る景色も凄いです」
「ああ、綺麗だな」
橋の上は左側通行なのか、涼が入る鎮圧軍は左側に寄って渡っている。
そのため、西の景色が見えるのだが、確かに美しい。
どこまでも続くかと思われる平野。
その間を、これもどこまでも続いていく南河。
その対比は、一幅の絵画かと思われるほど。
「この景色を見ると、全てのことが些事に思えてきます」
「ああ、言いたいことは分かる」
ふたりともその光景を見ながら、馬の背に揺られていた。
涼とアベルは、リュン皇子のいる本隊のすぐ後ろにいる。
本隊の中ではないのは、本隊が忙しそうだから。
行軍しながらも、いろいろな情報を集めているため、伝令や斥候が出たり入ったりしているのだ。
そんなところに、二人がいたら邪魔だろうと思って……。
「行軍途中に狙われるなんてことはないよな? 魔物だしな」
「分かりませんよ? 幻人が率いているらしいですから……。アベルのように卑怯な騙し討ちは日常茶飯事でしょう」
「何で俺が、卑怯な騙し討ちを日常茶飯事でやっているんだ?」
「ただの憶測です。気にしないでください」
「気にするわ!」
こんな会話も、本隊にいたらできないであろうし。
「それにしても、戦争って本当に悲しいものですよね」
「戦場に行こうというのに、いきなり何を言い出す」
「民を救うために仕方がないとはいえ……争いは何も生みだしません」
「じゃあ、どうすればいい?」
「もちろん話し合いです」
アベルの問いに、自信満々に言い放つ涼。
「魔物には言葉が通じないぞ?」
「そういう時はこう言うのです。君では話にならない、責任者を出せ! って」
「……」
「そして出てきた幻人に、滔々と言って聞かせるのです。争いの愚かしさを、暴力の恐ろしさを、そしてアベルの理不尽さを」
「おい……」
「これが三段オチです」
「首、胴で斬り落とせば、リョウの三段おろしができそうだな」
「な、なに恐ろしい事を言っているのですか!」
「アベルの理不尽さ、だろう?」
「クッ……暴力で弾圧する恐怖政治反対!」
三段おろしではなく三枚おろしなら、成立したのだろうか。
そんな馬鹿話をしていると、前を行く本隊から使いの者が来た。
「ロンド公爵閣下、リュン皇子がお呼びです」
「殿下、お呼びにより参上いたしました」
「ああ、ロンド公爵、ご足労いただき感謝いたします」
涼もリュン皇子も、馬上で歩きながらの挨拶だ。
ゆっくりとではあるが、本隊全員、馬上で移動しながら集まっている。
元々、決して馬に乗るのが得意とは言えない涼。
だが、今は違う。
アンダルシアの上なら、完全に全てを預ける事ができる……それほど、涼はアンダルシアを信頼していた。
そのため、馬上会議も問題ない。
なんとなく、騎馬民族の気分だが。
問題なのはむしろ、他の人の目。
特に、リュン皇子の供回りの者たちが涼を見る目は、決して温かいものではない。
リュン皇子と同い年の者たち……つまり十九歳。
まだまだ血気盛んなのだろう。
唯一の例外は、最年長と聞いているリンシュンだ。
見るからに落ち着いており、他の供回りたちとは全く違う。
年齢は二十四歳で、他とは五歳しか違わないのだが……。
聞くところによると、リンシュンは侍従長という立場らしい。
供回りの者たちの中で、明確に序列トップということなのだろう。
そして、リュン皇子が最も信頼している人物でもあるのだろう。
一方、リュン皇子の供回りたちとは違い、黒旗軍を率いる者たちからは特に冷たい視線は感じない。
今回の黒旗軍を率いる四十歳のビジャン・ルウ将軍は、特に優しい。
もしかしたら、皇帝ツーインから、直接何か言われているのかもしれない。
皇帝の親衛隊とも言える禁軍ほどではないにしても、中央軍の一角を担う軍の将軍ともなれば、ただ兵を率いればいいというわけでもないだろう。
その地位に就き、その立場を維持するためには、皇帝や帝室との良好な関係も必要になるはずだ。
そう考えると、皇帝ツーインが涼、すなわちロンド公爵のことを気に入っているのは、披露宴の話を聞けば誰でも推測できるであろうから、仲よくしておきたいと思ったのかもしれない。
「ロンド公に来ていただいたのは他でもありません。モアソン地域の情報が入ってまいりました」
「おぉ」
「魔物が、山から下りてきて平地に布陣しているとの事です」
「え? 魔物が布陣?」
リュン皇子の説明に、涼が驚きの声をあげる。
魔物が陣を敷くなど聞いたことがない。
チラリとアベルの方を見ると、アベルも小さく首を振る。
冒険者として経験の豊富なアベルも、そんな事例は聞いたことがないようだ。
「それだけで、普通じゃないというのが分かりますね」
「はい。おそらく幻人なるものが率いているのでしょう。そして、その者は、魔物を意のままに操ることができる」
リュン皇子も頷いて答える。
「殿下、できる限り慎重に……」
「情報収集は万全です!」
涼の言葉に答えたのはリュン皇子ではなく、供回りの一人だ。
確か、ウェンシュ侍従と呼ばれていたはず。
どこかの公の三男らしい。
「魔物が布陣しているのは緑荘平野と呼ばれる、地元ではよく知られた障害物などほとんどない見通しの良い場所です。そこに約一万の魔物が布陣しているのです」
ウェンシュ侍従は食って掛かるように言う。
喧嘩腰の二歩手前くらいだ。
「やめぬかウェンシュ」
さすがに、リュン皇子も気付いたのだろう。
そう言って止める。
そして、涼に向かって謝罪した。
「申し訳ありません、公爵閣下。モアソン地域はウェンシュの地元でして……」
「もしや、皇帝陛下がおっしゃっていた亡くなられた公というのは……」
「はい、モンティエ公はウェンシュのお父上です」
リュン皇子の説明に、ウェンシュ侍従は必死に涙をこらえているようにすら見える。
「それは、お悔やみ申し上げます」
涼はそう言うと、頭を下げた。
それに対して、無言のまま頭を下げ返すウェンシュ侍従。
説明を受け、アベルと共に本隊を離れた涼の元に一人の女性が近づいてきた。
「公爵閣下、少しよろしいでしょうか」
「はい。確か、領地軍魔法砲撃隊の……」
「魔法砲撃隊隊長を拝命しております、ルヤオです」
ルヤオ隊長は、まさに濡羽色という表現がぴったりな、黒く艶やかな長い髪が印象的だが、その瞳の力もとても強い。
可愛いという表現よりも、はっきりと美人というべき女性。
彼女も、リュンの皇子の供回りの一人であり、皇子やウェンシュ侍従と同じ十九歳。
(それなのに完成された美人)
涼は心の中だけでそう呟く。
(でも、すごく気が強そうです)
余計な一言も、ちゃんと心の中だけで呟く。
「ずっと皇子の領地の方で訓練をしておりましたので、ご挨拶が遅れました」
涼が、皇子にルヤオを紹介されたのは、一時間前の出陣式の時であった。
そもそも、皇子の屋敷は王府ではないため、自分の領地軍を置いておくだけの敷地の広さはない。
涼の屋敷の三倍の広さだとしてもだ。
もちろん、帝室管理となっている訓練場や、兵部管理の訓練場があり、手続きをすればそこに滞在することは可能らしいが。
「そうそう、僕は東方諸国の魔法砲撃なるものを見たことがないんです」
「はい、殿下から伺っております。ですので、戦場に着く前のどこかで、お見せできればと」
「いいんですか?」
涼は嬉しそうだ。
だが、すぐに懸念事項に思い至る。
「でも、魔力の消費とかが……」
「一撃くらいなら問題ありません」
涼の懸念に、ルヤオ隊長は問題ないと答える。
わざわざ『魔法砲撃隊』と言っているのだ。
一、二発しか撃てませんでは、確かに困る……。
「楽しみに待……」
そこで、涼の世界は反転した。
はい。「涼の世界は反転した」ということは……明日は……。
たまに戦闘シーンが入るのは筆者の発作です。
すいません。




