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水属性の魔法使い  作者: 久宝 忠
第三部 第四章 超大国
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0552 殿中でござる

「アベル、大変なことになってしまいました」

「確かにな」

殿中(でんちゅう)でござる~をやってしまうと、その後は悲劇しか生まれないのです」

「デンチュ? なんか、そんな響きの言葉を、以前聞いた記憶はあるが……」


以前、トワイライトランドに向かう馬車の中で、殿中でござる~という言葉だけは、涼が言ったことがある……それを記憶していたらしい。さすがは王様だ。

とはいえ、赤穂藩(あこうはん)浅野(あさの)内匠頭(たくみのかみ)吉良(きら)上野介(こうずけのすけ)のお話そのものは、当然アベルには通じない。



殿中でござるは、一般的には、忠臣蔵(ちゅうしんぐら)、あるいは松之廊下(まつのろうか)の刃傷事件として知られている。


江戸時代、江戸城松之廊下で、浅野内匠頭が、吉良上野介に儀礼用の小刀である、(ちい)(がたな)で斬りつけた事件だ。

そんな刀で斬りつけても殺せるはずはないし、実際、斬りつけられた吉良上野介も、肩と眉の辺りに傷を負ったが、数針縫った程度の傷であった。


冷静に見た場合、なぜ浅野内匠頭が斬りつけたか理解するのは難しい。

浅野内匠頭が斬りつけた結果、彼が藩主となっていた赤穂藩はお取り潰し。

藩士は全て浪人となり、その家族も路頭に迷った。


赤穂藩のこの結果も、殿中、つまり江戸城の中で斬りつけ騒ぎなどを起こせばそうなることは、誰にでも分かる事だった。


それなのに、斬りつけた。



多くの仮説が生まれ、物語も生まれ、数百年後にまで語り継がれている……。



ちなみに、涼が言う『殿中でござる』の語源は……。

斬りつける浅野内匠頭を、後ろから羽交(はが)()めにして必死に止めた梶川頼照(かじかわよりてる)が、「殿中でござる! 内匠頭、殿中でござるぞ!」と叫んだと言われる場面からだ。


しかし……。

この梶川頼照が残した『梶川日記』には、そんな叫びをあげたなどという記述はない。

後ろから羽交い絞めにして止めたという記述もない。



真実も事実も、歴史の波の前には、簡単にかき消されてしまうものなのかもしれない……。



涼はそんなことを考えたが、今、目の前にいる剣士には、殿中でござるを説明する必要がある。

それも、簡潔に。


「剣を抜いてはいけないところで抜いてしまい、あまつさえ斬りつけてしまう行為です」

「ああ……。だが、フォン・ドボー殿がというのが……釈然としないんだよな」

「そうですね。フォン・ドボーさんは善い人ですから」

アベルの解せないという意見に同意する涼。


「ん? リョウは以前、フォン・ドボー殿の謀略の犠牲になるとか、ダーウェイの皇帝陛下暗殺が狙いで、その罪を俺たちに着せるつもりに違いないとか言ってなかったか?」

「いつの時代の話をしているのですか! そんな懸念は、はるか昔に取り払われたのですよ」

「うん、ほんの三日前の話なんだがな」


憤懣(ふんまん)やるかたないという表情の涼に、少し呆れた表情のアベル。

いつものことである。


「フォン・ドボーさんは善い人です。時々、お小遣いをくれたりもします!」

「そういえば昨日、帰りがけに、買い食い用のお金を貰っていたな……」



昨日、皇宮からの帰りの際に、涼が牛串焼き露店をじっと見ながら歩いていたら、フォン・ドボーがお小遣いをくれたのだ。

金貨を渡し、涼の分を含めた全員分を買ってきてくれと。

余ったお釣りは涼のものにしていいと。


涼が喜んだのは言うまでもない。


全員分の牛串焼きを買っても、半分以上はお釣りになったため、涼はいっぱいお小遣いも貰えたらしい……。


奢ってくれてお小遣いもくれる。

そんな素敵な雇い主が、悪い人なわけがない!



「アベルも串焼きを食べたでしょう? 美味しかったはずです。全てフォン・ドボーさんのおかげ。素晴らしい雇い主には、しかるべき敬意を払うべきです」

「うん、まあ、それは否定しない」

涼が力説し、アベルも受け入れた。


一宿一飯の義理は大きい!


宿代も出してくれるフォン・ドボーのために動くのは、涼の中では当然である。



「バシュー伯の宿泊先が分かりました」

探っていた護衛兵たちが戻ってきた。


「聖帝広場に面した、『月下宴亭』です」

ニュアンが報告する。


聖帝広場は、アベルが三色を打ち倒した、時計台のある例の広場だ。


「聖帝広場なら分かる。俺とリョウで行ってくる」

「ああ、頼む」

ウェイ・フォンは顔をしかめている。

自分たちが動けず、新たに雇った二人に動いてもらうしかないのが辛いらしい。


「領主様が打ちかかったというのであれば、家臣である俺たちはバシュー伯の近くをうろつかない方がいいのだろう。とりあえずは、この待機所に詰めるから、ここに連絡をくれ」

「分かった」

ウェイ・フォンを含めて、護衛兵十人が深々と頭を下げる。

アベルも涼も小さく頷くと、待機所を出て、聖帝広場に走るのであった。




聖帝広場は広い。

帝都民の待ち合わせ場所にもよく使われるため、いつも人が多い。

だが、教えられていた『月下宴亭』はすぐに分かった。


『月下宴亭』 の前は、それほど混雑していなかった。

確かに、周りの店や宿に比べれば人の出入りが多いようだが、元々の入口が広く大きいからであろうか。

あまり混雑は感じさせない。



涼とアベルは、頭だけ出して中を見る。


「中はけっこう人がいます」

「そうだな。あれは……言い争いか?」

涼とアベルが中を見ると、入口の少し先で、数人が大きな声で言い合っている。


だがよく見ると、ひとりの人間が両手を広げて、他の者たちが中に入ろうするのを止めているようだ。


「見舞いに来た人たちを止めているようです」

「領主様は、まだ人にお会いできる状態ではありませんとか言っているから、ロシュ・テン殿の家臣なんだろう」

「そうなると困ります。僕ら、お見舞いで会おうとしているので……」

「通してはくれんだろうな」


涼とアベルはため息をついた。



「とはいえ、このまま帰るわけにはいきません」

「その通りだが……どうする?」

「いつもの手でいきます」

「いつもの手?」

涼が自信満々に言うが、アベルには思い当たる節が無い。


そんな、いつも使っているような万能な方法があっただろうか?


「アベルが単騎特攻を仕掛けて注目を集めている間に、僕が裏から……」

「却下だ」

「なぜ!」

「俺が御史台に突き出される」

「それは必要な犠牲……」

「却下だ!」


涼の提案は、アベルに却下された。


世界開闢以来続く、剣士と魔法使いの戦い。

決して相容れる事のない、前衛と後衛の宿命の争い。


仕方ないのかもしれない。


「じゃあ、どうするんですか?」

「普通に、裏口に回ってみる」

「むぅ……仕方ありません」



『龍泉邸』ほどではないにしても、『月下宴亭』もかなり広い宿だ。

大商人や地方領主たちが、供周りの者や護衛を連れて泊まる宿となれば、自然と大きくならざるを得ない。

それはつまり、目の届かない部分も多々あるということ。


「こんな警備だと、暗殺剣士なんて入り放題ですよ」

「何だ、暗殺剣士って」

「暗殺を生業とする、魔剣を持った怖い赤い剣士の事です」

涼は説明をすると、アベルを横目に見る。


「うん、まさかとは思うが、俺のことを想定して、言ったりはしていないよな?」

「も、もちろんじゃないですか。そんなわけないですよ」

そんな会話を小声で交わしながらも、時々二人は身を隠す。


緩い警備ではあるが……宿の警備か宿泊客の護衛か分からないが、宿の庭を歩いてはいるのだ。


もちろん、二人が本気になれば見つからない程度の警備だが……。



『月下宴亭』の建物は、ダーウェイによくある、平屋でいくつもの棟が廊下で繋がるタイプのものだ。

もちろん二人は、探しているロシュ・テンがどこにいるかは知らない。


だが……。


「<パッシブソナー>」


涼の水属性魔法がある。

知った人の反応なら、追う事ができる。


「あっちの奥の部屋ですね」

涼が先導し、アベルがついていき……。



コンコン。



ノックの音が響く。


「はい?」

中から、訝し気な、だが聞き覚えのある声が聞こえた。


涼が扉を開けて、顔を出す。

「え? リョウさん? アベルさんも?」

涼の後ろから、アベルも顔を出した。


そこには、お茶を飲むバシュー伯ロシュ・テンがいた。


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