0564 皇宮襲撃
「<アイスウォール10層パッケージ>」
氷の壁が張られた瞬間、その表面で、数百を超える炎が弾ける。
さらに、空いた天井から二筋の何かが降りてきて……。
皇子と公主を襲った。
カキンッ。
カキンッ。
二人の前に立ち、守る二人の剣士。
それは師弟。
皇子の前にアベル。
公主の前にミーファ。
二人と剣を交えているのは、黒い影。
そう、影と表現するのが最も適切であろう。
体格は人にそっくりな二本の足、二本の腕だが……顔はのっぺらぼう。
「なんで、シャドーストーカーがこんな所にいるんだ」
アベルが思わず呟く。
そう、二人が受けたのはシャドーストーカー。
「ミーファ、このシャドーストーカーの剣は強い。気をつけろ」
「はい、師匠」
アベルの言葉に頷くミーファ。
冒険者経験が長かったアベルですら、シャドーストーカーとの戦闘経験は、数えるほどしかない。
森が生み出す魔物と言われるシャドーストーカーは、そもそも人が入ってこないような深く大きな森の奥に潜む。
人がその森に入ってきたとしても、手あたり次第に攻撃してきたりもしない。
あくまで、森そのものが排除すべき相手だと認識した者に対して、シャドーストーカーが攻撃をすると言われているのだ。
そのため、熟練冒険者ですら、シャドーストーカーとの戦闘経験は少ない。
そうであるなら、わずか十六歳のミーファは、シャドーストーカーとの戦闘経験などないだろうと考えてのアベルのアドバイスであった。
実際、ミーファは驚いていた。
影が実体を持って襲いかかってきた……その認識だったからだ。
いつものように、すぐにシオ・フェン公主を護れる位置に控えていた。
式典の中であるため、師たるアベルにもらった長めの短剣は帯びていない。
だから、何かが公主に向かった瞬間、傍らにいた禁軍兵士の剣を拝借して、その攻撃を受けた……。
しかし、そんな驚きと不安は、アベルのアドバイスによって消え去っていた。
ミーファは、この影が何か知らないが、師匠たるアベルは知っているのだ。
そして、自分にアドバイスをくれ、戦闘も任せてくれている。
つまり、ミーファでも戦える相手と師匠は判断したということ。
だから、不安はもうない。
いつものように剣を振るうだけ。
そんな、激しい二つの剣戟の最中、空いた天井から降りてくる者がいた。
その人物は……そう、人物。
のっぺらぼうのシャドーストーカーではない。
濃い緑色というべき長い髪を垂らし、大きな黒い瞳、美女と評していいだろう女性が、ゆっくりと降りてきた。
服は、赤に緑の縁取りのある東服だ。
ダーウェイでよく見かける服だが……何か違和感がある。
「驚いた、私の<ファイアーダムド>が完璧に弾き返されるなんて」
緑の美女は軽やかに着地すると、開口一番そう言い放った。
「しかも、シャドーストーカー二体が押されている?」
激しい二組の剣戟を見て、小さく首を振りながら言う。
「何者だ」
緑の美女に対して、そう問うたのは皇帝ツーイン。
「初めまして、ダーウェイ皇帝。何者かは、ちょっと言いたくないのよね。名前はマリエ・クローシュ。あなたたちの命を奪いに来たの」
そう言って、にっこり笑った後、唱えた。
「<ファイアーマシンガン>」
「<積層アイスウォール10層>」
皇帝ツーインに向かって、連射される炎の弾丸。
それを、自動で層が積み重なって分厚くなっていく氷の壁が阻む。
千を超える弾丸。
一撃一撃が、人が放つ魔法とは次元の違う破壊力を持っている。
だが、砕け散り、対消滅の光を発しながらも重なり続ける氷の壁。
その氷の壁を生成しているのは、皇帝ツーインの隣に立つローブの男。
炎の連射が止まった。
「ちょっとショックね。ローブのあなた、あなたが氷の壁を生成しているのよね。いったい何者なの?」
緑の美女マリエが問いかける。
ツーインの隣に立つローブの男は、周りを見回している。
「いや、あなたよ。他の人を探す意味が分からない。水属性の魔法使いでしょう?」
「キノセイデス」
「なんでそこでごかますの。しかもごまかせていないし」
「ごまかすとかよく分かりません。皇帝陛下を守るのは、ダーウェイ市民として当然の事です」
「ダーウェイの人間は、ローブなんて着ないわよ。いや、なんでそこで、しまったっていう顔してるのよ」
マリエが小さく首を振る。
「僕はあなたの……マリエさんでしたか。マリエさんの所属を知りたいですね」
「所属? 言いたくないんだけど?」
涼の言葉に、顔をしかめるマリエ。
「まあ、襲撃者が身元を明かさないのは当然ですか……」
「えっと、そういうことじゃないのよね……。それに、実は名乗ってこいと言われたんだけどね」
「名乗ってこい?」
涼は首を傾げる。
襲撃者が、名乗る?
しかも、上司か何かから、名乗ってこいと言われる?
でも本人は名乗りたくない?
意味不明だ。
「はぁ……」
マリエは大きなため息をついた。
そして、一度呼吸を整えてから名乗った。
「私は、チョオウチ帝国七星将軍の一人、マリエ・クローシュ」
「チョオウチ?」
涼が顔をしかめて呟く。
その場にいる者たちも、同じ呟きを発しているが、そのほとんどが首を傾げている。
あるいは、隣の者と顔を見合わせている。
ダーウェイの廷臣たちの知らない帝国らしい。
「なぜ、デブヒ帝国といいチョオウチ帝国といい、帝国の名前はカッコ悪いものばかりなんですか」
涼の呟きは、本人が思っている以上に大きかったらしい。
剣戟をしているアベルが、涼をチラリと見た。
その表情を言葉にすると、また涼が何か変なことを言っている、であろうか。
しかし、ここには涼に同調する者がいた。
「そう! カッコ悪いわよね? チョオウチよ、チョオウチ。それはない、って思うよね? ああ、ローブで水属性魔法使いだけど、その感性はいいわね」
「あ、はい、どうも……」
突然、敵性人物から同調されれば、涼でなくとも驚くであろう。
とはいえ、確かにチョオウチはない……。
「だから言いたくなかったんだけど、まあいいわ。名乗ってこいって言われて名乗ったし、襲撃もしたし、依頼は完了」
「依頼?」
マリエの呟きと言うには大きな声に、涼が訝しげに問う。
涼の声を聞いたマリエは、正真正銘しまったという顔になる。
「わ、忘れてほしい……」
「無理です」
「そうよね。じゃあ、死んで」
その瞬間、マリエが涼に向かって突っ込んだ……だが、ちょうど中間地点で止まった。
目を大きく見開いている。
「これは……何が仕掛けられているの……」
正面に向かって問いかける。
もちろん、外から見ても、何かがあるようには見えない。
氷の壁までも、まだ少し距離がある。
「見えないはずなんですが、なんで<動的水蒸気機雷Ⅱ>があることが分かったんでしょうか」
涼が首を傾げる。
だが、マリエの反応はそこではなかった。
「ダイナミック? スチーム? マイン?」
しかし、そこで言葉は途切れた。
アベルが一体のシャドーストーカーを倒したからだ。
さらにそのまま、横でミーファと戦っているシャドーストーカーにも斬りかかり、一刀両断した。
「ああ……残念。まあ、いいか。とりあえず今回は戻るわ。それじゃあね、ダーウェイ皇帝。また会いましょう」
マリエはそう言うと、空いた天井から飛んでいった。
しばらくは、誰も喋らない。
最初に響いた音は、アベルが剣を鞘に納めた音であった。
(<アイスウォール解除>)
涼が、無言で氷の壁を解除する。
そして、喧騒が辺りを包み込んだ。
「陛下!」
「陛下はご無事で」
「先ほどの奴は、いったい」
「禁軍は何をしていた!」
「皇宮の守りは完璧ではなかったのか」
あちこちから声が上がる。
「陛下、後で、先ほどの緑髪の女性についてお伝えしたいことがあります」
涼は、そっと皇帝ツーインの耳元に口を寄せて早口で言った。
ツーインは、無言のまま小さく頷く。
すぐに、彼を守るために周りに禁軍兵士が集まってきたからだ。
そして、皇帝ツーインは禁軍兵士に囲まれて移動していった。
涼は、正面に歩いていく。
そこでは、第六皇子リュンとシオ・フェン公主が、アベルとミーファにお礼を言っていた。
「本当に助かりました。ありがとうございました」
「いや、リョウの氷の壁もあったから、実は二人は、かなり厳重に守られていたんだ」
リュン皇子の言葉に、アベルが照れながら説明している。
「ミーファ、いつもありがとう」
「いえ、公主様をお守りするのが私の役目です」
シオ・フェン公主の感謝の言葉に、ミーファが嬉しそうに答えている。
涼が近づいてきたのに最初に気付いたのは、リュン皇子であった。
「ロンド公、私と妃、それに陛下をお守りいただきありがとうございました」
そう言うと、両掌を胸の前で重ねて頭を下げた。
「いえいえ、皇子、当然の事をしたまでです。どうか顔をお上げください」
涼が優しく言う。
実際あの場面で、何もしない、誰も守らないなどという選択肢はない。
なので、当然の事をしたのは事実だ。
「リョウ様がロンド公爵だったとは知りませんでした」
そう言いながら、頭を下げたのは、皇子の隣のシオ・フェン公主。
「ああ……え~っと……別に隠していたわけではないのですが……」
涼は言いよどむ。
そして、隣をチラリと見て言った。
「僕は言おうと思ったのですよ? でも、アベルに口止めをされまして」
「なぜ、すぐにばれる嘘をつく……」
涼のごまかしを、言下に切って捨てるアベル。
「ロンド公は、公主と知り合いだったのですね」
「はい。ボスンター国で、お世話になりました」
リュン皇子が一つ頷いて言い、涼が答えた。
「侍女のミーファは、アベル先生の、剣の弟子です」
シオ・フェン公主が微笑みながら紹介する。
「ミーファは、素晴らしい護衛に成長している」
アベルはミーファを絶賛した。
絶賛されたミーファの顔は真っ赤だ。
そこに、一人の男性がやってきた。
「お話中のところ申し訳ございません、両殿下、ロンド公。お呼びです」
そう声をかけたのはリーチュウ隊長。
あえて、『誰がお呼びか』は言わない。
もっとも、皇子と公爵の会話に割り込んでまで『お呼び』なのだから、誰が呼んでいるのか想像はつくというものだが。
「すいません、ちょっと行ってきます」
涼がそう言うと、リュン皇子、シオ・フェン公主とミーファは頭を下げた。
リーチュウ隊長に先導されてついていく涼とアベル。
「それにしても危なかったですね」
「ああ、確かに厄介な相手だったな」
「違います、アベル。その件ではありません」
「うん?」
涼が否定し、アベルが意味が分からずに首を傾げる。
「この流れだったら、皇帝陛下は亡くなられていたかもしれませんでした」
「……は?」
涼の言葉は、やはりアベルには意味不明だ。
先を歩くリーチュウ隊長には聞こえないくらいの、小さな声での会話。
いや、もしかしたら聞こえているかもしれないが……賢明にも、振り返らずに前を向いて歩いている。
「皇帝陛下は亡くなっていた可能性が高かったのです」
再び繰り返す涼。
「なんだそれは?」
「ほら、襲撃の直前に、皇帝陛下がリュン皇子を守って欲しい、みたいなことを話していたじゃないですか? あれですよ」
「よく分からんが……」
「ああいうのの直後に、言った人は亡くなってしまうことが多いのです」
涼が自信満々に言い切る。
もちろん、アベルには意味が分からない。
「もしかして、それはいつもの、もののあはれとかいうやつか?」
「惜しいですね。これは王道展開、あるいはフラグというやつです」
「そうか……いろいろあるんだな」
涼の言葉は、やはりアベルには理解できない……。
「いいですか、アベル。たとえば……俺、この戦争が終わって国に帰ったら、結婚しようと思っているんだ、とか。村に帰って、親父の後を継ごうと思っているんだとか言うと、その人は戦争で命を落としてしまうんです。それがフラグです」
「……恐ろしいな」
涼の説明する内容は理解できたが、それが本当の事なのかはアベルには分からない。
とはいえ、実際にそんな事が起きるのであれば、それは確かに恐ろしい事だ。
だから、素直にそう言った……。
アベルは善い奴なのだ。
「なので、不言実行が一番いいのです。わざわざ言ったりせずに、黙ってやり遂げる。その方がカッコいいですしね。アベルも気をつけてください」
「お、おう……」
そんな事を話している間に、二人は皇帝ツーインの部屋に到着した。
中には、ツーインと、一目で武官と分かる四人の男たちがいた。
三人が入っていくと、ツーインは手を振って四人を部屋の外に出す。
「ああ、ロンド公、待っておったのだ。先ほどは、感謝する暇もなく連れ出されてしまったのでな」
「いえ陛下、御身の大切さは至上のものです。周りの方々の動きも当然かと」
涼も映画やドラマで見たことがある。
アメリカ大統領が襲撃された場合に、シークレットサービスらに移動させられる光景を。
人ではないのだ。
象徴するモノなのだ。
だからその場合、大統領の意思は無視される。
そんな感じで、皇帝ツーインも移動させられていた……。
「いろいろと分からない点だらけですが、一点だけ、先ほどの緑髪の女性に関して確かなことがございます。それをお伝えいたしたくて」
「聞こう」
「あの女性は、幻人でした」
「幻人? その言葉には聞き覚えがあるが……はて、なんであったか」
ツーインが手を顎に持っていって、思い出そうとしている。
涼は手伝うことにした。
「おそらく、リー・ウー刺史の報告かと」
「そうか! リー・ウーか。あれも、報告書を送ってきたがまだ帝都に到着しておらん……。いや、それはよい。確かリー・ウーの報告では、魔物を率いていたのが幻人という者たちであったとか。そういえば、リー・ウーは、その報告は冒険者からのものだと聞いたが、その冒険者はロンド公か?」
「はい、陛下」
「なるほど。合点がいった」
ツーインはそう言って大きく頷いた。
「魔物を率いての襲撃、皇宮への襲撃、しかも名乗り……我がダーウェイへの挑戦か。だが、さきほど、臣下たちに聞いたが、チョオウチ帝国なる国の情報は誰も持っておらなかった。もっと詳細に調べさせるとしよう」
皇帝ツーインへの報告は、無事に終了した。
「幻人による挑戦……いろいろ大変そうです」
「内では次期皇帝位を巡る争い、外では幻人か。超大国と雖も、絶対安定というわけではないということだな」
涼もアベルも、小さく首を振りながら、宿である『龍泉邸』に向かって歩いている。
「我らナイトレイ王国も、軍備増強路線に舵を切るべきです!」
「……は?」
筆頭公爵が国王を煽る。
「周辺国が、挑戦しようなどと思わないほどの圧倒的軍事力を持つべきです! それが、ひいては戦争を防ぐことにもなるに違いありません」
「完全に否定はしないが……王国は、十分な戦力を抱えているぞ? しかも、平時でも結構役に立つ戦力を」
「そんなものがいましたか?」
「ああ。冒険者だ」
「あ……」
王国は冒険者の国。
そもそもアベルが、一度王家を離れて冒険者になったのも、戦力として有力な冒険者たちに国の力として働いてもらおうという考えからだ。
「俺たちの仲間が王様になったんだぜ!」……そんな仲間意識は、冒険者の間ではとても強力と言える。
「そう考えるとアベルは謀略家です……」
「謀略というほどのものじゃないだろう」
「純真な冒険者たちの心を篭絡して、自分の意のままに操ろうとする……。なんて恐ろしい」
「純真な冒険者? フェルプスとかグラマスとかが、純真?」
フェルプスは、ハインライン侯爵の嫡子であるフェルプス・A・ハインライン。
グラマスは、グランドマスターであるヒュー・マクグラス。
確かに、どちらも冒険者、元冒険者ではあるが……。
「ものすごい例外枠の二人です、それは!」
涼が抗議の声をあげる。
次期侯爵と次期伯爵。
冒険者というより、政治中枢の人間というべきだろう。
確かに、例外かもしれない。
「例を挙げるなら、ラーさんとか『十号室』の三人とかです」
「まあ、その辺なら純真か」
涼が例として挙げた四人なら、確かに純真と言っていいかもしれない。
少なくとも、目の前で熱弁を振るう冒険者兼筆頭公爵よりは……。
「アベル、今何か変なことを考えませんでしたか?」
「いや? 気のせいだろう」
冒険者兼筆頭公爵の指摘を華麗にかわす冒険者兼国王。
「それにしても、幻人の特性ってどういうものなんでしょうね……」
「藪から棒になんだ? 特性?」
「ほら、魔人は、重力系が得意だったり、首を斬り飛ばしても死ななかったりするじゃないですか。悪魔は、真っ黒い門みたいなの作ってどこでも現れたり、ああ……こっちもやっぱり首を斬り飛ばしても死にませんね」
「アティンジョ大公の弟、ヘルブ公は呪法使いだったよな。だがさっきの……マリエだったか。あれは呪符とか飛ばさなかったし、魔法使いか?」
「魔法使いな気がしますよね。う~ん……」
アベルも涼も、考えはするのだが、いかんせん情報が少なすぎる。
「そうそう、ヘルブ公は空を飛ばなかったのに、さっきのマリエさんは空を飛びましたよね。その辺がどういうことなのかは、気になります」
「空なら、俺も飛べるぞ」
アベルが、ちょっと自慢気に言う。
「あ……なるほど、錬金道具の可能性があるのですね」
涼は、アベルが左手に着けている飛翔環を見て答える。
確かに、その可能性も考慮しておかねばならない。
ダーウェイを含め、東方諸国で錬金術がどのような発展を遂げているのかは気になるところだ。
「アベル、もうしばらく帝都にとどまりましょう」
「うん? 俺は別に構わんが。どうせ、『回廊』とかいうのが開かないと中央諸国には戻れんらしいしな」
「ええ。それにリュン皇子を守ってほしいと言っていた皇帝陛下の言葉も気になりますし、人外の動きも気になりますよね」
「リョウも十分人外……」
「僕は極めて普通の人間です」
「そ、そうか……」
涼が、ずいっと顔を出して主張する。
アベルは、その圧力に負けて受け入れた。
活動報告に、小説1巻~5巻の、《なろう版》に比べての追記分を書き出してみました。
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